古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

とんど/写真/テニス/豆太郎

2025年01月12日 20時14分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日の我が家は〈にぎわい〉ました。まず、正月飾りを集めて〈とんど〉をするつもりなので、裏山山頂の祠につけた〈メガネ飾り〉を取りに登りました。年末に登ったときは「この裏山の祠に登るのは今年で最後にしようか」と二人で話し合っていたのですが、今日は「気」を取り直して竹の杖を持って登ることにしました。登ってみると年末に登ったときより〈らく〉です。スイスイ登れます。山道の落ち葉を掃いているので滑らないし、この前ツルハシを持って登り、途中の急な道に階段をつけたのがよかった。
「これならまだ当分登れるな」と思い直しているところです。

 山頂の二つの祠は50メートルくらい離れています。手前が祇園さん、向こうに小さく見えるのが愛宕さんの祠です。

 裏山は「竹が枯れた」のですが、こちらの登り路は〈孟宗竹〉です。枯れていません。〈真竹〉と別の根です。葉が青々しています。
 お昼ご飯を食べて、数年ぶりに我が家のみんながそろった写真を撮りました。豆太郎(トイプードル)もちゃんと写っています。

 みんなで〈とんど〉をするので、裏山に出ました。おじいさんは〈とんど〉を燃やすのに気がいってしまい、燃えてる写真を撮りわすれました。あわてて撮ったのがこの写真です。みんなで燃える火を見ているところです。

 今日は、みんなが集まっておしゃべりしたりする日ですが、テニスの全豪オープン初日です。ちょうどお昼に錦織圭が試合をします。見逃すわけにいきません。食事のときはテレビを消しましたが、ワタクシは錦織圭のテレビ応援をしました。「エッ? 初日に負けてしまうのか」と思いましたがなんと勝ちました。つぎも応援観戦できます。よかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日「とんど」をします。

2025年01月11日 20時30分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 お正月飾りを持ち寄って焼く行事は『とんど焼き』といわれ、各地で行われます。明石に勤めていたときは『左義長』(さぎちょう)と呼ばれることも知りました。うちの村では老人会が公民館裏の広場で「とんど焼き」をして、村人に参加を呼びかけました。(2010年~2021年)そのときの村人の集まりに「ぜんざい」を供したこともあります。しかし老員会の役員に「なりて」がなく、12年つづいたこの行事も消滅しました。残念です。
 神戸の須磨区名谷では、広場(パティオ)に持ち寄ってそれを市が処理するようになっていました。正月飾りはやっぱり〈お焚きあげ〉
したい。そこで我が家は裏山の〈特別なたき火場〉で〈とんど焼き〉をします。この〈たき火場〉は、いつもの〈焼き芋・たき火場〉でなく、母の仏壇を〈お焚きあげ〉した別のたき火場です。毎年、正月飾りを〈お焚きあげ〉しています。
 とんど焼きは14日の夕方か15日に行います。俄耶院では15日(水)午後2時からどんど焼きをされるようです。
 我が家の〈とんど〉はうちの都合で決めることにします。そこで明日12日(日)の午後2時から裏山でとんど焼きをします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山陰育ちと尼崎育ち

2025年01月09日 20時09分37秒 | 古希からの田舎暮らし
 今朝起きてみると雪が降っています。ちょっと積もっています。こんな感じは久しぶりです。

 裏窓から見た〈バード・フィーダー〉です。小鳥の飛来した様子はありません。

 玄関先の自動車も雪をかぶっています。「あー、久しぶりの雪だなー」と写真に撮りました。
 朝食のあと、道子さんの姿が見えません。「雪が降ったのに、外に出てるのかな」とコタツで大画面の〈ユーチューブ〉を見ていました。昨日から「北朝鮮からの脱北者が韓国で暮らし、日本に来て、いろいろ見て驚く」動画を見ています。北朝鮮と比較しておしゃべりしているのですが、素朴な反応がおもしろい。北朝鮮とは驚くようなギャップがあります。
 さて、道子さんはどうしていたかというと、玄関先とウッドデッキの雪を集めて、雪だるまを作っていたのです。

