古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

妙子さんはふたたび竹薮で枝切りをします。

2012年06月30日 04時02分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 6月29日(金)の朝6時29分に撮った写真です。わが母・妙子さんが朝食をすませ、枝切りのハサミを持って竹薮に帰ってきました。妻・道子さんは結石で入院し、母・妙子さんはぎっくり腰で全面介護が必要になったとき、畑仕事や家事や介護の合間に竹薮にひとり上ってきて、ぼくは「自分にできることをひとつひとつやるしかない」と自分に言い聞かせ、あのベンチに腰掛けてひと息つきました。
 そのとき「あの歳で介護が必要になったら、ふたたび竹薮に上ってくるのは無理だろう」とここ数年竹の枝を切り刻みつづけた母の「仕事」を見ながら思いました。
 そして二ヶ月。妙子さんは竹薮に復帰しました。
 人の寿命とか、生きる意欲とか、向上心というものは、ブラックボックスに入っていて、自分にも他人にもわからないものなのでしょう。
 医者に肝硬変といわれて死を覚悟した母から「家族の員数外になってしまいました」と手紙をもらったのは、ぼくが22歳のときでした。あれからも同じようなことが何度かありましたが、それらをつぎつぎと乗り越えて「いま」があります。 
 「いま」「ここに」いる自分が、「しようと思う」ことをして生きる。いまの願いです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

播いた大豆が夜盗虫に食べられました。

2012年06月29日 04時50分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 きのう「胸苦しかった」と書きましたが、きょうは元気になって大働きしました。ブログを読んでくださったレモン屋さんから、「しっかり養生してください」とコメントをいただきました。ありがとうございます。またお訪ねくださるのを心待ちにしております。
 さて今年は味噌用だけでなく、煮豆や豆乳にもふんだんにつかえるようにと、大豆を増産するつもりです。そこで去年は「40センチおきに一本ずつ苗立てしてから植えていた」大豆を、45センチおきに横に2本ずつ種で播きました。(45センチにしたのは風通しをよくするためです)そしてハトに双葉が食べられないよう防鳥ネットを張りました。ここまではバッチリ。
 雨がよく降ったので写真のような苗がずらっと芽を出すのをたのしみにしていました。ところが歯抜け状態です。「6月11日に播いたし、うちの大豆は100パーセント発芽するから大丈夫」と思って毎日見ていたのですが、歯抜け状態は変わりません。そこで防鳥ネットをはずし、植えたところを掘って調べました。すると大豆が姿を消しているのです。出来損ないの大豆がいじけた芽を出すのならわかりますが、「豆がなくなる」とはどういうことでしょう。
 水はけのよくないところでふやけたとしても「消滅してしまう」ことはありません。たれかが「食べた」としか考えられません。ネットが張ってあったからハトではありません。とりあえず草を削っていると夜盗虫が出てきました。何匹も。
 ハハーン。オマエか。雨で固い豆が食べやすくなったのか。おいしかっただろうな。
 大豆は15年近くつくっていますが、播いた豆を夜盗虫に食べられたことはありませんでした。だから「種がわるかったか」「雨が降り過ぎたか」といろいろ疑いました。でも今年は夜盗虫以外に考えられません。道子さんが苦労しているゴマと同じように大豆も夜盗虫にやられたのです。
 56本出るべきところに32本も補植しなければならない畝もあります。半分以上食べられるとはひどい被害です。補植用の苗は30本しか立てていなかったので(種を播いたときでも補植はほとんどゼロでしたから)あわてて別の場所に大豆を播きました。そして大豆の畝にはヌカを撒きました。「夜盗虫はヌカを食べると死ぬ」とネットで読んだものですから。
 それにしてもゴマといい大豆といい苗が手ひどい被害を受けました。夜盗虫が今年は多いのかもしれません。木(竹)酢液、アセビとトウガラシの煎じ薬、アセビ入りホウ酸ヌカ団子、捕殺などあの手この手でムシ防除に精を出すことにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きのう考えたこと

