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た む し ば

引越blogで、リンク切れも多々あるようです。古い記事もありますが記録ということでそのままで^^

土曜日のヤチシンコスライブ

2017-06-25 | ノンジャンル

終了後の一コマ、良い写真ですね。
byオオルリさん/ご自身のブログにupしてくれました↓
http://oorurino8.blog.fc2.com/blog-entry-161.html

以下は全文コピーです↓安達〇〇さんの記事

少し前に訪れた大学の先生から、面白い話を伺った。それは「知的な人物かどうか」という判断の基準に関するものである。


私達は「頭が悪い」と言われることを極端に嫌う。知性が人間そのものの優劣を決めるかどうかは私が判断するところではないが、実際知的であることは現在の世の中においては有利であるし、組織は知的な人物を必要としている。

だが、「どのような人物が知的なのか」ということについては多くの人々の判断が別れるところではないだろうか。

世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして使われており、根拠があるものないもの含め、混沌としている。





だが、私がこの先生からお聞きした話はそういった話とは少し異なる。

彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、五つの態度を見ています」

という。

エピソードを交え、様々な話をしていいただいたのだが、その5つをまとめると、次のようなものになった。



一つ目は、異なる意見に対する態度

知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす



二つ目は、自分の知らないことに対する態度

知的な人は、わからないことがあることを喜び、浮黷ネい。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない



三つ目は、人に物を教えるときの態度

知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている





四つ目は、知識に関する態度

知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する



五つ目は、人を批判するときの態度

知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。



知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。

方向音痴度進むこの頃

2017-06-20 | ノンジャンル
久々の運転、車で行くために免許証を確認、探しだし出発する。昔から行き慣れた道だし平気で運転するも近づいている筈なのに様子が違う。折角iPhoneを持っているのだからとナビを使うことにした。最初は順調のような気がしたが、目的地を通り過ぎでいる。ナビゲーション通りに行かない方が良い思いつつ「右!左!」の声に従ってみた。「ハイ、到着しました。お疲れ様です。」『全然違いますってば!』

近くのコンビニまで戻り、恥ずかしながら電話をし道を問いました。少し来ないうちに 様変わりしていました。時の経つのは早い。浦島太郎の心境でした。その後、Hさんの車で"あいの里公園"そばの「ロイズローズガーデン」に行ってきました。薔薇はこれからでしたが、沢山の奇麗な花々を観ることができました。無料が嬉しい。素晴らしいイングリッシュガーデンでした。

写真、一枚目はHさんの庭・昔々あまりの息を飲む美しさに吃驚したことを想い出しました。10年ごとに大きく変化してきました。今は庭の終活中だそうです。




カータンブログより

2017-06-09 | ノンジャンル
注意:ライン乗っ取りなど
http://ka-tan.blog.jp/archives/1066063154.html


将棋界天才棋士
「天才の集団」と評される将棋界の新風・藤井聡太さん(14)。プロ棋士デビューの史上最年少記録を14歳2カ月に更新し、目下のところ公式戦は負け知らずの20連勝中だ。「天才はどこまで上り詰めるのか」と周囲は騒ぎ立てるが、母裕子さん(47)はいたって冷静で自然体だ。「好きなことを見つけ、集中してもらうために何ができるか、いつも考える」。昔も今も、これからも、そのスタンスは変わらない。
 同じ大学出身の夫正史さん(48)と結婚して21年目になった。「どんな子育てをするか、結婚した当初に話し合って決めたわけではないです」。長男の誕生から4年後、次男の聡太さんが生まれた。「いつの間にか『何もかも好きにやらせよう』という雰囲気になっていました。将棋に出合って没頭していく姿を見たのが、やはり大きかったですね」



お兄ちゃんと昼寝中。「足の太さに注目」(裕子さん)=藤井裕子さん提供
 聡太さんが地元の幼稚園に入ったのは3歳。そこで実践していたのが、子どもの自主性を重んじる「モンテッソーリ教育法」だった。日常生活の訓練のほか、感覚や言語、算数、文化の教育に、特殊な教材や遊び道具を多く使う。最初にハマったのは、画用紙を編んで作る「ハートバッグ」という袋。「100個くらいは持って帰ってきたと思います。捨てるのもひと苦労でした」と振り返る。
 4歳になった聡太さんに、正史さんはスイスの木製おもちゃ「キュボロ」を買った。大人でも難しい、立体の迷路を作ってビー玉を転がすキュボロを何時間も楽しむ様子に、裕子さんは「せっかくの並外れた集中力を生かせないか」と思案するようになる。正史さんと話し合い、「何かにのめり込んでいる時は止めないようにしよう」と決めた。電車のおもちゃ「プラレール」は、家の中を部屋をまたいで線路を作り走らせた。
 そして運命の出合いは5歳で待っていた。隣に住む祖母が、駒の動かし方が書いてある公文式の「スタディ将棋」を、孫のために用意したのだ。みるみる引き込まれていくのを見て、すぐに通常の駒を買った。



とにかく活発だった幼少期の聡太さん。左は兄=藤井裕子さん提供
 正史さんは住宅設備機器会社のサラリーマンで、裕子さんは専業主婦。将棋は指せない。少し指せる祖父が相手になったが、程なくして勝てなくなった。聡太さん本人が強く希望し、近所の将棋教室の門をくぐった。ある日、詰め将棋の問題を解いていた聡太さんが「考え過ぎて頭が割れそう」と訴えたことがあった。「幼稚園児のせりふじゃないですよね」と笑う裕子さん。当時はまだ字が書けなかった聡太さんに代わり、詰め将棋の解答をノートに記した。



5歳で初めての将棋。すぐに祖父を追い越した=藤井裕子さん提供
 小学4年生で、将棋のプロ棋士養成機関である奨励会に合格した。集中力はさらに研ぎ澄まされていく。小学5年で司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読破した。ただし、ちょっとした「弊害」も。将棋のことを考えて歩いていたら、どぶに数回落ちたこともあった。
 棋士といえばインドアのイメージ。でも運動も得意だ。家の前にあるクロガネモチの木に登ったし、50メートル走は6秒8。小さいころから、大人びていたのでは……。「全然! 昔から本当にやんちゃで。4年生の時なんて、担任の先生のお尻にカンチョーしてたくらいですよ」と裕子さん。「集中力、それと強烈な負けず嫌いが、聡太をここまで成長させたんだと思います」【鳴海崇】

2002年 7月19日、愛知県瀬戸市で誕生
  07年 12月、近所の「ふみもと子供将棋教室」に通い始める
  12年 9月、奨励会に6級で入会
  16年 10月、史上最年少で四段に昇格し、プロ棋士に
  17年 6月2日、公式戦20連勝を達成