先日、4月1日に小山心平(本名/正弘)さんが亡くなりました。初めて手にしたケーナの制作者です。文筆家、写真家でフォルクローレギターの名手、自然科学者でした。前身は教師、最後は高校の理科生物の先生だったそうです。12年前、彼に出会わなかったらフォルクローレは好きなだけで自分が演奏する側になることもなかったでしょう。老若男女に優しく、多種多様に優れていて希有な方でした。惜しい人を亡くしました。そういえばパソコンも心平さんから始まったのでした。
入院してたった半月、あまりにも早すぎて心の整理もつきません。入院したことも知りませんでした。今でも信じられなく嘘のようです。残念です。。最後に会ったのが昨年11月の山羊や合宿でしたが、ゆっくり話もしなかった。仕事を辞めたらライズ音楽院でギターの生徒になる予定だったのに・・・
葬儀後じょじょにて↓
月曜日、網走のコンタさんが書いた文・・・・・
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4年間に渡って、僕を導いてくれた心の師匠をみおくってきた。
その根幹は、「フォルクローレとは何か?どうあるべきか?」ということ。
距離的な事情から、大半はメールや手紙によるものだったが、年に1~2回は寝袋持参で飲み弾き歌い楽しく語ってくれた。こちらが問えば、どんなことでも詳しく答えてくれた。
恩師の生前から、地元で日常的なフォルクローレの集いを主催する夢を話していたが、結果的にはその遺志を継げるのだろうか?
恩師の蒔いた種は様々な場所で芽を出して、中には大きな樹になるものもあるだろう。
僕は路傍の石ころのままだろうしそれが本望だ。
今週は恩師との書簡や資料や音源を整理しているところ。
最初の頃、こんなことをやりとりしていた。ここにも記録しておこう。(一部省略)
「前夜フォルクローレの現状に対する彼(カヴール氏)の率直な意見を聞いたので、日本でもフォルクローレ音楽の本質を後世に残し伝えるために、生きているうちはみなさんと一緒にささやかな努力をしようと思ってはいます。そのひとつは、舞台演奏スタイルに偏ってしまった日本のみなさんに、もっと暮らしとして演奏できる心得を普及したいことです。カヴール氏はャbプス化するフォルクローレ界の根源はエレキ導入だと言いましたが、僕は日本のフォルクローレの動向を見つめてきて、その点では心配ないと思います。日本のフォルクローレ愛好家の楽器観はかなりアンティークだからです。しかし、モデルにする演奏が暮らし感覚を薄めた舞台演奏だけに偏っている、というところに問題を感じています。フォルクローレは唯南米の民謡をやることではないし、むしろ暮らしとして演奏することに本質があるのだと思います。演奏する時にはもっと自分自身の内側から滲みだす音楽として、聴衆と同じフロアで、聴衆と同じ視線で演奏をする努力こそが必要だと思うのです。たとえばコンタくんは、僕と即興で音楽ができる希有なひとですが、それこそをフォルクローレをする皆さんがしなければならないことだと僕は思います。黒人奴隷の末裔のバカ女史が故郷を訪ねたおりに、幼い子供たちにカホンを叩かせていたおじさんの言葉こそが意味あるのですね。ゴンザ氏、カイヤ氏にもよろしく。」