2012年06月28日 02時42分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 4月の終わりにぎっくり腰になり、食事も寝起きも介助が必要になったわが母・妙子さんは、二ヶ月で回復しました。裏山に登って竹の枝を切る作業はしていませんが、あと数日で花バサミで枝を切りはじめるでしょう。写真は玄関先で草を抜いている図です。チリトリを手にもち、腰をかがめて小さい草を抜いています。花畑に入って花の苗まで抜いてしまわないかと、また心配になってきました。
 あと一年足らずで100歳になる妙子さんが竹を切り刻む材料は、今年後期高齢者になる『東中の孝行竹切り息子』が竹を切り倒して引きずってくることになります。ところがその息子がいろいろと考えてしまうようなことが、きのうありました。まー、きいてください。
 きのうは「あらごみ」収集の日でした。6時前に畑に出て、針金や錆びた衣装缶などをビニール袋に入れ、ついでに翌日の「埋めたてゴミ」の荷造りもして軽トラでごみステーションに持っていきました。
 朝食のあと畑で草などを燃やす燃料の竹を用意しようと、道具を取りに小屋に行き、ふと思いついて小屋を片付けはじめました。大工仕事で出た木切れも燃やせます。「あれをしよう」と動き出してふと目に入ったものを片付けはじめると、知らぬ間にちがう仕事に熱中してしまうことがあります。
 途中で「胸苦しさ」を感じて、部屋に戻って休みました。なかなかおさまりません。
 もう15年以上もまえですが「肋骨にヒビが入ってる」と診断されたことがあります。医者は「バットを振っても、咳をしただけでもヒビが入ることがあるから当分安静にしていなさい」とバンドをくれました。
「さっき重い砂袋を片付けたけどあれで肋骨にヒビが入ったのではないだろうか」」
 胸を押さえてじっとしていてもおさまりそうにありません。冷やしてみましたが、痛いような胸騒ぎのするような感覚はとれません。昼食の素麺もほんの少し食べただけで、欲しくありません。
「これは早めに整形外科に行ったほうがよさそうだ」膝痛でかかっている医院に午後診てもらおう、と診察券などを用意しました。
 ところがウトウト昼寝をしてしまい、目覚めてみると胸騒ぎのような痛みは治まっています。
「あれ、どうなったんだろう。なんだったんだろう」
 そういえば高校生の頃(60年近く前のことです)医者に「心臓脚気」といわれたことがあったけど、あれだろうか。ずいぶんむかしのことを思い出しました。
 いずれにしても「肋骨にヒビ」ではなさそうです。それで畑仕事はやめて、ホームセンターに買物に出ました。買物しているうちにだんだん元気になり、帰ってからは畑に出て仕事をしました。
 一人で勝手に思い込み、自分に振りまわされたような一日でしたが、でも……。
 75歳というと身近な人や知人も亡くなっています。若い頃なら気にとめないような痛みや体の変調にも敏感になります。一人暮らしだったりしたら余計にいろんなことを考えるでしょう。そんな人がいっぱいいるんだ。「いつ死んでも仕方がない」歳まで生きてきたのだけれど、それでもいざとなると、アレコレ・アレコレ、いっぱい考えるんだ。
 歳をとると思い込みがしぶとくなり、視野が狭くなります。自分のことだけになります。あらためて感じた日でした。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミミズくんは大働きしています。

2012年06月26日 03時12分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 写真はうちの畑の中央通路です。前の日は踏み固めた固い土でしたが、雨が降ってやわらかくなりました。するとひと晩で写真のようになります。だれのしわざかというと、ミミズくんです。引っ掻いたあと「ミミズ腫れになる」といいますが、土がそんな状態になったのです。
 これだけの土をひと晩でいい状態にしてくれる。しかもぼくみたいにダラダラ休んだり昼寝したりしないで、ずっとまじめに働きつづける。それなのに人間は、耕運機や鍬で傷つけてしまうことはあっても、謝りもしないし感謝もしない。
 ミミズの多い畑になりました。きのう裏山の下刈りをしてクヌギやコナラの落葉を片付けたら、ミミズがいっぱい出てきました。竹薮だったときはほとんど見かけなかったけど、ここもいい土になってきました。
 母・妙子さんが四泊五日のショートステイから帰ってきました。移動したり寝場所が変わると少しとぼけたことを言うようになりますが、数日でじわーっと平常の状態に戻ります。それでも過去の記憶を現在に近いほうから手放していくようです。自然に思い出してもらうのを待つことにしています。母を見ていると自分のさらなる老いの参考になります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年はムシが多いかもしれません。

