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添付のお写真は舞台上で多くの方が恩師「長尾弘」先生の癒しを
受けているところですが、ご覧のように恩師も癒されている方たちも
神の光に包まれています。
これで悪いところが癒されない筈がないですよね。
~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 七
「肉体先祖に報恩供養の心を忘れず」
先の続き・・・
有難いことは、まず私たちが救われることです。
私という存在は、何十億というご先祖様の癖、欠点、
業を背負っており、
それらが集まったのが自分の姿ですから、
沢山の悪い癖、欠点を持っているはずです。
無限のご先祖様の寄り集まった塊が自分であるならば、
自分自身が救われ、成仏した時に、
無限のご先祖様の業が解けるのです。
成仏は、生きながらにできます。
成仏は死んでするものとは違います。
自分という存在が、ご先祖様の無限のもろもろの
業の集まりであるならば、その集まったものが解ければ、
ご先祖様が救われるわけですから、私たちは
自分が救われるということがいかに大事であるかを
知らなければなりません。
救われるということは、苦しみがないということです。
自分の心の苦しみとは、何回も言いますように、
怒り、謗り、愚痴、貪欲、
取り越し苦労、それらが苦しみの材料です。
そして、悟りといえば大変難しいようですが、
お釈迦様は「人の心から、怒り、愚痴、貪欲が壊滅した時、
その心の状態をニルバーナーという」と言われました。
ニルバーナーとは、中国に伝わって「涅槃」と訳されましたが、
その涅槃が悟りの心境です。
そこで問題なのは、悟りの心境をいかに
持続していくかということです。
悟ったもう怒りも愚痴も貪欲も出ない、
と思ったらとんでもない間違いで、
お釈迦様もイエス様も生きている限り、
その思いは湧いてきたのです。
その湧いてきた思いをいかに早く捨てられたかが
問題であってそれによってすばらしいのです。
そのことは聖書の中にも、仏典の中にも書き残されています。