注意:ライン乗っ取りなど
http://ka-tan.blog.jp/archives/1066063154.html
将棋界天才棋士
「天才の集団」と評される将棋界の新風・藤井聡太さん(14)。プロ棋士デビューの史上最年少記録を14歳2カ月に更新し、目下のところ公式戦は負け知らずの20連勝中だ。「天才はどこまで上り詰めるのか」と周囲は騒ぎ立てるが、母裕子さん(47)はいたって冷静で自然体だ。「好きなことを見つけ、集中してもらうために何ができるか、いつも考える」。昔も今も、これからも、そのスタンスは変わらない。
同じ大学出身の夫正史さん(48)と結婚して21年目になった。「どんな子育てをするか、結婚した当初に話し合って決めたわけではないです」。長男の誕生から4年後、次男の聡太さんが生まれた。「いつの間にか『何もかも好きにやらせよう』という雰囲気になっていました。将棋に出合って没頭していく姿を見たのが、やはり大きかったですね」
お兄ちゃんと昼寝中。「足の太さに注目」(裕子さん)=藤井裕子さん提供
聡太さんが地元の幼稚園に入ったのは3歳。そこで実践していたのが、子どもの自主性を重んじる「モンテッソーリ教育法」だった。日常生活の訓練のほか、感覚や言語、算数、文化の教育に、特殊な教材や遊び道具を多く使う。最初にハマったのは、画用紙を編んで作る「ハートバッグ」という袋。「100個くらいは持って帰ってきたと思います。捨てるのもひと苦労でした」と振り返る。
4歳になった聡太さんに、正史さんはスイスの木製おもちゃ「キュボロ」を買った。大人でも難しい、立体の迷路を作ってビー玉を転がすキュボロを何時間も楽しむ様子に、裕子さんは「せっかくの並外れた集中力を生かせないか」と思案するようになる。正史さんと話し合い、「何かにのめり込んでいる時は止めないようにしよう」と決めた。電車のおもちゃ「プラレール」は、家の中を部屋をまたいで線路を作り走らせた。
そして運命の出合いは5歳で待っていた。隣に住む祖母が、駒の動かし方が書いてある公文式の「スタディ将棋」を、孫のために用意したのだ。みるみる引き込まれていくのを見て、すぐに通常の駒を買った。
とにかく活発だった幼少期の聡太さん。左は兄=藤井裕子さん提供
正史さんは住宅設備機器会社のサラリーマンで、裕子さんは専業主婦。将棋は指せない。少し指せる祖父が相手になったが、程なくして勝てなくなった。聡太さん本人が強く希望し、近所の将棋教室の門をくぐった。ある日、詰め将棋の問題を解いていた聡太さんが「考え過ぎて頭が割れそう」と訴えたことがあった。「幼稚園児のせりふじゃないですよね」と笑う裕子さん。当時はまだ字が書けなかった聡太さんに代わり、詰め将棋の解答をノートに記した。
5歳で初めての将棋。すぐに祖父を追い越した=藤井裕子さん提供
小学4年生で、将棋のプロ棋士養成機関である奨励会に合格した。集中力はさらに研ぎ澄まされていく。小学5年で司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読破した。ただし、ちょっとした「弊害」も。将棋のことを考えて歩いていたら、どぶに数回落ちたこともあった。
棋士といえばインドアのイメージ。でも運動も得意だ。家の前にあるクロガネモチの木に登ったし、50メートル走は6秒8。小さいころから、大人びていたのでは……。「全然! 昔から本当にやんちゃで。4年生の時なんて、担任の先生のお尻にカンチョーしてたくらいですよ」と裕子さん。「集中力、それと強烈な負けず嫌いが、聡太をここまで成長させたんだと思います」【鳴海崇】
2002年 7月19日、愛知県瀬戸市で誕生
07年 12月、近所の「ふみもと子供将棋教室」に通い始める
12年 9月、奨励会に6級で入会
16年 10月、史上最年少で四段に昇格し、プロ棋士に
17年 6月2日、公式戦20連勝を達成