2012年06月25日 03時45分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 深夜というか明け方というか、2時か3時に目が覚めて(8時には寝てしまったりするものですから)パソコンをのぞき、そのまま朝になり、5時前に畑に散歩に出ることがあります。そのときマルチの上でひっくりかえってしまい、起き上がろうと足をバタバタさせているムシを見かけました。1,5センチくらいの黒いムシです。
 助け起こしてやろうかと見まわすと、10メートルの畝にかけたマルチの上に、まだ何匹もひっくりかえってもがいています。数えてみたら22匹。ムシが全部ひっくりかえったわけではないでしょうから、つまりそれほどにもムシが多いということです。このムシの名前もどんな被害をもたらすかも知りませんが、直感的に「今年はムシが多い年になりそうだ」と思いました。
 この間から道子さんは、ゴマの種播きに苦労しています。せっかくゴマが芽を出しても、チクチクでガードしても、翌朝には消滅していまうのです。「播いたゴマの半分は芽が食べられてしまった。播いても播いても芽が消えてしまうからむなしくなる」と嘆き、それでも播きつづけています。小さいネキリムシか夜盗虫かなにか地中のウジムシのようなものが食べてしまうのです。毎年やられますがこんなにひどい年はなかった。
 おととしこのあたり一帯に夜盗虫が大発生して、休耕田でつくる黒大豆の葉が食べられてレース状になってしまったことがあります。なにかそんなことが起こるのでしょうか。
 そういえば大豆の種を播いて13日目になるのにまだ芽を出さないところがいくつもあります。例年うちの大豆はほぼ100パーセントの発芽率だったのに。ムシが地中で食べているのでしょうか。補植の苗用に追加して大豆を播きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西宮の芸文センターに行きました。

2012年06月23日 04時56分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 去年の9月から毎月(12月はなし)芸文センターの定期演奏会に出掛けてきました。初めて聴く曲の演奏が多く、若いオーケストラは聴くたびに成長が感じられ、気持ちのいい時間でした。きのうで年間会員になった定期演奏会は終り、9月から来年にかけて次の演奏会がはじまります。これからも毎月西宮に出掛けられるのがたのしみです。
                 
 写真はうちの裏山です。左側の若い竹はほとんどが今年生えたものです。実はここの竹は一本残らず去年の冬に切って片づけました。見えていたのは竹の切り株だけでした。先日何気なく裏山を見て、「エエッ! いつの間にこんなに!」とびっくりしました。
 木を植えるために竹の根を掘り出すと、冬にはタケノコの赤ちゃんが竹の根にしっかりついています。去年は冬になってから竹を切られたから、赤ちゃんを準備することができかなった。しかし今年は「えらいこっちゃ。タケノコをいっぱい生やして滅びんようにせなあかん」とびっしり準備したのでしょう。竹の反撃です。
「ははーん。ぼくが死んだら、あるいは足腰立たんようになったら、一年でこうなるんだな」と竹の勢いに《恐れ入谷の鬼子母神》。でも今年は丸坊主にしたろ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母はショートステイをたのしんでいます。

2012年06月22日 03時28分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ぎっくり腰がかなり治ってきた母は、洗顔・入浴などを自分ひとりでできるようになりました。まだ歩いて裏山に出掛けて竹の枝を切ることはできませんが、そのうちそれもやるような元気です。
 5月から母がときどきショートステイを利用するようになって、ぼくもわかったことがあります。
 家におれば安楽で、三度三度の食事もおやつも出してもらい、気の向くままに寝たり本を読んだりして過ごせるのに、わざわざ見知らぬ人に預けられて、窮屈な思いをするのではないか。そんな心配をしていましたが、心得違いをしていました。
 きのうショートステイ先に寄ってみたら、溌剌としているのです。声に張りがあり、動作もきびきびしているように思えます。自分の家で見せる顔と他人に見せる顔はちがうでしょうが、それだけでない「いのちのたかぶり」のようなものを感じます。それは5月に別の施設でステイしていたときも感じました。世話する側が勝手に「よかれ」と思ってすることとちがうなにかが、九十九歳の母を生き生きとさせています。                   
 ここの施設はユニット型でホールのまわりに個室が配置してあり、ベッドまわりもゆったりしています。今回は四泊五日のステイですが、母の様子を見ると里心どころか、新しい寝場所に弾んでいるのが伝わります。
 いのちは、ただ安楽に「食って寝て」おればいいというものではない。さらなる老いの参考にします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の草刈りがおわりました。

