笹子トンネルの事故があって今日で
10年が過ぎた。
ということは暮れの30日からお正月3日
にかけて北九州ですごしたのも10年に
なるということになる。
このことは以前にも書いたことがある
けれど、小倉から下関に向かおうと関門
トンネルを車で通行中のことだ。
ドライバーが突然声をかけてきた。
「お客さん、この間の事故の笹子トンネル
とこのトンネルは同じつくりなのですよ」
わたくしはびっくりして思わず、彼の名前
のところをみた。
「もし天井から屋根が落ちてきたらこの人
と運命を共にすることになるのか」
「でも、今そんなこと言わなくても・・」
わたくしは一刻も早くトンネルから出る
ことを願っていた。
トンネルではなくて上の橋を通ればよかった
のにと怒りもわいてきた。
無事に出たときには本当にほっとした記憶
がある。
10年過ぎても子供を亡くして立ち上がれ
ない家族の姿が新聞に載っていた。
やりきれない怒り、悲しみ。
あの時のドライバーも不安の中で通って
いたのであろう。
どこの誰とも分からない客のわたくしに
思わず話しかけたかったのかと今になって
思う。
「よかったね。無事に通り抜けられて。
ドライバーさん!」
彼は今も小倉で頑張っているだろうか?