http://ka-tan.blog.jp/archives/1066063154.html
将棋界天才棋士
「天才の集団」と評される将棋界の新風・藤井聡太さん(14)。プロ棋士デビューの史上最年少記録を14歳2カ月に更新し、目下のところ公式戦は負け知らずの20連勝中だ。「天才はどこまで上り詰めるのか」と周囲は騒ぎ立てるが、母裕子さん(47)はいたって冷静で自然体だ。「好きなことを見つけ、集中してもらうために何ができるか、いつも考える」。昔も今も、これからも、そのスタンスは変わらない。
同じ大学出身の夫正史さん(48)と結婚して21年目になった。「どんな子育てをするか、結婚した当初に話し合って決めたわけではないです」。長男の誕生から4年後、次男の聡太さんが生まれた。「いつの間にか『何もかも好きにやらせよう』という雰囲気になっていました。将棋に出合って没頭していく姿を見たのが、やはり大きかったですね」
お兄ちゃんと昼寝中。「足の太さに注目」(裕子さん)=藤井裕子さん提供
聡太さんが地元の幼稚園に入ったのは3歳。そこで実践していたのが、子どもの自主性を重んじる「モンテッソーリ教育法」だった。日常生活の訓練のほか、感覚や言語、算数、文化の教育に、特殊な教材や遊び道具を多く使う。最初にハマったのは、画用紙を編んで作る「ハートバッグ」という袋。「100個くらいは持って帰ってきたと思います。捨てるのもひと苦労でした」と振り返る。
4歳になった聡太さんに、正史さんはスイスの木製おもちゃ「キュボロ」を買った。大人でも難しい、立体の迷路を作ってビー玉を転がすキュボロを何時間も楽しむ様子に、裕子さんは「せっかくの並外れた集中力を生かせないか」と思案するようになる。正史さんと話し合い、「何かにのめり込んでいる時は止めないようにしよう」と決めた。電車のおもちゃ「プラレール」は、家の中を部屋をまたいで線路を作り走らせた。
そして運命の出合いは5歳で待っていた。隣に住む祖母が、駒の動かし方が書いてある公文式の「スタディ将棋」を、孫のために用意したのだ。みるみる引き込まれていくのを見て、すぐに通常の駒を買った。
とにかく活発だった幼少期の聡太さん。左は兄=藤井裕子さん提供
正史さんは住宅設備機器会社のサラリーマンで、裕子さんは専業主婦。将棋は指せない。少し指せる祖父が相手になったが、程なくして勝てなくなった。聡太さん本人が強く希望し、近所の将棋教室の門をくぐった。ある日、詰め将棋の問題を解いていた聡太さんが「考え過ぎて頭が割れそう」と訴えたことがあった。「幼稚園児のせりふじゃないですよね」と笑う裕子さん。当時はまだ字が書けなかった聡太さんに代わり、詰め将棋の解答をノートに記した。
5歳で初めての将棋。すぐに祖父を追い越した=藤井裕子さん提供
小学4年生で、将棋のプロ棋士養成機関である奨励会に合格した。集中力はさらに研ぎ澄まされていく。小学5年で司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読破した。ただし、ちょっとした「弊害」も。将棋のことを考えて歩いていたら、どぶに数回落ちたこともあった。
棋士といえばインドアのイメージ。でも運動も得意だ。家の前にあるクロガネモチの木に登ったし、50メートル走は6秒8。小さいころから、大人びていたのでは……。「全然! 昔から本当にやんちゃで。4年生の時なんて、担任の先生のお尻にカンチョーしてたくらいですよ」と裕子さん。「集中力、それと強烈な負けず嫌いが、聡太をここまで成長させたんだと思います」【鳴海崇】
2002年 7月19日、愛知県瀬戸市で誕生
07年 12月、近所の「ふみもと子供将棋教室」に通い始める
12年 9月、奨励会に6級で入会
16年 10月、史上最年少で四段に昇格し、プロ棋士に
17年 6月2日、公式戦20連勝を達成