浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

岩子島

2013年04月28日 | 日常

岩子島

今日はトレーニング日の予定でした。しかし、1週間前に「PTA会長さんは『ええじゃん』で旗を持ってもらうんですよ」との指令を受けて、急遽尾道みなと祭りに参加することになりました。

そうは言っても、100km遠足に向けたトレーニングが出来る日も限られていますので、会場となる尾道駅前までジョギングで往復することにしました。

往復で約40kmなので、たとえ連続走行でなくても良いトレーニングにはなるだろうと思ったのです。

さて、会場に着いてから食事をする時間を取れるように集合時間には余裕をもって出発しました。

今日は体調も良く、スイスイと足が進みます。

しかし、こんな時には何かが起こるものです。

因島大橋を渡り切り、少しでも長い距離を走るため自転車道を廻って、再び因島大橋の下に辿り着いた時です。

橋の上から大きなブレーキ音と衝突音が聞こえました。それも2台続けて!

ビックリしましたが、何もすることが出来ないので、そのまま走り続けましたが、その後に救急車やパトカー、消防車のサイレンが聞こえてきたので、やるせない気持ちになりました。

ただ、これは僕の身に起こることの予兆だったのかもしれません。

10kmを過ぎたところで給水を摂っていないことに気づきました。

(長い距離を走るにはこまめな給水が必要です。)

でも全然しんどくなかったし、時間的にも余裕があったので、岩子島に寄り道をして、その時に自動販売機で飲み物を購入しようと思っていたのです。

ところが向島から岩子島に渡った途端に写真の看板が出迎えてくれたのです。

そりゃ、「監視カメラとあなたの良心が見ています。」と書かれてはゴミを棄てる人なんかいないでしょうよ。

それはさておき、走り続けていると短いアップダウンはあるものの、僕が探している物体はみつかりません。

結局、島を一周する間に自動販売機が一台もありませんでした。

(いや、一台だけありましたが電源が入っておらず、ぬか喜びしただけでした。)

う~ん、これではペットボトルや空き缶のポイ捨ては有り得ないじゃないですか。

それでも監視カメラが必要ですか?

ということで、約18km走った時点で一滴の給水も摂れなかった僕は徐々に弱っていきます。

(最初から給水ボトルを持参しなかった僕が悪いんですけど・・・)

岩子島から向島に戻った時点で、すぐに自動販売機で飲み物を買って水分補給しましたが、時すでに遅しという感じで力が出ません。

そういえば、エネルギー補給もしませんでした。

なんとか3km先のコンビニに辿り着き、パンを2個買って食べました。

ここで一つ良かったのは、、僕のお腹はパンを2個食べた後ですぐに走っても大丈夫だということを発見できたことです。

これで何とか尾道大橋を渡って、尾道公会堂の前に到着しました。

この辺りから人が多くなってきたので、ジョギングは止めて(約25km)、立ち止まった途端に教頭先生と役員さんとばったり会ってしまって、そのまま食事を摂ることもできずに道具運びや準備をすることになってしまいました。

結局、お腹を空かせたまま「ええじゃん SANSA がり」のパレードに参加することになってしまいました。

(あとから聞いた話では、僕たちが道具の準備をしている間に生徒たちはおにぎりを貰って食べていたんだとか・・・。僕も欲しかったです。)

僕の役割は先頭で校長先生と旗を持つことだったのですが、これが特等席で生徒たちが一生懸命に頑張っている姿を近くで見ることが出来て感動しました。

(息子が踊っているところは見れなかったけれど・・・)

僕がサッカーの指導をしている選手たちもですが、恥ずかしがらずに一生懸命に取り組んでいる姿は周りの人を感動させる力があると思います。

結局、生徒の解散まで一緒にいて、帰路につきましたが、いくら柔軟体操をしても足の重さが抜けないため、尾道大橋まで引き返す気力もわかず、渡船に乗って向島に渡りました。

