浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

父神と我れとの間に分離なし
切るに切られぬ我れ子なるが故

「御垂訓」

2019-10-29 23:06:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生が色紙を書かれているところです。
多くの方が恩師の色紙を要望されますので、いつも沢山の色紙を書かれますが、
いつも最後の色紙には「忘己利他」と四文字熟語を書かれます。
この四文字熟語は「もうこりた」と読み、その意味は己を忘れて他の利益のために
尽くすと言うことだそうです。沢山書かれますから、腕が疲れて「もう懲りた」との
意味の掛け合いもしています。
「忘己他利」は天台宗の教祖最澄さんのお言葉と聞いております。
己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 七

「肉体先祖に報恩供養の心を忘れず」

先の続き・・・

「悪魔物語」の中に、このように書かれています。
ある時、お釈迦様が托鉢に出られました。
鉢を持って、
一軒一軒回ってその日頂く食事を鉢にいれてもらうのです。

これは、
日本の私たちが知っている乞食(こじき)さんとはちょっと違います。
同じ「乞食(こつじき)」といっても、人の家の表に立たれて、
「私の行いに価値ありと認めたならば、
余食を鉢に投じたまえ」と言って家々を回るのです。
余食を受けるのが礼儀作法ですね。

ある時、托鉢に回られたのですが、町は祭りでごった返しおり、
誰一人、お釈迦様の鉢に食べ物を入れてくれなかったのです。
ただ鉢を持って貰い歩くのだから、楽なことだと思いますが、
これはまことの真剣勝負の一つです。
価値あると認めてもらわなくては、
鉢に食べ物は入れてもらえないのです。
日本の乞食さんというのは、家の表に立って「恵んで下さい」といって、
食べ物をもらっていたのですが、あれとは意味が違います。

お釈迦様が一日足を棒にして回っても一粒の米さえもらえず、
空っぽの鉢を持って精舎に帰ってこられた時、
悪魔がささやきかけてきたのです。
「今一度町に行ってみよ。私がその鉢に食べ物を山と盛ってあげよう」。
すると、お釈迦様はこのようにおっしゃいました。

「私は食だけによって生きているのではない。
私は喜びを食として生きよう」と。
その時悪魔は、「仏陀は私を見通した」と言った、
と書かれています。

この悪魔とは何かというと、いかに偉大なお釈迦様でも、
一日中町を歩いて一粒のお米ももらえなかった時は
「腹がへるなあ、困ったなあ」と思います。
この心が悪魔ですが、しかしそう思いになって当然です。

そして、「今なら祭りも終わっているから、もう一度家を回ったら、
食べ物を入れてくれるかも知れないなあ」という悪魔のささやきが
お釈迦様の心の中に湧いてきたのですね。

その時、お釈迦様は、「今日は命がけの托鉢をしたが何もなかった、
私はするだけのことができて満足である。
私はその喜びのほうを取ろう」と思われて、
自分の精舎へお帰りなったのです。
誘いにくる悪魔とは、自分の肉体の持っている自己保存の欲望です。

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