 いまブログを書きながら、老人になっても〈山陰雪国育ちのじいさん〉と〈尼崎育ちのばあさん〉は「雪に対する思いがちがうなー」と思います。ぼくは「雪にさわってみよう」なんて1ミリも思いませんでした。雪景色を少し写真に撮っただけです。
 今日は一歩も外に出ませんでした。自動車は1ミリも動かしませんでした。運動不足にならないように、電動ウオーカーを時速4キロで
30分間、早朝と夕方の2本歩きました。腕時計の歩数計は〈10017歩〉です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒い! 〈老人二人〉は外仕事をする気になりません。

2025年01月08日 22時31分57秒 | 古希からの田舎暮らし
 大雪が降ったわけでもないのに、外仕事をする気になりません。今日は〈よかたん〉に買い物に出掛けました。いまメインの売り物はイチゴです。「とてもいい値段」でいっぱい、売られています。ここは/ブドウ/黒豆の枝豆/イチゴ/山田錦の酒/四季の野菜(温室物も)/など年中売りものがありますね。お客さんも年中あります。春に『道の駅』を開業したら、温泉はあるし、食堂もあるし、遠来のお客さんが増えるでしょう。
 実はコーヒー豆が亡くなったので吉川町の『ease』に買いに出たのですが、新年のお店は10日からでした。ずいぶんゆっくりお休みする店ですが、おいしい珈琲豆はやっぱりここでしか買えません。また来ます。
 家では裏窓から「アッ、ルリビタキが来た!」「アオジが2羽来てる」「ハトやヒヨドリが来てる。窓を開けて追っ払おう」と寒い外をながめますが、家から外に出ることはしていません。歳をとって横着になりました。それと一つ気がかりなことがあります。毎年姿を見せる〈シロハラ〉がまだ飛来していません。シロハラは粟粒をついばんでくれます。どうしたのでしょう。
 
 アオジの写真です。毎日エサ台にやってきます。以前はスズメが10羽20羽30羽と飛来していたのですが、今年は1羽も来ていません。ムクドリの大群が近くに群れていますが、裏山のバードフィーダーとは無縁です。
 12日からのテニスのグランドスラム・全豪オープンを心待ちにしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テニス応援熱が上がってきました。

2025年01月05日 17時06分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 正月から、おじいさんもおばあさんも「何もしないでコタツでウトウトしている」日々がつづいています。年寄りですから、二日や三日そんな日がつづいてもいいでしょう。でも〈何もしない日々〉が今日で四日つづいています。それなりに元気だと思うのに、外の寒さに気持ちが負けています。こういう状態をはね返す気力がない。外に出れば「仕事をする」ことはわかっています。野良着に着替えて出ればいい。そうなんです。それなのに、グズグズ、ウトウト、ダラダラ。
 そんな自分を責めているわけではありません。ただ、こうして時間が過ぎてゆくのを、眺めています。
 4日の午前中は〈たき火・焼き芋〉をしましたけど。これは仕事というよりも〈遊び〉です。そうそう、その遊びですが、焼き芋の味をほめられて、また「紅はるか」(熊本産)10㎏を注文してしまいました。去年のブログを見ると、6月まで焼き芋をしていますから、これからもつづくでしょう。
 プロテニスの「錦織圭」と「大阪なおみ」が活動しています。
 錦織圭はいま行われている『香港オープン』で勝ちあがり、優勝戦です。世界ランキングも上がり、いま108位になりました。去年はカムバック賞の候補にもエントリーされて、頑張っています。この大会の点数が加点されれば100位以内になるし、もちろんグランドスラムの全豪オープンにも出ます。35歳ですからあと頑張っても4,5年の選手生命ですが、「よく、ここまで這い上がってきました」。
 大阪なおみは出産後いろいろありましたが、現在の世界ランキングは57位になりました。ニュージーランドの大会に出て、優勝戦まで勝ちあがり、加点があるでしょう。残念ながら優勝戦では1セットをとってから体調不良のためリタイアしましたが、全豪オープンは期待できます。彼女は全豪オープンは二度チャンピオンになっています。その力はあります。全豪オープンがすごくたのしみです。
 オーストラリアのメルボルンは日本と時差がほとんどありません。12日から二週間、テレビにクギ付けになります。男女とも勝ちあがる予想ですから、ワクワクです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐江衆一『野望の屍』を読んで

