た む し ば

引越blogで、リンク切れも多々あるようです。古い記事もありますが記録ということでそのままで^^

郵便馬車の御者だった頃

2010-12-26 | ノンジャンル
山岳部の先輩のおはこだったこの歌、大きな声で歌ってみた。


「郵便馬車の御者だった頃」作詞作曲:不詳・訳詩:井上頼豊



1 郵便馬車の馭者(ぎょしゃ)だった
  
俺は若くて力持ち
  
そこは小さな村だった
  
俺はあの娘(こ)に惚れていた



2 娘に不幸が見舞うなど
  
俺は夢にも知らなんだ
  
馭者の稼業は西東
  
心はいつもあの娘



3 やすらいのない日々だった
  
想いは深く胸痛む
  
ある日頭(かしら)が手紙を渡し
  
「早く頼むぞ、駅どめだ」



4 馬はいななき鞭が鳴る
  
はやてのように野を走る
  
だけど胸はつぶれそう
  
あの娘とこんなに遠くなる



5 風が悲しくほえていた
  
ふいに馬めがあばれ出し
  
おびえたように脇を見た
  
俺にはわけがわからない



6 動悸(どうき)ははげしく高まって
  
俺は見つめた雪の中
  
ばれる馬から飛び降りた
  
誰かが道に唐黷トる



7 吹雪は渦巻き荒れていた
  
俺は雪をばかき分けた
  
血の気が失せて立ちすくみ
  
寒さがシューバにしみた



8 皆の衆、あの娘が死んでいた
  
茶色の瞳を閉じて
 
 酒をくれ早く酒を
  
もうその先は話せない
  
酒をくれ早く酒を
  
もうその先は話せない



もひとつ、「心騒ぐ青春の歌」
作詞:L. I. オシャーニン、作曲:A. N. パフムートワ 日本語詞:関 忠亮

1 ぼくらにゃ一つの 仕事があるだけ
  自由の国拓(ひら)く 仕事が一つ
  (*)雪や風 星の飛ぶ夜も
     心いつも 彼方を目指す

2 きみとぼく二人 励ましあいながら
  結んだ友情 いつまでも続く
  (* 繰り返す)

        (間奏)

3 歩けるかぎりを 見とおすかぎりを
  力あるかぎり ぼくらは行こう
   (* 繰り返す)

4 ときにはきみも 恋をするだろう
  恋人もいっしょに きみは進むだろう
   (* 繰り返す)

5 静かな夜にも 心許すなよ
  仕事成しとげた 栄(は)えある日まで
   (* 繰り返す)


懐かしくて、、、年の瀬ですね~~ついでに青春時代の歌も聴きながらお片づけ中。
長谷川きよし は凄い!!

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死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

Em   D C B7
Em Am B7 Em
E7  Am D B7
Em Am B7 Em



チリよりの便り

2010-12-26 | ノンジャンル
              年末のご挨拶(2010年)    

  年の瀬がつまって参りましたが、皆様におかれましては、ますます、ご清祥の段、心よりお慶び申しあげます。お蔭様で私もいたって、元気に大過なく過ごしております。 次第にチリの生活にも慣れ親しみ、時には、望郷の念も少し薄らぐ、今日この頃であります。
  季節も、ラニャーニャ現象の故か、殊の外、寒く長かった厳冬を経て、早、「惜春鳥」が鳴く候となりました。
これから、僅かばかりの夏をチリの人々と共に謳歌したいと想っております。

  さて、チリの2010年を振り返りますと、2月のコンセプシオン地震(マグニチュード8.8)に始まり、3月のピニェラ大統領の就任、9月のチリ建国200年祭(1810年宗主国スペインから独立)、そして記憶にまだ新しい 10月のサンホセ鉱床事故での鉱夫33人の救出等・・・話題に事欠かない1年でありました。 どれも、世界に発信された出来事で、只、これらの事のみに因るとは限りませんが、チリが改めてクローズ・アップされたことは事実でして、今やブラジルと並んで、南アメリカの優等国になったと言っても過言ではありません。
 日本との交易も、益々、盛んになって来ております。 早晩、「日本」対「チリ」の関係は、真のパートナーとして「APEC」の耳目を集めることでありましょう。
  しかし、「光と影」は、それは、どこの国にあっても持ち合わす現実の中で、チリも同様であります。先住民族「マプーチェ」との確執は根深く、この問題を抜きにして、真のチリの明日は無いと思うのは、意ある学生と共に、私も少なからず共鳴する一人であります。

