http://sachikaru.exblog.jp/ ブログ「中南米に幸あり」です
ズーッと更新していません。そうしたら
広告が一番メインのところに入るらしい。
これは本当でしょうか?
なんと
本当でした。投稿したとたんに広告がいつもの所に
治まり、見やすくなりました。成る程・・・・・
メルセデス・ソーサの訃報にこのブログの最初の頃の
投稿記事を想いだしました。2005年春のことです。
たった4年の間にたくさんの変化があってホントに驚いています。
~~~~~~~~~~ ------^^---^^-- -^^^ ----@@--- ~~~~~
メルセデス・ソーサ(アルゼンチンのフォルクローレ歌手)4日、ブエノスアイレスの病院で死去、74歳。先月から肝臓などの病気で入院中だった。AP通信によると、遺体は国会議事堂に運ばれ弔問客らが対面した。
35年7月、トゥクマン州の貧しい家庭に生まれ、15歳でラジオ局のコンテストに優勝。60年代半ばから歌手として本格活動を始め、音楽を通じて社会変革を目指す「新しい歌」運動の第一人者となった。
同国が軍事独裁下にあった79年には身柄を拘束され、その後、フランスやスペインへの亡命を余儀なくされた。82年に帰国。70以上のアルバムを発表し、「人生よありがとう」などで知られる。(リオデジャネイロ共同)
以下メルセデス関連記事より抜粋です
★ MERCEDES SOSA メルセデス・ソーサ 情報&メッセージ、インタビューなど(1975年)
☆「私は素朴な人間だけれども、へりくだってはいない。私は歌う時に、私の最良のものを人に与えていることを知っている。」
☆”政治的歌手”のレッテルを貼られることについて・・・
「私は歌い手です。でも、その前に人間です。人間としての基本的な善悪の判断をせずに歌を歌っても何の意味もないことです。よく私を政治的歌手だと言う人がいます。それに対して私は肯定も否定もしません。でも、とっても残念です。何故って?私は私なりに考えて、最良と思えるものを選んで、その中に自分の主張と一致した歌があった時は進んでそれを表現するようにしているんですから。私の歌をプロテクト・ソングだと言う人には、まわりの状況が私にプロテストさせているんだ、と答えるのが一番適切だと思います。それに私は愛の歌だって、夢の歌だってたくさん・・・むしろそちらの方が多いくらいです。政治だって、愛だって、夢だって、最良のものを聞いていただくために、真剣に精魂を傾けて歌いたいんです。誰だって、そうは思いませんか?」。
「私は、政治色が全然ない愛の歌、抒情の歌もたくさんレパートリーに持っています。私はただ、ラテンアメリカに生きる民衆の一人として、私達の感じることを率直に歌っていきたいだけです。人々に向かって、仲良く手をつなごう、不正をなくそう、人間らしく愛しあいながら生きていこう、と歌いかけることがもし"政治的"ならば私は答えましょう、たくさんの"政治的"歌手が生まれてほしいと。」
☆子供の頃について・・・
「わたしは貧乏はしましたが、本当に素晴らしい両親に恵まれて、それはたいそう躾の厳しい人でしたが、おかげで私は、その両親から勇気と強固な意志をいただきました。あとは子供の頃の記憶ってあまりないですねぇ。あ、勿論、歌だけは、民謡だけは大好きで歌っていましたけど・・・」。
☆1975年の初来日公演に向けて・・・
「あなたがたの美しい国日本を間もなく知ることができ、親愛の全てを込めてあなたがたを抱擁できることを思うと、私は果てしない幸福に浸されます。私はあなたがたの努力を尊いものに思い、また、あなたがたの戦いをわがことのように感じます。もし私を今後あなたがたの仲間の一人と認めて下さるなら、私はそれを大変誇らしく思うことでしょう。私たちの国どうしはお互いに遠く、習慣もまた異なっています。しかし、平和、正義、そして自由という同じ理想が私たちを一つに結ぶのです。私は一個の民衆の歌い手に過ぎません。しかし、皆様がもしこの私を、世界中のあらゆる民衆を愛し自由のために戦おうとしている一つの民衆の代弁者と考えて下さるなら幸せです。」
http://www003.upp.so-net.ne.jp/manji/okiniiri/mer_sosa/sosa_jap.html
1975/10/3は帯広で公演があったのですね!
一度は間近で聴いてみたかったけどその頃は篭の鳥状態だったから..無理か..
2003年来日公演は体調悪化で開催されませんでしたが、
本場コスキンでは最近まで活躍されていましたね....合掌.........
