これを聴けよりコピペ
【 Savia Andina / La Historia Continua 】(2009)
さるロックバンドのメンバーが楽器をケーナやチャランゴに持ち替えてから、早くも33年。繊細さ、技巧的演奏はあのカルカスをしのぎ、ヒット曲は数知れず。それがサビア・アンディーナ。アンデスの樹液。かつては「カルカスかそれともサビア・アンディーナか」とまでうたわれたネオ・フォルクローレの最高峰だ。
女子は、ヘラルド・アリアスの美しいささやき声に身をよじらせた。
男子は、アルシデス・メヒアのサンメ[ニャとオスカル・カストロのボンボの熾烈さに熱き血潮をたぎらせた。
また、諸人こぞりてエディ・ナビアの超絶チャランゴでエクスタシーを感じた。
ラファエル・アリアスのカッコよくも美しいギターソロに痺れた。
大衆的で野蛮なカッコよさ全開カルカスに対し、常に静謐な余韻が「美しカッコ良い」サビア・アンディーナ。
彼らは、まるで漱石と鴎外のように同時代の流行とは一線を画した傑作を生み続け、超然たる地位を築きつづけてきたのだ。
●ダンス・ミュージック・ブームの中で
しかし、今やムシカ・ナシオナル・ボリビアーナの趨勢は完全にダンサブル時代に突入した。
踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら躍らにゃ損、損。探さにゃならんは柳下の二匹目カラ・マルカ。プロだろうが、素人だろうがベースとリズムマシンさえあればよい。テクノクンビアもどきのヒット曲候補が一丁あがりだ。2010年現在のボリビアフォルクローレ界で石を投げれば、10個中9個はこの手のバンドにあたること間違いなしなのである。
よし、ならば、サビア・アンディーナも「カラマル化」だ。
……という信じがたい兆候が見られ始めたのは、実は決してこのアルバムからではない。10年前にはトーバスを演奏する際などに限って、一部の曲でベース導入などの試みが始まっていた。そもそも、エディ・ナビアらが脱退するあたりから、企画ものばかりが続いたり、カバー曲や提供曲のみを演奏するようになったり、サビア・アンディーナというバンドの方向性がわかりにくくなっていた節はあったのだ。
しかし、このアルバム "La Historia Continua" は方向性を見失っていたサビア・アンディーナの進路を大きく変更した。提供楽曲の演奏を廃止、全てメンバーによるオリジナルへ。さらにアレンジ面では、ベースの全曲導入に踏み切った。わざわざヘラルド・アリアスの息子マルティンをベーシストとして正式メンバーに採用したことから見てもその決意のほどが伺える。今までのサビアからは脱却、ダンサブル路線に突入したのだ。
これを知ったとき、実は「こりゃもう死亡宣告か」というのが正直な気持ちだった。
だって、「繊細で美しきバラッド」という平井堅的あり方と「ダイナミズム性」を追うユーロビート的カラマル化はまったく正反対な存在だからだ。こうしたバンドサウンドの特徴を考えずに「やっちゃった」カルカスの前例もある。※1
暗澹たる思いで「再生」をクリックしたのだ。
これは……。
●サビア・アンディーナでなくては出来ないサウンド
感激した。
まさか、47作目にしてこのような傑作を出そうとは。何と言ったらよいのだろう。リマスター現象とでもいうべきか。
確かにアルバム全体はリズミックなャbプ・ダンサブル路線。ドラムスだって出てくる。今までにないサウンド上の仕鰍ッも多い。ヴォーカルにエフェクターをかけることも厭わず、ギターにはブルーズ奏法を導入するかと思えば、エレキベースのインプロヴィゼーション・ソロも大活躍。どう考えたって今までのサビア・アンディーナにはあり得ない。だから、本来なら「こんなのサビアじゃない!」などという違和感を感じてしかるべきなのだ。
しかし、そうした違和感が全く感じられない。自然なのだ。それぐらい「サビア・アンディーナ」なのだ。むしろ、LP時代に心ときめかせて聴いた「本来のサビア・アンディーナ」を強く想起させる。※2
エディのチャランゴのあのスピード感。当時珍しかったピック奏法独特のかっちりとしたサウンドのカッコよさ。実験的要素がそれと感じさせずに盛り込まれたサウンド。リズムの興奮を煽るようにインサートされるそれぞれの楽器のソロ。全体に漂う切ないメロディ。そうか、サビアってそういうバンドでもあったって忘れてたね。
これらの懐かしい要素が、時代に合わせたカラマル化をすることで浮かび上がってくるのである。もちろん、「当時のサビア的要素」復活の成功は、これだけでなりたつものではない。意識的に初期サビアチックなソロや斬新なアレンジの積み重ねを行うことを併せた相乗効果であることはいうまでもない。
かつてサビアが持っていたロック的要素を「そういえば当時は……」と、もう一度我々に思い起こさせた大名盤。ベース、エレドラ、キーボードのチープな導入方法にお嘆きのアナタ。強力プッシュのマストアイテムだよ!※3