2012年06月21日 03時12分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
「クララ」の花が咲きました。地味な花がいくつも房になる咲き方です。おととし20センチほどの苗を植えたときは一本の茎が30センチほどになりました。去年は2本の茎が60センチほどに伸びました。今年は4本の茎が150センチほどに伸びています。これで一人前になりました。年々少しずつ増えるようです。先日は台風に備えて支えの竹を打ち込み、それにヒモで結びました。一叢(ひとむら)のクララになるには8年くらいかかるでしょうか。
 クララは絶滅危惧種の蝶『オオルリシジミ』幼虫の食草です。日本には二箇所しか生息地がないそうです。(長野県の安曇野と阿蘇のどこか……秘密だそうです)クララの花はどんな実になるのかまた観察します。
                
 5月はいろいろあって草刈りがよその田んぼより遅れました。6月は少し早めに草刈りをすませました。左手前の隣の田んぼの土手、村の墓地の土手、写真には見えませんが南の土手、右側の道路沿いの土手とやっぱり足掛け三日かかりました。土手の草刈りによってムシの数がちがいますから、畑の周囲の遊歩道と土手の上はできれば半月ごとに刈りたいと思いますが、土手はひと月ごとに刈ります。
 7月は15日を目途に、8月はお盆の墓参り前の10日を目途にします。9月はお彼岸の頃に彼岸花が咲きます。今年の冬は500本の葉が伸びました。そのうちで何本咲くでしょう。(去年は110本くらいでした)夏が暑ければ咲くのが遅くなるけど、花の芽を刈らないように10日までには草を刈ることにします。
 こんなふうに自分に言い聞かせるように書いておかないと、なにもしないうちにすーっと時間が過ぎてしまいそうで、ごめんなさい。
ここまで書いてからネットでマメ科の植物『クララ』を検索していたら、古来純然たる日本の植物で、むかしは便所のウジムシ退治に根の苦味を活用したとか。クララを増やしてネキリムシなどの被害を防ぐのに役立てたいと思いました。美白効果があったり薬用に使われたりいろいろ活用されています。クララはマメ科だから豆を播けば芽が出るかも。ムシ防除のために研究してみる価値がありそうです。『アグリクール』事件では懲りましたが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンパニオン・プランツにも頑張ってもらいましょう。

2012年06月20日 03時48分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 我が家のスイカの畝です。大麦の麦わらを敷いています。スイカのそばには、ナスタチュームとネギが植えてあります。ムシや植物の病気の害を防ぐためのコンパニオン・プランツです。
「コンパニオン」と聞くと近年は艶っぽい響きもあるようですが、ぼくは『ユース・コンパニオン』という受験雑誌を思い出します。『蛍雪時代』と同じように受験する高校生が読んでいました。むずかしい英語の入試問題を解説する雑誌だったような気がします。昭和30年(1955年)頃のことで、かすかな記憶しかありませんが。
 ネットで「コンパニオン・プランツ」を検索するとぼう大な組み合わせ表が出てきます。散歩しながら家家の菜園を見てもこの考え方で植えてあるところはありません。しかしむかいの村にコンパニオン・プランツを植えておられる300坪ほどの菜園が一つありました。
 作業しておられるときに通りかかったら一度お話してみようと思っていましたが、他所から菜園づくりに来られる方のようで見かける機会がありませんでした。この2年ほど単一作物の畑に戻っています。あの方は畑作をやめられたのでしょうか。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エノキに『玉虫』を放してあげました。

2012年06月19日 03時21分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 
 道子さんがお客さんと畑を散歩して、玉虫を見つけました。もう夕方で、じーっとしているので、草の葉っぱごと持ち帰って写真を撮りました。しかし電灯の光では羽がきれいに写りません。「どこかに行くだろう」と撮影はあきらめて、ウッドデッキに葉っぱごと出しておきました。
 ところが翌朝起きて見たら、まだ草の葉にとまったままです。そこで早朝の太陽の光で写真を撮りました。緑の羽根です。光の具合と見る角度によっていろんな色に見えます。これが『玉虫色』なんですね。よくわかるようにフルサイズでアップしました。
 道子さんは「玉虫をはじめて見た」と感激してネットで玉虫について深夜まで検索しました。「エノキによくとまる」と書いてあったそうで、ゴミステーションのエノキまで散歩して放してあげました。
               
