「分からない人から電話」とスマホが叫ぶ

2018-05-18 15:30:19 | 日々思うこと

先日、午後5時過ぎ約束していた夕ご飯に出かけようとしていたらスマホが

「分からない人から電話」と叫んだ。

「え、えッ?分からない人からって?」確かに知らないナンバーである。

「スマホの電話番号なんてそんなに大勢に教えてないし…」と一瞬迷った挙句

ぶっきらぼうな声で「はい」と答えた。近頃は名乗らない。

相手はご近所さんの仲良しで、「連絡がつかないので心配で」ということだった。

結局息子さんが在宅で大丈夫だったのだけれど、この電話の主にわたくしの

携帯番号が知られていたことになる。

自宅の電話はNHKの電話帳に載っているので知らない人からかかってくることは

よくあるけれど「非通知」と「0120・・」の電話には基本的に出ない。

デスプレイを見て受話器を上げる。

留守電に言葉が入り始めて取り上げることもしばしばである。

礼を失していることは十分承知しているけれど、毎日のように電話による

詐欺事件が起きていることを考えると、やむを得ない。

うかつに人を信じられないなんて嫌な時代になったものである。

 

喋るといえば最近Amazon Echoの宣伝がよく出てくる。

この間息子の家に行った時、「あれって、便利なのかしらね」と言ったら

「書斎に来て」と言って見せてくれた。「それで・・?」「まぁ、こんなもの」

「Alexa,音楽ならして!」・・わたくしは当分買うのやめ。

スマホだって「Hey Siri」とか「Google]とか。

今はお風呂も電気釜も何かしゃべっている。変な時代になってきたものだ。

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退院記念日

2018-05-16 15:58:20 | 日々思うこと

”「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日”(俵 万智)

最近何かでちらっと読んだところによると「君」が褒めたのは鶏のから揚げで、

それも7月6日ではなかったらしい。

短歌は事実に基づいて詠むことはない。

昨年5月15日 退院した。これは事実である。

入院はとことこ1人で出かけて行ってしたけれど、さすが1人で退院して新幹線に

乗って帰宅するのは不安だったので弟夫婦に「遠いから見舞はいらない。ただ

退院の時、お迎えに来て」と頼んでおいた。(それでもICUにいるときと

個室に移ってからの2日来てくれたが)

15日朝、嫁が退院の手伝いに来て手続きを済ませ新横浜のHアソシアまで送ってくれて

弟夫婦と1泊して16日帰宅した。

*********

高校の同級生で理3にストレートで合格した秀才がいた。もちろん医者になった。

ところが退職して間もなくうつ病になった。2年前、彼のお兄さんにあった時

「その後、どうなの?」と聞いたら「治らない」ということだった。

警察官僚になり国会で答弁している姿を時々見ていた中学の同級生もいた。

彼は父親の転勤で高校は別だったが。

同窓会で久しぶりに会った時、「1浪して文2に入ったんだ」と言っていた。

話のなかで何故か読書のことになって「速読法に興味があったんだけどね」

と本を読む速度が遅いわたくしが言うと彼も「僕もやってみた」と言っていた

ことを思い出している。彼も今は仲の良かった友人を避けているらしい。

身体を壊しているという噂である。******

病気は秀才にもわたくしのような凡人にも関係なく突然やってくる。

そこそこ元気で、そこそこの楽しみを堪能できているので、執刀してくださった

お医者様たちや弟夫婦、友人たちに感謝する日としてこの日を「記念日」とする

ことにした。「退院記念日」。

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聘珍楼のマンゴー

2018-05-13 15:21:34 | Weblog
母の日。

息子から聘珍楼のマンゴーが送られてきた。

この前もデザートで食べたけれど、結構大きいので、1度に1個は多すぎる。

好きなので、嬉しいけれど。



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食事会で

2018-05-12 15:45:01 | 日々思うこと

昨夜いつもの仲間と115回目の食事会をした。

1人は(この会のそもそもの始まりは彼が奇病にかかった奥様の看病で大変だろうから

月に1度みんなで食事をしようということからだった)肺に水が溜まって動くのが

辛いから欠席すると当日連絡があって来なかった。

ちょっと小ジャレタ料亭の座敷で始まったのだけれど(なじみのお店)1人がすでに

家でビールを飲んできていて料理に手をつけず、お酒ばかり飲みたがる。

彼の奥さんが堪りかねて「もう持ってこないように」と中居に言うと彼は

怒り大声を発しだした。

奥さんの泣きそうな困った顔を見てわたくしは思わず怒鳴っていた。

チカちゃん、よしなさい!」彼は親夫という。

わたくしに怒鳴られて彼は黙って床によこになった。

小学校の時から仲良しだった。自分は悪仲間に加わっていないのに

クラスの仲間が何かいたずらして先生に「誰だ?」と叱られたときクラス委員だった

彼は「僕です」と手を挙げた。その時「へぇ、やるじゃん」と思った記憶がある。

大学生になって春か夏だったかの休みに2人で音楽会に行ったことがある。

彼は中小企業会社の息子で祖父は市の議員だったと思う。

親に「会社は3代目が大切で3代でつぶれることが多い。大学なんか行かなくていい」

と言われたけれど「絶対つぶさないからと許してもらった」と訴えていた。

同志社大学で十分楽しく過していたようで彼のためによかったなとうれしかった。

その彼が会社は十分守って娘婿に後を任せるところまで行っているのに

お酒を飲むとおかしくなる。

同級の男性の仲間たちは困ったという顔をしていただけなのに、奥さんの泣きそうな顔を

見ていたら、怒鳴りつけてしまっていた。

お酒に飲まれている。しっかりせい!チカちゃん。奥さんを困らせるな!

今はちょっと出過ぎたかなと反省している。

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隠し部屋なんてなかった

2018-05-08 21:50:06 | 日々思うこと

エジプト・ルクソールの王家の谷にあるツタンカーメンのお墓の壁の奥に空洞が

あると言われていたけれど結局隠し部屋はなかったと結論付けられた。

絶世の美女と言われるツタンカーメンの義母が眠っていると推測されていた。

残念。ツタンカーメンの棺から出てきた数々の財宝みたいな品が出てくるのかと

ちょっと期待があった。

日本にも来たことがあるツタンカーメンの副葬品、黄金マスクは見事なもので

カイロの博物館で見た。

何日かかけてアスワンまでナイル川をのぼり、最後にまたカイロに戻ってこの博物館

を訪ねたので、毎日の食事でお腹を壊すのではないかと正露丸を飲みまくり予防した。

幸いわたくしは大丈夫だったけれど夫はせっかくの博物館を見逃した。

ホテルで休むという。

正露丸が予防薬として効くものかどうか分からなかったけれどとにかく飲んで

効き目があった・・と思っている。(何しろ征露丸だったらしいから)****

クフ王のピラミッドの内部に謎の巨大空間があると言われているけれど、なんだか

怪しく思えてきた。

イギリスの大英博物館でロゼッタストーンを見てエジプトに興味を持ったのが

始まりで、エジプトに行く前もう1度ロゼッタストーンとエジプトのコーナーを

見に行った。

(この博物館は本当にすごい。言い方は悪いけれどかっぱらってきたものも

ずいぶんある。)

狭い日本でも思いがけない遺物がまだ出てきたりするのだから、地中には

夢がある。

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