古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

野菜くず捨て場に勝手に生えた南瓜を収穫しました。

2015年07月31日 03時53分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                     
 畑の隅に「野菜くず捨て場」をつくっています。去年はそこに冬瓜が生えてきて5つ収穫しました。今年もツルが伸びてきたので「まーたトーガンかー」と思ったら南瓜でした。「南瓜は5本植えてあるからこれは処分するかな」と迷っているうちにぐんぐん大きくなり、まわりに伸びてきました。そしてきのうツルを切って4つ、大きな南瓜を収穫しました。まだ3つ、あとから大きくなりつつあります。
 肥料はやってないし、世話も一切してないけど、できるときはできるもんです。
 さーて、きのうは竹の杭を打ち込みました。
 まず1メートルの鉄の杭を30センチ超打ち込んで、杭のガイド穴をあけます。それを抜いて竹の杭を打ち込みます。相当に頑丈な杭になりますが時間はかかります。汗だくで奮闘しましたが40本ほど打ち込んだところです。あと100本余。
 やっぱり鉄筋にするかなー。ガイド穴をあけなくていいし、5年以上使えます。
 志染農協からヌカが入ったと連絡があったので、70リットルのゴミ袋に2杯もらいました。(重いから半分ほど入れます)土手の草を刈るとコオロギが目立ちます。で、道子さんはヌカで「馬酔木団子」をつくって撒きます。
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<杭150本>をつくりました。

2015年07月30日 01時26分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 大豆や黒豆を囲んでマイカ線を張るための「1メートルの竹杭150本」を2日間でつくり終えました。長い竹(5メートル超)を伐り出し、枝を落として小屋まで引き摺ってきます。それを電動丸鋸で竹槍みたいに切って、杭は出来上がりです。暑いし、蚊は猛襲してくるし、ブルブル汗をかいて、とってもしんどい仕事でした。仕事前は「杭150本とは大変な数だ。できるかな」と身構えましたが「コツコツやればできるもんだ」と自分で感心しております。
この杭を、黒豆や大豆をはさむように両側に打ち込み、マイカ線を2段に張ります。台風が来ても大丈夫なように。こう暑いと2時間以上の仕事は無理です。朝夕の一日仕事でも無理でしょう。ぼちぼち。
 それにしても竹伐り出しの仕事はしんどかったです。「ツルハシで竹の根を切りながら穴を掘る」仕事に次ぐしんどさでした。
 道子さんは数年前に、百日紅(サルスベリ)の鉢植えを買ったのですが、花は咲きませんでした。それを2年前、裏山に穴を掘って植え替えました。今年は蕾をつけています。蕾を撮ったのですが「いや、待て待て。花が咲いてから見てもらおう」と写真はボツ。「花が咲く」ってうれしいものですね。
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ジャングルを開拓する気分でした。

2015年07月29日 04時55分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                     
 写真は道路(かつて造成地の私道だったところ)です。真っ直ぐ向こうに行けるようになっていました。うちの玄関から50メートル北へ上ったところにあります。ここは昭和40年代に宅地開発され、70区画ほどあります。当時みんな売れたそうで、登記もされているでしょう。数年前には道沿いのある区画の木が伐られ、草が刈られて「売地」の看板が立ちました。しかし3年で元の繁みに戻ってしまいました。
 きのうはこの道路にとりついて、横の竹藪から杭になる竹を伐り出しました。黒豆と大豆が倒れないようにする杭です。
 1メートルの長さで、斜めに丸鋸で切って杭にします。それを黒豆・大豆の畝の両側に立て、マイカ線で二段に囲います。台風が来るか強風が吹くかしたら大豆・黒豆の木は傾いたり倒れたりしますが、この手当てをしておくとほぼ大丈夫です。2,5メートルおきに杭を立てるとしたら150本必要です。相当な気合を入れないと杭をつくれません。
 竹を伐り出し、引き摺って家に持ち帰り、丸鋸で杭にしました。午前中に40本つくり、午後も40本つくるつもりで昼寝しました。でも起きてみたら雨。ヤレヤレ、よかった。この「杭づくり」は、畑仕事や山仕事、大工仕事とちがう、ジャングルで繁みと格闘する闘志が必要で、その「ファイト!」が油切れしていたところでした。
 で、考えました。ホームセンターで鉄筋を買って杭にするとずっと使える。竹の杭は毎年つくる必要がある。鉄筋は4メートル300円だから1メートルの杭なら80円余り。(自分で切れば)味噌は毎年つくりますから、大豆も毎年。「これから」を視野にもう少し考えます。
 