  一方、常磐の森に囲まれた大学の1年も単調な常態の中にあって、幾ばかりかの変化がありました。先ずは、「日本語授業のコンピュータ化(視聴覚授業)」プロジェクトの
完製です。 今月初めをもって、愚直に進めて参りました作業が総て終了いたしました。

  1年と8か月の日々でした。 まさに、来る日も来る日も、学生との協働作業・・・と言っていっても、時には、色をなして反論する学生もおりましたが、尽きるところ、彼らの能力と覇気を貰っての日々でした。そして、ある学生曰く「先生・・こんなに沢山の電子テキスト(紙ベース=4500枚)が1本のメモリーステック(テラ・バイト)に入ってしまいました! 残念ですネ!!」のアイロニーには一服しました。が、とにもかくにも、成し遂げました。後は、「マニュアル作製」を残すのみであります。そして、いよいよ「魂(実践としてのソフト)」を入れる来年であります。



  次は、「チリ日本語弁論大会(中級クラス)」において、本大学の学生(弁士)が見事、準優勝したことであります。これまでは、首都、サンチャゴ大学「日本語専門課程」の学生の独壇場でありましたので、これまた、「一矢報いた!」と周りからも拍手喝さいを頂いております。当学生は、もう早、「来年は、上級クラスで受賞!」と意気込んでいます。

  無限に近い可能性を持つ若者と、限りある時間軸の中に居る私とでは、自ずから、今日の明日の思い入れは異なりますが、せめても、有能な学生と一緒できる幸せをつくづく噛み締めております。

  続いて、「アウストラル大学第6回日本文化祭り」についてであります。今回は、学生の意見もあって「日本のわび・さび」をテーマに催しました。 「華道・茶道・禅」の三つの組み合わせです。どれも、ここバルディビア近郊に棲む人が師匠です。そして、皆さん共々に、京都、サンチャゴ、アメリカで修行したドイツ系チリ人です。 学問の町とは言え、「こんな片田舎にどうして?」と、これまた、つくづく「地球の狭さ」と、一方において「文化流布の深淵さ」を感じます。
  そして、当日、「茶道畳」の部屋は、『和敬静寂』と行書の書風でしたためた一本の鰍ッ軸と、一本の茶花によって三次元の空間が構成されていました。それを見て、とりわけに、異文化共生が叫ばれる昨今、ラテン系独特の外に放射していくエスプリと、これでもかとばかりに中へ救心的に縮めていく「わび・さび」の質素さを本当に解することが出来得るのか・・・多少の疑念を抱きつつ見守ったものでした。

  でも、それも杞憂に終わりました。 学生の柔らかい思考力と感性・・・特に、IT化時代の中で、インターネットを介して、普段に世界の文化に触れている彼らにあっては、かつて、究極の対象としてあった「ラテン文化(西洋)」「イスラム文化(中東)」そして「オリエント文化(東洋)」の三大文化圏も、異次元のものとしてではなく、同次元の比較対照として捉える様になって来ているのです。

 時代は、確かに、しなやかに変化している様です。私達があの青春に得た「あらゆるもの」・・・その意識・無意識化は別として、ありていに言えば、それは、遠い過去の 遺物になっているのかもしれません。

  更に、「日本語クラス」について少し触れてみたいと思います。先ず、大きな変化は、学生が「授業」を通して「目的」を持ち始めたということであります。その顕著な対象は「日本留学(日本文部科学省の奨学金給付制度による留学)」であります。現在、8人の学生が具体的な大学名を挙げて、資料を集めております。




