た む し ば

引越blogで、リンク切れも多々あるようです。古い記事もありますが記録ということでそのままで^^

公文式

2018-01-30 | ノンジャンル
※或る親からのクエスチョン
『大学受験』 オリオン18/01/13 15:46
はじめまして。
いつも拝見させて頂き見事なご指導に驚いてばかりいます。
我が息子は現在中3生。数学Lに入ったばかりですが理数系志望です。高2おわりまでにどのように頑張るべきか本人も見当がつかないようです。教室の先生は新しく替わられて数学高教材指導の力は未知数で不安です。ご助言頂けたら有り難く存じます。よろしくお願い申し上げます。



※恭子先生のアドバイス
オリオンさんへ 恭子18/01/14 09:36
今度の4月から高校1年になるのですね、
高1の間に 公文数学教材を終わらせる(O教材200まで)ことを目標になさると良いと思います。L M N Oの800枚ですから復習なしで1日2枚ずつのつもりですれば終わります。

公文式教材は自習用によくできていて、教室の先生に教えてもらうことはほとんどなく、教材のあちこちにある例題と解法の手引きが先生です。
解法の手引きは どの公式を使うのか、前にやったどこの問題を参考にするのかなどを、青色コメントで教えてくれるという親切なものです。
高校生なら教科書の説明が参考になります。
また市販の数学の参考書や問題集なども説明も親切です。

高校数学を勉強している私の生徒たちはまだ小学生が多いので高校数学の参考書の説明がよくわかりませんが公文でそこを学び終わった子たちは高校の参考書の意味がわかるようになります。
公文は 説明いらずで子どもたちが力をつけるように問題ができているところがすごいです。

公文式教材は 数1 数2 数3まで一直線に進みますが、数Aの順列・組合せ・確率 数B
のベクトル 数列 確率分布 などはP教材以降になりますので、学校の授業に合わせてそこの教材を先生にもらうと良いと思います。
授業よりよくわかります。

理系バリバリの近道は公文式です。

茂木健一郎「コミュニケーションでアンチエイジングせよ」

2018-01-26 | ノンジャンル
年齢を重ねたら自動的に「おばさん」「おじさん」になるわけではない。そう茂木健一郎さんは語ります。茂木さんが考える「おばさん化」「おじさん化」のャCントは、コミュニケーションの取り方にあるようです。
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コミュニケーションの「達人」になるために

コミュニケーションにおいて大切な要素の一つは、相手の気持ちを思いやることである。

自分の言葉が相手にどのように響いているのか。

相手からは、自分がどんな風に見えているのか。

つまりは相手を自分の「鏡」として、そのことを常に意識して言葉を発することができる人が、コミュニケーションの「達人」となる。

逆に言えば、相手を気にしないで自分の好きなことを言う人は、コミュケーションにおいて失敗することが多い。

私は、年齢で人のことを決めつけるのが嫌だ。

だから、一定の年齢の人を「おばさん」とか「おじさん」とか言うのが好きではない。

年齢を重ねたからと言って、自動的に「おばさん」や「おじさん」になるわけではないし、外見だけで「おばさん」や「おじさん」が決めつけられるわけでもない。

むしろ、コミュニケーションにおいて「おばさん」化、「おじさん」化する人がいる。このことは、大いに自戒しなければならない。何よりも恐ろしいことだから。

「始終たれ流し」おばさん

コミュニケーションにおける「おばさん」化とは何か。それは、端的に言えば「無意識のたれ流し」である。

自分が思いついたことを、まるで実況中継をするように口にしてしまう。相手がそれをどう受け止めるか気にせずに、とにかく声に出してしまう。

「あら、あなた、最近老けたんじゃないの」

「なんだか、冴えない顔ねえ」 

「ほら、あの人なんて言ったっけ、あの、ほら、あの人よ。あそこに座っている人」

それを聞いた人がどう受け止めるのかに関係なく、自分の脳裏に浮かんだことをとにかく話し続けてしまう。そうなってしまうと、その人は「おばさん」化している。

女性は、ある年齢になると「おばさん」になるのではない。無意識のたれ流しをするようになると「おばさん」になってしまうのである。

無意識のたれ流しという現象は、男性にも見られる。相手の気持ちに関係なく、思いついたことを言ってしまうようになると、その人は「おじさん」である。

「偉そうな態度」おじさん

加えて、男性に固有の「堕落」もある。

猿山のボス争いを見ていてもわかるように、男性というものはお互いの間の力関係、序列に敏感なものである。どちらの方が地位が上か下か、お互いに読み合ってコミュニケーションをする。

年齢を重ねていくと、次第に地位も上がっていく。そうなると、コミュケーションの取り方が「おじさん」化する人が現れる。

自分の意見に対して相手がどのように感じているか、どんな意見を持っているかを気にせずに、とにかく自分の方が正しい、相手の言うことなど聞く必要がない、という態度が出始めてしまうと、その人は「おじさん」である。

要するに、普通に言えば、「偉そうな」態度で話をする人は、「おじさん」化している。だからこそ、かわいらしい「おじさん」は貴重である。そのような人は偉そうではないからである。

「おやじギャグ連発」おじさん

コミュニケーションの「おじさん」化は、意外なかたちで現れることもある。

いわゆる「おやじギャグ」は、「おじさん」化の一つの表れである。

科学的な研究により、笑いには政治的な要素があることが示されている。年上の男性と年下の男性がいっしょにいると、いわゆる「お追従笑い」をする確率が高いのは年下の男性の方だというデータがあるのである。

つまり、年上の男性(「おじさん」)がつまらないギャグを言うと、年下の男性は(たとえ面白くなくても)笑わざるを得ない。「オヤジギャグ」が一つの「権力の行使」になる。

職場などで、上司が「おやじギャグ」を言ってみんなが(仕方なしに)笑うという光景がよくあるが、あれが、典型的な「おじさん」の振る舞い。「権力者」にみんなが合わせているという現場である。

思いついたことを「仕分け」する

では、「おばさん」化、「おじさん」化は、どうしたら避けられるのだろうか。

人間は、いろいろなことを思いつくものである。精神分析学の創始者であるフロイトが指摘したように、心の中に浮かぶもののなかには、人に見せるべきではないものもある。

他人に何かを言う前に、その言葉が相手にどのように伝わるのか、それに対して相手はどう思うか、あらかじめシミュレーションする。いわば、他人という「鏡」に映った自分の姿を考えることで、たとえ何か思いついても、言うべきことと言わないことをあらかじめ「仕分け」しなければならない。

それは、お化粧をすることに似ている。他人という鏡に映った自分の姿を見て、これは言うべきことではない、これは言ってもよい、このような表現で言うのがよいと調整することによって、「おばさん」「おじさん」になるのを避けることができるのである。

逆に言えば、「おばさん」化、「おじさん」化してしまうということは、すっぴんよりもひどい状態だということになる。いわば、鏡も見ずに適当に化粧を塗りたくって、そのまま街を歩いてしまうような、そんな「罰ゲーム」状態だということになる。

自ら招いた罰ゲーム。コミュニケーションにおける「おばさん」化、「おじさん」化は、考えてみると恐ろしいことである。

そして、もったいない。

どんなに素敵な人も、「おばさん」化、「おじさん」化することで、その良さが伝わらなくなってしまう。

自分の魅力を十分に伝えるためにも、コミュニケーションにおける他人という「鏡」を大切にしたい。そうすれば、何歳になっても「おばさん」「おじさん」になることがない。コミュニケーションにおける「アンチエイジング」だ。

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これは痛い記事である。まるで最近の自分である!
これから意識しなくては!!!y