古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

彼岸花いっぱいの土手になーれ。

2011年09月30日 04時00分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
              
 桾原からオリエンタルゴルフ場を抜けて新庄の交差点に出ると、いま田んぼの畦は彼岸花の花盛りです。酒米・山田錦の稲刈りは10月10日頃からですからそれまでは写真のような秋の景色が見られるでしょう。東条町は彼岸花を畦に植えようと地域で呼びかけがあったのか、こんな景色がとどろき荘周辺のあちこちで見られます。
 ぼくは彼岸花が好きではありませんでした。子どもの頃「毒のある花だから摘んではいけない」といわれていました。事実毒の花です。でもネットで調べてみると、彼岸花に興味を持っている人は多いようで、彼岸花の名所・全国一覧表が写真付きでアップされています。
 大豆畑トラストをやっていたときは、20メートルほどの畦に球根を植えました。彼岸花は年々増えてつながり、いまでは彼岸花の花の帯ができているはずです。それに味をしめて去年の冬はうちの畑の畦に植えていきました。ネットで調べてみると、この球根は三年のうち二年は花が咲くけれどあとの一年は「お休み」して球根を増やすのに栄養をまわすそうです。球根というより鱗根ですが。
 そうか。去年このあたりは花が連なっていたはずのに花が出ないのは「お休み」なのかと納得しました。どんなときに使ったか忘れましたが、子どものときおばあちゃんが彼岸花の根を掘り出しておろし金ですり、うどん粉なんかと混ぜて貼り薬にしていたこともありました。昔は飢饉のときこの根をさらして毒を抜き、そのでんぷんを食べて飢えをしのいだそうです。オーストリアではこの根からアルツハイマー病の特効薬を開発したとも書いてあります。
 このところ畑の草やトマトの茎などいろいろと片付けるものがあり、毎日のように夕方燃やしました。畝間の草削りもして畑はすっきりしましたが、竹の燃料がなくなりました。裏山で切った竹はいっぱい積み上げてあるので、薪サイズに切って燃料づくりをしなければなりません。することがあとからあとから出てきます。仕事に追われるのでなく、たのしんで体を動かしたいと思います。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼岸花に縁どられた畑になーれ。

2011年09月29日 01時06分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 彼岸花があちこちの畦で咲いています。これは三木市細川町金屋のローソン駐車場に立つエノキです。根元に地蔵さんが祀ってあり、その後ろに彼岸花が群生しています。きのうは膝のお医者さんに行き、水を抜いてヒアルロンサン注射をしました。その帰りに寄ったらちょうど撮り頃でした。すぐ後ろの田んぼは稲刈り直後でしたが、なんかストーリーを感じる場面です。
 東条町にも寄ってみようかと道子さんも乗り気だし、家に帰らずに桾原(クヌギハラと読みます)の信号から東条町天神にまわってみました。こちらも畦は彼岸花で赤くなっています。とどろき荘の裏も彼岸花の花盛りです。このあたりは彼岸花を意識的に畦に植えたようで、あちこちに群生が見えます。
 うちの畑の畦は100本を越えたところから増えていません。今年咲いたのは104本。500本は植えたと思うのに、彼岸花は強い球根で絶対生えてくると信じているのに、これでおしまいでしょうか。
「なんでこんなところに……」というような場所に彼岸花の一群れがはえていることがあります。それは「だれかが植えたのでなく、圃場整備で新しく土手をつくったとき、昔の球根が地中に埋められ、それが何年もたってから生えてきて群生をつくった」という気がします。冬には補植するつもりですが、いま地中にある球根も三年目四年目五年目になってから生えてくるでしょう。今生にて彼岸花に縁どられた我が畑を見られますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の冬はリコリスを補植します。

