恩師のご著書「思いの中に生きる」より
「結構の源やん」
思い替えの方法で一番参考になるのが、この『結構の源やん』の話しです。
今の東大阪に、名前は「源やん」、渾名は「結構」という方がおられたそうです。
明治の初期だそうです。
この方はどんなことが起きても絶対に不足を言われなかった。
何が起きても「アア、結構やないか、結構やないか」とおっしゃったそうです。
だから、「結構屋さん」とか「結構の源やん」という名前です。
で、ある年、毎日毎日雨が降り続いたそうです。
一カ月ほども降ったそうです。
その時代、「土方殺すに刃物は要らぬ。雨の三日も降ればよい」といって、
三日間仕事ができなければ、もう日雇いの人は食べられないような状態だったのです。
源やんの友だちの人たちが、「さすがにあの結構の源やんもこれだけ雨が降ったら、
もう結構ってよう言わんやろなァ。
一回何て言うか聞きに行こうか」と言って、源やんの家に行ったそうです。
「源やん居てるかーッ」と言って行ったら、「ハーイ」と出て来られたそうです。
「かなわんなァ、こんだけ降ったら」と言いますと、その源やんが
「ああ結構やないか」とおっしゃったそうです。
「結構、結構やないか」というのは、「有難いやないか」ということです。
「ああ結構やないか」。「これだけ雨が降るのに何が結構や」と聞きますと、
「お前らよう考えてみい。
これだけ毎日毎日降る雨を、もし神さんが天で受けてくれはって、
そしていっぱいたまった三十日分をバーッと一遍にぶっちゃけてくれはったら、
家も畑も田圃もみな流れてしまう。
こんなに毎日しとしとと分けてよう降らしてくれはったもんや」と
言って喜ばれたそうです。
世間の人は皆「かなわんなあ、かなわんなあ」と言っているのに、
そのお方はさすがに「何と結構やなァ」と言われたといいます。
やがて、その方は東大阪一番の結構な人になられたそうです。
ものすごい結構な結構な、まあ大金持ちになられたそうです。
大阪で有名な話です。