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裏山に芙蓉が咲きました。

2015年07月28日 04時47分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 裏山の芙蓉が咲きました。静かな存在感。いいですね。
 去年植えたムクゲも2つだけ花をつけました。ヤマボウシ/カリステモン(ブラシの木)はまだ咲きません。数年待ちます。
 つぎつぎと木を植えるので枯れてしまう木もあります。7年くらい前に植えた「沈丁花」は大きく盛り上がっていましたが、枯れてしまいました。ぼくが犯人です。ちょっと傾いたので、幹をヒモで引っ張って直そうとしたのです。後で沈丁花の項を調べたら「根が弱いのでストレスをあたえないように」と書いてありました。
 裏山を眺める窓の前に植えていた「ハナミズキ」も枯れてしまいました。これもぼくが犯人です。芝生の中に植えた木々が台風で傾いたので「ハナカイドウ」と「ハナミズキ」を矯正しました。地面に杭を打ち込んで、幹をヒモで引っ張ったのです。いくらか真っ直ぐになりましたが、今年ハナミズキのほうが枯れて葉をつけず花も咲きませんでした。新築祝いにいただいた苗木だったのに、申し訳ないことをしました。
 一番草が盛んなときの草刈りがすみました。ヤレヤレ! 
 雨が降るというし、刈った草は燃やして灰にしたし、今日は休養日にするか。
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101歳の元気なおじいさんをパチリ。

2015年07月27日 03時23分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 7月の草刈りは完全に終了しました。畑ぐるりの土手全部をきれいに刈りました。向こうの墓の下も。手前の繁みはクララです。秋に豆(種)を収穫したら、このクララは根を掘り出してしまいます。宿根草ですが来年から生えなくなります。でも裏山にも畑にもクララが育っているので絶えてしまうことはありません。
                      
 クララ5年ものの根は3センチ以上になっており、煎じ汁は名前のようにクラクラするほど苦いでしょう。ムシの忌避剤といて使います。1000倍にも薄めるので人間には感知できないでしょうが、カメムシに効くのを期待しています。
 草を刈っていたら、村の元気なおじいさんが通りかかられました。
                      
 母・妙子さんと同級生になる101歳の方です。(早生まれなので)車イスで散歩しておられ、写真を撮らせてもらいました。手に自分の書いたメモを持っておられ、見せてもらいました。文学少女だった妙子さんは98歳まで字を書いていましたが、いまは指の力が無くなって字になりません。おじいさんは鍛え方がちがうのか、いまでも達筆です。
 ご本人は介護認定を受けないで頑張り、奥さんを介護しようという気構えです。お医者さんに「100歳を越えた人が、自分が介護してあげようという気概を持つとは」と感心されたそうです。
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歳月の落ち葉の下にはいろんなことが埋もれています。