2011年09月28日 04時12分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 サツマイモはツルボケだったと書きましたが、写真のように長い芋が出てきました。50センチの曲尺(『カネジャク』と読みます)と比べたら長さがわかるでしょうか。比較のために置いた上の大きなサツマイモも顔色なしの長さです。これが横なりに三株分の長さにできていました。(縦にできていたら掘れなかったでしょう)
まさにツルボケ芋の代表選手です。
 それを折らないように掘ったのは娘たちです。毎日曜日に孫たちとやってきて、サツマイモをひと畝ずつ掘ってくれます。ぼくなら、三本爪の備中(ビッチュウ)鍬で掘りますから、こんな芋は一鍬で折ってしまっていたでしょう。時間を掛けて丁寧に掘ってくれました。なおツルボケは肥料過多もあるでしょうが、『ツル上げ』をしっかりしなかったのがよくなかったようです。毎年よくできるので今年はツル上げをサボっていました。
 畑の北側は上の田んぼですが、東・南・西は土手になっています。土手の肩に去年の冬500球のリコリス/彼岸花(球根)を植えたことは何度か書きました。そのリコリスが咲きはじめ、きのう畦を歩いて数えたら100本を越えました。(球根はくっついて増えますので二本咲いたのもありますが一本に数えました)いまでは毎朝、リコリスを数えながら土手を歩くのがたのしみです。土手の肩は草を刈ったので地面からチラッと出た芽を見つけるとうれしくなります。
 彼岸花は強い花で「半年放置した球根を30センチ以上埋めても芽を出す」と本に書いてありました。だから500球全部がいずれ芽を出すだろうと彼らを信じているのですが、いまは歯抜け状態なので冬に補植することにします。買えばひとつ50円するので、以前植えていまは球根が増えているむーな村にもらいに行こうと思います。
 彼岸花は毒があってモグラがいやがり、土手に穴をあけたりするのを防ぐのに役立ちます。だから昔はあちこちの田んぼの畦に群生していました。大正や明治の時代だけでなく江戸時代に植えた彼岸花も咲いていたでしょう。秋の田んぼの風情でした。しかしトラクターや田植え機やコンバインが入るよう耕土改善が行われ、土手も新しく築かれて彼岸花を見なくなりました。ちらほら生えている土手がありますが、昔の球根が頑張って地中から伸びてきたかもしれません。
 東条町の田んぼには彼岸花の群生が見られる畦がところどころあります。とどろき荘の裏など。県道20号線ぞいでは金屋のローソンの駐車場から見えるエノキの下。そのうち我が家の畑も群生の仲間入りをしたいと思っていますが我が今生で見られるでしょうかねー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深夜にブログを書いています。

2011年09月27日 03時38分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 いま夜中の三時です。一時間ほど前から起き出して、写真をパソコンに取り込み、ブログを書いています。後ろでは道子さんが起き出して、野菜の害虫の本を読んでいます。さっきは「地球上の蟻の総重量は人間の総重量より重いんだって」と本に書いてあることを伝えてくれました。ダレが量ったんでしょうね。
 なにしろ畑仕事で疲れて夜の8時過ぎには寝てしまうものですから、こんな時間に起き出してしまいます。ときどき不定期に。気ままな暮らしです。
 写真は『花虎の尾』の花です。我が家の畑の入口に咲いています。
 舗装道路から畑に入るには2メートル余りの橋を渡らねばなりません。畑を借りることになったとき、ぼくはその橋に欄干をつけました。橋の下はブロックむき出しになっていましたから、その穴を利用してシマヘビがアパートにしていました。でも畑に行くたびにヘビを見るのはいい気がしないものですから、ぼくらはシマヘビを締め出すことにして、ブロックの穴にセメントを練って詰めていきました。
 シマヘビは、「ここはオレのスミカだ!」と思っていますからアパートに入れなくなっても日向ぼっこをしています。そこで嫌な臭いのするヘビ忌避剤を買ってきて撒きました。時間はかかりましたがシマヘビは人間の横暴を不承不承受け入れたようで、そのうちどこかに転居しました。あれから足掛け四年。いまシマヘビはどこにどうしているのでしょうね。
 さて、橋はトラクターが通る幅がありますから一輪車や耕運機や人間が通ると左右にゆとりがあります。あちこち花いっぱいにしようと道子さんは、橋の両脇に花を植えました。それがこの『花虎の尾』です。いまきれいに咲いています。そこに黒いアゲハチョウが蜜を吸いにやってきます。見ていると、こころがほっこり。
 ところで小豆のうねを取り囲む高さ2メートルの防風ネットですが、役に立っているようです。道子さんによると、アズキノメイガはいくらかネット内に入って小豆の茎に卵を生んでいるが、数は去年なんかに比べられないほど少ないそうです。バサバサッと小豆の茎をゆらして飛び立つ蛾を捕殺するにしても、ネットがまわりにあると成功率が高いそうです。4ミリの防風ネットは、いまのところ『有効!』です。
 アライグマの檻にはその後動物はかかりません。餌も入れてないし。でも網をかぶせているからでしょう、サツマイモはやられた形跡はありません。これもアライグマには「有効!」と考えていいでしょう。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野坂昭如『火垂の墓』に思うこと