たしか1人60円なり。

本当は船に乗り込む前に屋台で何かを買おうと思っていたのですが、人が多かったことと感動に浸りたかったため、そのまま何も食べずに帰路についてしまったのです。

案の定、すっかりエネルギー切れを起こした(そりゃ、結局パンを2個しか食べていないもん)僕はフラフラになりながら、16kmを走ったり歩いたりしながら家まで辿り着きました。

本当にこまめな水分補給とエネルギー補給の大切さを身に染みて実感しました。

本番までにもう一回は長い距離を走らなくては・・・。


LSD

2013年04月22日 | こども

夜の20時から22時くらいが筋トレをしたり、ジョギングを行うトレーニング時間になっています。

ただ、様々な用事があって、毎日は出来ないため、週に2~4回程度しか行えていないのが実情です。

さて、今日は10キロ走を行おうとして準備をしていたら、息子の姿が見えました。

冗談のつもりで「一緒に走る?」と聞くと、「うん」とのこと。

まさか本当に走るとは・・・。

念のため、1キロ6分ペースで10キロ走ることを伝えましたが、普段1キロ3分で走る息子にとっては遅すぎるくらいのペースだったはずです。

LSD(long slow distance)は「長い距離をゆっくり走る」という長距離のトレーニング方法ですが、普段は全力を出すトレーニングが中心の息子にとっては良い機会だったかもしれません。

これが疲労回復やスタミナ強化につながっていれば、ゆっくり走ったことも良いトレーニングになったことでしょう。

僕にとっては、こうして息子が一緒に走ってくれて嬉しい時間となりました。 


親の背中

2013年04月13日 | こども
新年度になりました。 早速、PTAの活動が始まって来ました。 学校の行事だけでなく、地域行事への関わりや学校のPTAを代表して他の学校の人たちと関わったりすることも多くなってきます。


今までもPTAだけでなく、消防団やサッカークラブなどの活動を行なって来ているので、自分が抱える荷物が大きくなったなぁと感じています。


そんな時にある言葉に出会いました。

「軽い荷物にして欲しいと願ってはならない。強い背中が欲しいと願いなさい。」


自分が経験するすべてのことは自分を成長させてくれるはずですよね。

手を抜かず、真摯に、誠実に向き合いたいと思います。


復興

2013年04月06日 | 日常

東日本大震災から2年が経ちました。

直接的な被害者ではない僕を含む多くの人たちは震災とは縁のない日常生活を送っていて、少しずつ忘れていっている現状があります。

311日」が訪れるたびにメディアは取り上げ、日本の人々は思い出すでしょうが、その日が過ぎると何事も無かったように記憶の片隅に追いやられます。

あたかも桜の花が満開になるとお花見をして、その後は桜の存在すら忘れ去ってしまうかのように。

実際には桜の木はずっとそこに存在しているし、花が散ると若葉が茂り、また葉を赤く染めて散った後は寒さに耐えて新しい命を育てています。

でも、それに気づいて目を向けている人はわずかなのです。

例えば、震災直後には原子力発電に対して国民の大半が批判的な見方をしていました。

でも、現首相が原子力発電ゼロの方針は白紙に戻すと言った時にどれだけの人が反応を示したのでしょうか?

さて、「復興」という言葉が度々聞かれますが、なにを持って復興が出来たと言えるのでしょうか?

非常に難しい問題です。

特に上記のような状況を考えると、当事者と僕たちの間に大きな隔たりがある気がします。

ただ、ここで一つ言えることはこの国は様々な災害・被害を受けながらも人々がここで暮らし続けているということです。

東京大空襲だって、広島・長崎の原爆だって、伊勢湾台風だって、神戸の震災だって、火山の噴火だって、色々な災害だって、多くの人々が亡くなって生活を奪われてきました。

それでも暮らし続けているのです。

亡くなった人たちが生き返ることは不可能です。被害を受けた前の生活に完全に戻ることも不可能です。

でも、それらを経験したということも含めて、未来へ一歩ずつ踏み出していくことが復興となるのではないでしょうか?