古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『さようなら、もんじゅ君』を読みました。

2012年12月31日 01時26分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨で外の掃除や遊びはできないし、孫たちが来てもおじいちゃんの出る幕はありません。そこで机にむかって、図書館で何気なく借りた本『さようなら、もんじゅ君』(高速増殖炉がかたる原発のホントのおはなし)という本をきのうから一気に読んでしまいました。
 あの《高速増殖炉・もんじゅ》は一日も早く「廃炉」と決定して、その作業に着手するしかないことが、とってもよくわかりました。いままで《もんじゅ》がどんなものかよく知りませんでした。「ナトリウム漏れ」といわれてもどんな事故か見当もつきませんでした。それが「もんじゅ」君の一人称でやさしく書いてあり、わかりやすかった。
 節電を呼びかけられたり「計画停電をするぞ!」と脅かされたりして、オール電化の家に暮らすおじいちゃんも、その他大勢の国民も、ガードが甘くなってたなー。そんな国民をだますなんて、ちょろこいもんだ。
 あの「ナトリウム漏れの事故を起こした<もんじゅ>」って、いまも一日5000万円ずつ税金を使って、電線で巻いたパイプをあたためている。パイプの中に滞留している1600トンものナトリウムが冷えて固まってしまわないように。そんなこと知らなかったなー。
 <もんじゅ君>って、人気のある「ゆるキャラ」なんですってね。はじめて知りました。
 たくさんの人に読んでほしい本です。
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電気柵の電池を入れ替えました。

2012年12月30日 00時24分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年もあと2日でおしまいです。1年を振り返っていちばん印象的な写真を再掲しようと画像フォルダを見ていたら、《若葉の頃》の畑が目にとまりました。
 ここに暮らしていちばん胸ふくらむときは、やはり《若葉》ですね。そして「田舎に住んでよかった」としみじみ思うのは、山々の色づく秋です。で、若葉の写真を再掲します。
「新年を迎えるまでに電気柵の電池を交換しよう」とインパクト・ドライパーを持って畑に行きました。簡易テスターで調べてみると、電線に流れる電流は『強』を示すし、まだ大丈夫です。でも9月はじめに通電してから4ヶ月。マニュアルには「夜だけ通電する場合は4ヶ月が電池交換の目途」と書いてありましたから、はずして古い電池を持ち帰りました。
 単一電池8本で4ヶ月間動物を撃退してくれたわけです。電池チェッカーで調べたら《交換》マークになります。よかった。冬は食べものがないから、なにもない畑でも電気が通じてなければ入って荒らしたかもしれません。それに「通電してない」と動物が知ってしまえば(特にイノシシ)、次から鼻で確かめるのでなく、毛のはえた体でグイッ電気柵をくぐってしまいます。危ないところでした。次は4月末が交換の時期になります。
 年末帰省ラッシュをテレビのニュースが報じています。うちはきょう孫たちがやってきますが、近くに住んでてよかった。遠くから<盆・暮れ>に帰省するとなると、帰るほうも受け入れるほうも大仕事です。きょうは雨のようですから、明日裏山の祠や池の龍神さんにお参りして、今年の無事を感謝します。
 
 
 
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<麦踏み>をして、道を掃きました。

2012年12月27日 02時47分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 11月27日のブログに「麦が5センチくらいに伸びてきました」と写真をアップしました。その麦が10センチを越えれば<麦踏み>をしようと待っているのですが、寒い日がつづいてなかなか伸びてきません。もうひと月たちます。
「雨がよく降るし、冷え込んでるし、霜柱も立ってる。年内に一度は踏んでおこう」と、きのう<麦踏み>をしました。
                 
 写真は踏む前の麦の畝です。この畝は、一往復しっかり踏み込んでから麦を播きました。ですから麦踏みをしても足がほとんどめり込みません。となりの畝はソラマメです。「アブラムシがソラマメにつこうとしても、となりに大好きな麦があるからそちらに行ってしまう」という誘引作戦です。
 麦踏みは「二週間おきに3回やる」とどこかに書いてあったので、年明けの1月10日と25日を目途に踏むことにします。「孫たちに<麦踏み>を体験させてやろう」と去年も声をかけてみましたが、<レンゲ畑>と同じくおじいさんのノスタルジーでした。ちょこちょこと踏んでおしまい。「むかしの情緒を押しつけるおじいさんにならないでおこう」と自戒しています。
 きのうは昼の陽射しがあるときに畑のゴミを燃やしました。枯れた竹を薪にすると少々湿っていてもよく燃えて灰になります。2時間ほどで今年の畑のゴミはほぼなくなりました。畑にも1年の感謝を込めて注連飾りをします。
 畑のゴミを燃やしている間に、16日に「高山」の人たちで<落ち葉清掃>をした道路を、竹ぼうきで掃きました。
                 
「掃き清めた」感じが写っているでしょうか。この道にもいい<お正月>が来ますように。
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ルリビタキ? 神さまのご褒美?