2011年09月22日 04時35分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 日本が戦争に負けた八月十五日前後には敗戦にまつわる昔の映画がテレビ放映され、人々は空襲の被害を受けた可哀想な子どもたちを見させられることになる。識者と称する人たちは「戦争体験を風化させてはならない」といい、『語り部』たちは「悲惨な戦争から目をそらさないで!」という。
 そのときよく取り上げられる映画に『火垂の墓』がある。子どもが空襲で親を失い、逃げまどい、栄養失調で死ぬ悲惨なストーリーが、アニメで映画化され、上映され、何度もテレビ放映された。アニメ版ではもの足りなかったのか、実写版の『火垂の墓』も西脇あたりの田舎でロケをしてつくられたそうだ。この実写版は「見たくない」と思って見ていないけれど。
 ぼくは戦争には反対だし、満蒙開拓青少年義勇軍として満州に渡った少年たちの体験を「聞き取り」したこともある。昭和10年代には全国から85000人の少年たちが「志願」によって集められ、満州に渡り、25000人の少年は日本に生還できなかった。しかしいま日本で暮らす人々に、その悲惨な地獄絵を「目をそらさないでください」と押し付けることにはためらいがある。
 ある若い知人は『火垂の墓』(アニメ)を「きらいや!」という。悲しいから見たくない。そんなやさしいこころ根に土足で踏み込んで「戦争を風化させるな! 目をそむけるな!」というのはどうか。深夜の電話のような荒っぽさはいまの時代にはもう合わない。
『火垂の墓』の野坂昭如の文はすごい。ふつうの文章をゴテゴテ連ねたのではとても書けない場面を、一つの文でこう書いた。小説のはじめのほう、夜の省線(いまのJR)三宮駅の描写につづく、清太の死ぬ場面である。


 もはや飢はなく、渇きもない、重たげに首を胸におとしこみ、「わあ、きたない」「死んどんのやろか」「アメリカ軍がもうすぐ来るいうのに恥やで、駅にこんなんおったら」耳だけが生きていて、さまざまな物音を聞き分け、そのふいに静まる時が夜、構内を歩く下駄のひびきと、頭上を過ぎる列車の騒音、急に駆け出す靴音、「お母ちゃーん」幼児の声、すぐ近くでぼそぼそしゃべる男の声、駅員の乱暴にバケツをほうり出した音、「今、何日なんやろ」何日なんや、どれくらいたってんやろ、気づくと眼の前にコンクリートの床があって、だが自分がすわっている時のままの姿でくの字なりによこ倒しになったと気づかず、床のかすかなほこりの、清太の弱い呼吸につれてふるえるのをひたとみつめつつ、何日なんやろな、何日やろかとそれのみ考えつつ、清太は死んだ。


 ぼくは神戸に住んでいたときは大倉山の中央図書館で本を借りた。ある日、一冊の本を見つけた。野坂昭如の小説『火垂の墓』『アメリカヒジキ』の二編が本になっている。借りて帰った。表紙は皮装で天は金、手ざわりのいい、張りのある紙で、印字はくっきりしている。本の風格というか品というか、凛とした存在感をもつ本だ。定価を見ると、文庫本なら数百円で買える本が、25000円となっている。それだけお金をかけた本かどうかぼくにはわからない。しかし金儲けのためにこの作品を本にしたのではないことはわかる。
 何歳まで生き、どんなしあわせな人生をおくることになろうと、生涯大事にしたい思いを、野坂は書いてくれた。そのことへの感謝が伝わってくる。「これでもか。これでもか」と悲惨さを押しつける映像はすたれて、この小説は未来に伝えられていく。
 
 数ヶ月考えてきたことです。まとまらないまま書きました。戦争体験の伝承については異論のある方がおられるでしょう。お考えをきかせてください。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木市民病院外来患者の半分は70歳代以上ですって。

2011年09月17日 02時57分37秒 | 古希からの田舎暮らし
               
 きのうは、新しい病院への交通手段の確保について住民説明会がありました。写真はその様子です。おもしろくもない写真でごめんなさい。参加対象は老人会ですから我が家も二人が参加しました。そこで渡された資料を見ていたら、去年の三木市民病院の外来患者数が出ていました。
 去年の外来患者数は全体で93000人。そのうち70歳以上の人が44000人で47パーセントを占めています。60歳代は25000人で27パーセント、残りつまり50歳以下は22000人23パーセントしかありません。市民病院外来患者の4人に3人は60歳以上、二人に一人は70歳以上ということになります。
 あいさつに立った市長が「このままでは市民病院は確実になくなります」とあいさつしていました。そんなことにうといぼくでも、この数字を見たらとってもよくわかります。全国の自治体がやってる病院が同じ問題に直面しているのですが、わが市では小野市といっしょに総合病院をつくってなんとかしようとしています。「頑張れ!」としかいいようがないけど、いまの政治って大変なんですね。
 草刈り機のネジが折れたので、4年前に買った『ナンバホームセンター』に持って行きました。ワイヤーを通すネジが折れただけでエンジンは快調なのですが、それでも「スロットルのワイヤー全体を交換することになるかも」といわれていました。「5000円くらいかかるだろうか」と思っていたら、きのう修理できたと電話がありました。580円かかったそうです。手間賃も請求されずネジの代金だけで助かりました。
 きのう軽トラで散歩していたら、リコリスが咲いている庭がありました。リコリスは『彼岸花』『曼珠沙華』のことですが、ぼくの田舎では『シタマガリ』と呼んでいました。子どもの頃「あの花には毒がある。あの花にさわった手をなめると舌がまがる」と信じていました。
 うちの畑の土手には去年の冬500球のリコリスを埋め、秋にはところどころ咲いていました。今年は球根が増えて、多少はベルト状に咲くでしょう。でも咲いたのは10月に入った頃で、お彼岸にはまだ一本も咲きませんでした。去年は夏が暑くて、秋の涼風が遅れたからでしょう。今年は早いかもしれません。
 リコリスが芽を出さないうちに土手の肩だけは刈っておくことにします。草が伸びていたのでは折角咲いても目立ちませんから。
 さてアズキノメイガを防ぐ防風ネットですが、道子さんによると一部の蛾はネットを越えて入っているそうです。でも数は少なく、高く飛び上がらないしネットがあるので捕殺しやすいということです。
 きのうコイモの芽を切り、草を抜いていたら夜盗虫が葉っぱにとりついていました。去年は村の黒豆畑に大発生し、葉っぱをレース状にし、アルファルトの道にぞろぞろ這い出してきました。あれだけの夜盗虫に襲われたら、コイモなんか一晩で葉っぱが丸坊主になるでしょう。毎日気をつけて見ることにします。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱中症には気をつけましょう。

