茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

二拠点生活スタート!

2025-03-09 14:22:22 | 八ヶ岳南麓へ移住
さて、先週、引き渡しを受けた八ヶ岳南麓物件。
当面は実家の八王子に住み、ひと月に一回ぐらい訪れて八ヶ岳南麓を満喫の予定だ。

八王子に住んでいるのは実家近くの施設に入所した母に毎日会いに行く為。
毎日会って会話していけばストップ・ザ痴呆!と信じているが、
この一年で骨折二回を含め計4回の入院があり毎回ひと月程度の病院の入院後は
私の願い空しく痴呆は一気に悪化の一方をたどり、食事さえ自力で困難な状態となってしまった。。。

しかし母が寝たきりにならない限り、痴呆は改善する!又、歩けるようになる!食事も自力で出来るようになる!
そう信じて母の傍らで生活する為、八王子に留まるのだ。
ま、在宅での仕事が定年までの後二年あるから少なくとも最低二年はここにいなくてはいけないのだ。

そんな訳で二拠点生活のスタートとなったのだが、
そもそも家具等の引越をいつするか?
そこが頭を悩ませているところだ。

実家には両親が住んでいた場所ゆえ全ての電化製品は揃っており生活に不自由はないので、
茨城の住まいから移設してきた家電品は使う必要はなく、そのまま放置されているのだ。
だったらこれをすぐ八ヶ岳南麓の住まいへ移設すればいいかと思うのだが、
それはそれで今の生活で使っているものもあるので一度に全部は移設出来ないのが悩みだ。

冷蔵庫、電子レンジ、食洗器、照明器具、ダイニングテーブルはそのまま引越当時のまま部屋で埃かぶってる。
かといって、これだけを運ぶと今使ってるテレビ、くつろぎの時間で利用しているソファ、ベット、
毎日使ってる食器等を残さざるをえなくなり二回の引越になっていまい引越費用は二度払うことは避けたい!
そんな思いから、ここ八王子を引き払う時に一度で済ませたい!
いつ引越をすればいいのだ?日々悶々とするジレンマなのだが、、

最近、急浮上した考えは、とりあえず主だったものは全部運んじゃえ!という考え。
ここに残しておくのは最低限の生活に必要なものだけ。
テレビも実家のやや旧型のテレビで我慢し、ソファも移動して代わりのビーズクッションで我慢するか?という
考え。
でも、一番頭を悩ますのは最高の寝心地の今使っているベットだ。これを新しい住所に持っていってしまうのは、
ここでの生活の質が下がる!そこが頭の痛いのところで一番悩む。。
我慢するべきか、ベットはいちお実家にもあるのだが、
私が今使っているベットはマットレスだけで20万円の大枚を投じて買ったもので最高の寝心地であり、
金属のスプリングマットレスとは雲泥の差なのだ。
う~ん、、、もう少し考えよ。

引き渡しでもらった鍵は3本。
入居前に錠前は新しいものに交換済。
1本は不在時に何かあったときに対応してもらえるよう別荘の管理センターに預けるのが習わしなので預けた。
その際、従姉妹が鍵預けて勝手に入られたりしないのか!?と執拗に食い下がったが、
そういう事は一切ありません!入るときは必ず事前に許可もらうし、居住中に鍵を開けることは一切ありません!
と管理センターは断言してたが、でも実際、引き渡し後に改修工事の不具合で私の許可もらわずに無断で室内に入って工事して
終わったという報告だけきたよな~敢えて触れなかったけどさ。

ま、いずれにしても管理センターの鍵の保管状況によっては第三者に鍵を盗られて入室されてしまうリスクもあり
全面的に信用は出来かねるので、内鍵をもう一つ付けて強化しようとは思う。

今後の予定は今月に薪ストーブの設置工事。わーいわーい(^^)/
やはり今月、薪棚の造作工事と窓を一部ペアガラスにする工事。
春以降に二重窓を設置する補助金制度が開始されたら他の窓の二重窓として内窓の追加設置工事。
そんな風に進んでゆきます。

この辺の工事費用は売り渡したマンションの売却金額と購入金額との差額の金額で賄う感じだが、
少し不足してきたので若干持ち出し。
そうそう電磁波対策で一階の全コンセントにアース工事を追加とかしたからね。

次回、薪ストーブ設置の際は私は車で行って、掃除機、鍋等、細々したものも持っていこうと思う。
そのタイミングで山仲間の男子が来てくれるので、大工工事をお願いしてる。
洗面所の収納棚の取り付け、内鍵の取り付け等。

そして私が出来ることは、表札の取り付けと、駐車場にソーラーライトを取り付け、
ホームセンターに斧を買いにいって薪を一部細かくしてみる。
そして庭のガーデニングに適したものないかチェック。
とりあえず、アナベルを数本玄関回りに植えることは決めている。
ベランダガーデニングは失敗して苗木を枯らしてしまったときの
鉢に残った土の処理が非常に面倒くさかったが庭に地植えであれば関係ないもんね。

これから、家全体を住みやすく、自分仕様に作っていく作業は楽しくてしょうがない。









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八ヶ岳南麓の物件引渡し!

2025-03-01 20:39:16 | 八ヶ岳南麓へ移住
先月、物件の支払いも済ませ、いよいよ物件引渡!
営業さんと別荘地の管理会社の人と、近隣に住む毎度同席してもらってる従姉妹と4人で。

営業さんとの引き渡し自体は、さらっと鍵をもらうだけで特段の話も手続きも無し。
メインは管理会社からのゴミの出し方等の生活上の注意や、管理会社ではこういう事やりますよ、という説明。
有料でのメニューが多いが鍵の閉め忘れや、電気の消し忘れも対応してくれるのはありがたい。
このへんが別荘地特有のサービスだろう。

そしてこの物件を買った理由の小さなグッドポイントの一つがゴミステーションがすぐ近くなのだ。
些細な事だが移住となり毎日ゴミ出しの必要がある身としては大事なポイントなのだ。
別荘地ゆえゴミ出しの日時の決まりは無く24時間365日いつでも出していいのだ!!
これもホントに嬉しいポイントだ。

おまけにゴミ分別もそれほど厳格でない。自治体でなく管理会社がゴミの処理するので
出来ればリサイクルのものとか分けてくれぐらいの簡単な感じで自治体のゴミ袋も買わなくていいのだ。
ゴミステーションは別荘地内に沢山あるかと思いきや、それほど多くなくかなり遠くまで
ゴミを捨てに行かねばならぬ人もいるようだ。
たまに来る別荘族であれば、それでいいかもしれぬがそこに住む人間にとっては
ゴミ出しは近くて楽な方がいい。 