2025年01月03日 20時20分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくは昭和12年に生まれ、日本が負けた昭和20年8月は、国民学校(小学校のことを当時そう呼びました)2年生でした。空襲もなかった山陰の片田舎に住んでおり、あの戦争のことはよく知りませんでした。全国では、おそらく多くの同年齢の子どもたちが空襲で焼け死に、学童疎開でひもじい思いをし、親に死なれて戦災孤児になったことでしょう。
 大人になって「日本は大きな戦争をした」と知り、戦争に関する本をいろいろ読みました。あの戦争中の軍部の横暴、上級軍人たちの愚劣な行動や作戦を知りました。昭和ひと桁世代の人たちは、昭和20年を過ぎて成人になります。20歳になる前の青春時代にいろんな戦争体験をしているはずです。そして生涯にわたり、あの戦争について考えてきたでしょう。ぼくより3歳年上の作家の佐江衆一(昭和9年生れ)もそうです。自分が軍隊を体験したのではないけど、「あの戦争を見過ごして生きるわけにはいかない」。小説家・佐江衆一のそんな思いが伝わります。大部な『小説 東条英機と米内光正』を書いた阿部牧郎(昭和8年生れ)も同じ思いで書いたのでしょう。
 佐江衆一の本にはいままで知らなかったことも出ています。この作家は歴史上の人間を、生身の人間として伝わるように書きました。例えば、ヒトラー時代のイタリアの独裁者ムッソリーニについてこんな描写をしています。引用します。


 (国際連盟を脱退して帰国途中の)松岡は全権団を率いて、列車でイタリアへ入り、ローマでムッソリーニに面会した。  …… ムッソリーニは、(第一次世界)大戦後の経済不況と食糧問題を見事に乗りきり、イタリア語だけでなくフランス語、英語、ドイツ語を自由にあやつる博識とスポーツ万能の頑強な体躯を誇示し、 …… 。
 首相のほかに内相・外相をはじめ七つの大臣と陸・海・空の三軍もおさえる脂ののりきった49歳の独裁者ムッソリーニは、ローマの首相官邸で国際連盟を脱退してきたばかりのアジア小国の使者を鷹揚に迎えた。そして、わが家の庭では子どもたちとサッカーに興じ、フェンシングの達人で乗馬と水泳で鍛えている頑強な体躯の彼は、自分より小柄な松岡の肩を叩いて英語で(松岡は英語は抜群にうまかった)雄弁をふるった。  ……  そして、ドイツに誕生したばかりのヒトラー政権については、
「首相になったヒトラー君は無学な男で、私の”ローマ進軍”の成功を手本とした一揆には失敗したが、 …… 。」
 自信満々のイタリアの独裁者に励まされた松岡が、  …… 。

 ムッソリーニに関して、こんな描写はいままでの本で読んだことがありません。ほかの政治家についても佐江衆一は、小説家として、人間味が伝わるように描写しています。この本はドイツ、イタリア、連合国の動きと日本の政治・軍隊の動きをうまく織り込んでおり、あの戦争が立体的にわかります。いい本に出会いました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老夫婦の初参りは〈車中拝〉

