古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈御休み所〉作る気満満のときに雨でひと休み。

2020年02月29日 19時05分04秒 | 古希からの田舎暮らし
〈御休み所〉の台を水平にする見通しが立って「いよいよ床張りだ」という日になって雨。残念でしたが雨では仕方ありません。午前も午後も朝寝昼寝をして、いい休養になりました。
 90センチ間隔の枠木にコンパネを張って、大丈夫か。45センチのところに垂木を入れるほうがいいのではないか。朝寝しながら考えました。いままでコンパネ2枚の、簡単な作業台しか作ったことがありません。今度はイスやテーブルを置いて、人が何人か乗る四畳半の大きな台です。
 さいわい3メートルの角材が3本あります。台枠の45センチのところに切り込みを入れて、角材を補強するほうがいい。明日は天気になります。枠木の交差するところを、地面からの柱で支える工事をして、次に3本の補強材をつけることにします。
 一度立ち止まって考える、いい休養日になりました。

 コロナウイルスで大騒ぎですが、毎年インフルエンザで何千人と亡くなっています。インフルエンザと同じ程度の予防措置ではダメなのでしょうか。なんか急に世の中が暗くなったような気がするのですが。
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台を水平にしようと、いろいろ考えました。

2020年02月29日 01時21分20秒 | 古希からの田舎暮らし
 四畳半大の台を水平にしようとあれこれ考えて、朝瞑想しながら思いつきました。
 土台の脚がつくところの防草シートを切り取る。 ⇒ 四角の枠を置く。 ⇒ ドロドロのセメントを枠に入れる。 ⇒ セメントは水平になって固まる。(ドロドロだから水平になる) ⇒ セメントが乾いてからブロックを置く。(水平に置ける)  …… と段取りを考えていました。
 セメント工事の材料を、東条のコーナンまで買いに出かけました。砕石(小)/砂/セメント/など。
 午後、工事にかかりました。しかし考えていた土台づくりは、いかにも大袈裟です。「そんなことまでしなくても、水平になればいい」と思い直し、木切れなどをかませてみました。ほぼ水平になりました。これで固定すればいい。
 
 まだ工事中ですが、こんな形の台になります。これに塗装コンパネをビス止めして、土台は完成です。この上にタープテントを張ります。テントはほどなく駄目になるでしょう。そしたら次の仕事ができます。小屋を建てる。
どうでもいいようなことをしていますが、自分では目的意識がはっきりして、張り切って仕事をしています。
 いくつになっても「目的意識」って大事ですね。
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水平にするのがむずかしい。

2020年02月28日 02時02分20秒 | 古希からの田舎暮らし
 四畳半の台づくりに、一日はげみました。木材の足りないところがあり、端材を補強してつなぎました。午前も午後も仕事をして、夕方には台ができました。
 できたところで写真を撮ったのですが、パソコンに取り込んだと思って消してしまいました。こんな「勘違い」はこれから多くなるでしょう。自分を責めない。「おー、ヨシヨシ!」と自分に声を掛けてあげます。
 さて、台はできました。塗装コンパネをビス止めすれば台は完成です。すぐにタープテントを張れば、イメージした「御休み所」ができます。でもコンパネを張るまえに台を水平にしなくては。ちょっとやり掛けましたが、大きいのでタイヘン。あせってコンパネを張ってしまってから調整するのはむずかしい。ここは腰をすえて土台をつくることにします。
 
 ぼくは、ふだん夕食を食べて食器を洗って、8時か9時には就寝します。そして12時から2時ごろに目が覚めます。それから/洗顔・歯磨き/ブログを書く/漢字ナンクロをやる/テレビを見る/本を読む/のどれかを夜中にします。そして2時 ~ 4時頃までゴゾゴゾして、また寝ます。
「ちょっと眠気があるから寝よう」と3時ごろ寝床に入っても、(ぼくでも)眠れないときがあります。先日もそんなことがあって、不眠症の人の苦しみを思いました。
「寝なくてはいけない」と強く思って横になっても眠れない。 毎晩「眠れない」と苦しむ人はとても不安でしょうね。あせればあせるほど眠れない。少しでも寝よう。「横になってるだけでも体と心はやすまるんだ」と自分に言いきかせる。それでもどうしようもない不安。 …… ほかの動物もそんな苦しみがあるのでしょうか。
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テントの台づくりにかかりました。