そして管理会社のメインの説明は水抜き&水出しだ。
寒冷地ゆえ11月頃からGW頃までやらねばならないらしいが
う〜ん、むずかしい、、、
管理会社の人が基本理論から教えてくれたが、
果たして私に間違えずに出来るんだろうか、、
一緒に手順を説明してくれた様子を動画に収めたはずが、
何故か写真になってるし、、、

高齢化して膠着した頭で覚えるのは大変。。。
万が一失敗すると水道管が破裂して家の中は水浸し、
修理費用も莫大になるらしい、、、
この水抜きも管理センターにお金出してお願いすれば有料でやってくれるらしいが
毎回五千円払うのもバカバカしいので覚えるしかない。

そして今回は初めてマイ移住地で初泊!!!
ベット&布団は前所有者のものを当面仮で使おうと残してもらってたので、
これを速攻でコインランドリーで洗濯をし使用。

しかし上掛け布団のみで毛布等は一切無かったので、
上掛け布団2枚使いで乗り切った。
そして、寒いだろうからと湯たんぽも持参。
これは私、偉いぞ!助かったよ。
湯たんぽが無かったら、ちと寒かった。

寝る時はストーブも消して寝るから徐々には冷えてくるのだが、
幸いなことに昨日、昨日はものすごく暖かい日になったようで
助かった。
寒い日は昨日より10度ぐらい気温が下がるそうだ。

ベットの上で部屋を見渡してみる。
リビングとキッチンが見える。
広すぎず狭すぎず、丁度いい広さだ。
一人で住むにはこれぐらいが丁度いい。


幾つかの物件を見た中でピンとこなかったのは
広すぎたせいもあったのかも、
今になってみればそう思う。
手に余る広さで何か落ち着かない空間だったのだ。

朝になるとベットの上には樹々の広がる景色と微かに南アルプスの山並みが臨め、
リビングに差し込む無数の陽の光を寝床から見渡しながらゴロゴロする。
そうだ、こんな暮らしがずっとしたかったのだ。

前の茨城の住まいでも、今の八王子住まいでもそんなことは叶わぬ。
こんな心地よい時間をベットで過ごせることはなかった。

起き上がってリビングのカーテンを全部開け外の景色を眺める。
東と西には家が立っているが全然気にならない距離感だ。
南の真正面は家はない。
他の方の別荘に入る私道になっているので今後もそこに家が立つことはない、
それも私の背中を押したポイントだ。

外の冬枯れの真っ直ぐ天に向かって伸びてる樹々たちが
春になり夏になるとどんな姿を見せてくれるんだろう。
楽しみしかない。

朝、家の周りをぐるっと歩いてみる。
ここにはアナベルを植えて、ここには南天植えようか?
と色々考えてみる。

今回は電車でこの移住家にやってきたので荷物はあまり持ってこれなかった。
仮住まいの八王子で全く使ってない飾り物とか、二つあるので使ってないドライヤーとか、
細々したものをスーツケースに詰め込んで持っていった。
次に車で行く時は掃除機とか鍋や食器のこっちで使ってないものを持っていこうと思ってる。

そして食器棚や洗面所の収納棚を購入するための寸法測りをしてきた。

今回、初のお泊まりで持参して良かったものは
湯たんぽ、そしてアレクサ。
まだたまにしか行かないのでネット回線の契約をするつもりはないのだが、
アレクサで音楽聴けるかを試してもみたかったのだ。

ipadを24時間使い放題のパケで動画や音楽をどれだけ利用しても大丈夫な準備をして
今までやったことのないテザリングでアレクサが動いてくれるか、
やってみたら、バッチリ大丈夫だった。
アレクサで音楽も聴けるし、ipadで動画をみて(武田信玄の最終回を観た)
音だけをアレクサから流す事も出来た。

2拠点での生活中はこの方法でやっていこう。

ただ今回の2拠点生活での一番の不安は水抜きと水出しだ。
失敗すれば痛い目に遭う。
おまけに冬場の電気代は凍結防止の配管のヒーターが作動するので、
全く現地に行って電気を使わずとも月一万円程度はかかるらしい、、、

最後に水抜きを教えてくれた管理センターの人が電気代節約の為に
電源切る方法も教えてくれたが完璧に水抜きを行い且つ配管に逆勾配が無く
配管に水が残らない条件付きとの事で、やはり凍結防止のヒーターは
凍結で大事の事故を避ける保険だと寒冷地に住む従姉妹は言っていた。
浄化槽のブロワーと給湯器の電源さえ切らなければ
ヒーターの電源は切ってもいいとは言うが怖い。。。

それにしても管理センターの人はどの人もすごく感じいいし、
そもそもの営業さんも自然体で感じいいし、
いい環境の中で生活始められるのが恵まれている。

さぁ、次は薪ストーブの設置だ!
とりあえず薪ストーブが入るまでと前居住者の荷物の中で
急遽、ストーブも一応残しておいtた方が、、と、
営業さんの配慮のおかげで助かった。

このブルーヒーターというストーブはメチャクチャ暖かい!
と従姉妹が絶賛してたストーブでこれが無ければ今回のお泊まりは実現しなかった。
このストーブ、付けるのも消すのも簡単で、使い勝手はいいし、暖かいし、
薪ストーブに挫折したらこれがあれな生活も出来そうだ。
このストーブはくれるそうで嬉しい。従姉妹が最終的には欲しいと言ってる。

薪ストーブのために、ふるさと納税で既に薪を五キロ手に入れてる。


沢山あるが、多分2、3日分なんだろうな、、、
とりあえず春は近いしこの冬はこれで乗り切ってくれればなんだけど、
減り具合が使ってみないとわからない。

そして薪ストーブの後は家の周りに植物植えていくぞ。ガーデニングですね。
又、毎回、行く度にランチの店を開拓していっていろんな店を訪れている。

今まで茨城、八王子、美味しい個人経営のお店とか行きたくても全然無い!
あるのはチェーン店ばかり。
そんな外食に飢えていた私がやっと出会えた八ヶ岳南麓の美味しいお店の宝庫。
昨日はカレー、
今日は蕎麦。


そして人気のパン屋でパンも買ってきた。



八ヶ岳南麓を従姉妹の運転する車を走らせていると
冠雪した圧巻の八ヶ岳が目の前に迫り、
そうかと思うと南アルプスが凛としてそびえる姿も視界に入り、
はたまた富士山が目の前に入る。
富士山はまるで絵画。これ風呂屋の絵じゃないの?
という感の完璧な姿。

これから先、楽しみしかない。




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どこかにビューーンで今度は青森!

