作家の平野啓一郎氏が「菅首相の答弁能力の悪さ
を懸念」と述べている文章を読んだ。
[学術会議の6人を任命しなかったことについての
蓮舫氏の質問に対して首相がしどろもどろで的確
に答えられず代わって加藤官房長官が整然と答える
姿に首相の即応能力のなさを危ぶんだ]という記事
である。
もっと踏み込んでこれでアメリカ、拉致被害者
交渉の北朝鮮、ロシアのプーチンなどと渡り合えるか
とも言及したとのこと。
外国との交渉は優秀な通訳もいることだし首相の
意をくんでうまく話してくれるとも思われるけれど
確かに菅氏の所信表明演説の読み間違いの多さも
含めて「話す力」が弱いという印象を受ける。
首相に限らず「話す力」「訴える能力」は大切である。
多くの人がケネディやオバマの言葉に魅了された。
同僚だった後輩が何かの会で発表することになった時
内容はとても素晴らしいのだけれど、いつもぐちゃぐちゃ
話すので「ゆっくり、きっぱり話すのよ」と忠告した
ことがった。
何時もの会議でも彼が話し出すと皆うんざりしていたのだ。
これは多分活舌の問題で今も電話の向うで何を言ってい
るのか分かりにくい。
「話す」ということは聞き手に「分かって」もらうことで
ある。「おしゃべり」とは違う。
文章でも同じことだと言える。「書く」ことは「分かって」
もらうように書かねばならない。
これがなかなか難しい。
でもブログの良さは「独り言」でも「つぶやき」でも書ける
ことである。
そこに救われてこうして駄文を綴っている。