2011年09月16日 05時06分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
             
 きのうは町ごとの老人クラブが『グランドゴルフ』チームを出して、三木市全体の大きなグランドゴルフ大会が吉川町民グランドで行われました。出場チーム数は80チーム以上。各チームが6名の選手と1名の係を出しますから、<7人×80チーム>として560人の老人が集ったことになります。(係は出していない町もありました)写真はその半数の250人の老人たちがラウンドしている場面です。はるか向うに野球のバックネットが見えます。
 雲の見えない好天で、刺すような陽射しです。なにしろ人数が多いし、老人のことですから走って行動したりしないので、集合して開会式をするのにも時間がかかります。全チーム2ラウンドずつの試合が終ったのは12時半をまわっていました。それから閉会式です。
 全部終って町ごとに食事にありついたのは午後1時半くらいでしょうか。ゆっくり食事をして、車を運転して3時過ぎに家に帰り、30分ほど昼寝をしてから畑に出るつもりでした。クーラーをかけた部屋で昼寝し、目が覚めたら窓の外が薄暗くなっています。時計を見ると6時を過ぎていました。
 起き上がろうと思うのに動作が緩慢で、どうも調子がおかしい。考えてみると午前8時前から午後1時過ぎまで、少しは木陰に入ったものの照り返しの強いグランドでずっとうろうろしていたのです。熱中症になりかけの兆候ではないかと思いました。ぼくだけでなく、あの大会に参加した老人たちががあとでこたえているのではないでしょうか。
 7月26日には炎天下の午前中、口吉川町のグランドゴルフ大会がありました。(6月終りの頃、長雨で延期延期になっていた大会です)そしてきのうの全市の大会。長年生きてきた老人でも、体に響きます。それぞれに仕事をやりくりし、すき間のないグランド使用の間をぬって大会を開いたのではありません。ふだんから「空き」だらけの老人の日程と「空き」だらけのグランドの使用状況です。なんでこんな日に「長生き・健康増進」のグランドゴルフをしたのでしょう。
 畑仕事に精を出す日々ですが、熱中症には気をつけます。朝早く、夕方になってから仕事をします。
 
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サツマイモは「つるぼけ」でした。

2011年09月13日 03時01分29秒 | 古希からの田舎暮らし
 9月7日のブログでアップした写真のサツマイモのうねを全部掘りました。このうねはかつて見たことのないほどツルの勢いがあり、尋常でないと思っていましたがやはり立派な「つるボケ」でした。30株植えたと思いますが、大きな芋はひと株につき一つか二つで、あとはヒゲのような芋ばかりです。サツマイモをつくって10数年になりますが、こんなひどいつるボケははじめてです。
 ヒョロヒョロの細長い芋の写真をアップしようかと思いましたが、うれしくないのでやめ。
 掘ったうねは落花生と黒豆にはさまれていたので、そちらに意識がいって、サツマイモの『ツル上げ』をさぼっていました。ですからツルはどんどん伸び、葉っぱはびっくりするほど大きくなり、次々と根をおろしてお手本のような『ツルボケ』になってしまったのです。
 アライグマに襲われたサツマイモのほうは、7うねあるのですが一列目は被害がひどいので掘ってしまいました。二列目もアライグマが掘って上のほうをかじったところは、芋の芽が出ています。そろそろ芋掘りシーズンなので整理しておこうと芽の出たところを掘ってみると、被害は見た目よりひどい。ツルがあちこち伸びてわかりませんでしたが、株の根元からちぎられたツルがあり、そんな芋は成長が止まって芽が出ています。
 土の中のムシも、サツマイモをガジガジかじりはじめました。なんであんなにきたなく、いやらしくかじるのでしょう。せめて端っこのほうからかじればいいのに。どうも『イモホリ』は早くするほうがよさそうです。
 小豆の防風ネットは、いまのところアズキノメイガの侵入を防ぐ役目を果たしています。カメムシ、夜盗虫の卵を生む蛾、チョウチョなどは2メートルのネットを越えて侵入していますが、道子さんによるとアズキノメイガの『蛾』は入っていないようです。防風ネットの内側に、道子さんが黄色い紙を10枚ほどぶら下げました。蛾を誘引する粘着シートです。それに夜盗蛾がいっぱいかかっています。これだけの蛾が夜盗虫の卵を生み、それがかえって夜盗虫が小豆のさやを食べたら相当な被害になるでしょう。それを防いだことになります。
 コオロギの姿が目立つようになりました。道子さんは、アセビの煎じ汁でヌカを練った『アセビ団子』を撒いて作物への被害を防ごうとしていますが、コオロギも頑張る気配です。芋を掘っていると土色の小さい蛙がいっぱい跳びます。よく見ると小さい虫を目ざとく見つけて食べています。蛙もがんばってるんだなー。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽会に行ってきました。

2011年09月10日 03時48分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 西宮北口といえば45年前結婚した年に駅から5分のところに住んでいました。風呂のついてない文化アパートで、窓から西宮球場のスコアボードが見えました。ぼくはその頃『阪急ブレーブス』を応援しており、バッターではスペンサーや矢野や長池がおり、ピッチャーでは梶本、米田、足立が活躍していました。(記憶間違いがあるかもしれません)野球場の外野入口から内野入口のほうにぐるっと歩いて、球場入口近くのお風呂屋さんに行きました。
 ときどき『西宮競輪』があり、ジャンパー姿のおじさんがホームにあふれ、駅周辺の雰囲気がガラリと変わりました。また西宮北口駅はその頃今津線と神戸線が直角に交わっていて、駅を発車したすべての電車が「ガタガタン、ガタガタン」と独特の音を立ててその交点を通過しました。どこに行くにも便利な駅で、ある夕方ふっと「奈良に行こう」と思い立ち、猿沢の池近くの旅館に泊ったこともあります。
 きのうは兵庫芸文センター管弦楽団定期演奏会があり、西宮北口に行ってきました。三木から行くのはやはり車がいいです。1時間20分で芸文センターの駐車場に着きました。早く着いたので阪急ガーデンに初めて行き、食事をしました。西宮北口の南出口あたりはゴミゴミした感じでしたが、野球場がきれいな商業施設になっていてびっくりしました。
 音楽会は、佐渡裕が指揮し、中国の13歳の天才少年“牛牛(ニュウニュウ)”くんがピアノを弾きました。それにしても< ストラビンスキー:組曲「プルチネルラ」 / ショスタコーヴィッチ:ピアノ協奏曲第1番 / ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 / ファリャ:「三角帽子」第1・2組曲 > というプログラムで、三日間の定期演奏会はチケット完売! 
「牛牛」はギュウギュウと日本語読みすると焼肉屋さんみたいな感じになってしまいますが中国語読みはいいですね。「ニュウニュウ」くんはまだ乳の香がとれないような少年ですが、ピアノはうまかった。『パガニーニの主題による変奏曲』で、あのなじみ深い18番変奏が流れたときはきれいな音に涙ぐんでしまいました。
 実は「田舎暮らしをするようになってもときどき音楽会には行こう」と道子さんと話し合い、神戸の音楽会などに出掛けるつもりにしていました。でもこの4年半の間に出掛けたのは、オペラ『魔弾の射手』、ヘイリーの歌、北西ドイツ交響楽団の演奏会など数回しかありません。ちょっと少ない。そこで芸文センター管弦楽団の定期演奏会シリーズのチケットを購入したのです。10回シリーズで毎月あります。この日は早目に出掛けて、阪急ガーデンの本屋さんに寄ったりショッピングをしたり食事をしたりして音楽を聴く日にします。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬瓜三兄弟でーす。

2011年09月08日 04時28分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
              
 畑のそばのお宅から毎年いただいていた冬瓜(トウガン)を今年は我が家でつくろうと、カボチャの列に苗を植えました。そしてできたのが写真の冬瓜三兄弟です。一つ量ってみたら5,7キログラムありました。スーパーで売っている冬瓜は昔の枕くらいの大きさですが、これは立派です。早速食べてみたらおいしかったです。来年も一本は植えることにします。
 きのうはゴマの根を燃やし、スイカ畑を片づけ、ゴマの畝とか大豆の畝間を耕運しました。道子さんは豆類のムシの防除に専念し、小豆のネット内に黄色い粘着の紙をぶら下げました。アズキノメイガは黄色に寄ってくると書いてありましたので。早速夜盗虫の卵を産むヨトウガが数匹くっついていました。
 小豆の畝を囲む青い防風ネットはどこから見ても目立ちます。きのうも犬の散歩をしている人に「なにをつくっとられるんですか」ときかれました。そこでまたアズキノメイガの飛ぶ高さから説明します。村の人は納得したような、しないような顔できいて、去っていかれます。もう10人近くの人に説明したでしょうか。わざわざ質問はしないけど「青いネットはなにかなー」といぶかしく思う村の人もおられるでしょう。
 そういえば先日、神戸電鉄の粟生線に乗り第三セクターの北条鉄道に乗ったとき、うちと同じ青いネットを沿線で見かけました。こちらは相当大きな果樹園の囲いのようでした。イチジクかなにか果樹を鳥から守るための囲いでしょうか。
 草刈りの刈払い機を修理に出しました。マキタの26ccの刈払い機で、いまの畑を借りるようになって買ったので四年目です。いまも快調でエンジンはひもを一回引けばかかりパワーもありますが、アクセルのワイヤーを通す中空のネジが折れたのです。10日もかかるとか。いま修理に出しておけばお彼岸前の草刈りには間に合うでしょう。
 この数日、畑で仕事をしていても散歩していても頭の中で音楽が鳴っています。サラ ブライトマンとアンドレア ボッチェリの歌う“Time to say goodbye" が。車を運転しているときにふと口ずさんでいたり。そんなことってときにありますよね。ベートーヴェンの『悲愴』の第二楽章がずっと鳴ったり、童謡や歌謡曲の一節がずっと鳴ったり。
 題名を見ると別れの歌ですが、この曲はこれから蒼い空に羽ばたこうとするような、遥かな水平線に向かって航海がはじまるような感じです。ネットで調べてみるとやはりこれから「二人で旅立つ」という意味で、結婚式の披露宴なんかでも歌われるようです。
 元は15年ほど前にボッチェリが歌っていましたが、ブライトマンとデュエットで歌うようになって世界中で大ヒットしたそうです。you tube ではブライトマンが、子どもの頃サッカーの事故で目の見えなくなったボッチェリの手をしっかり握って登場し、情感を込めて歌います。
 ブライトマンのあとにボッチェリの歌い出す声を聞くと、胸がすーっとひろがり、気持ちがいい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サツマイモを掘ってみました。

2011年09月07日 03時46分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
             
 写真中央のうねは、サツマイモです。夕方、アライグマ対策で動物防御ネットをかぶせたところです。右が落花生、左は黒大豆のうねです。この1うねだけ離れたところにサツマイモを植えたのですが、バイオの苗だったようでいまごろ凄い勢いで繁っています。三日に一度ツル上げしても左右の黒大豆、落花生のうねにすぐ伸びていきます。そこで左右に竹の杭を打ち込みマイカ線を二本張って、自分のうねだけで繁るようにしました。
 すると一段と盛り上がって左の黒大豆より高くなるほど繁っています。葉っぱがびっくりするほど大きく、ツルボケではないかと心配です。このうねは去年何を植え、どんな肥料を入れたかもう覚えてないし、記録しようと思いながらしてないし、とにかく掘ってみようときのうの夕方写真手前の三株を堀りました。
 ツルボケのヒョロヒョロの芋も、しっかり太った芋も出てきて、まずはひと安心。全体としてはまあまあでしょう。掘ったサツマイモのツルは墓の下の空いたうねに並べました。少し干してからでないと燃えません。三年前にはツルを押し切りで刻んで堆肥にしましたが手間が大変でした。干して燃やすのがらくです。
 きのう夕方、ゴミステーション前の草を刈ろうと軽トラで行きました。半月以上刈ってなくて道子さんのつくった花壇が草に埋もれてしまいそうでしたので。刈りはじめたところに村の人がやってきて、田んぼにくすりをかけるから来ないようにといわれました。きょうの朝刈ることにします。
 稲は、遅い山田錦やヒノヒカリも穂が出はじめました。この時期に必要なくすりもあるのでしょう。「そんな手入れをしないと田んぼはどうなるか」という見本のような雑草の生い茂る小さな田んぼが公民館前にあるのですが、きのう帰りにまわってみたら先日の台風の風で雑草も稲も倒れていました。有機無農薬なんて簡単にいいますが生易しいことではありません。
              
 この写真もきのうの夕方撮ったものです。手前の円筒形の容器は高さ60センチのあぜパネルを三枚つないだもので、コープ瑞穂農園の堆肥を入れています。(ふたは自作)左のサツマイモの6うねに動物防御ネットをかぶせてあるのがわかるでしょうか。毎朝このネットを手前に引いてあけ、夕方にはかぶせています。サツマイモの手前のひとうねは、アライグマの被害がひどかったので全部掘ってしまいました。
 ネットは手前側を竹にくくりつけているだけで、あとの三辺は押さえていません。だからネットをくぐって中に入り、サツマイモを掘れば食い放題です。でも「体にふれるネットの下をもぐるのは動物にはこわいことで、そんなことはしない」と人間は思うのですがどうでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴマを早めに収穫してよかった。

2011年09月06日 05時00分50秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 毎年ゴマには手がかかりますが、今年ほど道子さんがゴマに手をかけたのははじめてでしょう。例の巨大幼虫をいっぱい退治しつづけ、8月後半には畝を見まわって、現われはじめたカメムシをつぶし、葉を落としてきました。そして下のサヤがはじけ出した8月末には200本超のゴマを全部折って収穫してしまいました。
 きのう軽トラで散歩していたら、となり村の畑でゴマの短い畝を見かけました。「ここにもゴマをつくっている人がいたんだ」と見ると、ゴマはまだ葉っぱがいっぱいついており、台風で大きく傾いています。はじけはじめたサヤも雨に濡れたことでしょう。ゴマは濡れると芽を出してしまいます。「我が家は台風前に収穫しておいてよかった」とあらためて思いました。例年より早かったけど収量は多く、道子さんが夜なべ仕事にゴマ選別に精を出しています。ぼくは見ているだけです。いつもすまんことです。
 雨があがって畑に行ってみると、トウモロコシがやられています。「さてはアライグマが来たか」と調べてみると、指の長い、手の形をしたアライグマの足跡ではありません。足跡は、猫にしては大きいし(それに猫はトウモロコシなんか食べないし)、犬のようです。犬にはいままでにもトウモロコシを食べられたことがあります。
 おかしいな。うちの村に野犬はいないはずだし……、と思案するとすぐにあの『脱出癖のある放浪老犬』を思い浮かべてしまいます。一応念のために檻にチキンラーメンと三笠饅頭を仕掛けておきました。動物防止ネットをかけたサツマイモはその後食べられた形跡はありません。
 アズキノメイガを防ぐための高さ2メートルの防風ネットは、台風に備えて補強していたので大丈夫でした。小豆はそろそろ花が咲く頃ですが、アズキノメイガはまだ入っていないようです。夜盗虫の卵を産む蛾は高く飛ぶので上から入ってきますが、これは道子さんが捕獲してつぶします。道子さんはいま孫の捕虫網をネットの中に常備しておき、毎日蛾をつかまえています。小豆をゆすって飛び立つ蛾を網でつかまえるのです。防風ネットがあるので蛾を捕まえやすくなったといってます。
 で、ぼくはなにをするかというと、メロンやスイカの畑の草を刈り、イチゴ苗を仮植えする畝をつくります。イチゴ畑には9株残しましたのでいまランナーからたくさんの苗が出ています。イチゴの苗でしたらいくらでも差し上げますからどうぞ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツ映画『白ばらの祈り』 《ゾフィー・ショル 最期の日々》

2011年09月03日 16時50分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 CS放送728チャンネルで7月末に映画を見ました。その映画への思いを引きずったままひと月が過ぎてゆきました。なにかを伝えようと思うのにかたちになりません。ブログや解説を勝手に引用して、映画の紹介をします。
 2005年制作で、日本では2006年に上映されました。国内外のいろんな映画祭で賞を受けています。
 1943年(昭和でいうと18年で、太平洋戦争で日本が敗退を重ねるようになったときです)2月、ミュンヘン大学の学生だった21歳のゾフィー・ショルがゲシュタポに逮捕されました。彼女が逮捕 ⇒ 取調べ ⇒ 裁判 ⇒ 両親と面会 ⇒ 処刑 になった2月18日からの5日間を、映画は史実にそってたどっています。実はベルリンの壁崩壊後、東ドイツに保管されていたこの事件の取調べ調書・裁判記録が発見されました。映画はナチス・ゲシュタポの手で記録された発言をそのまま劇映画として構成しています。事実のもつ重みが胸にこたえます。ネットの映画紹介を写します。