2025-02-24 12:51:36 | Weblog
先月の上田に引き続き、今月のどこかにビューンは新青森行きが決まった。
前回の上田は、ちっ、上田なんて何も見るとこ無いじゃん!ハズレ引いちゃったよ、、、
と全く気乗りしないまま上田に向かったが、いやいやどうして、最近の旅の中でもズバ抜けて
良い所であった。落ち着いた知性溢れる街だったのだ。

何しろ現地、上田城で真田一族の事を知り徳川大軍を2度も撃破した一族を無性に知りたくなり、
「真田丸」の大河ドラマを観て真田幸村に惚れ込み、六文銭も手に入れた。
そして真田がしきりにボヤく「武田信玄が生きていれば、、」の言葉が今度は気になり、
「武田信玄」の大河ドラマを見始めた。

これまで私の人生で尊敬出来る人なんて皆無だったが、
初めての尊敬出来る人物となった、武田信玄。
とにかく尊敬に値する素晴らしい人物なのだ。
いずれ山梨の住人になる私への運命の巡り合わせとしか思えない、此度の出会い、
全く興味の無かった戦国武将、日本史に初めて興味を持つ転換となる旅となったのだ。

と、前置きが長くなったが、この自分で行き先を選べない旅は、
そのような思いがけない出会い、発見がある、
スゴロクのような面白さを今、感じているのだ。

そして、今回の青森は数十年前に一度訪れた事はあるのだが、
駅前をぶらっとしただけで、じっくり観光した事は無かったので、
まず計画を練る。

とりあえず三連休に丁度ぶつかる日程で数週間後に旅は迫っていたので宿を確保せねば!
と慌てて新青森駅前にある東横inを予約。

ただその後の計画を立てていく過程で新青森では何かと不便である事に気づき、
あらゆる旅の計画に対応可能な青森駅近くの宿に変更した。
青森駅でも駅前に東横inがあったので、こちらをポチッと予約。

酸ケ湯温泉に行く計画を立てたのだが、三連休の一人旅は宿泊費が高くなるので、
旅館は鼻からパス、ここはビジネスホテルだろう、と予約。
酸ケ湯温泉は日帰りで行こうというプランだ。

行きの新幹線は6時〜9時の出発時間の希望でのサイコロ振りだったが、
JRで指定してきた新幹線は6:32発の東京駅。。。
何もそこまで早い時間にしなくても、、、
家から始発のバス乗っても間に合わない、、、
と、ここは顔に縦線。。
やむなく暗い内に駅まで車で行き駐車場に置いていく事にした。

新青森駅到着は10時前には着くが、酸ケ湯温泉行きの一番早いバスの
8;11発には間に合わず次のバスにすると滞在時間が2時間ぐらいしか出来ず、
1時間半かけて行くメリット少なくなるので次の日の朝一番のバスで
行く事にした。

着いた初日は青森駅周辺の観光。
まずは八甲田丸。
ねぶた会館のワッセと、展望台のあるアスパムという3館共通券が¥1380と安く買えるので、
これを購入。

八甲田丸、いいねぇ。
青函連絡船で使ってた船が昭和の街並み再現してたり、
操舵室見れたり、機関室見れたり、とっても楽しめた。

次のワッセも昨年の賞を取ったねぶたが3体展示されており、
圧巻の見事さに魅入る。


アスパムでは展望台では悪天候ほとんど視界が無かったが、
晴れていれば下北半島、函館も?見れるはずだったが、
充分満足。
冬の鉛色の海を見れただけでいいのだ。
そう、ここで雪の舞い散る海の歌を一句詠んでみた。
「鉛色の空と海の境目は曖昧に 迫りくる雪 音なき凄み」
北の町のいつもの景色なのだ、これが。


食事はネットでも評判高く、会社の同僚も薦めてくれた
「おさない食堂」へ。
ホタテの味噌焼き定食を食べたが、

確かに美味しいには違いなかったのだが期待が大き過ぎて感動はなし。
噂通り、開店前から何十人もの行列が出来てた。

夕飯は津軽三味線の生演奏のあるという「大福丸」という居酒屋へ。
海鮮丼とイガメンチを頼む。


このイガメンチ、イカを刻んでメンチにして揚げたものだが、これがめちゃめちゃ美味しかった。
三味線も堪能しほろ酔いで宿に戻る。

そして2日目、酸ケ湯温泉行きのはずだったが、、、
これは今シーズン最大の寒波?とかで主に日本海側に大雪警報出た。
青森は日本海側ではないし大丈夫か?と楽観的希望も
現地の天気予報では青森南部の山岳地帯も濃い雪エリアの予報が出てる。。
電車だけでなく道路の通行止めの可能性も予報は示唆しておりは予断を緩さない。

青森駅からバスで1時間半の酸ケ湯温泉。
いや〜リスク有り有りだろう、、、
市内なら除雪で凌げても、進行系の大雪に山奥の除雪が間に合うはずもないか、、
通行止めになって帰れなくなったら酸ケ湯温泉に一泊?
どこかにビューンの新幹線チケットも当日に限り該当の新幹線以外でも
特急料金払えば使えるが翌日は完全に自腹。。。
宿代、新幹線代で五万円ぐらいは自腹支出?