2025年01月01日 17時43分44秒 | 古希からの田舎暮らし
 ふだん通り〈スワイショウ〉と〈瞑想〉で新しい年がはじまりました。老夫婦だけのお正月です。

 道子さん心づくしの〈お節〉と〈お屠蘇〉で新年を祝いました。
 お昼には大志くん一家がお節を持ち寄ってくれて、にぎやかに昼食。豆太郎くんもいっしょに新年を祝ってくれました。

 年賀状が来ましたが、こちらが出してない年賀状があります。大志くん一家が夕方帰ったあと、自動車で村のポストまで投函しに出掛けました。ついでに福地池と蛇ガ池の祠を拝んで(車中より)、初詣でしたことにします。
 新年の抱負とか計画はなんにもありません。無理に「何をするか」考えようとしても何も浮かばない。老人はそんなもんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バードフィーダーに枝をつけました。

2024年12月31日 17時01分53秒 | 古希からの田舎暮らし
 年末の仕事で残っていたのは「ガラス拭き」。午前中に頑張りました。東面6枚のガラス窓とガラス戸。きれいになりました。ほかの窓は「またということにしましょう」。
「外掃除もしよう」とブロアで道路の落ち葉を吹き散らしました。

 落ち葉でおおわれていた道路がきれいになりました。このブロアは安物で、すぐに電池を消耗してしまいます。バッテリーは二つあるので充電しながら掃除をします。

 コナラの葉がまだ落ちていません。こんなに葉っぱが残るのは初めてです。まだ半月は葉っぱが落ちるでしょう。
 午後はバードフィーダーに小鳥用の粟粒をまきました。前の日にまいたのは全部食べられていますから、小鳥が来ているのは確かです。このバードフィーダーは屋根とエサ台だけですが、小鳥が来ても平らな板だけです。止まる枝はありません。そこで今日はエサ台に枝をねじ止めしました。

 この枝に止まってくれると写真を撮りやすいし、小鳥も気分がいいでしょう。いままで「屋根とエサ台があればいい」と思っていましたが、小鳥の気持ちにそっていませんでした。「ゴキブリホイホイ」だってあの家を見てゴキブリが入るわけではないでしょう。小鳥だって屋根や台を見て寄ってくるのではないでしょう。小鳥の気持ちになったつもりですけど。小鳥たちはどんな反応をしてくれるかな。
 かくして2024年はおわります。みなさん、よいお年を!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログを見て2024年をふり返る