 おととい、きのうと土手の草刈りをしました。五月は雨が少なく、草もあまり伸びていなくて刈りやすかった。写真はいつもぼくが刈る村の墓の土手です。草がそんなに伸びていなかったので鋸歯でなくナイロンコードで刈りました。先日村の方が60歳を前に亡くなられ、刈りながら畑のことでお世話になったその方を偲んでいました。
「この田んぼは圃場整備してから米つくったことがないし、草が根を張ってるから営農の大きなトラクターで梳いてから畝立してあげましょう」といってもらい、うれしかった。まわりに彼岸花を植えたり、生ゴミ堆肥箱を置いたり、道具箱や肥料置き場をつくったりして、この畑のお陰で豊かな田舎暮らしができています。
 どうかこれからもあたたかく見守ってください。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『段取』を意識して畝をつくりました。

2012年06月16日 03時50分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 写真は黒豆を植える予定の畝です。25メートルの東西の畝で、これに7月はじめに苗を植えるつもりです。耕運してマルチをかけました。苗を植えるまで20日ほどですが、これからの高温と陽射しで地熱が上がり、ムシの卵も弱ってくれると期待しています。
 というのは先日ブログでふれた「ゴマの畝」のことですが、いまも小さいウジムシにやられてせっかくの苗が歯抜けになっています。『チクチク』は役立ってくれます。でもウジムシは地表のチクチクを避け、地中から根を食べてしまうです。それというのも「二月頃に畝はつくったけどマルチをかけなかったので草まみれになり」ムシが卵を生みつけたからです。
 そこで黒豆は短い間でも草をシャットアウトし地温をあげてから植えつけようと畝をつくった次第です。黒豆は22日に苗床に播くつもりです。それを二週間たってから50センチの間隔をとって移植します。そして摘心することと両側にマイカ線を張ることで下枝が折れるのを防ぎます。
 この畑で野菜をつくりはじめて5年目。ようやく「広さになれ、ちょっとつかいこなせるようになったな」と我ながら「段取のよさ」に目を細めているのですがね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムシはどうしたらいいかなー。

2012年06月14日 06時17分06秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
  
 なんでこんな平凡な景色を大判でアップするんだ。おまえの村のゴミステーションか。 …… へー、そうですねん。すんまへん。ぼくのお気に入りの写真だもんで、いまはパソコンの背景に入れているのです。
 左のエノキは橋のそばに立っており、下を美嚢川が流れています。美嚢川の両岸は竹が生え放題で困ったもんです。村の道からゴミステーション(右のブロックで囲んだところ)までの地道は、ときどきぼくが草を刈りますし、ブロックの前の小さい花壇には道子さんが花を植えます。ついでにいうとブロックの囲いのそばに、かつて石の仏像だったような石ころがセメントでとめてあり、だれか村の人がときどき花を立てて祀っています。なんの変哲もない場所ですが、村の保健衛生委員を2年してここの世話をするうちに、お気に入りスポットの一つになりました。
 ムシが精力的に活動するようになり、道子さんはあれこれ苦労しています。
○ ゴマの苗が地中のムシに食べられ、ところどころ消えています。地表のチクチクを避け、地中から根を食べるのです。別のところにゴマを播き、苗立てをして捕植しなければなりません。実はゴマの畝は、五月まで草まみれでした。春とともにその草が繁り、しばらく放置していました。その後草を刈り、サラエで草を集め、何度も耕運して畝を立てました。そこにゴマを播いたのですがそれがよくなかったようです。草まみれのときにムシがしっかり卵を生みつけ、地中でウジムシになり、おいしい野菜の苗があるのでそれを食べて生長しているのです。冬に畝立てをしたときに黒マルチをかけておくべきでした。そうすれば草も生えずムシも卵を生みつけられなかったかも。
○ うちの家の前に神戸からときどき来て菜園をしておられる方がいます。そこのジャガイモの葉が、すっかりレース状にスケスケになっているのを道子さんが見て、「あれ、『ニジュウヤボシテントウムシ』に食べられたのよ。うちは私がずっとジャガイモを見まわって毎日何十匹と潰してたから食べられてないけど」といいました。その写真を撮って被害の様子をお見せしようと思っていたら、ジャガイモはすっかり掘られていました。今年はニジュウヤボシテントウムシが多いのかも。ジャガイモの次はナスビの葉っぱを食べますから見つけ次第潰さねばなりません。
○ ふつうのテントウムシは益虫ですから大事にしてあげなくてはなりません。アブラムシを食べてくれます。この春ブログで、他所の土手のカラスノエンドウにアブラムシがびっしりついているのを紹介しましたが、うちの畑にはアブラムシが来ませんでした。アブラムシは麦が大好きでまっ先に飛んでくると思ったのに。だからソラマメ、オオムギともにアブラムシにやられませんでした。場所がちがうとパスしてしまうことがあるのですね。
○ いま道子さんはトウモロコシのムシに毎日苦慮しています。アワノメイガが葉の裏に卵を生みつけ、それがウジムシになって雄穂に上り、そこから茎を下り、雌穂の実を食べるのです。だから毎日葉の裏に卵を生みつけていないか点検しています。ぼくにはどれが卵かわかりません。見つけられる人は少ないでしょう。トウモロコシは100本もあり、葉も増えたので大仕事です。はじめは4ミリの防風ネットで囲んでアワノメイガを防ぐ方法を考えていましたができませんでした。トウモロコシはもうすぐ実をつけますからアライグマにもねらわれます。動物ネットを張るか夜ラジオをつけにくるか。思案中です。
○ 毎年、道子さんは《小豆》をつくるのに大変な苦労をしています。ぼくはなにも手伝わないで、その苦労をブログで紹介してきただけでした。でも今年は小豆をつくらないほうに気持ちが傾いているそうです。大豆や黒豆に手がまわらなかったけど、今年はそちらをしっかりムシ防除しようと考えているんですって。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ツバナ』の方言は『ツンバナ』でした。