2012年12月25日 06時49分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 日曜日、孫たちがやってきて門松をつくったのですが、時間がなくて裏山の祠にはお参りできませんでした。また大晦日に、今年の無事を感謝してお参りします。「それまでに祠のまわりの掃除をして注連飾りをつけておこう」と、きのうおじいさんとおばあさんで登りました。
 落ち葉を掃き、二つの祠に注連飾りをしていたら、おばあさんが「あの小鳥、なんだろう」といいます。
                   
 点のように小さく写った小鳥を、トリミングしてトリミングして伸ばしたのでぼやけていますが『ルリビタキ』のようです。『ジョウビタキ』は裏山に毎年のようにやってきます。あの鳴き声を聞くと「あー、今年もはるばるカムチャッカ半島から飛んできたのか。えらいなー」と思って小鳥の姿を探します。でも今年も声だけでまだジョウビタキを見ていません。そしてルリビタキは、一度も見たことがありませんでした。
「わたしらがお参りして掃除したから、神さまがご褒美に見せてくれたんでしょう」とおばあさん。
 きっとそうなんでしょう。
 ジョウビタキ・ルリビタキは春になるとまたユーラシアの亜寒帯に帰るのですが、はるばるこの地に飛んで来てくれました。単独でナワバリを主張して冬を越すそうですから、あのルリビタキは祠のある山頂付近で暮らすのでしょう。巣をつくってとりつけたら、住んでくれるでしょうか。調べてみます。
 おばあさんは畑でタマネギに追肥をしました。おじいさんはゴミステーションの草を刈って見栄えよくしました。もうすぐお正月です。
 あっ! そうだ。家の大掃除はまだだった。
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映画『レ・ミゼラブル』を観ました。

2012年12月23日 04時49分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 畑仕事が一段落したので、<休養日>にしようと三田のシネコンに映画を観に行きました。朝9時30分からの上映に間に合うように出掛けたのですが、切符売り場には行列ができていました。みんな『レ・ミゼラブル』を観るのかと心配したら、それぞれにお目当ての映画があるようでした。
 ミュージカルの映画ですが、「歌って踊って」という場面はなく、セリフが<歌>というだけで迫力のある現実のシーンがつづきます。3時間、ずっしり腹にこたえる映画でした。「映画を観たあとは久しぶりに三田の『熊野の湯』に入ってのんびりしよう」と入浴の用意をして出掛けたのですが、映画を観たあとは風呂に入る気力がありませんでした。
 ヴィクトル・ユーゴーの『レミゼラブル』と『ノートルダム・ド・パリ』は、読書好きの人なら青春時代に必ず通る関所です。自分がその関所をくぐった学生の時代を回想しながら映画に引き込まれていました。
『レ・ミゼラブル』は豊島与志雄の訳で読みました。子どもの頃に日本版の映画『あゝ無情』を見たことも思い出します。ジャンバルジャン役は「早川雪州」でした。といってもいまの人にはわからないでしょう。
『ノートルダム・ド・パリ』は井上究一郎の訳で読みした。あの数奇な筋に引き込まれて一気に読み、その頃観た映画『ノートルダムのせむし男』とともに<我が青春>につよく刻印されています。映画では「カジモド」がアンソニー・クイーン、「エスメラルダ」がジーナ・ロロブリジーダ。ジーナの真っ赤なワンピース姿が、そしてエスメラルダの遺体のそばにカジモドが寄り添ったラストシーンが、いまもまぶたに浮かびます。1956年(昭和31年)製作の映画ですが、「アマゾン」で中古ビデオが19000円ですって。やっぱりあの映画がつよく心に焼きついている人が大勢いるのですね。
 帰ってから黒豆の脱粒をしました。前夜からエアコンと除湿機をかけて干していたサヤは、よく乾いています。踏んで、槌で叩いて、フルイにかけ、半分あまり収穫しました。4,5キログラム。全部で7キロ余りになるでしょうか。これでお正月用の黒豆もできました。 
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黒豆を部屋で乾燥しています。

2012年12月22日 04時21分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう21日は「冬至」でした。一番南寄りに日が昇ります。でも曇っていたので「日の出」の写真が撮れません。そこで前日(12月20日)7時30分にウッドデッキから撮った写真を載せます。太陽は右端の外に昇ってきました。(まぶしいので写してません)
                   
 明日からは、日はだんだん長くなります。季節はまだ冬に向かっていますが、地球は正確に動いています。真ん中の電柱あたりに太陽が昇ると春分で、写真の左端に昇る6月20日頃が夏至です。太陽が季節によって大きく動くので、こちらに暮らすようになってから、意識して毎日「日の出」を見ます。
 さて黒豆ですが、稲木に架けたままでは年内に収穫できそうにありません。まだ柔らかい豆があり、脱粒は無理です。そこで家に持ち帰ったのですが正解でした。きのうの雨で濡れるのをまぬがれました。きのうは枝からサヤを全部もいで、畳の部屋に並べました。そしてエアコンと除湿機をかけ、扇風機で風を送って半日干したら、カサカサ音がするようになりました。ひと晩干したら踏んで脱粒できそうです。
 ところできのうは買物に出て忘れ物をしました。ぼくはふだん外出するときは肩掛けカバンに財布や携帯、ポイントカードなどを全部入れて、それを、あのテレビ・ドラマ『税務官・窓辺太郎』さんのように肩から斜めに掛けます。ダサい恰好(かっこう)ですが「かばん」を忘れることはありません。
 ところがきのうは『コスモス』という薬局に寄って、いろんなものを売ってるし品揃えが豊富なので、カートを押して見てまわり、途中からカバンをカートに掛けてしまったのです。そして買物は両手に下げるほどあり、カートを返したときにカバンをとるのを忘れてしまいました。
 晩ご飯がおわってからカバンを忘れたことに気づき、電話してみました。店の人が気づいて保管してありました。「やれやれ、よかった!」 手で持つのは駄目だから「肩掛けかばん」にしたのですが。これからはかばんをなるべく軽くして出掛け、絶対はずさないようにします。
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コープ瑞穂農園の堆肥をもらいました。NO.5

2012年12月21日 04時43分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 堆肥をもらいに行ったので、「コープ瑞穂農園の堆肥」を検索してからブログを書こうと調べてみました。すると去年・おととしに堆肥をもらいに行った<ぼくのブログ>が出てきました。おととし(2010年)ははじめて軽トラで行き、コンパネの枠を作って運びました。去年(2011年)は軽トラの荷台に12畳シート2枚で間に合わせています。
 その前(2009年)は、パワーシャベルでコンクリートの床にぶちまけてもらった堆肥の山を、70リットル入りゴミ袋に入れて、それを20袋軽自動車のシートを倒して積み込んでいます。
 で、今年はコンパネの枠を組み立てて出掛けました。
                   
 コープ瑞穂農園の写真です。向こうに写っているのがうちの軽トラで、荷台に枠をつけ、堆肥を積み込んでいます。手前の堆肥の山は、農園を借りている人が自由に使える堆肥です。
「コープの瑞穂農園」は一区画10坪が18900円(ちょっと値上がりしてました)で、何区画でも借りられるようですが、この堆肥は無料で使い放題です。菜園を見たらタマネギの苗を植えているところにマルチのように分厚く(5センチ以上)堆肥をかぶせてありました。うらやましいような使い方です。
 さて、畑に着いてからが大仕事です。円筒形の「堆肥入れ」二つに運んで入れるのですが、まず立方体の袋に入れて、それをカートに乗せて運びました。でも畑が乾いていないのでカートの車輪が泥で動かなくなり、一輪車で運びました。
 いままで「堆肥の搬入」という仕事一つをとっても、やるたびに要領がよくなり、仕事がらくになっていましたが、これからは「いままでは難なくできていた仕事が、だんだん<大仕事>になる」のです。「高齢になっていく」というのは「そういうことなんだ」と実感しました。
 この畑もうちが借りてつくるようになって5年が経過しました。元々、圃場整備をしてから米をつくらず雑草の生えていた田んぼですが、うちがずっと有機農業でやってきて、土がずいぶんよくなりました。豊地農協で安く手に入る「燻炭」を毎年大量に入れましたし、コープ瑞穂農園の堆肥もふんだんに使っています。
 耕運機を引きまわして土をひっくり返す体力勝負をしなくても、いい土で野菜がつくれる。80歳を超えてもたのしく畑仕事ができる。
 そんなに遠くないその日を、いつも視野に入れながら、来年もいい土づくりに励みます。
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『ナメラ』商店街を散歩しました。