2015年07月26日 03時47分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 東条図書館の入口には持ち帰り自由の「廃本」が置いてあり、ときに持ち帰ります。その中に『おとうさん やっぱり ガンやて』(1986年〈昭和61年〉発行・田中つた子著)という本があり、持ち帰って読んでみました。
 2年間ガンと付き合って40歳を前に逝った夫のことを妻が書いた本です。3人の子どもたちは健気に「おとうさん」を応援します。ガンの闘病記は「生きる」真実のドラマがあって何十冊と読んでいます。この本もそんな一冊で、30年も前の出版だから廃本されたのでしょう。
 読んでいくと、夫・田中裕三さんが「死を前にして全国を講演してまわる」ことが書かれています。ヤマギシの人の紹介で、三重の春日山で『特講』を受けた、人生観が変わった、という描写もあります。あれ? なんか聞いたような話だな。
 そういえばヤマギシで卵を配達してもらったことがあり、三重に豊里実顕地というのがあって、小学生だった娘たちを連れていったことがあります。そのときに「ガンで死ぬまで講演をされた人」のことを聞いたことがあります。たしかどこかのテレビでずっと取材して放映されました。あのときぼくは受けなかったけど『特講』を受ける人を三重まで車で運んだこともあります。
 あった! あった! そんなことが……。
 歳月の落ち葉の下にはいろんなことが埋もれているものだ、と感心しました。ほとんどは埋もれたまま消えるでしょう。でも、人生のつむじ風が落ち葉を吹き飛ばして埋もれた物を見せてくれることもあります。
 そんなとき「思い出」を確かなものにするために「個人年表みたいなもの」があるといいな。
 古希を前に「田舎暮らしをしよう」と思ったとき、それまでの69年の人生は一応「店じまい」するつもりで引っ越すときに処分しました。新しい世界に飛び込む気持ちでした。そして9年が過ぎようとし、ここの生活に慣れ、まだ余生はありそうです。
 近ごろ、その余生について思うのです。
「体もあちこちガタがくるし、物忘れするようになるし、最近のことが遠い感じでくっきり思い出せないし、認知症になるかも」
 死に掛けて生き返った人の記憶は、古いものから順によみがえります。子どもの頃・若い頃の記憶は確かでも、40歳50歳からあやふやになっていく。60歳70歳となるとまた一段とあやふやに。
 このブログをたよりに年表をつくることを思い立ちました。

 
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裏山の愛宕さんにお参りしました。

2015年07月25日 02時04分32秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 7月24日は裏山の愛宕さんにお参りする日です。当番の方が夕方6時頃参道に見えたので「そうだ。愛宕さんにお参りする日だった」と気づいたわけです。山頂の《愛宕さん・祇園さん》にお参りして広場で当番の方とお酒を飲みながら談笑していたら、村の方が2人お参りに登ってこられました。
                    
 道子さんが撮りました。右端がぼくで、当番の2人と村の方2人が写っています。まわりは真っ暗のようですがフラッシュのせいで、樹樹の下でもまだ字が読めるくらいの明るさです。懐中電灯を持って登らなかったので、山道が見えるうちに下りてきました。
「昔はどの家からも登ってきて、田んぼの水の分配をどうするか話し合った」と亡くなられた方にきいたことがあります。たき火を囲んでお酒を飲みながらにぎやかに談笑された〈あの世界〉は、もうよみがえることはないでしょうね。
 雨があがったので畑仕事に精を出した一日でした。仕事はぼちぼちで、2時間以上になると軽トラで家に帰り、冷房をかけて30分休憩します。それ以上頑張ったら翌日にこたえますので。
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ご心配をかけました。

2015年07月23日 15時21分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 草刈り中に低い足場から転落したことを書いたら、心配して電話を掛けてくださる方があって恐縮です。大した怪我ではなかったのですが、強がりの老人が「老いによる失敗を隠す」ようなことはしたくなかったのです。これからの「更なる老い」に 〈素直に〉・〈正直に〉 向き合いたい、と思っています。というかそのように「自分を習慣づけたい」と思います。
 きのうは散髪して、久しぶりにグリンピアの『杜の湯』に入りました。怪我が大丈夫だったからできたことです。
 今日は予約の歯医者さんに行き、稜庵で蕎麦の昼食をとりました。夏のメニューでおすすめは「冷やかけ蕎麦」です。「かけ」というのは「かけうどん」の「かけ」です。つまり薬味のネギくらいであとは何も入れず汁をかけた蕎麦です。その汁が冷たい。
 この「冷やかけ蕎麦」実にうまい。他所ではお目に掛かれないメニューで、蕎麦も汁も全部食べ、飲んでしまいます。
 食事のあと善祥寺に寄ってみました。ハスの花はおしまいで、睡蓮が咲いていました。
                     
 母のショート・ステイ中だからとれる、ささやかな『ホッとタイム』をたのしんで帰りました。
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自分の「草刈り美学」を変更します。