ズーッと更新していません。そうしたら
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これは本当でしょうか?
なんと
本当でした。投稿したとたんに広告がいつもの所に
治まり、見やすくなりました。成る程・・・・・
メルセデス・ソーサの訃報にこのブログの最初の頃の
投稿記事を想いだしました。2005年春のことです。
たった4年の間にたくさんの変化があってホントに驚いています。
~~~~~~~~~~ ------^^---^^-- -^^^ ----@@--- ~~~~~
メルセデス・ソーサ(アルゼンチンのフォルクローレ歌手)4日、ブエノスアイレスの病院で死去、74歳。先月から肝臓などの病気で入院中だった。AP通信によると、遺体は国会議事堂に運ばれ弔問客らが対面した。
35年7月、トゥクマン州の貧しい家庭に生まれ、15歳でラジオ局のコンテストに優勝。60年代半ばから歌手として本格活動を始め、音楽を通じて社会変革を目指す「新しい歌」運動の第一人者となった。
同国が軍事独裁下にあった79年には身柄を拘束され、その後、フランスやスペインへの亡命を余儀なくされた。82年に帰国。70以上のアルバムを発表し、「人生よありがとう」などで知られる。(リオデジャネイロ共同)
以下メルセデス関連記事より抜粋です
★ MERCEDES SOSA メルセデス・ソーサ 情報&メッセージ、インタビューなど(1975年)
☆「私は素朴な人間だけれども、へりくだってはいない。私は歌う時に、私の最良のものを人に与えていることを知っている。」
☆”政治的歌手”のレッテルを貼られることについて・・・
「私は歌い手です。でも、その前に人間です。人間としての基本的な善悪の判断をせずに歌を歌っても何の意味もないことです。よく私を政治的歌手だと言う人がいます。それに対して私は肯定も否定もしません。でも、とっても残念です。何故って?私は私なりに考えて、最良と思えるものを選んで、その中に自分の主張と一致した歌があった時は進んでそれを表現するようにしているんですから。私の歌をプロテクト・ソングだと言う人には、まわりの状況が私にプロテストさせているんだ、と答えるのが一番適切だと思います。それに私は愛の歌だって、夢の歌だってたくさん・・・むしろそちらの方が多いくらいです。政治だって、愛だって、夢だって、最良のものを聞いていただくために、真剣に精魂を傾けて歌いたいんです。誰だって、そうは思いませんか?」。
「私は、政治色が全然ない愛の歌、抒情の歌もたくさんレパートリーに持っています。私はただ、ラテンアメリカに生きる民衆の一人として、私達の感じることを率直に歌っていきたいだけです。人々に向かって、仲良く手をつなごう、不正をなくそう、人間らしく愛しあいながら生きていこう、と歌いかけることがもし"政治的"ならば私は答えましょう、たくさんの"政治的"歌手が生まれてほしいと。」
☆子供の頃について・・・
「わたしは貧乏はしましたが、本当に素晴らしい両親に恵まれて、それはたいそう躾の厳しい人でしたが、おかげで私は、その両親から勇気と強固な意志をいただきました。あとは子供の頃の記憶ってあまりないですねぇ。あ、勿論、歌だけは、民謡だけは大好きで歌っていましたけど・・・」。
☆1975年の初来日公演に向けて・・・
「あなたがたの美しい国日本を間もなく知ることができ、親愛の全てを込めてあなたがたを抱擁できることを思うと、私は果てしない幸福に浸されます。私はあなたがたの努力を尊いものに思い、また、あなたがたの戦いをわがことのように感じます。もし私を今後あなたがたの仲間の一人と認めて下さるなら、私はそれを大変誇らしく思うことでしょう。私たちの国どうしはお互いに遠く、習慣もまた異なっています。しかし、平和、正義、そして自由という同じ理想が私たちを一つに結ぶのです。私は一個の民衆の歌い手に過ぎません。しかし、皆様がもしこの私を、世界中のあらゆる民衆を愛し自由のために戦おうとしている一つの民衆の代弁者と考えて下さるなら幸せです。」
http://www003.upp.so-net.ne.jp/manji/okiniiri/mer_sosa/sosa_jap.html
1975/10/3は帯広で公演があったのですね!
一度は間近で聴いてみたかったけどその頃は篭の鳥状態だったから..無理か..
2003年来日公演は体調悪化で開催されませんでしたが、
本場コスキンでは最近まで活躍されていましたね....合掌.........