浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

月誕生日

2015年03月30日 | 日常
月命日という言葉があります。
ある人が亡くなったその日を命日(祥月命日)と呼び、毎月のその日を月命日と呼びます。
だから、もし4月1日に亡くなったとしたら、その日が命日(祥月命日)となり、毎月1日が月命日となります。
亡くなった方の供養を行うために毎月の月命日にお供えをしたり、親戚(家族)が集まるところもあります。

ちなみに命日の対義語は誕生日です。
ということは、誕生日にも月誕生日が存在しても良いのでは・・・?
そうすれば、毎月お祝いしてもらって、ケーキを食べることも出来るはずです。
我ながら、なかなか良いアイデアかもしれません。

あっ、しまった。
僕の月誕生日は毎月は回ってこなかった・・・。

五里霧中

2015年03月28日 | 日常


「五里霧中」
物事の様子や手がかりが掴めず、方針や見込みが立たずに困ること。また、そうした状態。事情などがはっきりしない中、手探りで何かをする意にも用いる。

天気予報が「広島県南部は晴れ、降水確率0%、乾燥注意報、濃霧注意報が出ています。」と告げた日の朝、家を出た僕の視界は真っ白な霧の壁で覆われていました。

天気予報は晴れと言ったけど、太陽の光は全く見えなくて、俄かには信じがたい気持ちでした。

霧が出てても乾燥注意報が出るって事は、霧と湿度は関係ないのかなぁと考えながら、仕事に向かいました。

思えば、今はまさに仕事の状況が五里霧中です。
介護保険の改定、同僚の退職などが重なり、少し先がどうなるのか分かりません。
正直なところ、不安でいっぱいの心境です。

でも霧で前が見えないのだから、スピードを出して走る必要はないと思えば、気持ちも変わります。

天気予報は霧が出てても、晴れだと言っていたじゃないか。
きっと霧が晴れたら、青空が広がっているはずです。


2つの力

2015年03月26日 | 日常
物事を行おうとする時に必要な力が2つあります。

1つは「始める力」
0の状態から1の状態にするのは、簡単なようで難しいものです。
何事も一歩を踏み出すのは勇気が要ります。

そして、もう1つは「続ける力」
無の状態から有の状態にするわけではなく、有を積み重ねるだけです。
「だけ」と書いたけれど、これがとても難しい事であるのは誰もが経験しています。

さて、息子が新たな一歩を踏み出して、自分の道を歩き始めました。
彼がその一歩一歩の歩みを積み重ねて辿り着く場所にはどんな景色が広がっているのでしょうか?

瀑雪の滝

2015年03月22日 | 日常
午前中のトレーニングを終えた後、少し自然に触れて来ました。



以前、白竜湖トレイルランに参加した時にコースの中で滝を見たことを思い出して、その場所まで行ってみることにしました。

名前さえ覚えていなかったけれど、うろ覚えの地形から推察して、近くまで行ってみると、看板が見えてきました。



車を停めて、少し山道を歩くと、見事な滝が見えてきました。

少しの時間ですが、ただ自然に身を委ねてみました。

リフレッシュ出来たような気がします。

ラングドシャ

2015年03月18日 | 日常


京都土産を頂きました。

「ラングドシャ」というものらしいです。

お菓子のことを知らない僕は、聞き慣れない言葉に頭の中でまったく違うものを想像していました。

調べてみると、猫の舌のような細長い形をしたクッキーのようなモノでチョコレートやクリームなどを挟んだお菓子とありました。

有名どころでは北海道の「白い恋人」もラングドシャなんだとか。

なるほど、何となく想像出来ました。

実際に食べてみると、とても美味しいものなんですね。

しかし、何処かに出かけた先で、僕のことを思い出してくれて、お土産を買って帰ろうとしてくれたことが何より嬉しいです。

存在

2015年03月15日 | 福祉
高齢者を取り巻く環境は、凄い勢いで変化しています。
年金、医療保険、介護保険など、高齢者福祉に携わる僕のような人間でも取り残されそうになります。
少し前なら、「10年ひと昔」と言っていたけど、今は「3年ひと昔」といった感じでしょうか。

でも、どれだけ高齢者を取り巻く環境が変わっても、寿命がどれだけ延びようとも、人が死を迎えることに変わりはありません。

自分の人生を思った時に考えさせられる言葉に出会いました。

あなたが生まれた時、あなたは泣いてまわりは笑っていました。あなたが死ぬ時は、あなたが笑ってまわりが泣く、そんな生き方をしなさい。

思えば、息子が生まれた時に、その寝顔を見て護らなければならない大切な存在を知りました。
いつか僕は親の寝顔を見ながら、見送るべき大切な存在を知るのかもしれません。

人が一生のうちに出会う人の数と別れる人の数は必ず同数なのです。

大切な人との出逢いと別れを大事にしたいと思います。

旅立ちの時

2015年03月14日 | 日常
息子の卒業証書授与式が行われました。
様々な学校行事に出席してきましたが、今日が最後となりました。

保護者の顔触れを見て、普段は見なかった人たちもいたりして、改めて大きな節目であることを感じました。

卒業生39名の多くは小学校の頃から6年間を一緒に過ごしてきました。
なかには保育所の頃から10年以上同じ時間を過ごしてきた仲間もいます。

息子は進学のため、4月から因島を離れて過ごすことになります。
僕を含めて、今まで一緒に過ごしてきた人たちと違う場所で生活することになるのです。

正直なところ、息子と離れて暮らすことに実感がありません。
実感が無いので、周りから「淋しくなるね」と言われても、まだ淋しさを感じることが出来ていません。

15年以上、ずっと一緒に暮らせて幸せな時間を過ごしてきたので、きっと居なくなったら淋しくなるのでしょうが…。

ただ、息子への愛情も大切な存在であることも変わることのない事実であり、親子で育んできた絆も失われるものではないので、大丈夫なのかなとも考えています。

同じ太陽に照らされ、同じ月を見上げて、同じ空に見守られているわけですからね。

旅立ちの時、息子の歩んで行く姿を見守ってやりたいと思います。

自己満足だとしても

2015年03月11日 | 日常
3.11
東日本大震災から4年が経ちました。
何も変わっていないようにも感じられるし、大きく変わったようにも感じられます。

直接的な被害を受けていない人たちの多くは、過去の出来事と考えています。

斯く言う僕も冒頭で「東日本大震災から4年が経ちました」と書きました。

きっと当事者にとっては、震災による被害は今も続いている出来事なので、「経っている」のではなく、「続いている」なのだと思います。

僕に出来るのは何だろうかと考えます。
ボランティアとして現地を訪れることでしょうか?
義援金として金銭的な援助をすることでしょうか?
それとも…。

いくら考えても答えは見つかりません。

でも忘れずにいようと思います。
自分だけでなく、周りの人たちと3.11について話してみようと思います。

それが自己満足だとしても…。

感謝の日

2015年03月09日 | 日常
今日は3月9日でサンキューの日だから、ありがとうの気持ちを伝える日だそうです。

なんて安易で、なんて素敵な思いつきでしょうか。

3(さん)も9(きゅう)も日本語読みだし、thank youとは直接関係ないです。

明らかに無理矢理感が漂っています。

でも良いんです。
感謝の気持ちを伝えることが出来るなんて、素晴らしいことではありませんか。

僕も「ありがとう」を伝えたい人がたくさんいます。
みんなに伝えることは出来ないけれど、大切な人たちにはきちんと伝えたいです。

いつも、ありがとう。