2020年02月26日 23時45分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 午前中は買い物などに出掛け、〈 昼食 ⇒ 昼寝 ⇒ おやつタイム ⇒ 4時から外仕事〉 という段取りになってしまいました。台の枠を途中まで作ったところで今日はおしまいです。

 ストロボで写しました。夜みたいな写真になってしまいました。

 暗くなるまで大工仕事をしたのを思い出します。あれは2006年12月のことでした。引っ越してすぐ、ウッドデッキの大工仕事に取り掛かりました。道子さんと二人で、材木を広げて、サンダーを掛け、キシラデコールを塗り(三度塗り)、セメントで柱の根元を固め、未体験の大仕事をしました。
 2006年12月20日の写真です。

 まだ庭の垣根もない庭で、14フィート(4メートル26センチ)の2✖4材を広げて、道子さんがサンダーを掛けています。あの年の12月末はどんよりした天気が続いていました。お正月の準備もそこそこに、毎日朝から晩までデッキ材と格闘しました。
 ウッドデッキは、いまでも我が家の一番の自慢です。
 あれから14年。いまから思うと、あの頃は若かったなあ。道子さんが65歳、ぼくは69歳。視力/聴力/筋力/耐久力/……に衰えを感じなかった。張り切って、明るい未来にむかって、力いっぱい走ってた。
 ま、人生って、そういうもんだけど。
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パワーのある写真に替えました。

2020年02月26日 01時15分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 居間/応接間/食事部屋/を兼ねている我が家の壁には、引っ越してからずっと絵と写真をつけていました。もう14年目になります。絵は、二科会の会員が描かれた「岡山の国分寺の塔と蓮華畑」でした。彼女は私たちの仲人でありました。写真のほうはTM瞑想のお店で買ったもので、インドの昔の天文台を表していました。
 今年になってから、ふと思いついてこの絵と写真を替えてみたくなりました。ほんとうの絵は買えないからポスターにしようと思い、まずモネの絵を掛けました。額縁は木材で自作しました。もう一枚は写真ですが、「海」がいいと思いました。なぜかというと、三木市は田舎風景には恵まれていますが、海が見えません。
 そうだ。しばらく海を見ていない。やっぱり海はいい。立杭の里・今田中学校に勤めていたとき、淡路出身の若い先生がいました。彼女は「海が見えないのは淋しい」と言っていました。淡路島は、島のどこに住んでいても海が見えます。
 我が家からの眺めに文句はないけど、「海」があるといいな。そこで今年になってから海辺の写真ポスターを貼りました。何でもないけど空と海。そんな写真でした。
 一カ月ほど眺めていましたが、どうもパワーがない。貼るからにはもう少しパワーがほしい。ネットで探して、写真のポスターにしました。

 ホームセンターで買った緑の台紙に貼ってみました。タージ・マハール寺院です。インドを旅したのは20年も前ですが、この寺院は覚えています。お寺の大きさにパワーがある。なんとなくいい。
 しばらくこの写真にします。
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防草シートを敷きました。

2020年02月25日 20時22分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の登り口に『御休み所』のタープテントを張る台を作るには、まず/整地/防草シート張り/をしなければなりません。でも竹の根や切り株がいっぱいです。それをツルハシで全部掘り出すのは無理です。仕方がないので凸凹のままの地面に、防草シートを敷きました。

 このシートの上で、四畳半の台を作ります。その作業は明日から。
 数年前、元気に土手の草刈りをしていた頃は、「防草シートを張るのは草刈りをサボるための邪道だ」と思っていました。しかし今は「一度防草シートを張ったら草が生えないようになればいい」と思ってます。
 草は、炭酸ガスを吸って酸素を出してくれます。だから生えるほうがいい。そう思って、草刈りを頑張ってきました。しかしいまは草刈りの気力がなくなりました。できれば防草シートを張りたいと思います。
 ホームセンターでも防草シートの扱い方がちがってきました。片隅に売られていたものが、一番前でたくさん売ってあります。しーとを押さえるピンもいろんな種類ができてきました。防草シートが社会的に認知されてきたというか。助かります。
 
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裏山にタープテントの台をつくります。

2020年02月24日 20時04分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の上り口にスペースができたので、そこに四畳半の台をつくります。その上にタープテントを張って『御休み所』(オヤスミドコロ)にしたいのです。「御休み所」をわざわざ作らなくても、たき火場のベンチで休めるし、3メートル四方の『花見デッキ』もある。なんでそんな不要なものを作るのか。さては、台を作りたいのだな。
 ええ、まあ、そういうことです。
 木材には防腐塗料としてクレオソートを塗るつもりでした。塗料売り場を見ると「クレオパワー」という水性の防腐塗料があります。水性のほうが扱いやすい。山の階段にも使える。大きな缶(14リットル)を買いました。
 午後、木材に「クレオパワー」を塗りました。水性だから乾きがはやい。

 塗った木材の写真です。塗料コンパネにも塗りました。
 明日は台を組み立てます。

 万歩計はつぎつぎと紛失してしまうので困ります。いまあるのは、ある程度歩くと歩数が出てくる、鈍い歩数計と、ちょっと動いてもカウントする敏感な歩数計。
 これは二つの歩数計を並べた写真です。夕方撮りました。

 朝から同時にカウントしているのに、もう倍ほど違っています。一万と五千では違い過ぎる。どうしたものか。
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おじいちゃんは孫の運転する車に乗った!

2020年02月23日 16時51分18秒 | 古希からの田舎暮らし
今日は萌ちゃんが加古川から三木まで運転してきたんだって。免許取り立てなのにすごい。
 みんなで萌ちゃんの運転する車に乗る日になりました。大志くんも大志母も道子さんもおじいちゃんも、福地池周回コースを乗せてもらいました。萠パパが自動車学校の教官役でそばについています。前のガラスに教官用の小さいミラーをつけてます。

 運転は安定感があって、なかなかいい感じ。運転者の不安って同乗者に伝わるものですが、それがゼロ。ゆったりした気分で乗ることができました。若いから運転になれるのがはやいなー。
 みんなが揃う日だったので、去年3月に天寿をまっとうした曾祖母・妙子さんの一周忌を、道子さんのお経でしました。お花は裏山で手折ってできました。紅梅白梅や菜の花で。自前の花で飾れて、花の世話をしている道子さんはうれしい。いまはクリスマスローズがよく咲いています。サンシュユはツボミがふくらんできました。

 仏壇が小さくなったので、みんなイスや座椅子で仏壇に向かいました。
 ぼくは膝痛で一昨年去年と裏山の竹を伐っていません。午後大志くんに竹を数十本伐ってもらいました。伐ったところはスッキリした感じになりました。これからもう少し伐って、見通しをよくします。
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なんか〈いい感じ〉の田舎道

2020年02月22日 19時47分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は雨で外に出る気になりません。こんな日は「しょうもない」。
 家で/テレビ見たり/新聞見たり/漢字ナンクロしたり/電動ウォーカーで歩いたり/本読んだり/グズグズして一日が過ぎてゆきました。きのう、ゴミステーションまわりをウロウロした写真をアップします。

 2400メートルを歩いても、道子さんはまだ「球根植え」をしていたので、ぼくはまわりを散歩しました。そのときに撮った写真です。説明します。美嚢川にかかる橋を渡ると隣り村です。橋のたもとに古い桜の樹があり、その下に祠があります。
 田舎に引っ越してきて、散歩しはじめた頃、この桜が咲いていました。桜の花の下に祠があり、扉を開けると花やお供え物がちゃんとしてある。お世話している人のこころが見えるようで「いいなあ」と思いました。
 きのうも扉を開けると、お花やお供え物がちゃんとしてあります。(扉は写真を撮るためにぼくがあけました)

 あの「いいなあ」がずっとつづいてる。どなたがお世話されてるのか。「人知れず長年やってる」って、なんかいい感じです。田舎の道には、こんな「なんでもないけど、なんかいい」がいっぱいあります。
 
 
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久しぶりの〈マイ・トレーニング・ロード〉

2020年02月22日 03時13分26秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は春の陽射しであたたかく、気持ちよく歩ける日でした。うちの村の「老人会総会」を3月にします。その案内チラシを歩いて配ろうと思いました。40軒近い家家に歩いて配ると、1時間以上かかるでしょう。いざ出掛けるときになって「やっぱり歩くのは〈マイ・トレーニング・ロード〉にしよう」という気になり、二人で、軽自動車に乗って配りました。
 お茶してからゴミ・ステーションに軽トラで行きました。チューリップの球根をたくさんもらい、道子さんは植えるというのです。その間にぼくは〈マイ・トレーニング・ロード〉を歩くことにしました。1200メートルの往復で2400メートル。ぼくの脚では35分かかります。
 去年の秋はこの真っ直ぐな道を、杖を持って歩きました。そのうち杖を突かなくても歩けるようになりました。いまはサッサと歩けます。去年よりグッと脚の具合がよくなりました。
 この道は遠くを見ながら「ひたすら歩ける」。人も自転車も車も通らない。道端や家家に気が散らない。いいトレーニングになります。福地池周回コースが手近でいいけど、アップダウンはあるし、家があるし、景色は変るし、気が散る。ときには車も通る。
 いいトレーニングになりました。道子さんは時間を掛けて、芽の出掛けている球根数十個を植えました。4月にはゴミを持ってくる人の目をたのしませてくれるでしょう。うちの村のゴミステーションはブロック塀で囲んであり、その隅に石ころがセメントでとめてあります。

 よく見ると「なにか」に見えます。大日如来だそうです。道子さんはときどきお花を供えて拝みます。どなたか村の人もお花を供えるときもあります。
 なんかいい感じです。
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太陽が出ると歩きたくなります。

2020年02月19日 17時54分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 冬は寒いから室内で「電動ウオーカーで運動しよう」と思ってしまいます。でも今日は快晴です。寒くても外を歩きたくなります。お昼前に二人で散歩に出ました。
 福地池一周のコースを歩くことにして、まず蛇が池に向かいました。今年は草がよく乾いていたのでしょう。堰堤がきれいに焼き上がっています。

 蛇が池の祠は、ふだんは草に埋もれて見えません。「この辺かな」と見当をつけて拝んでいますが、今日はしっかり拝みました。(といっても間にイノシシ防御柵はあるのですが)
 オオイヌノフグリが畦道一面に咲いています。途中で老人会のお仲間と出会って立ち話。陽気にさそわれて畦の草を刈っておられました。
 福地池の祠も、ふだんは草に埋もれて見えません。今日はバッチリ。

 昼からは裏山に出て、竹を伐ったり植えた樹を剪定したり。「裏山がある」って実にいいです。田舎暮らしで我が家の菜園の仕事ができるのと、またひと味ちがいます。イノシシは出てくるし、マムシはいるし、地中には竹の根がいっぱいですが、それでもいいものです。
 裏山のたのしさを体験したら、ここを離れられません。
 とにかく、裏山の仕事は大好きです。道子さんは、ぼくよりさらに裏山仕事が好きです。ツルハシで竹の根を掘り出す仕事に、無上の喜びを感じるドボジョです。
 一度来て見てください。3月4月5月は見どころいっぱいで、楽園です。
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我が家の白内障手術はおしまいです。

2020年02月18日 17時12分31秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんの白内障手術は2月にずれ込みましたが、左目を手術して完了しました。二人とも「メガネメガネ!」とジタバタしなくてもよくなりました。いままで起きたら毎朝まず「メガネメガネ!」と思っていましたが、解放されてみるとやっぱりいいですね。
 耳も遠くなっていますから、なにか考えないといけないでしょうね。ま、そのうち …… 。
 今日は裏山でたき火をしました。落ち葉や木くずがいっぱいあり、片付けるために燃やしたのです。
 紅梅が咲いています。

 これから/サンシュユ/ミモザ/ユキヤナギ/ソメイヨシノ/コバノミツバツツジ/とつぎつぎ花が咲きます。道子さんの植えている花も、球根をたくさんいただいたチューリップも、咲きます。春はいいね。
 
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池上彰『朝鮮半島』を読んで

2020年02月18日 03時17分43秒 | 古希からの田舎暮らし
 朝鮮半島は情勢がよく変わります。5年前の本は、「いまは情勢がちょっと違うんじゃないか」と思ってしまいます。だから図書館で借りるときは、発刊年度をチェックします。
『池上彰の世界の見方 朝鮮半島 日本はどう付き合うべきか』は2018年発行で、新しかったので借りて読みました。ほぼ全部知っていることでした。

 トランプ(大統領)と金正恩(北朝鮮のボス)は、なぜか妙にウマが合うところがあって何度も会っていますが、会っても何も生まれません。チンピラがピストルを手に入れたとすると、おじいさんがあれこれ説得しても、しがみついて絶対に離さないでしょう。そんな図が見えるようです。

 自分の意見を書こうと思いましたが過激になりそうなので池上さんの「あとがき」から引用します。(この本は、高校生に語りかける講座のかたちになっています)

 これまで見てきたように、北朝鮮の核開発を止めることは非常に難しい。しかし核兵器の拡散を止めることは絶対に無理だと考えないほうがいい。過去の成功例から学べることはたくさんあると思います。
 日本の隣にある朝鮮半島。日本との間にも歴史的なしこりはまだまだ残っています。
 私たちが朝鮮半島について考える時に、忘れてはならないことがあります。北朝鮮にも、韓国にも、それぞれ「内在的論理」があるということです。その「内在的論理」によって、北朝鮮は国際的に孤立し、自分の力だけで自分の国を守る必要に迫られています。自分の国を守るために、軍を国の中心に据え、独裁政権になったのです。
 敵対する隣国が独裁になると、それに対抗する韓国もまた独裁になってしまう。敵対した国はなぜかお互いに似てしきてしまう。歴史を見ているとそういうことがよく起こります。
 韓国は建国以来、軍事独裁政権が続いてきましたが、若者たちの力によって独裁を覆し、民主化することに成功します。その成功体験から、今の韓国という国が存在する。しかし、民主化されてから、まだわずか30年です。日本の民主化よりも40年遅れて、あとをついてきている。それが現在の韓国なんです。
  (中略)
 日本だって、ほんの数十年前までは、決して威張れたものではなかったという歴史をぜひ知っておいてほしい。残念ながら、困った隣人がいるからといって、日本という国が、どこかに引っ越すことはできません。困った隣人とどう付き合っていくか。難しい問題ですが、君たちが自ら考えなければいけない問題なのです。
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北朝鮮の人々を思ってため息。

2020年02月18日 01時23分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 北朝鮮関係の本を読んでくださる方がおられたので、以下の本を送り付けました。去年の3月に書いたブログの文を再アップします。あの国の民衆の苦しみを思うと、気持ちが重くなります。寒いのに、着る物も食べる物もなく、〈希望〉という字が見えない。毎日の暮らしに絶望して生きる「辛さ」に、胸ふさがる思いです。
 でもその「胸ふさがる思い」を自分が持ちこたえることができない。自分のことに思いがいき、他人のこと、よその国の人の苦しみに、思いがいかない。年寄りの視野狭窄というのは、こういうことなのか。読み返すつもりで持っていた本から「こころが離れています。気力が失せています」。
 せめて、去年書いたブログの文を再掲します。

 図書館で借りた『コチェビよ、脱北の河を渡れ』〈中朝国境滞在記〉(高英起 著 2012年新潮社)を読んでまた、ため息をつきました。
 ぼくは多くの本を処分して本棚はよく空いていますが、北朝鮮関係の本で「どうしても捨てる気になれない」本をリストアップしてみます。ぼくが出会い、衝撃を受け、いまも心に残る本を、出会った順番に。

〇 『北朝鮮 秘密集会の夜』……留学生が明かす“素顔”の祖国……李英和 著 (1996年 文春文庫)  この本とは60歳の退職した年に出会いました。30~40歳代の頃は北朝鮮を好意的に見ていました。あの国の実際の姿は知りませんが、いろんな出版物で。例えば総評議長だった市川誠の「訪朝記」を読むとあの国は「地上の楽園」として紹介してあります。労働者にとって「至れり尽くせり」の国だというのです。彼は訪朝して「演出されたいいところ」ばかり見せられて、コロッとだまされたのです。べ平連の小田実もそんな感じの本を書いています。それを読んで日本の革新系の読者もだまされた。革新系の訪朝者はつぎつぎとだまされ、真実を見抜くことができなかった。
 その後しばらく北朝鮮情報から離れていましたがこの本と出会って愕然としました。「エッ? そんな国だったの?」 …… それから北朝鮮の内情を暴露する本を次次と読みました。エエ加減な本もありましたが、あの国の実情がだんだんわかってきました。
 この本が出発点です。
 この本の著者=関西大学の教授・李英和の教え子が、このたび読んだ本『コチェビよ、…』の著者です。中朝国境の町での自分の体験を書いています。
 
〇 『凍土の共和国』……北朝鮮幻滅紀行 金元炸 著(1984年刊 亜紀書房)
 1959年にはじまった北朝鮮への帰国運動は「だまし」でした。日本の革新系の人たちはあの熱気にだまされて、後押しした。その後あの国は、帰国した人をどう扱ったか。肉親の情につけ込む卑劣な犯罪ともいうべきやり方に、やりきれない思いです。読み返すのは辛いけど処分できない本です。

〇 『楽園の夢破れて 北朝鮮の真相』……総連幹部・最初の告発 関貴星 著 2003年刊 河出書房新社  2003年に出た本の題名は『北朝鮮1960 総連幹部・最初の告発』です。帰国運動の「ウソ」を暴いています。『楽園の夢破れて』は1962年に全貌社から出ています。あのときこの本が広く読まれていたら、その後の帰国運動はなかった。しかしあのときは革新陣営からも黙殺された。
 
〇 『北朝鮮 「楽園」の残骸』 ドイツの青年 マイク・ブラッケ 著 こっそり持ち出したあの国の写真集です。あの国は外国人が自由に写真を撮ることができません。いつも指導員と称する監視人がついてまわります。貧しい姿に胸が痛みます。

 
 
 
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孫が運転免許証をとりまして …… 。

2020年02月16日 20時27分35秒 | 古希からの田舎暮らし
孫が大学生になって、自動車学校に行くようになりました。今日は「運転免許証をもらった」といって、パパママ付き添いで自動車でやってきました。 
 孫が自動車を運転するようになったんだ! えらいえらい! 
 ぼくが運転免許証をもらったのは、39歳のときでした。38歳のとき西宮から神戸市北区に引っ越して、西宮に勤めて夜は遅くなるし、車が必要でした。西宮の自動車学校に通い、苦労して免許証をもらいました。
 道子さんが運転免許証をもらったのは50歳になってからでした。ふとした〈出来心〉というか〈魔が差した〉というか、自動車学校に通う気になり、学園都市の自動車学校に入りました。
 道子さんは苦労して、苦労して、仮免許証をもらってからは、ぼくの車に乗って、いまの「神戸高専」あたりの造成地を走りまわりました。5月の連休は道が混んでいるからどこにも行かないのに、ガソリンを入れるほど無人の造成地を走りました。「あのとき免許証をとってなかったらいまの田舎暮らしは実現しなかった。それまで自動車免許なんて考えたこともなかったのに、よくもまー、自動車学校に通う気になったもんだ」と不思議に思うことがあります。
 82歳のおじいさん78歳のおばあさんになり、白内障の手術をして、「運転免許証返納適齢期」になりましたが、まだ当分運転するつもりです。しかし絶対人に迷惑をかけなくない。事故をおこしたくない。必ず二人で車に乗り、安全を二人で確かめ、夜は車に乗らず、法定速度を守って、運転するつもりです。
 日本の車社会も成熟期になりました。「交通戦争」というコトバがありましたが、事故も死者も少なくなりました。私たちも事故に遭うことなく、人生を終えることができますように。
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