  例えば、神戸大学造船学部、南山大学人類化学部、東京海洋大学生物科学部、早稲田大学法学部・商学部、北海道大学獣医学部、筑波大学教育学部、東海大学医学部等で
 あります。 皆、現在、学生が専攻している学問領域です。  
  これまでは、単に教養としての、或いは興味本位というレベルでしたが、この様に目的意識が出て来ますと、次第に学生の授業姿勢も変わって来ます。
  はたまた、つくづく、学生在っての「日本語授業」・・・だと実感いたします。
  そんな中、ある日「デベート」の時間を設け、今、セレブな人、米ハーバード大学のサンデル教授の「何が正義か!」を真似て、少しの試みをしてみました。
  テーマは、「サンホセ鉱山の救出費用は70億円・・・これは正義か?!」です。勿論、学生の反応は解っておりました。 70日間にも及ぶ地底での不安に満ちた日々、
 地下600m・気温35度・湿度90%の劣悪な条件、それを克服して救出用カプセル(フェニクス=不死鳥) に乗って戻った33人のリーダーの第一声「我々はやり遂げました!」のシーンが未だ脳裏に焼きついているのですから、当然に「人の命はお金に換えられない。地球より重い」と切り替えしてきました。 私も「然り」と言うしかありません。 でも、中には、鉱夫の労働環境条件、チリの貧富の差、人種差別等に言及する鋭い意見も噴出しました。アカデミックな大学の中でしかできない議論は、良き「思い出」となりました。

  また、クラスが、次第に「国際化」して来たことも印象的です。当大学に留学して来ている学生(アメリカ・ドイツ・南米諸国等)が一部、受講する様になったからであります。 皆、母国にいた時に、少しは日本語を習っていた様でして容易に授業に溶け込んでいます。そんな姿を見るにつけ、University(大学)の「日本語クラス」がUniverse(世界)になったと、内心、ほんの少しの誇らしさと伴に教鞭を執っております。 

  話は転じて、日本の「姿」です。 今、家のCATVはCNN(米国・スペイン)、BBC(英国)、そしてドイツTVで世界のニュースを観ることが出来ますが、全くといって、日本のニュースは出ません。
  過日の横浜での「APEC」の会議でも、日本の政治家の姿は、映されていません。今、チリでは、インテリ層は別として、常に「トヨタ・ソニーの日本」であって、「日本のトヨタ・ソニー」ではありません。 嘆かわしいことです。
  「重箱の隅をほじくっている」様な日本政府の拙劣な政策、そして目先の政局と身の保全に現を抜かす能天気な代議士、どれ一つ取っても、昔、マハトカ・ガンジーが言った「理念なき政治は、七つの大罪の一つ」と断じた名言に、想いを重ね合わせてしまいます。
  漂う「日本丸」・・・針路はいずこへ?

  しかし、批判ばかりしても詮無きことで、尽きるところ、一人一人が、その立場で  責任と自覚をもって、対処して行かなければならないのでありましょう。
  私も、昨年、申し上げましたとおり、「雫の一滴」にも似た一兵卒ではありますが、ここチリにて、将来、日本との「きざはし」となるべく学生の輩出に、残りの時間を鰍ッてみたいと存じます。

  以前に山仲間の一人が「◎川はEpicurean(享楽主義)!」と評しましたが、正に的を得た表現で、こうして、異国に独りで棲み、何のこだわりもなく、そして、学生と共に悦に入っている自身だからこそ、こんな小生意気な意見も言えるのでありましょう。
  
  ついつい、長々となってしまいました。
  推敲する間も無く、拙稿をお届けすること痛み入りますが、ご笑読いただければ誠に幸甚であります。

  末筆ながら、改めて、皆様のそれぞれのお立場でのご活躍と、併せて、佳き新年をお迎え下さいますよう心から念じ申しあげ、「年末のご挨拶」に代えさせていただきます。
  
                               2010年12月吉日
                                 ◎川  拝 
                            パステルカラーが似合う
                                バルディビアより
 



 追伸: バルディビアは大学の「アラメダ(ャvラ)」の写真、日本語授業のコンピュータ化の「デモンストレーション」の写真・記事、そしてアルゼンチン山岳景勝地「バリロッチ」の写真を添付させていただきました。ご笑見ください。



輝さんの練習ウタ

2010-12-15 | ノンジャンル
65の手習いでギターを始めたと言う。指に支障がある私はとうに諦めている。
日本では高田渉やなぎら健一が「鉱夫の祈り」という題で知られている。
最近は腰痛に見舞われて動けずに居たけれど少しずつ復活。
家の中のことはぜんぜん出来なくて、お正月は来ないかも・・・
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http://www.peggyseeger.com/
輝さんご夫婦の音楽ジャンル↑ファンだそうです。