【注】
※1
94年にカルカスの最大のコンメ[ザーであったウリセスが逝去した後、ゴンサロを中心にドラムスやベースを加えた編成にカルカスは再編された。ウリセスを病で失ったのがランバダ盗作問題の最中であったことも影響しているのだろう。「世界に通じるものを」ということらしい。しかし、そのサウンドからは、最近の何をやったらいいかわからなくなった新曲演歌の臭いに似たものを強く感じないではない。
※2
誤解を恐れずに言えば、時代の変化により、過去の衝撃作・感動作は時代とともに凡作になっていく。当時感動した音楽、映画、小説、漫画、デザインなど多くの表現作品は時代が下ると、当時の感動・衝撃が伝わりにくくなるものなのだ。文化というものは時代に寄り添って誕生し、その時代の空気の中で意味を持って存在するのである。だから、当時のサビア・アンディーナを知らない人が当時の感動と興奮を過去の作品からそのまま感じることはかなり難しいといってよい。「新しい」「カッコよい」ものが時代が変われば「古い」「レトロな」ものへと変わってしまう。
※3
M-10なんかボリビア音楽史に残るスゴい曲といってよい。リズムはアルゼンチンのチャカレーラ。というか、あまりにもサビアっぽくゆったりと美しいのでチャカレーラと気付くのに時間がかかるのだが。ところが後奏では徐々に加速。「ん?ペルーのランドー?」。そうだよ、とでもいいたげに「トロ・マタ」のイントロのリフが顔を出すのだ。なんという憎いアレンジ!
"Ahora es cuando"
"Al ocaso"
【アルバム・データ】
<CD>
" Savia Andina / La Historia Continua " (2009)
Indipendent.
01. ASI SERA (Cancion)
02. POTOSINA FIEL Y FINA (Caporal)
03. EL VUELO DEL PICAFLOR (Trote)
04. ETERNA AMOR (Toba)
05. RIPULLAY (Tonada)
06. AHORA ES CUANDO (Taquipayanacu)
07. TIEMPOS MEJORES (Tonada tinku)
08. MADRE (Cancion)
09. LAGRIMAS DE ESTANO (Tonada huayn~o)
10. AL OCASO (Chaca-lando)
【 Savia Andina / La Historia Continua 】(2009)
さるロックバンドのメンバーが楽器をケーナやチャランゴに持ち替えてから、早くも33年。繊細さ、技巧的演奏はあのカルカスをしのぎ、ヒット曲は数知れず。それがサビア・アンディーナ。アンデスの樹液。かつては「カルカスかそれともサビア・アンディーナか」とまでうたわれたネオ・フォルクローレの最高峰だ。
女子は、ヘラルド・アリアスの美しいささやき声に身をよじらせた。
男子は、アルシデス・メヒアのサンメ[ニャとオスカル・カストロのボンボの熾烈さに熱き血潮をたぎらせた。
また、諸人こぞりてエディ・ナビアの超絶チャランゴでエクスタシーを感じた。
ラファエル・アリアスのカッコよくも美しいギターソロに痺れた。
大衆的で野蛮なカッコよさ全開カルカスに対し、常に静謐な余韻が「美しカッコ良い」サビア・アンディーナ。
彼らは、まるで漱石と鴎外のように同時代の流行とは一線を画した傑作を生み続け、超然たる地位を築きつづけてきたのだ。
●ダンス・ミュージック・ブームの中で
しかし、今やムシカ・ナシオナル・ボリビアーナの趨勢は完全にダンサブル時代に突入した。
踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら躍らにゃ損、損。探さにゃならんは柳下の二匹目カラ・マルカ。プロだろうが、素人だろうがベースとリズムマシンさえあればよい。テクノクンビアもどきのヒット曲候補が一丁あがりだ。2010年現在のボリビアフォルクローレ界で石を投げれば、10個中9個はこの手のバンドにあたること間違いなしなのである。
よし、ならば、サビア・アンディーナも「カラマル化」だ。
……という信じがたい兆候が見られ始めたのは、実は決してこのアルバムからではない。10年前にはトーバスを演奏する際などに限って、一部の曲でベース導入などの試みが始まっていた。そもそも、エディ・ナビアらが脱退するあたりから、企画ものばかりが続いたり、カバー曲や提供曲のみを演奏するようになったり、サビア・アンディーナというバンドの方向性がわかりにくくなっていた節はあったのだ。
しかし、このアルバム "La Historia Continua" は方向性を見失っていたサビア・アンディーナの進路を大きく変更した。提供楽曲の演奏を廃止、全てメンバーによるオリジナルへ。さらにアレンジ面では、ベースの全曲導入に踏み切った。わざわざヘラルド・アリアスの息子マルティンをベーシストとして正式メンバーに採用したことから見てもその決意のほどが伺える。今までのサビアからは脱却、ダンサブル路線に突入したのだ。