2024年12月31日 06時14分50秒 | 古希からの田舎暮らし
 あとから見ると「なんでもない一年」ですが、ブログを見て毎月の出来事をかき出してみました。
1月 Ο 自分へのごほうびとして一泊の〈蟹旅行〉をしていたが今年からやめて通販で〈蟹〉をとった。 Ο マロ音楽会(28日) Ο 試聴中の補聴器購入を決めた。 Ο 味噌仕込み(21日) Ο ルリビタキ/シロハラ/飛来 Ο 老人二人だけでお正月
2月 Ο 道沿いのヤマザクラを伐採してもらう Ο フロアにワックスをかけた(何年ぶり) Ο 裏山で〈たき火・焼き芋〉した。
3月 Ο 道子さんが〈ツクシ〉をどっさり摘んだ。 Ο シイタケほだ木8本菌を打ち込む。 Ο 前の畑のテント小屋撤去  
4月 Ο 22日にゴミステーション初草刈り Ο 手づくり野草酵素飲料仕込み(17日) Ο 桜の開花おそい。北谷川観桜は11日
Ο 星野富弘さん死亡(78歳)でしんみり。 Ο 道子さんモッコウバラを咲かせる。50メートル先の電柱まで伸ばしたい。
5月 Ο 古式豆腐のおじいさん毎週金曜日に。金の晩は湯豆腐。土の朝は出し汁で〈おじや〉 Ο 28日大雨で美嚢川の橋下まで水。
Ο 道子さんの努力で今年もイチゴ天国になる。 Ο 菌ちゃん農法で植えた苗が順調に育つ。 Ο 22日運転免許更新の認知症テスト
6月 Ο 大豆は種なくてフクユタカを播く。 苗の移植は24日。(遅い) Ο 5日 最後の焼き芋 Ο 2日西宮市民会館で音楽会
7月 Ο 23日永代供養の墓にお参りした。 Ο 14日24日裏山の祠(祇園さん・愛宕さん)にお参り Ο 石垣下の草刈り(以後は草刈りをさぼる。いま草の勢いは衰え、3月に刈るつもり) Ο 19日龍神さまお参り Ο 掃除ロボット・ルンバ参上
8月 Ο 三木のブドウ・シーズン到来(11月上旬まで毎食のデザートに食する) Ο 山すその道をきれいにした。 Ο 上旬阪神タイガースは巨人を三タテ。オールスター戦後7連勝と勢いづくが …… 。 Ο 24日トイプードル〈豆太郎〉はじめて三木に。
9月 Ο 菌ちゃん農法のキュウリとれとれ。道子さん〈キュウちゃん漬け〉づくりに追われる。連日草花や畑に水やり。 Ο 裏山の枯れている樹を伐採してもらう。無事に倒れてホッとする。(24日) Ο スーパーキッズ・オーケストラ(コスミックホール 22日)
10月 Ο 運転免許更新 Ο 焼き芋用にダッチオーブン(小)を買って使用する。 Ο 28日神戸に出る。須磨パティオ。
11月 Ο 10日チャイコフスキー第5番を聴く。(やしろ国際ホール) Ο 菌ちゃん農法の枠づくり Ο 皇帝ダリア 開花
12月 Ο 大将軍神社お参り〈皆勤賞〉 Ο 東条ルミナリエ見る。 Ο 電動ウオーカーで30分歩きはじめる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生には思わぬことがある。

2024年12月30日 17時42分43秒 | 古希からの田舎暮らし
 今朝、朝ごはんを食べていて、ふと思いついて道子さんに言いました。
「年が明けたら篠山に行こうか」 「ええ、行きましょ。やっぱり『ポン!』した〈黒豆ご飯〉は香ばしくておいしい」。
 実は12月2日に篠山に行きました。宇土観音のイチョウは見事でした。でも一番のねらいは『ポン』した黒豆を買う」ことでした。あれを〈黒豆ご飯〉にすると、香ばしくてうまい。あのご飯なら何度でもつくりたい。
 ところがポンした黒豆も新豆も、出口商店やお隣の店に売ってありませんでした。〈黒豆の館〉をたずねたら、ちょうど〈ポンする業者の若者〉が来ていて「ポンしてあげるから黒豆もって新年においで」と言われました。
 それで「篠山に行こう」という話になったのです。
 さて、今日の仕事は「門松の竹」を伐ることです。ノコギリを持って山のほうに行きました。

 玄関先の竹藪を見ると、木の葉は落ちています。竹は花が咲いて、葉が落ちて、枯れてしまっています。暗い竹藪が明るい。青い竹はありません。もうちょおと奥のほうに行ってみました。100メートルほど奥に行ってみましたが、ここも竹が枯れています。

 葉っぱのついた青い竹はありません。ずーっと奥のほうに行って、蛇ガ池のイノシシ柵を開けたところから「青い竹」です。竹の根は続いているはずですが、ここから奥の竹は枯れていません。

 門松用の竹ができました。午後はお昼寝。
 チャイムが鳴ったので、出てみるとお客さん。今田中学に勤めていたとき(1996年頃)の同僚の方が訪ねてこられました。「流感だから玄関先で失礼する」とマスク姿で、袋を渡してくださいました。篠山の黒豆に〈地区の名前を冠する特別な産地〉が二つ(川北・波部)あるのですが、その地で黒豆を作っておられます。その方が「ポンした黒豆」を持ってきてくださったのです。ふつう売ってあるのは300グラムほどの袋ですが、どっさり1,3キロ。長い人生にはこんなうれしいことがあるのですね。ちょっとつまみ食いしてみると実にうまい。年明けから〈黒豆ご飯〉をたっぷりいただきます。
 