2012年12月20日 04時25分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 同じ道を毎日散歩するのも<一つの生き方>でしょうが、ぼくはどうも同じことを繰り返すのが苦手で、ひょっと違う道を歩いてしまいます。というわけで、きのうは三木の図書館に年末年始に読む本を借りに行き、久しぶりに『ナメラ』商店街を散歩しました。
 三木市に引越して、明治から昭和にかけて栄えた『ナメラ』商店街をはじめて知りました。いまではほとんどの店はシャッターを閉じ、数十年前の陳列をそのまま残した店がポツリポツリと開いている商店街です。通行人はゼロ。一日に一人のお客があるだろうかと心配してしまいます。
 三木市の観光案内に出てくる『玉置家』の斜め前に、『ゆのやま』という古民家レストランがあったので入ってみました。改装してある清潔な店です。カレーライスを食べました。
 これがおいしかった。添えられたカボチャスープもうまい。手づくり感があり、また食べたくなる味です。
               
 帰りに桃坂のパン屋さん《マイ・ホビー》に寄ってパンを買いました。あのレストランもパン屋さんもリピーターになりそうです。
 稲木に架けていた黒豆を家に持ち帰りました。枝からちぎって、サヤをシートに広げて干します。今年は12月の気温が低く、一日中晴れた日が少ないので乾きが遅いです。とりあえずお正月用の黒豆だけを収穫して食べることにします。
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なぜか『お遍路』に興味があります。

2012年12月19日 03時34分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 数日前、佐藤光代さんという若い女性の『お遍路日記』を読んでから、「歩き遍路をすると《いままで生きてきた身辺では起こらない、極上のこころのドラマ》が、どんなひとにも、かならず、起こるのだろうな」という憧れのような想像が頭から離れません。
 彼女は『私のお遍路日記』のあとがきに、こんな感想を書いています。

  
 お遍路に行ってよかった。旅で想像を越える険しい道を歩き、限界を越える距離を歩いたことで、自信が持てた。こんな私にでもできることがある。自分の足下に分厚い土台(10センチくらいだけど……)が、できたような感覚がある。何かをつかんで帰りたいと思った私は、そんな自信を得たのかもしれない。


 佐藤光代さんが、特に何かを伝えているわけではありません。これくらいのことは、想像できるし、だれでも言える、ありきたりの感想です。でも『足下に分厚い土台』という文字から、ずしっとした実感が伝わります。「いいだろうな」という思いで、この文字を眺めます。
 まだ若いこの女性に、地軸のようなたしかな心棒が通って、これからの人生を支える。
 お遍路は当分できそうにないし、そのうちぼくの人生も終着駅に着いてしまうかなと思いますが、いろんな人の<お遍路日記>を読んだり、このあたりのお寺を拝んだり、四国巡礼のビデオを見たりして、ぼくのなかの<憧れ>に栄養分をあげることにしましょう。
 
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竹を切って門松を試作しました。

2012年12月18日 04時36分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 次の日曜日は孫たちが《門松づくり》にやってくるので、見本を試作してみました。去年まで竹をノコギリで斜めに切っていましたが、シャープな感じになりませんでした。そこで今年は電動丸鋸で切ってみました。写真のように鋭角に切れて、切れ味のある門松になります。
 年内に裏山にも登り、「祇園」さん・「愛宕」さんに《注連飾り》をつけるつもりです。日曜日に孫たちといっしょにお参りします。それまでに半紙で《幣》をつくらねば。作り方を忘れたのでネットで調べます。
 なんとなく「お正月」が近づく気分になりますが、自分の年賀状はまだ手付かずで、まずわが母・妙子さんの年賀状はどうしようかと思案しているところです。母に声を掛ければ、彼女は「出す!」といって自分の名簿をもとに、親類縁者・文学仲間・「ひととき」会員仲間20人前後をリストアップするでしょう。
 しかしこちらで印刷して「一言書き添えて」と見せても、自分で書くのは面倒がるようになりました。それでも「出したい!」というのですから出せばいいようなものですが、高齢の方に出すのはどうかとも思います。去年も「賀状をもらったけど、よう書かんのでよろしく」と電話を掛けてこられた方がありました。こちらは「99歳の人から賀状が来たらめでたいと喜ぶだろう」と単純に考えますが、もらう高齢の人には、長年生きて人と付き合い、賀状を出してきたという《矜持》があるでしょう。
 母の気持ちをきき、もらう人のことを思って、もう少し考えます。
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みんなで落ち葉を掃きました。