2015年07月21日 04時17分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは道路沿いの土手を草刈り機で刈ったのですが、足場に乗って上半分を刈っていたとき写真の中央あたりで転落しました。下の道路でおでこを打ってタンコブができ、左の二の腕とひじ、右の親指も擦りむいていました。すぐに立ち上がってエンジンを止め、ほかに怪我していないかたしかめました。
                        
 道路側の足場から転落したのははじめてです。いままでにも転落したことはありますが、いずれも足場が不安定でぐらついたからでした。このたびは足場には問題がなくて、バランスをくずしたからです。足元の草を刈り残さないように草刈り機を動かすとき無理な姿勢になったのです。
 前老人会長さんと共感しながらおしゃべりしたことがあります。
「歩いたり草刈ったりして、バランスくずしたらそのままコテンと転ぶなー。姿勢くずしたらネバリが全然効かんようになった」
 そこでこのたびのことを、しっかり反省しました。
 この広い畑をまだ5年はつくるつもりです。土手の草刈りができなくなれば「この畑づくり」もやめて庭の菜園に切りかえます。で、そのために二つのことをすぐにやります。

 その① 足場板を幅15センチ以上の新しい材木にする。(費用はかかってもちゃんとした足場板を使用する……いまは10センチ幅の朽ちた木材なので重ねて継いである)
 その② 自分の「草刈り美学」基準を変更する。
 草刈り機を自分で買って草を刈りはじめたのは61歳のときでした。17年刈りつづけて年季が入ってきました。きれいに刈ろうとこころがけ、刈った土手を見て悦に入ったものです。今回バランスをくずしたのは刈り残しを気にしたからです。安全な足場で無理な姿勢にならなければまだ刈れます。

「刈り残しができても気にしない」 …… 宣言しましたが自分の美学の変更は、思いのほかむずかしそうです。
 でも「老いる」ということは、衰えゆく自分を「おー、よしよし」と受け入れることです。さらに高齢になり、排泄のお世話になるようになっても。長い間一生懸命に生きて、いまも一生懸命に生きているのですから「あなたは怠けたりサボったりしていない。いまも精いっぱい生きてるよ」と自分にささやいてあげる。そのトレーニングとして「草刈り美学」を変更します。
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『あの戦争』は骨身にしみています。

2015年07月17日 03時47分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 戦前の教育を受け、『修身』という「道徳」を学校で習った優等生たちは、軍隊で上官となって、召集された部下の兵士たちに何を命令したか。
 前に出ると後ろから味方に撃たれることを恐れ、「突撃! 突撃!」と最後尾で喚いていた上官たちは、捕虜になったら戦犯の責任を逃れようと部下になにを強要したか。命につながる食糧をどう分かち合ったか。新兵へのいじめは、社会問題になっている『イジメ』なんかと比べられないほど異常だった。甲種合格した、命盛んな、心身頑健な若者が、自殺するほどの酷さだった。修身なんか何の役にも立たなかった。
 道徳教育復活などと国会議員がいい、国立大学でも日の丸をかかげて君が代を歌わせようとし、そんな政党の議員が多数を占める。あんなひどい戦争をした国がこんなことでいいのか。
 久しぶりに知人の「アソシエ・トモ」というブログを見ました。街では戦争に反対する人たちが声をあげ、行動しています。報道は規制されて平穏に見えても、あの戦争が骨身にしみている庶民は黙っていません。
 田舎暮らしで、ぬるま湯につかって、ボケもすすんで、「わしゃ、戦争があっても、まさか鉄砲持って人を殺しに行かされることもないだろし」と「のほほん」としていていいのか。
 日本政府の首脳は、アメリカに脅迫されて必死になって安保法案を通そうとしています。アメリカは日本を対等の国家と見てない。忠犬です。お金は出させ、ふるまいはなされるがままに、従順に。
 あの戦争はいまも骨身にしみているのに。それともぼくの勝手な思い込みでしょうか。
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台風に備えて畑仕事をしました。

2015年07月16日 15時37分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「何もない日」だった「きのう」(14日)もう一つ追加することがありました。
 カナカナ蝉の初鳴きをききました。盛夏とともに蝉が鳴きウグイスは鳴かなくなりますが、14日は「アッ! カナカナが鳴いた!」と感慨が胸をフーッとかすめました。田舎暮らしをすると自然の音に気持ちが動きます。
 さて台風が近づいており、畑の台風対策が必要です。黒豆・大豆・ゴマは土寄せをして根を固めました。道子さんは「あとにつくる根菜」のために植えたトウモロコシの防風対策に苦心しています。
                    
 道子さんはまず手間をかけてマルチ押さえ金具でトウモロコシを一本ずつ支えていましたが、生長したので写真のように麻ヒモでつなぐやり方に変えました。苦心のあとがわかります。でもこれって本に書いてあるやり方だそうです。みんな強風に苦労するんですね。効き目があればいいですけど。
 そうそう、今日は16日。『畑の神さん』(大将軍神社)にお参りする日でした。畑の強風対策に気をとられて、忘れていました。お昼を過ぎたからもう当番の方は旗をたたまれたでしょう。(お参りの日は幟旗を立てることになってます)
 どうも信心が足りないようで。
 そうそう、もう一つ。桃坂の信号のところにレンタル・ビデオ屋さんがあったのですが、何か事情があって閉店。数年間ずっと空き家になっていました。ところが今年になって何か看板が掛かっています。『三木ホーリー・チャペル』ですって。
 エッ?! ビデオ屋さんのあとにキリストさんの教会?! こんな「居抜き」ってあり?
 キリストさんに居心地をたずねてみたい気がします。でも神さまはこころのひろい存在ですから「そんな委細はかまわない」でしょうね。
 その「ホーリー・チャペル」のお祈りや催しを案内するチラシが、今日の新聞に折り込まれていました。
「私たちは、プロテスタント教会です。統一教会・エホバの証人・モルモン教などの異端、その他の新興宗教とは、一切関係がありません。」と断り書きがチラシに書いてあります。『オープン・カフェ』というのもあります。
 不信心だけど何でも拝みたがるクセがあるだけに食指が動きます。さー、どーしよう。
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「何もない日」でもいろいろあるものです。

2015年07月15日 07時23分49秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは、子どもが日記を書くとしたら「今日は何もない日でした」と書きそうな平凡な一日でした。
 強風や台風に備えて大豆の土寄せをしようと、朝から耕運機で大豆の畝間を耕運しました。土はカラカラに乾いています。耕運してできた塊りを砕くために4回畝間を通しました。おかげで夕方の土寄せは深く寄せることができました。
 きのうは14日。7月14日は裏山の『祇園さん』にお参りする日です。それに気づいたのは、畑のそばにある参道の山道がきれいになっていたからです。当番の方が掃除されたのです。
 夕方6時に当番の方2人が登られます。その後を追うように登るつもりでしたが、道子さんは妙子さんの世話があって「今年は登らない」といいます。ぼくは登りましたが、拝んだだけで山頂での談笑に加わらずに下りてきました。
「午後の畑仕事に出ようかな」と思っていた頃に「おさるさん」(ラフター・ヨガなどのインストラクター・上田弘一さん)が訪ねてこられ、しばらくおしゃべりしました。2年前にうちの村の老人会でラフター・ヨガをしていただいて以来のお付き合いです。アメリカ滞在のほうが多くて去年はほとんど日本におられませんでしたが、今年はときどき日本にもおられるそうです。
 人間には毎日5000の癌細胞がとりつくそうです。そのほとんどは免疫力(NK細胞・ナチュラルキラー細胞)でやっつけられます。そしてNK細胞が一番活性化するのは人間が笑うときです。「おかしくて笑う」ことは少ないけど、ニセ笑いでも脳は笑いと判断して、NK細胞を活性化させます。その原理がインドで発見されたのはあの阪神大震災のあとです。それから20年でラフターヨガは世界中に広まりました。テレビニュースなどで「ヤッター! ヤッター! イエーイ!」と掛け声を聞くことがありますが、あれは『ラフター・ヨガ』の手法です。秋にでもうちの村の老人会で、またラフター・ヨガをしたいな。
 一日たてば忘れてしまう「何もない一日」でもよく見ると何かあるんだな。と感心しました。
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強風対策に追われました。

2015年07月14日 14時31分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの朝目覚めたら「ヒューッ!」と裏山で風の鳴る音。
 畑も裏山も強風対策がまだできていません。道子さんは前庭や裏山の花花も気になります。朝食後それぞれ強風対策に出動しました。
 ぼくはまず裏山のキウイデッキに「L」(エル)字型に植えたクララ(13本)の手当てをしました。ここのクララは去年植えたので2年目ですが、細い茎が1メートル50センチくらい伸びて風になびいています。宿根草のクララはずーっと倒れないように手当てが必要なので、クララの列を囲むように鉄筋を打ち込み、ヒモで補強しました。道子さんは花花に竹の棒を添えて補強しました。
 午後は畑です。うちの畑は田舎らしい眺めがなかなかいいのですが、見晴しがいいだけに風の通り道にもなっています。
                          
 道子さんは写真のように、芽を出したばかりのトウモロコシをマルチ押さえの金具で補強し、ぼくは黒豆の畝を土寄せしました。
                          
 一方ブルーの「防風ネット・ハウス」の中は、「防風」と名が付くだけに強風が心地よい風になります。台風でも倒れないように天井部分に小さな支えをつけてあります。いまはインゲンマメやトウモロコシをつくっていますが、手前にはもう小豆を植えています。いま2畝ですが、道子さんは「もっと広いネットハウスがほしい」と言ってます。まー ……。
 今日は大豆の7うねの土寄せをします。
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トウモロコシは「アワノメイガ・フリー」で美味しかったです。

2015年07月13日 02時37分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                    
 先日、うちの村の老人クラブで公民館まわりの掃除をしました。ゲートボール場(元)は男老人衆が総がかりで草を刈り、見る見るきれいになりました。写真に写っているのは4人ですがあと3人、刈払い機で刈っています。年季の入った人ばかりですから見事な作業ぶりでした。
 道子さんは今年、あの4ミリ防風ネットの中にトウモロコシを植えました。去年までは畑に行くとまずトウモロコシの畝にとりつき、アワノメイガの卵・幼虫を調べていました。それでも幼虫に食い荒らされていました。
 今年は畑に行ってもトウモロコシのムシ点検を一切しませんでした。防風ネット・ハウスは完全に <アワノメイガ・フリー> でした。アワノメイガが防風ネットにとりすがって悔し涙を流したかどうかわかりませんが、きれいなトウモロコシが採れました。日曜日は大志くんや萌ちゃんの一家がやってきて、「おいしい! あまい!」といって食べてくれました。
 ネットの外にもいま道子さんはトウモロコシを播いています。アワノメイガが食い荒らすでしょうが、彼女のねらいは別にあります。麦やトウモロコシをつくったあとに根菜の大根などを播くと、よくできるのです。
 母の全面介護は二人がかりでなんとかやっていますが、家を空けにくくなり、時間もとられます。100歳を越しても「怠けとったらいけん!」と自分を叱咤激励するような人でしたから、介護者に自分をゆだねることがなかなかできません。
 これもぼくらの学びなのかな。
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しんどかったけど電気柵を移動しました。

2015年07月11日 04時46分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 電気柵の移動は、一日でしなければなりません。
 もし電線張りの途中でひと晩通電しないと、電線にふれた動物が「この柵は大丈夫なんだ」と思ってしまいます。「大丈夫!」と思うと鼻で電線をたしかめなくなり、背中でグイと電線を持ち上げて入ってしまいます。(イノシシでもアライグマでも背中は毛が生えていて感電しにくい)
 ポールを打ち込んで電線を張るだけなら簡単ですが、下に防草シートを敷かないとすぐ草が伸びてしまいます。平らな地面なら碍子を上下に動かして電線の高さを調整できますが、畝の端でデコボコしています。張り終えたのは夕方6時を過ぎでした。移動したのは4辺形の1辺だけです。残り3辺は近日中に移動します。やれやれ。
 電線がなくなった土手はすっきりしました。足場の材木を片付ければ草刈りがらくになります。考えてみるとこの3年、電線越しの土手の草刈りは難儀でした。「畑全体を電線で囲んで動物を締め出す」という思いにとらわれて余分な苦労をしました。
 「完璧」より「必要最小限」が発想できる人になれるといいのですが。
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