これを知ったとき、実は「こりゃもう死亡宣告か」というのが正直な気持ちだった。
だって、「繊細で美しきバラッド」という平井堅的あり方と「ダイナミズム性」を追うユーロビート的カラマル化はまったく正反対な存在だからだ。こうしたバンドサウンドの特徴を考えずに「やっちゃった」カルカスの前例もある。※1
暗澹たる思いで「再生」をクリックしたのだ。
これは……。
●サビア・アンディーナでなくては出来ないサウンド
感激した。
まさか、47作目にしてこのような傑作を出そうとは。何と言ったらよいのだろう。リマスター現象とでもいうべきか。
確かにアルバム全体はリズミックなャbプ・ダンサブル路線。ドラムスだって出てくる。今までにないサウンド上の仕鰍ッも多い。ヴォーカルにエフェクターをかけることも厭わず、ギターにはブルーズ奏法を導入するかと思えば、エレキベースのインプロヴィゼーション・ソロも大活躍。どう考えたって今までのサビア・アンディーナにはあり得ない。だから、本来なら「こんなのサビアじゃない!」などという違和感を感じてしかるべきなのだ。
しかし、そうした違和感が全く感じられない。自然なのだ。それぐらい「サビア・アンディーナ」なのだ。むしろ、LP時代に心ときめかせて聴いた「本来のサビア・アンディーナ」を強く想起させる。※2
エディのチャランゴのあのスピード感。当時珍しかったピック奏法独特のかっちりとしたサウンドのカッコよさ。実験的要素がそれと感じさせずに盛り込まれたサウンド。リズムの興奮を煽るようにインサートされるそれぞれの楽器のソロ。全体に漂う切ないメロディ。そうか、サビアってそういうバンドでもあったって忘れてたね。
これらの懐かしい要素が、時代に合わせたカラマル化をすることで浮かび上がってくるのである。もちろん、「当時のサビア的要素」復活の成功は、これだけでなりたつものではない。意識的に初期サビアチックなソロや斬新なアレンジの積み重ねを行うことを併せた相乗効果であることはいうまでもない。
かつてサビアが持っていたロック的要素を「そういえば当時は……」と、もう一度我々に思い起こさせた大名盤。ベース、エレドラ、キーボードのチープな導入方法にお嘆きのアナタ。強力プッシュのマストアイテムだよ!※3
【注】
※1
94年にカルカスの最大のコンメ[ザーであったウリセスが逝去した後、ゴンサロを中心にドラムスやベースを加えた編成にカルカスは再編された。ウリセスを病で失ったのがランバダ盗作問題の最中であったことも影響しているのだろう。「世界に通じるものを」ということらしい。しかし、そのサウンドからは、最近の何をやったらいいかわからなくなった新曲演歌の臭いに似たものを強く感じないではない。
※2
誤解を恐れずに言えば、時代の変化により、過去の衝撃作・感動作は時代とともに凡作になっていく。当時感動した音楽、映画、小説、漫画、デザインなど多くの表現作品は時代が下ると、当時の感動・衝撃が伝わりにくくなるものなのだ。文化というものは時代に寄り添って誕生し、その時代の空気の中で意味を持って存在するのである。だから、当時のサビア・アンディーナを知らない人が当時の感動と興奮を過去の作品からそのまま感じることはかなり難しいといってよい。「新しい」「カッコよい」ものが時代が変われば「古い」「レトロな」ものへと変わってしまう。
※3
M-10なんかボリビア音楽史に残るスゴい曲といってよい。リズムはアルゼンチンのチャカレーラ。というか、あまりにもサビアっぽくゆったりと美しいのでチャカレーラと気付くのに時間がかかるのだが。ところが後奏では徐々に加速。「ん?ペルーのランドー?」。そうだよ、とでもいいたげに「トロ・マタ」のイントロのリフが顔を出すのだ。なんという憎いアレンジ!
"Ahora es cuando"
"Al ocaso"
【アルバム・データ】
<CD>
" Savia Andina / La Historia Continua " (2009)
Indipendent.
01. ASI SERA (Cancion)
02. POTOSINA FIEL Y FINA (Caporal)
03. EL VUELO DEL PICAFLOR (Trote)
04. ETERNA AMOR (Toba)
05. RIPULLAY (Tonada)
06. AHORA ES CUANDO (Taquipayanacu)
07. TIEMPOS MEJORES (Tonada tinku)
08. MADRE (Cancion)
09. LAGRIMAS DE ESTANO (Tonada huayn~o)
10. AL OCASO (Chaca-lando)