2012年12月17日 01時19分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 日曜日、「高山」の6軒でアクセス道路(100メートル余り)の落ち葉を掃きました。残念ながら土曜日が雨だったので、落ち葉は濡れており、燃やせません。一輪車や立方体の袋で運んで、山に捨てました。アスファルトにへばりついた落ち葉も、乾いてから竹ぼうきで掃くことにします。
 みんなでひと汗かいた後はうちのウッドデッキでぜんざいをいただきました。でも今年は道子さんが《小豆づくり》をあきらめて《大豆・黒豆》のムシ防除に力を入れたので、我が家で収穫した小豆は勝手に生えた数本だけ。道の駅で買った丹波大納言小豆を使いました。でー、やっぱり味はイマイチ。道子さんは「来年は防風ネット(4ミリ目のネット)ですっぽり覆ってアズキノメイガを防ぐ」と言ってます。やっぱり我が家でつくった小豆は味がちがいます。ぼくもしっかり協力します。
 1913年に生れてあと半年で満100歳になる母・妙子さんに「きょうは選挙があるけど投票に行く?」ときいたら「行く!」。着替えて3人で行きました。でも自民党が過半数になるのは世論調査でわかってるし、開票速報を見る気もしません。
 いろんな動きがあったけどまーた自民党かー。
 
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口吉川町の『パン屋さん』で 《おいしいパン》 を買いました。

2012年12月15日 05時39分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 桃坂の三叉路の信号を東条町のほうに50メートルほど上った右手に、《マイ ホビー》という小さい看板が出ています。通りすがりに見て「何の看板だろう」と思っていました。
 老人クラブで「あれは新しくできたパン屋さんだよ」と聞いたので、きのう道子さんと二人で軽トラに乗って寄ってみました。桃坂の神社には何度か散歩で行ったことがありますが、そこの石段下の家が新しく建て替わり、小さなパン屋さんになっていたのです。7月末にオープンしたそうです。
 口吉川町にパン屋さんができた!
 パン好きの道子さんは、神戸から引っ越してきたとき、近くにパン屋さんがないのを残念がっていましたが、これはうれしい出来事です。いくつか買って食べてみました。なかなかおいしい! そして安い。レジはなく、手書きのレシートを渡してもらいました。パンもレシートも手づくり感があって気に入りました。
 聞いてみたら、水曜日~土曜日の10時から<売り切れる>までが営業時間だそうです。
 
 
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散歩してムクノキを見上げました。

2012年12月14日 04時44分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 村の老人会・会計係をしているので、今年の清算をしておこうと農協に行きました。そのついでに、きょうの散歩は豊地の「三坂神社」 ⇒ 「悠庵」 ⇒ 「金谷のローソン」(駐車場のそばにあのエノキのある店)にかけての裏道を歩きました。写真は「ジャパン」の駐車場そばに立つムクノキの老木です。大樹の根元には祠(ほこら)が祀(まつ)られています。この樹(き)は樹勢がつよく、夏には葉が繁ってたくさんの実がなります。そばの家の人に樹の話をきいたら、夏にはフクロウがやってきて住みつくそうです。
 夏は葉に隠れてわかりませんが、落葉した樹を見ると、枝の張りぶりがとてもいい。どの枝も素直に伸びていません。苦労したように曲がりくねって張っています。
 篠山の城跡にあったエノキの老木を思い出しました。篠山のあの樹は、1993年の冬にはじめて見て、その枝ぶりがつよく心に残りました。95年の地震のあと篠山に暮らした2年間、城跡に散歩に行くとよくあの樹のそばに寄り、掌で幹をなでたり寄り掛かったりしたものです。大書院が建って樹が庭に取り込まれ、枯れてしまい、伐採されたのは残念です。
 この樹はそんな目にあわないで立っているでしょうね。少なくともぼくの生きてるうちは。
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『私のお遍路日記』を読んでいます。