いや、ムリムリ!
リスクマネジメント?で酸ケ湯温泉行きは諦めた。
その日の夕方、酸ケ湯周辺の道路状況調べてみると、
案の定、通行止めになっていた。
ナイス判断!
行きは良い良い、帰りは怖いだな、、、

では、2日目はどうする?
浅虫温泉&水族館?
これも考えたが、あまりいい日帰り温泉が無いのと、
別に水族館にわざわざここで行く必要もない。

そんな中でWEBで見つけたのが、「八甲田雪中行軍遭難資料館」
これでしょ!!
八甲田山のこの雪中行軍の遭難は映画、新田次郎の小説で読んだ悼ましい事件。
ここでしか見れないものだもの、これに行くっきゃない!
バスに30分揺られ目的の資料館に到着。


あどけなさがまだ残る若い命を落とした軍人たちの199人の写真を見る。
戦場ではなく訓練で命を落としたという事に複雑な思いを抱く。
資料館では何故彼らが亡くならざるをえなかったのか、
そこの責任追及にはほとんど触れてないが、
新田次郎の小説では時の司令官に翻弄され救えたはずの命を救えなかった顛末が詳細にかかれていた。

武田信玄をドラマで観てても感じるが、決定権を持った上司の迷走、判断ミスは
致命的である。
従わざるを得ない下士官達、落とさなくていい多くの命が絶えた。

同じ時期に弘前の反対側から八甲田山を目指した第11艦隊は誰一人命を落とさなかったのは、
司令官の違いによるものに他ならない。
ガイドを付けた、この第11艦隊を嘲り笑った第五艦隊の結果との対照的な
その顛末がここの資料館に残る。

さて、こんな複雑な胸中を抱え雪深い道を雪に足をのめり込ませながら歩き、バスで又青森駅に戻る。

この後は街なか温泉でまったりしようかと当初考えていたが、
何だか重装備の服を脱いで又着るのがひじょ〜に面倒になり、
このまま何をしようかと考える。

降りしきる雪。
これをずっと見ていたいな〜
そう思った時、ハッと思いついたのが昨日訪れたアスパムという展望施設。
そこに海を臨む無料広々スペースがあったな、と。
そこなら降りしきる雪をぼ〜と見ていれるかと、そこへ移動。
そこで買い足したいお土産もあったし丁度いい。

結果、大正解。
鉛色の海と平原に降り続く雪をず〜と眺めていられた。
そして、イベント広場では青森大学の三味線研究会の学生と先生の生演奏も聴けたり、
ゆったりと楽しめた。

青森は不思議な所だ。
鉛色の空に雪が降りしきっていたかと思うと、
突然ピタッと止まり青空が見えたりする。
そして又暫くすると鉛色の雪景色に戻る。


又、外人が多い事にびっくりした。
京都、東京、北海道辺りにインバウンドの外人が来るのはわかる。
でも、この冬の時期に青森まで来て何を見るのだ?
何が目的なのだ?
不思議だ。
おまけに「おさない食堂」には中国人も行列に並んでおり
外人まで知れ渡っているのか?
不思議なのだ。
雪?
雪を見たことない、て語っていた外国人をテレビで見たな。

雪はスキーではいつも見てきたが、
こんな片道三車線もあるような大通りの路面にビッシリ白い雪が張り付いているのは
初めて見た。不思議な感じだ。
スキー場近くの細い山道で雪はあるもの、
そんな感覚だったので。

さて、15時頃迄アスパムでまったりし、お腹も減ってきたので
少し早い夕飯にしようと腰を上げる。

夕飯処はネットと通りがかって、メニューや通し営業してるという情報から
青森駅直結の「青森食堂」に決めていた。
新青森駅にも色々食べれるレストランがあるのはリサーチ済みだったが、
やや高め設定との事で、ローコストである青森駅をとった。

昨日、テレビのラーメンを食べ周る旅番組を見たせいか、
ずっと降り続く雪のせいか、食べたいものは、「ラーメン」オンリー。
青森食堂にある煮干しのラーメンか、青森ニンニク味噌ラーメンか、
非常に迷ったが、やっぱり青森名産のニンニクの入った方だろ、と、
味噌ラーメンにした。

ん〜美味いっ!思うに美味しいと感じるのは自分の求める期待値の味と、
実際の味がマッチした時なんだろう。

麺もスープも私の期待通りの味だったが、
それらを超えて特に美味しかったのが追加したコーン!
嶽産とか名前が付いてるコーンだったので、ここの名産なのか?
甘い!めちゃ美味しかった。

そして早めに新青森駅に向けて青森駅を出発。
向こうでお茶でも飲みながらのんびりしようと早めに出た。

そして、この早め行動がこの後のトラブルに難なく対応出来た事に胸を撫で下ろす。
大雪で青森駅から新青森駅の電車が来ないのだ。
駅のアナウンスは
「下り電車が来ないので16:45発の電車は遅れております」
これってどうよ?
全く当事者側の説明になってない!
そんな事は私たちだって百も承知。
ナメてるのか?呆れる仕事ぶり。。 
下り電車が何故遅れてるのか?大雪で途中で止まっているのか?
電車がトラブルで動かなくなったのか?
「何か情報が入りましたらご連絡します」
電車の運転手、近くの駅と連絡取れる立場だろ!

ツッコミどころ満載の情けないアナウンスに構ってる場合ではない。
幸いにも早め行動を取ってる自分は新青森発の新幹線は1時間半後だから、
流石にそれまでには間に合うだろ、
待ってるか、最初はそう考えていたものの、あまりに情報が無く
最悪、間に合わなかった場合は、私の切符は変更出来る切符ではない。

新青森駅と青森駅は地図上でも確認しており、ほんの目と鼻の先。
よし!バスで行こう!と決意。
時間も料金も電車の倍かかるが、それでも20分、 運賃も¥310、
新幹線に乗り遅れるより全然いい。

改札でSuicaの入場記録を消してもらおうと列に並ぶと
前のおじさんは17:25?の新幹線に乗るんですけど、もう間に合わないですよね?
と哀しそうに聞いていた。
通常通りであれば10分もかからずに着くのにね。。
同情します。

そして多くの乗客は新青森へはバスで向かう事にしたようで
バス停には長い行列ができた。

バスは15分ぐらい待ってやってきて、新青森駅には17:20頃に着いた。
何人かは駅の階段を猛ダッシュで駆け上がっていった。
間に合うといいね。

私は1時間ぐらい時間あるので駅の土産物売り場を徘徊。
いや〜やっぱり新幹線駅は青森県内のありとあらゆるものが全部取り揃えられている!
あちこちで見たものが、ほぼ全部ここに集められてる。
場所柄、1割ぐらいは高くはなってるが、
それでもここに来ればちゃんと買い損ねたものもここで買える!ってのは大きい。

今回、青森駅に着いてから、土産を買いまくり、
後から、こっちの方が良かったな、、というものが沢山あり、
土産物はそんなに幾つも買っても仕方ないからと断念したが、
いいものが沢山あった。

ホタテ関連、おぼろ昆布、りんごジュース、手頃なせんべい。
次に来た時は絶対に最初から飛ばして買わずに
最後の新青森駅で買ってもいいぐらいに静観しようっと。
土産物だけで2万円ぐらい使った。。。誕生日のプレゼントも入ってるが。

そんなこんなで楽しい青森の旅は無事、新幹線にも乗れ終わった。
あ〜楽しかった。

地道にJRポイントを貯める努力をしてるおかげで
来月もどこかにビューーン!の権利があり、
3ヶ月連続で行く事も出来るのだが
来月は自分が週末に何かと予定を入れてた関係で行けない。

ま、来月は春休みシーズンにも重なるから、
4月のGW前辺りを狙ってみるか。

さらなるどこかにビューーン!を継続するために、
モバイルsuikaでの定期購入する為に対応でないスマホを
対応のスマホに買い替えた。
3万円かかったが、それでも一回どこかにビューーン!で旅に行ければ
元は取れる。

さぁ、次のスゴロクはどこが当たる?
楽しみだい。






ジュソンオポムのりんごパイ











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東横イン、いいじゃん

2025-02-24 12:04:45 | Weblog
今回、どこかにビューーン!
で青森で利用した東横イン、
これが事の他、良かったのだ。

当初、新青森駅近くの東横インに予約してたのだが、
その後、旅のプランを色々練る内に青森駅の方が何かと便利なのに気づき、
青森駅近くの東横インに取り直し。

ビジネスホテルは幾度となく利用したことはあるが、
ベットがあり風呂がある、どこも似たり寄ったりのもの、いう印象しかなかった。
しかし、今回の東横inはそんな私の今までのビジネスホテルのイメージを覆す
とってもいいホテルだったのだ。

まず景観。
ビジネスホテルとシティホテルの違いは窓からの景観だよな、、
と常日頃思ってた。
ビジネスホテルは大概、窓からは景観は全く期待出来ない。
隣のビルの壁がせまっていたり、視界ゼロ、そういうものだと理解してた。

しかし今回の東横inは、窓からは青森駅方面の景色が広がっていて電車のホームや、
駅のその先のキラキラした街並みの夜景を見渡すことが出来たのだ。
泊まった階も13階と高層だった事もあり、視界を遮るもの無く、
これってシティホテルじゃん!
すっごく得した気分。

そして次に良かったのが利便性。
駅から直ぐの1分ぐらいの場所だったので雪の道でも歩いて行くのに全く苦で無かった。
又、美味しい食事処も近くにあり便利だったし、あちこち出かけるのに
荷物を預かってもらうのに駅のコインロッカー感覚でl
チェックイン前、アウト後も預けれた。
青森市内には沢山のビジネスホテルあるが、
選択肢として考えないでもなかったが、
やはり荷物を預ける事を考えると駅に近い方が便利だ。

そして最後の良かった点。
朝ごはん。
東横inの無料の朝ご飯の存在は知ってはいたが、
コーヒーとパンと茹で卵の簡単なもの、
ずっとそう思っていたのだが、、、
全然ちゃんとしたおかずも飲み物も、パン、ご飯、そして、地の物まで並びびっくりした。


普段、16時間断食をしてる自分は朝ごはんは食べないのを常としているのだが、
いや、こういう時だけは別。
昼ごはんの分まで食いまくってやる〜と思い切りバイキングで取りまくった。
満足〜
コーヒーはチェックアウトの10時迄無料で飲めるので部屋に戻ってからも、お代わりにもいった。

今回の宿を予約の際、禁煙ルームは満室で残念ながら取れなかったので、
やむ無く喫煙ルームで予約せざるをえなかったので
タバコのヤニ臭さは覚悟していたが
全くヤニ臭さは無く、これも嬉しい誤算だった。

朝ご飯や景観は場所によって異なると思うが、
少なくとも、この青森の東横インは気に入ったので次、青森に行く事あったら
迷わずこの東横インを予約するぞ。

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甲斐の国、武田信玄にぞっこん

2025-02-18 07:42:38 | 八ヶ岳南麓へ移住
私は甲斐の国へ移住するのだ。
であれば、その国の礎を作った、武田信玄の事は知っておく必要がある!
にわか戦国武将ファンと化している自分。

真田丸を見て、何度も真田が口にする「武田信玄が生きていれば」の言葉、
無性に気になっていた。
ネットで戦国武将を検索しても武田信玄が生きていれば歴史は変わっていただろう、
と言われているほどの偉大な存在と思しき、この人物を知らねばならぬ!
と歴史音痴の自分が次に見ると決めた大河ドラマは30年ほど前に放映されたNHKの「武田信玄」である。

中井貴一さんが主演なのね、と見始める。
最初こそ退屈な部分も多く、スマホ片手に流し見もしてた。
しかし話が進んでいくにつれ目が離せなくなる。

川中島の戦いの最後の戦いは、凄まじい戦いに息を呑む。
刻々と変わる状況を報告する武士に本陣で的確に次々と戦術の指示を繰り出す信玄。
信玄は賢いと聞いた事があるが、いや、スゴイ。
こんな上司が欲しい。

そして昨日見たのは信玄の 息子、義信が信玄を恨んで殺そうと謀反をおこす。
ただ自分では直接、手を下さず重臣の飯富(オブ)に依頼する。
事前に情報を得ていた信玄は謀反で殺されずに済んだが、
その後に信玄と飯富との何故、謀反を起こしたか?
と一対一で対峙するシーン、素晴らし過ぎるのだ。

「俺はお前を殺したくないのだ、謝れ、そうすれば許す。人は誰でも過ちを犯す」
そう飯富の耳元で絞り出す声で囁く信玄。
この真に迫る演技、中井貴一、
いや〜これ以上の演技出来る俳優っているのか!?
  
息子よりお前の方の命の方が大事なのだ、
25年信頼して共に国を作ってきた重臣を斬らなければならない辛い思い、
この複雑な胸の内をこれほど巧みに演じる中井貴一に鳥肌が立つ。

この大河ドラマは最高視聴率が49%を叩きだしたことがあるらしいが、
それはこの瞬間ではなかろうか。
国民の二人に一人が見た瞬間に相応しいシーンと思う。

中井貴一の演技は回が進むにつれ凄みと深みを増す。
父親としての我が身を振り返り思い悩むシーン、
ならぬ!と怒るシーン、
信玄という人物に惚れ込むと同時に中井貴一さんの俳優としての素晴らしさに気づいた。

この先、信玄の人生の最後は既に知ってはいるのだが、
そこへ至るまでどんな事が起きていくのか、
まだまだ大河ドラマの行く先は楽しみがある。

こんなに夢中な信玄について色んな人に語り合いたい!と話を持ちかけるが、
皆、スルー、、、
誰かとトコトン、信玄について語り合いたい!









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いいじゃん、いいじゃん、八王子のフットサル

2025-02-03 23:34:55 | Weblog
昨年、11月に茨城から八王子に引越してからというもの、
実家の片付け(大量のゴミ捨て)、自分の荷物の荷解き、
それが終わりもしない内に仕事関連の資格試験を受けよ、
という非情な?上司の命により、ひたすら試験勉強の為、
片付けも引越しの荷解きも中断、、、

そして終わりやいなや父の一周忌、
と矢継ぎ早に次から次へと予定が入り、
昔のように好きなよ〜に自分に時間を費やす、
という事がずっと出来なくなっていた。

ま、それでも登山は何とか月に一回の予定を入れて、
こなしていたが、写経、フットサルに関しては
ここ半年、全く出来ずにいた。

茨城にいる内から行けなくなっていたのだが、
やっと、やっと!
フットサルに行ける時間の余裕が出来てきた。

最近行かなくなってたのは年のせいもあるんだけど。
イイ年してフットサルはイカン!もうやめようぞ、
そう思い始めていたので、足が遠のいていた。

でも、最近やっぱ、やりたいな〜
そう思い、仲のいい友達に、
そう言ったら、
額に縦線を刻ませながら、
ま、貴方がやりたいなら、やれば。。
と、呆れつつ返された。

いいのだ!
高齢者でもフットサルはやっていいのだ!
と、八王子のフットサル場で行きやすそうな所を見つけ、
予約しといた。

ここはどんな人が集まるんだろ?
競技系のガチガチ派が多いのであろうか?
こんなおばさんはイジメられないか?
ドキドキしながら参加。

う〜ん、レベルはそんなに高くない。
楽しんでやるエンジョイ系だな。
うんうん、こういうの好き。

そして女子の参加者は私一人だったので、
男子達はいちお気を遣ってくれ、
シュート決めてくれというパスをくれたり、
シュート外すと、うわぁ惜しい!
とリアクションくれるんだが、
ありがとう、わかってるよ、全然惜しくないことは。

もう半年ぶりなもんで、全然ボールが思ったところに行かない(蹴れない)
よってシュートも外しまくり。
男子たちの残念、というため息が漏れる度、
申し訳ない思いでいっぱいになる。

だが、やっと最後の方でシュートを決められ、
やったね!とハイタッチをしてくれた。

ここの男子達は優しいよ〜
こんな見ず知らずのオバさんに気を遣ってくれて、
嬉しいよ〜

そんなわけでオバさんは調子に乗っちゃうもんね。
ここの若者達は優しい〜感じなんで、
これからも行っちゃうもんね。
週イチ?

そして、これは別途改めて書くつもりだが、
フットサルは22時まで。
それから家に帰って風呂沸かすのは遅くなるんで
どっか途中で風呂入って帰ろうと目星をつけ、
松の湯という銭湯が駐車場もあるし、
フットサル場からも近い!
と寄ってみた。

これが凄く良かった〜
もうここのフットサルと松の湯はセットだな。

今日は仕事が忙しくヘロヘロになっていたが、
その後、母に会いにゆき、ご飯をゆるゆると一緒に食べ、
フットサルに夢中になり、快適なお風呂、
と色んなことを積み重ねたら、
仕事のことなんて、はるか彼方の
忘却となった。

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あぁぁ真田ロス

2025-01-31 09:08:45 | Weblog
きっかけはどこかにビューン!である。
今月貯まったJRポイントを利用して、これを使い無料新幹線チケットを入手したのだ。
4つの候補の中で何処になるかはJRが決めるスゴロクのようなものだ。
なるべく遠くに行けるよう祈りつつ選んだ4候補から決められた行き先は上田だった。

ちっ、上田かよ、何も無いとこじゃん、、、
ハズレ引いちゃったよ。。
と、かなり残念な気持ちで上田に向かった。

行くとこは別所温泉と上田城ぐらいか、、
と先ずは上田城に向かった。
城は一部が残り一部が復元されたものと、とり立てて目を引くものではなかったのだが、
そこかしこに書かれてる城の歴史説明に真田一族が登場する。

何、なに?徳川の大軍を僅かな軍勢で二度も撃破した!?
どういう一族なのだ!?
大変、興味を惹かれた。

元々、歴史、日本史、全く!興味が無く一度たりとも学ぼうとか覚えようとした事が無いので
関ヶ原の戦い等、言葉は知ってるが、誰がいつ何の為に戦ったか、
まるでわからない、そういうレベルの歴史音痴の自分である。

上田から帰り早速NHKオンデマンド「真田丸」を視聴。
いや、面白い!面白過ぎる!
全50話、毎日、2、3話ずつ夜に夢中で見続けた。
でも、これは何処までが本当の話なのかなぁ?と疑問に思いながら。

大好きな堺雅人が主演、三谷幸喜の脚本で面白く無い訳がない。
堺雅人の真田幸村は、実に清々しく、最期は凛々しく、
草刈正雄の昌幸もいい味出してる。

話が佳境に入ると鳥肌が立ち、ドラマの世界に没頭。
最近の私の唯一の楽しみと化した。

そして、とうとう全50話の終わりの時がきてしまった。
幸村ー! 必死に応援するも、これは歴史のお話。
結論は既に決まっているのだ。
歴史音痴の私でさえ、その後豊臣が盛り返したという話は聞いて無いので
もう結果は決まっており動かす事は出来ぬのだ。

そんな心境を詠んだ昨日の歌
「幸村の最期に祈る死なないで 過ぎた歴史は変えられんけり」

はぁぁ、終わってしまった。。。
哀しいよ〜
歴史を変えられるのであれば変えたい。

ここ数日の真田熱。
何処に持っていけばいいのだ、、
真田ロスに陥る。

戦国時代を全く覗いた事のなかった自分が今回の戦国一部分垣間見た感想。
戦はひとの殺し合い、肯定的にはどうしても見れない。
ただ天下統一目前で突然殺された織田信長、
豊臣秀吉、誰もが戦(殺し合い)の無い世界を目指し
天下統一は手段であり目的では無いとの一筋の光明を見た。

真田も年がら年中、どの親方につくか寝返っていたが、
それは自らの守る信濃の国の住民を守る為の長としての責任が成せた事であり
私利私欲の為でなかった。

最期に徳川家康が幸村に語った
「もはや戦で全てを決める時代は終わったのだ」
印象的な言葉だ。
あの言葉は本当に家康が語ったのであろうか?
憎し家康だが、時代に翻弄され続けた武将の悲哀すら感じた。

今後はこの戦国時代生き抜いた武将で気になる武将たち、
絶対的な力を持っていた武田信玄、
若くして東北統一した伊達政宗、
名前しか知らなかった武将たちの生き様を先ずは大河ドラマで見ようと思う。

先ずは山梨県の住民にこの先なる事であり甲斐国の歴史を知る上で欠かせないであろう
武田信玄の大河ドラマいきます。

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2024年マイ4大ニュース

2024-12-31 10:27:45 | Weblog
2024年も今日で終わりか。
激動の一年であっという間に駆け抜けた。

年初めに「どこかにビューン」を使って乳頭温泉、ずっと行きたかった秘湯に行くチャンスが
訪れ1泊2日でのんびり温泉三昧を満喫した、その数日後から怒涛の2024年がやってきてしまったのだ。

始まりは突然の父の他界。
そこから痴呆(今思い返すとこの時点では大した痴呆でもなかった)の母の介護、
その大きな問題が起こり、姉との母の介護方針をめぐり大バトルを繰り返しながら
母の施設入所が不承不承ながら決まり、それに伴い私の生活が大きく変わった。

4大ニュースではあるが、どれが一番かなんて順番はつけられず、
4つの大きなニュースとして記録しておく。

・父の突然の他界。

出社する私の携帯ラインに父が死亡したと義妹よりの連絡があり、急遽自宅へかけつける。
何でも前日夜に入浴中に心肺停止したとの事。
母が友人に連絡し警察へ通報。その後、警察から連絡をもらった長男である弟が実家にかけつけ、
その配偶者である義妹からの連絡となった。
姉はヒートショックで亡くなったと信じているが、間違いなくアレで死んでしまったよな~
と私は理解。だって近所に住む父の弟である伯父、伯母、父の死亡とほとんど同じタイミング(3ケ月以内)で、
皆、突然死してるから。元気だった人達が突然命を落としている。

・母の介護問題

父の死亡で急遽浮上したのが母の介護問題。父が死亡した当時は母は痴呆とはいえ、まだ会話は出来るし、味噌汁を作ったり料理も出来たり、今思えばホンの経度だった。過去の記憶が無くなるぐらいのものだった。
ただ、この母を一人にすることは出来ぬと、父の葬儀のために駆け付けた、その日から実家に泊まり込み。
仕事も忌引きの休みだけでは足りず、二週間近く休みをとり、何とか母をディサービス利用したり、仕事に行く日はショートスティに預かってもらい、すぐ在宅ワークに切り替えてもらうことで、今後はずっとディサービスを利用する目途がついたところで、母の脳梗塞発症。
その前の父が死亡した数日後にも胆石での入院をした母が又、入院。脳梗塞は細い血管の詰まりと経度ではあったが右半身の軽い麻痺、入院は数か月に及んだ。リハビリ病院に入っている間に姉と介護方針でバトル。自宅に戻りたいという母を自宅で私が面倒みる!と頑張ったが、医者も24時間365日一人で面倒みるのはむづかしいとの意見もあり、断念。施設に入れる事に決まる。

姉が探してきたサービス付き高齢者住宅に入れ、私が母を連れ出し自宅に昼間は連れ帰ればいいか、と申し込みをしたが、母の痴呆状態をみたサ高住の人から、母の状態では面倒みれないと、まさかのお断りをしてきた。
確かに脳梗塞で数か月病院で寝たきりだった母の痴呆は急激に進んでしまっていた。

それから母の入所する介護施設探し。何とか高額ではあるが、母がどういう状態であろうと、どんな状態になろうと退所は求めないという安心の施設を見つけたので、そこへ入所。
自営業だった父が一生懸命貯めたお金は母の施設の費用に充当する事は家族で意見合意。

・自分の引越(茨城から東京の実家へ)

母は施設に入所したので私が面倒みることは無くなったのだが、お盆で数日、実家に泊まり込み毎日、施設に入所した母に会いに行ったところ、「お前は毎日毎日やってきて!」と文句を私に言うのを聞き、昨日の事する覚えてない母が毎日私がやってきている事わかるの?
私が誰かわかるの?と驚き、毎日会う事で母の痴呆が改善される?という希望の光を感じ、上司に相談したところ、一度は消えた在宅ワークが再度、浮上し許可が下りた。
そして、引越手続きに即着手。数年前にローンが終わっている自宅マンションは売却依頼。引越は大好きなアート引越センターで。
そして引越をした3日後に内見2組めの方から早々と購入申し込みをもらった。同じマンションでは数年前から売りに出している部屋で未だ購入希望者が出てないのに比べ私は即の売却が出来、ホッと一安心。あまり高額に金額を設定しなかったからね。

・移住先の物件が決まった!

自宅マンションの売買契約も無事終わり、資金の目途もつき、引越も終わっているので、気長に移住先物件をこれから探していこう、そう思っていた矢先、八ヶ岳南麓に良さげな物件がMLで送られてきたのを見て、安曇野の物件購入の相談をしていた営業さんに案内してもらう事になり、見に行く。そして最終的にはMLで見た物件でなく、営業さんが似たような物件で最近売りに出し始めた物件を一緒に案内してくれた物件で申込する事になった。その物件が第一印象でピタッと私の感性にマッチし、立地条件も将来、車が運転出来なくなっても、徒歩で駅までも歩ける距離プラス、バス停にも同じく歩ける距離なので、高齢になっても大丈夫!という点も大きい。更に営業さん、寒冷地に住む近所の従妹のこだわりポイントである階段が家の中(ロフトは別にして)にも外にも無い!という安心ポイントもある。
そして価格もマンション売却価格を下回る価格だったので、これしかない!この先もこの条件の物件は出ないだろうと判断し購入を決断。
売買契約も済ませ、あとは私のマンション売却の入金があり次第、購入した物件の支払いをし引き渡しを受ける事になる。

こんな目まぐるしく2024年はあっという間に過ぎ去ろうとしてる。
そして今、大晦日、大掃除はやることは相変わらずたくさんあるが、あまりにたくさんありすぎて、
日々大掃除の毎日だから、今さら、、、と、現実逃避して、こんなブログ下記で現実逃避中。



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別荘地に移住を選択したメリット

2024-12-23 07:51:52 | 八ヶ岳南麓へ移住
移住の見学をした中で管理された別荘地以外の物件内見はしたが、最終的に管理された別荘地にした理由は、
「安心である」そのひと言である。

管理費を年間10万円程度の支払いが生じるが、
別荘地内のパトロールもしてくれる。
別荘地内の除雪等もしてくれる。
不在時の宅配便の受取や簡単んq工事の立会いもしてくれる。

又、都度、有料ではあるが、
電気の消し忘れを消してくれたり、高い場所の電球交換、蜂などの害虫の駆除や、
布団レンタル、草刈り、水抜き、水回りのトラブル修理、粗大ゴミ、
生活で困るあらゆる事を依頼すればやってくれる。
ここが高齢者に突入しても住み続ける私には大事な事で、
ヘビが出た〜!など、何処に除去を頼んでいいかわからない困りごとを
お金を出せばやってくれるのだ。
この安心感が大きい。
管理費の金額も今迄のマンションの管理費に比べれば微々たるもの。

そして今週、物件の契約になるので事前に目を通してねと
書類が色々送られてきた。
それを読むと別荘地内は建築も細かく制限されていて、
敷地境界から2m離さないと建物建てられないとか、
家屋は平屋に限定、木造のみで、コンクリート造はダメ、
原色の外壁ダメ、と細かく別荘地内の景観維持の為に細かく規定されていた。

又、騒音に関しての規制で、土日、お盆期間等の工事は不可などの
快適に滞在出来る為の規制がかけられており、
ほぉ、こんなに快適に暮らせるよう決められているのであれば
益々安心だと管理された別荘地を選んで良かった!と思った。

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安曇野から八ヶ岳へ移住先を変更した経緯。

2024-12-21 21:29:32 | 八ヶ岳南麓へ移住
北アルプスのお膝元、安曇野への移住を考え出してから5〜6年経過。
安曇野では別荘地の物件、一般市街地にある別荘物件、ここだけで10件近く内見。
そして八ヶ岳南麓でも10件近く内見してきた。

そこで感じたのは安曇野は別荘地の物件は森の中という環境こそ素晴らしかったが
駅からは遠く公営バスも来てない。
別荘地内の無料送迎バスが使えるのが車に乗れなくなった時の手段にはなり得るが
経営母体が変わりそのバスが使えなくなるリスクも不安要素があった。

又、車使っての市街地迄の運転も距離こそないが、
カーブを幾つか超えての冬の運転は凍結が怖い思いがあった。

そんなアクセスに関しての若干の不安がつきまとっていた。

かといって市街地の中の別荘物件は、森の中ではあったものの
各物件の敷地がどこも狭く窓を開けると隣の家がすぐそこ、
という街中物件と変わりなく、いや森の中で一人過ごしたい自分の
イメージと違い過ぎていた上、市街地の中の別荘物件はほとんどが
水害危険区域にあったのだ。
安曇野は町のまんなか梓川という大きな川の氾濫した際、水没する可能性のあるエリアなので、
安曇野市民はそこには住まないので別荘地として造成したのかな、
そういう場所ばかりだったのだ。

そう、水害危険区域外での安曇野の物件を探すと高くて手が届かない。
届くような価格の物件は哀しいくらい昭和の香りのするボロ家なのだ。
何故に快適な今のこの住まいを捨て、そんなボロ家に移り住まなきゃならんのだ!
いくら環境第一での移住の目的としてもボロ家は哀しすぎるのだ。

そんな環境と希望がマッチングする物件が中々見つからない中、
別荘地のメルマガで届いた物件に八ヶ岳南麓の素敵な物件があったのだ。

以前、別荘地の営業さんに安曇野での物件の購入希望を伝えた時に
是非、買いたい!と気に入って訴えた宿泊した貸別荘はオーナーがいるから
買えないと聞きガックリ。。
他に安曇野に買える物件は無いのか聞いたが、ここは物件数が少ないから
むづかしいとの事だった。

八ヶ岳の方なら沢山物件あるからそっちはどうか?と聞かれたが、
「北アルプスじゃないとダメなんですっ!」と突っぱねた。

そんな経緯で、ま、これからも物件情報は送りますよ、
とメルマガで安曇野と八ヶ岳の物件情報が定期的に届くようになっていた。
そんな中、八ヶ岳の物件にメチャクチャ私好みの物件があったので、問い合わせをしてみた。

すると、帰ってきた返答に「北アルプスは諦めたんですか?」との返信がきて驚いた。
あれから一年ぐらい経っているのにそんな事を覚えている!
あの時と同じ営業さんだ!又、別な担当さんが答えてくるもんだと思っていたら、
それも意外だったが、後で聞くと一度対応した客は基本的に同じ営業が担当するそうだ。

早速、物件を見せてもらう約束を取り付けたのが今年の9月。
ちょうど、従姉妹と友人の3人で小淵沢へ日帰り旅行に行く予定があったので、
その翌日に物件の内見を取り付けた。
お試し宿泊という事で一万円で泊まれる事をリサーチしてたので、
それを利用して。

今回、八ヶ岳に移住先を変更してもいいかと思えた伏線は、私の山仲間が
今年こそ八ヶ岳に登るぞ!
と地図をガン見してたので私も脇からどれどれと地図を
覗き込んだら、
あれ?小淵沢からも登れるんだ?
と気づいたのだ。
それまで八ヶ岳は茅野とか、もっと北の方から登るんだと思っていたのだ。

なんだ小淵沢に住んでも八ヶ岳は登れるのか、
おまけに決して北アルプスはそこから遠くないから
行こうと思えばそっちも行ける!
そう気づいたのだ。

それともう一つは今回も旅を共にした従姉妹が、
小淵沢なら1時間ぐらいで車で来れるから仲良しの従姉妹と
いつでも会える!
そんな事に気づいたとこにお気に入りの物件に遭遇したのだ。

結局、その時見た物件は広すぎて暖房して部屋をあっためるのが
大変そう、私には広すぎる、と見送った。
価格も予算オーバーしてたこともあり。

でも移住先はもう八ヶ岳に決めたのだ。
安曇野は移住セミナーとか何度も参加はしたが縁がなかったんだな。

安曇野の移住物件は大概が災害警戒エリアのものが多く、
人が安心して住める場所は物件価格が高くそこには魅力的な物件もなかった。
そして安曇野は駅から歩ける場所での物件はほとんど無かったのも
今ひとつ踏み込めなかった原因だ。






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