浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「御垂訓」

2021-07-07 00:20:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

      第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

   ◆幸せの扉を開ける鍵「観自在菩薩」の意味と「思い変え」の法◆


何事が起きてもわるく見る見方と、喜びに見る見方とがあります。
いちばんわかりやすく参考になるお話をします。
東大阪に明治の初期に生きた「結構の源ヤン」という方がいました。
何事があっても「ああ、結構やないか、結構やないか」とおっしゃって、
決して愚痴や不足不満を言われなかったということです。
或る年、毎日毎日雨が降り続きました。

当時、「土方殺すに刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい」と
言われたものでしたが、
その頃は日雇い労働者の人は三日も仕事がなければ
食べていけない状態でした。
それが一か月から雨が降り続いたそうです。

そこで、源ヤンの友達が「いかな源ヤンでも
この雨にはまいったことだろう。
結構とはよう言わんやろうなあ。
何と言うか聞きに行こう」と言って、
源ヤンの家に出掛けていったそうです。
「ごめん、源ヤンおるか!」と奥に呼びかけると、
「ハーイ」という声とともに出てこられました。

「かなわんなあ、これだけ降ったら」と言いますと、
「ああ結構やないか」と言われたので、
友達があきれて、「何が結構やねん」と聞きますと、
「お前らよう考えてみ。これだけ降る雨を、
もし神さんが三十日間天で受けてくれはって、
一杯にたまったのを一片にまとめてぶちあけられたら、
家も田圃も皆流されてしまう。

ようこんなにうまいこと何日にも分けて降らしてくれたもんや。
神様は何と結構なお方や」と言って喜ばれたということです。
雨続きでもう食べてはいけない状態であっても、そのことを嘆く代わりに、
一度にためて降らしたらたいへんな被害になるのに、
うまいこと分けて降らしてくれるとは神様はありがたいなあと
思いを喜びのほうへと変えてしまうのです。
結構の源ヤンと呼ばれたこの方は、後に東大阪一の結構な人になられました。
大阪では有名な話です。


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