2012年12月12日 05時34分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 畑の草や落ち葉を燃やす燃料が少なくなったので、きのうは「薪づくり」に精を出しました。薪といっても古い竹です。切り倒して、置き場がなくて、竹薮に突っ込んでいた古い竹を引っ張り出し、電動丸鋸で薪サイズに切るのです。これを畑に運んで燃料にします。
 燃料がなくてもくすぶるように燃えますが、灰になるまでに時間がかかります。それにくすぶるだけでは暖をとることができません。また古い竹は枯れて割れており、燃やしても「パン!」と弾けません。いい火力で草木灰をつくってくれます。
 いま図書館で借りた『私のお遍路日記』(歩いて回る四国88ヵ所) - 佐藤光代 著 / 西日本出版社 / 2005年 - という本を読んでいます。半分読みましたが、なかなかおもしろい。
 ぼくは四国88ヵ所は一度まわったことがあります。ぼくが退職し、父が亡くなった1997年に妻と二人で、自動車でまわりました。もう15年も前になります。あれからときどき図書館で「四国お遍路」の本を見かけると、自分は「歩き遍路」で苦労したわけでもないのに、なぜか読んでみたくなるのです。
 でも印象に残るのはヘンなことです。例えば作家・車谷長吉の歩き遍路の本では「旅館を出てしばらく歩くとウンコがしたくなり、畑に入ってした」というくだりが毎日のように出てきます。そういう体調で、自分の印象につよく残っているから書くのでしょう。まあ、正直でいい。
 戦場カメラマンの石川文洋の『四国八十八ヵ所』(わたしの遍路旅)- 岩波新書 は、道道で出会った人たちの写真がついていたりしますが、どうも入っていけませんでした。読んでいて、「大変だろうけど、頑張ってるな」と応援する気になりませんでした。
 他にもいろいろ読んだことがあります。自分の印象が長々と書いてあったり、お寺の歴史なんかが書いてあると、読むのが面倒になって途中でやめます。
 で、いま読んでる本は「これから《歩き遍路》をしてみよう」という人には<とても役に立ち>ます。著者の佐藤光代さんは30歳代半ばのときにこの本を書いたのですが、毎日歩いた歩数と距離、どんな物を持ち、どんな食事をし、いくらお金を使い、どこに泊り、どんな人と出会ったか、がきちんと記録してあります。その視線が素直で、出会う人との距離感がほどよく、好感がもてます。読みすすむうちに応援隊になって旗を振っている自分に気付きました。
「歩き遍路」をする人は、自分の人生の<ストーリー>を、自分の脚で刻むのですね。あとで文字に記録しようとしまいと。ぼくもやってみたいと思わないではないけれど、ま、いろいろいっぱいあって……。本を読んで応援します。
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祝! 『佐の広池』周回散歩道開通しました。

2012年12月10日 01時38分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
『佐の広池』の奥は夏の間、草の海になっていました。その草も枯れてきたので、土曜日・日曜日二人で草刈りをして、散歩道開通にこぎつけました。草は腰を越すほどに伸びていましたが、刈払い機で「三度刈り」をしてサラエ(熊手・ホームレーキ・ガンジキともいう)で二度掃いて、きれいな道にしました。もう運動靴で歩いても気持ちよく散歩できます。
『大池』のほうからは老人会の先輩にあたる村でも働き者の方が50メートルほど刈っておられたので、そこも「仕上げ刈り」をしてきれいに掃きました。これで200メートルほどの区間を歩けるようになり、佐の広池をまわって散歩できます。山と里の境目になるので野鳥も見られるでしょう。
                
 ぼくらは自分勝手に『仕事』と称して、外でごそごそ動いています。でも考えてみると必要な順番に「仕事」をこなしているわけではありません。この散歩道なんか一番「どうでもいい」「仕事」になります。ここを歩かなくても農道は縦横にあり、こんなところに道をつける必要なんか村のだれも感じていません。ぼくらも、することがなくて、ひまを持て余して、道をつけたのはありません。畑にも家のまわりにも裏山にもそして家の中の片付けにも、することはいっぱいあります。
 でも「やる気」というのは妙なもので、なぜか、いま、したくなる「仕事」があります。それを気ままにできる。そういうのを´老人のしあわせ´というのでしょうかねー。
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