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年で〈おしまい〉にするか思案中です。

2024年12月29日 17時23分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日はまず、お正月の幣を着けた〈メガネ飾り〉をそれぞれの場所につけてまわりました。ほとんどが裏山で、あとは畑と小屋です。

 裏山の登り口に一つ。畑はイチゴ・ネットハウスの金網につけました。

 昨日、あと一つ「どこに付けようか」と決めかねていたメガネ飾りは〈バードフィーダー〉につけることにしました。記録のために書いておきます。① 裏山の登り口 ② テントハウス ③ たき火場 ④ 我が家の祠(山頂) ⑤ 大工小屋 ⑥ バードフィーダー ⑦
前の畑 ⑧ 祇園さん ⑨ 愛宕さん 
 次の仕事は、「村のゴミステーション」の草刈りです。10月末に刈ったか11月はじめに刈ったか。10センチ足らず伸びています。来年3月まで刈らないのだから、きれいに刈って新年をむかえたい。

 きれいになりました。これで3月までいけるでしょう。
 次は裏山の〈村の祠=祇園さん・愛宕さん〉のメガネ飾りです。7月の〈お参り〉からだれも登っていないのでしょう。落ち葉が積み重なっています。雨が降ってないのでカラカラで、坂道が落ち葉で滑ります。身体のバランスをとりながら登り降りするのがむずかしく、「今年でおしまいにするかなあ」と思いました。

 愛宕さん(祠)です。メガネ飾りは立ち木にヒモを張ってつけました。まわりの落ち葉をきれいにしました。最後は山道を、落ち葉をレーキでかき寄せながら降りてきます。

 気になっていた仕事を片づけて、午後はたっぷり昼寝しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「幣」をつくりました。

2024年12月28日 19時55分12秒 | 古希からの田舎暮らし
 お正月の「メガネ飾り」は三本組で売ってあります。それを三つ買ったので9個のメガネ飾りをつけます。
① 裏山登り口 ② 山頂の我が家の祠 ③ 裏の小屋(大工/農作業) ④ 裏山のテントハウス ⑤ 前の畑 ⑥ たき火場 ⑦ 裏山の愛宕さん(祠) ⑧ 裏山の祇園さん(祠) ⑨ (どこにするか思案中です)…… 去年は「村のゴミステーション」に付けました。しかし14日の「我が家のとんど」のときに回収を忘れていました。村の公共物は避けて、我が家のどこかにつけます。
 今日は「幣」を作りました。毎年作っているのに、忘れてしまいます。パソコンで「幣の作り方」を出して見ながら。

 ぼくは近年アルコールを飲まなくなりました。若い頃は「男は家庭では晩酌をして、夜は〈付き合い〉で外で飲むこともある」と思っていました。結婚した頃はビールは〈アサヒ・スタイニー〉(ビールの小瓶みたいなもの)を飲むか、ウイスキー〈ロバート・ブラウン〉の水割りを晩酌にちょっと飲んでいました。しかしアルコールに弱い体質なので、量はすすみませんでした。でも「晩酌はするものだ」と思っていたふしがあります。定年後はほとんど飲みません。

 でもお正月の「屠蘇」は好きです。今日、仕込みました。サカヅキに1杯飲むだけですが、正月は毎日飲みます。酒と味醂を半分ずつで甘くして、屠蘇の味が好きです。お正月のたのしみです。

 もとは母の部屋でした。いまは仏間になり、晩秋から温室みたいになっています。焼き芋にするまえのサツマイモも置いてます。この部屋のエアコンと加湿器は「つけっぱなし」にしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈たき火・焼き芋〉でひと休み

2024年12月27日 18時36分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日三木市の図書館に本を返し借りるつもりでした。ところが月に一度の休館日でした。つづけて借りたい本があるので(佐江衆一『野望の屍』)もう一度明日行きます。今日は「ガラス磨き」とか「大掃除の真似事」とか「正月飾りの〈幣〉づくりをしよう」とあれこれ考えていたのですが、やったのは〈たき火・焼き芋〉だけでした。たき火のお守りをしながら裏山の樹樹を見あげます。

 12月もおしまいですから、「ほとんどの樹の葉が落ちています」。と書こうと思うけど、まだクヌギとコナラの葉っぱがいっぱい残っています。今年は落葉がずいぶん遅い。竹藪に生えたクヌギやコナラは「竹に負けまい」と背が高くなっています。高さ20メートルはあるでしょう。それがそよ風が吹くと、音もなく雨のように落ちてきます。なんともいえない晩秋初冬の情緒です。人生の晩年に〈長く生きてきた我が心〉をいたわりりながら落ち葉のこころを思う。ぼくのこころには豊かな時間です。
 年末といえば帰省のニュースがテレビに映りますが、車で一時間で来れる我が家では心配がありません。しかし娘たち孫たちにも都合や予定があるようで、老人二人の年末になります。それもまたよし。
 たっぷり昼寝をしました。本を読みかけると眠くなる。多焦点レンズの白内障手術をしてから二人ともメガネ不要になっていましたが、手術をして5年。メガネ屋さんに相談してみます。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古紙/段ボール/を出しました。

2024年12月25日 16時45分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 年末はすることがいろいろあります。老人は少しずつ少しずつ。今日は古紙と段ボールを捨てました。

 軽トラに積み込んだ古紙と段ボールです。道端のあのコンテナがいっぱいで、捨てられないことがあります。そんな時は道路沿いに走って、すき間のあるコンテナを探します。今日は近くのコンテナが空いていました。

 捨てたあとはミニドライブ。馬場 ⇒ 蓮華寺 ⇒ 東 ⇒ 保木 ⇒ 南畑 ⇒ 大島 ⇒ 久次 ⇒ 笹原 ⇒ 殿畑 ⇒ 桾原 
⇒ 東中 と村村を巡って帰ってきました。軽トラを見る村村の人目はおだやかで、やさしいです。

 久次の小高いところに二軒の家(いまは三軒)が建っています。今の地に家を建てるかどうかまだ決めてないときに、不動産屋さんの案内で新築の家を見に来ました。いい感じでしたがいろいろ考えてやめました。ここに住んでたかもしれん。
 保木では神社の楠を見ました。ちょうど太陽光線の具合で、楠がいい感じです。

 軽トラで出掛けると、口吉川町の村村をなんとなく走る。お気に入りのドライブです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状の印刷ができました。

2024年12月24日 20時07分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくの年賀状はできて、35人ほどの方に賀状を出します。道子さんの年賀状も、朝から頑張って「写真と文章」がパソコン内で出来上がりました。「できた。できた。さー、印刷しよう」と操作するのですが、なぜかプリンターがうまく反応しません。パソコンが悪いのか。プリンターが悪いのか。わかりません。こまったなー。どうしよう。どうしようもありません。パソコンでお世話になっている方に助けてもらうしかありません。お仕事のある方ですから、いつでも頼めるわけではありません。年の瀬になって、困ってしまいました。仕方がないのでぼくは〈たき火・焼き芋〉をしました。気をまぎらわすには〈外仕事〉がいい。たき火の〈お守り〉をすると多少の悩みはすっ飛びます。たき火をしていると、「ルリビタキ」が近くの木にとまって、あいさつしてくれます。
 昼食のあと「ダメだろうけど、もう一度印刷にチャレンジしてみよう」と試したら、なんと! ちゃんと印刷できるではありませんか。道子さんの年賀状も印刷できました。こういうことがあると、いっぺんにしあわせになります。「ダメだ。どうしよう」とあれこれ考えていたことが全部消えてしまいます。
 かくして今日はしあわせな一日になりました。単純だねー。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする