古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

佐江衆一『野望の屍』を読んで

2025年01月03日 20時20分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくは昭和12年に生まれ、日本が負けた昭和20年8月は、国民学校(小学校のことを当時そう呼びました)2年生でした。空襲もなかった山陰の片田舎に住んでおり、あの戦争のことはよく知りませんでした。全国では、おそらく多くの同年齢の子どもたちが空襲で焼け死に、学童疎開でひもじい思いをし、親に死なれて戦災孤児になったことでしょう。
 大人になって「日本は大きな戦争をした」と知り、戦争に関する本をいろいろ読みました。あの戦争中の軍部の横暴、上級軍人たちの愚劣な行動や作戦を知りました。昭和ひと桁世代の人たちは、昭和20年を過ぎて成人になります。20歳になる前の青春時代にいろんな戦争体験をしているはずです。そして生涯にわたり、あの戦争について考えてきたでしょう。ぼくより3歳年上の作家の佐江衆一(昭和9年生れ)もそうです。自分が軍隊を体験したのではないけど、「あの戦争を見過ごして生きるわけにはいかない」。小説家・佐江衆一のそんな思いが伝わります。大部な『小説 東条英機と米内光正』を書いた阿部牧郎(昭和8年生れ)も同じ思いで書いたのでしょう。
 佐江衆一の本にはいままで知らなかったことも出ています。この作家は歴史上の人間を、生身の人間として伝わるように書きました。例えば、ヒトラー時代のイタリアの独裁者ムッソリーニについてこんな描写をしています。引用します。


 (国際連盟を脱退して帰国途中の)松岡は全権団を率いて、列車でイタリアへ入り、ローマでムッソリーニに面会した。  …… ムッソリーニは、(第一次世界)大戦後の経済不況と食糧問題を見事に乗りきり、イタリア語だけでなくフランス語、英語、ドイツ語を自由にあやつる博識とスポーツ万能の頑強な体躯を誇示し、 …… 。
 首相のほかに内相・外相をはじめ七つの大臣と陸・海・空の三軍もおさえる脂ののりきった49歳の独裁者ムッソリーニは、ローマの首相官邸で国際連盟を脱退してきたばかりのアジア小国の使者を鷹揚に迎えた。そして、わが家の庭では子どもたちとサッカーに興じ、フェンシングの達人で乗馬と水泳で鍛えている頑強な体躯の彼は、自分より小柄な松岡の肩を叩いて英語で(松岡は英語は抜群にうまかった)雄弁をふるった。  ……  そして、ドイツに誕生したばかりのヒトラー政権については、
「首相になったヒトラー君は無学な男で、私の”ローマ進軍”の成功を手本とした一揆には失敗したが、 …… 。」
 自信満々のイタリアの独裁者に励まされた松岡が、  …… 。

 ムッソリーニに関して、こんな描写はいままでの本で読んだことがありません。ほかの政治家についても佐江衆一は、小説家として、人間味が伝わるように描写しています。この本はドイツ、イタリア、連合国の動きと日本の政治・軍隊の動きをうまく織り込んでおり、あの戦争が立体的にわかります。いい本に出会いました。
 
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