 第二次世界大戦下のドイツ・ミュンヘンで「打倒ヒトラー」を国民に呼びかけて、反ナチス抵抗運動をした学生グループ「白ばら」。そのメンバーであるゾフィーが、兄と大学構内で反戦ビラをまいているところを見つかり、逮捕され、反逆罪、敵対幇助・軍の士気喪失の企て等の罪によって人民法廷で死刑を宣告され、即日処刑されるまでの5日間を描いた作品。
 監督が連邦公文館に眠っていたゲシュタポによるゾフィーの取調べ調書を忠実に映像化しているので、この映画の見せ場であるゾフィーとベテラン尋問官のやり取りは創作では生み出せない言葉の重みがひしひしと伝わって圧倒される。
 主人公のゾフィーは地元ドイツでは時代を超えた有名人アンケートで4位にランク(30代以下の若者では1位)されるくらい神格化されているヒロインだが監督は取り調べ中に気丈に振る舞っていたゾフィーが死刑を宣告された後に牢獄で昂ぶった感情を抑えられずにひとり泣く場面を挿入することで、彼女を英雄として奉らない。それによって観客は彼女の痛みを身近なものとして共有でき、命を懸けて守り抜いた人間の尊厳が何であるのかを理解できるのだ。
 処刑室に連行されてきたゾフィーを、物でも処理するように遅疑逡巡することなくギロチンで斬首するラストシーンに、国家の前ではいかに個人が無力であるかを思い知らされる。


 戦争の映画なのに戦闘場面や官憲による凄惨なリンチなど一切なくて、むしろ静かなやりとりだけが描かれています。史実の重みがずしりとこたえたままひと月、自分なりにあの戦争をめぐる思いをまた書くつもりです。
 5月、退職者の旅行で生野銀山を訪ねたとき、知人が『アソシエ・トモ』というブログで反戦の発信をしていることを知りました。同年輩の人が己の信念にしたがって行動していることに敬意を表します。そのブログをのぞいて見ると、来年度の中学校の教科書採択がすんだようです。そして社会の歴史の教科書では種々の圧力や思惑により、侵略戦争を是とする勢力が伸びているようです。
 ある本を読んでいたら「東京は石原老人のおもちゃになっている」と書いてありました。年寄りの思いつきや手なぐさみで首都の政治が行われ、大阪では維新の会とかで教育介入がすすんでいます。『白ばらの祈り』という映画をつくり、国民が高く評価し、多くの人々が見る国とのあまりのちがいに、ため息が出ます。
 ※ 映画はDVD化されており入手可能です。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また猫が檻にかかりました。

2011年09月01日 06時17分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 アライグマを捕獲しようと仕掛けている檻に、また猫がかかりました。今年2匹目です。シャクだから檻を蹴飛ばして猫をおどしてから戸をあけ、必死に逃げるところを写真に撮ろうと、カメラを構えて道子さんに戸をあけてもらいました。
 猫は写ったけどポーズがよくない。逃げてるように見えない。仕方がないので、ゴマの根を撮ってそれをアップしよう(ゴマは細かい根をいっぱい張って育ちます)、クロメンガタスズメ蛾のサナギも横に添えておこう、と撮影しました。でもあの人面蛾というか髑髏仮面蛾は、幼虫時代も存在感あるけど、サナギになっても赤黒くてゾクッとする存在感があります。だからやめ。
 ではアップした写真はどこかというと、実はこれは口吉川町里脇ぶどう園にある足湯です。ぶどう園に行こうと車で山に入ると『足湯』と看板が出ています。温泉大好きだから寄ってみました。先着の家族連れが足湯をたのしんでいます。
 それでは……と靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、いざ足をつけてみると……。なんと水! 夏だからひんやりしていいのかもしれないけど、こんな水に『足湯』と看板を出しても法律違反にはならんのかなー。温泉の効用や分析表は貼ってありましたが、見る気がしませんでした。
 畑のそばの山では、カナカナが鳴かなくなりました。ツクツクホーシとミンミン蝉が鳴いています。きょうから9月。収穫の秋です。まずゴマは全部刈り(折り)とって干しています。畑に残った根の処理に一日かかりました。ゴマの根は細かく、いっぱい土をかかえこんでいます。そのまま片付けたのでは畑のいい土がなくなります。「田んぼの土ができるのには400年かかる」という人もいるくらいで貴重です。
 そこでセメントのブロックをうねに置き、それに根をたたきつけて土を落とします。今年は木槌をもってきてそれでたたいて土を落としました。去年手間がかかったから。でもやっているうちに、木槌よりブロックの角に根の塊をぶつけるのが一番効率がよいことがわかりました。いままで平らな面にたたきつけていました。
「そうか。73歳になってもまだ気づくことがあるんだ。これもひとつの『成長』なんだろうな」と自分で感心しながら黙々と作業しました。
 サツマイモは掘ってひと月ほど置いたときが一番おいしくなるそうです。間もなく芋掘りシーズンで娘たち孫たちはだれか連れてやってくるでしょう。そのとき食する焼き芋は掘りたてでないほうがいい。そろそろ掘って用意しなくては。
 それにしてもアライグマくん、その後やってきた気配がありません。サツマイモは毎日夕方にはネットをかぶせています。11メートル×8メートルの広いネットの下にもぐり込んで芋を掘って食べるのは、俊敏な動物にしてもいささか勇気のいる行動です。あの動物ネットで防いでいる、とこちらは思っているのですが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする