図書館で二回つづけて借りている半藤一利『昭和史』を、これからも繰り返して読んでみようと思い、Amazonで買いました。同じ著者の『ノモンハンの夏』も。『ノモンハン……』は図書館に行くたびに探しても、だれか借りているようで見当たりませんでしたから。
『昭和史』ですが、あの戦争に突入するまでの歴史を見る目が、新しいメガネを掛けて見えるようになった気がします。例えば次の記述です。
(石原莞爾らが満州事変を起こしたとき)彼らは新聞を徹底的に利用して、満州独立の構想を推進しようと考えます。戦争は、新聞を儲けさせる最大の武器なんです。だから新聞もまた、この戦争を煽(あお)りながら部数を増やしていこうと、軍の思惑通り動きました。
満州事変の本格的な報道は十月からはじまるのですが、それから約六ヶ月間に、朝日も毎日も臨時費約百万円を使いました。ちなみに当時の総理大臣の月給は八百円です。いかに新聞が金を使ってやったか……朝日の発表によりますと、飛行機の参加は八機、航空回数百八十九回、自社製作映画の公開場所千五百、公開回数四千二十四回、観衆約1千万人、号外発行度数百三十一回、と大宣伝に大宣伝を重ねたんですね。すると毎日新聞が、負けるもんかと朝日以上の大宣伝をやりました。当時の政治部記者、前芝確三という人が後にこんなふうに語っています。
「事変の起こったあと、社内で口の悪いのが自嘲的に〝毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争〝などといってましたよ」
つまり、この戦争は毎日新聞が後援しているみたいなもんだというくらいに、報道の上で太鼓を叩いたんです。現地に行く新聞記者、特派員も各新聞がエース、名文家を送り出して徹底的に書きまくりました。
熟知する豊富な資料をつかい、庶民の視点でわかりやすく語る。昭和五年(1930年)に生まれ、時局に強い関心を持って生きてきた半藤氏だからできる語り方です。一行一行の行間に庶民の興奮・歓喜・ため息・怯え・恐れが込められ、70年も80年も前のことが歴史としてでなく自らの人生の出来事として迫ってきます。
満蒙開拓青少年義勇軍に関心を持ってから読み直した色川大吉の『自分史としての昭和史』や遠山茂樹らの岩波新書『昭和史』とひと味ちがいます。しばらくはこの本を繰り返し読んでみます。
『昭和史』ですが、あの戦争に突入するまでの歴史を見る目が、新しいメガネを掛けて見えるようになった気がします。例えば次の記述です。
(石原莞爾らが満州事変を起こしたとき)彼らは新聞を徹底的に利用して、満州独立の構想を推進しようと考えます。戦争は、新聞を儲けさせる最大の武器なんです。だから新聞もまた、この戦争を煽(あお)りながら部数を増やしていこうと、軍の思惑通り動きました。
満州事変の本格的な報道は十月からはじまるのですが、それから約六ヶ月間に、朝日も毎日も臨時費約百万円を使いました。ちなみに当時の総理大臣の月給は八百円です。いかに新聞が金を使ってやったか……朝日の発表によりますと、飛行機の参加は八機、航空回数百八十九回、自社製作映画の公開場所千五百、公開回数四千二十四回、観衆約1千万人、号外発行度数百三十一回、と大宣伝に大宣伝を重ねたんですね。すると毎日新聞が、負けるもんかと朝日以上の大宣伝をやりました。当時の政治部記者、前芝確三という人が後にこんなふうに語っています。
「事変の起こったあと、社内で口の悪いのが自嘲的に〝毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争〝などといってましたよ」
つまり、この戦争は毎日新聞が後援しているみたいなもんだというくらいに、報道の上で太鼓を叩いたんです。現地に行く新聞記者、特派員も各新聞がエース、名文家を送り出して徹底的に書きまくりました。
熟知する豊富な資料をつかい、庶民の視点でわかりやすく語る。昭和五年(1930年)に生まれ、時局に強い関心を持って生きてきた半藤氏だからできる語り方です。一行一行の行間に庶民の興奮・歓喜・ため息・怯え・恐れが込められ、70年も80年も前のことが歴史としてでなく自らの人生の出来事として迫ってきます。
満蒙開拓青少年義勇軍に関心を持ってから読み直した色川大吉の『自分史としての昭和史』や遠山茂樹らの岩波新書『昭和史』とひと味ちがいます。しばらくはこの本を繰り返し読んでみます。