実家のお盆お参りは法雷寺に行きました。
小樽天狗山登山口に続く道(千秋通り)の途中、
急な短い坂を登ると小さなお寺があります。
近所には昭和古民家の「菜はな」さんがありますよ。
そう云えば以前読んだ小説「タイム屋文庫」朝倉かすみ
は、その近所が舞台でした。
もっと登ると母校千秋高校(現小樽工業高校)があります。
その当時は木造のなかなか良い校舎でした。
工業高校に間借りした普通科三クラスがありました。
今のような大学区制でなかったので、中学校と同じ顔ぶれ同級生達。
卒業以来半世紀近く毎年数回のクラス会が続いているのも頷けます。
地元で二回、東京組は一回。良く考えると希有なこと。今年は行こうかな
小樽は坂だらけで必然的に足腰が強くなりました。
若い頃は歩くことは大得意でトレーニングをせずとも登山も平気でした。
今からは想像も出来ない身体能力だったかも。本当か?かなり美化した話。
法雷寺は小さくて幼稚園はなかったので妹や弟は
隣の緑町にある直行寺/まや幼稚園に通いました。
ところで直行寺の呼称は「じきぎょうじ」と称す、とありました。
(いまの今までチョッコウジと読むと思っていました。)
土田英順さんの震災チェロコンサートがあったそうです。新しくなっていて吃驚!http://www.youtube.com/watch?v=7azJb8mjIvU&feature=youtu.be
勝手にリンク↓
同時代の方?のホームページに小樽のその時代のことが書いてありました。
小樽天狗山登山口に続く道(千秋通り)の途中、
急な短い坂を登ると小さなお寺があります。
近所には昭和古民家の「菜はな」さんがありますよ。
そう云えば以前読んだ小説「タイム屋文庫」朝倉かすみ
は、その近所が舞台でした。
もっと登ると母校千秋高校(現小樽工業高校)があります。
その当時は木造のなかなか良い校舎でした。
工業高校に間借りした普通科三クラスがありました。
今のような大学区制でなかったので、中学校と同じ顔ぶれ同級生達。
卒業以来半世紀近く毎年数回のクラス会が続いているのも頷けます。
地元で二回、東京組は一回。良く考えると希有なこと。今年は行こうかな
小樽は坂だらけで必然的に足腰が強くなりました。
若い頃は歩くことは大得意でトレーニングをせずとも登山も平気でした。
今からは想像も出来ない身体能力だったかも。本当か?かなり美化した話。
法雷寺は小さくて幼稚園はなかったので妹や弟は
隣の緑町にある直行寺/まや幼稚園に通いました。
ところで直行寺の呼称は「じきぎょうじ」と称す、とありました。
(いまの今までチョッコウジと読むと思っていました。)
土田英順さんの震災チェロコンサートがあったそうです。新しくなっていて吃驚!http://www.youtube.com/watch?v=7azJb8mjIvU&feature=youtu.be
勝手にリンク↓
同時代の方?のホームページに小樽のその時代のことが書いてありました。