2012年06月13日 04時22分55秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 子どものころチガヤの若い花『ツバナ』を食べたことにふれたとき、「方言で『ツンドラ』と言ってたような記憶がある」と書きました。その後ブログを読んでくださった方と話して『ツンバナ』と教えてもらい、ネットで調べてみました。
 茅(ちがや)の花『ツバナ』は標準語として広辞苑に載っており、その方言が『ツンバナ』で、広く使われています。『ツンバラ』と間違って呼ぶところが少しある程度で、「ツンドラ」などという呼び方はありませんでした。ぼくの記憶回線が間違ってつながっていたのでしょう。子どもが言葉を覚えていく過程で、一時的に「アヒル」のことを「オヒル」と言ったりすることがあるように。
                
 写真はうちの畑の入口に生えている数日前の『クララ』です。150センチ超に伸びてきました。もうすぐ穂先の花が開きます。地味な花のようですがクララの花を見るのははじめてで、たのしみにしています。クララは宿根草で150センチくらいに伸び、花を咲かせて秋には枯れます。この草の苦味とか毒をムシよけにつかうつもりはありませんが、むかしはクララの群生は日本全国にあったそうですから、ここに一叢(ひとむら)あってもいいでしょう。刈らないでおきます。
 あのゴマのかわいい芽が少しだけ伸びてきました。しかしチクチクでガードしても、小さな苗がつぎつぎと姿を消していきます。ウジムシのような小さいムシが地中から根を食べてしまい、茎と葉だけになっていたりします。チクチクがあるので地上部分は食べられないのでしょう。今年はこのムシがたくさん地中にいるのかもしれません。道子さんの苦労はつづきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落花生を植え、大豆を播きました。

2012年06月12日 03時26分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 仕事はなんでもそうでしょうが「段取り」が大事ですね。きのうは畑の畝間も乾き、仕事がしやすかったので大豆を播き、落花生を植えました。
 写真は大豆を播いた畝です。ハトに芽を食べられないようにネットを張りました。イチゴのネットハウスに使った100坪用の赤いネットです。高さ60センチくらいのところに赤くたなびいて見えます。
 大豆の畝は雨が降る前に、燻炭・セルカ(有機石灰)・藤原ファームの鶏糞(ここの鶏糞は窒素分が少なくサラサラして使いやすい)・コープ瑞穂農園の堆肥・草木灰を撒いて耕しました。1,5メートルとうちの畑では太めの畝を立て、両側からしっかり土寄せをして高くしました。ここはうちの畑の中でも、上の田んぼの土手からの漏水があってしめっぽく、大豆の根腐れを防ぐためです。
 また1メートルの杭を打ち込み、〈田〉の字にマイカ線を張っておきました。ネット張りの準備です。そこに雨が降り、ちょうど大豆の播き頃になりました。
 落花生は苗がたくさんできたので40センチ間隔で植えました。3畝で75株余りです。例年100株余り植えていましたが、収穫に手間がかかるので減らしました。落花生の畝は20日ほど前に畝立てして土を寄せ、黒マルチをかけておきました。マルチをはずしてみると草は生えていないし土はやわらかいままで、苗を植えるのにかるく手で穴が掘れます。
 豆の種播きも落花生の植え付けも気持ちよく作業ができました。「段取り」がいいと畑仕事がらくです。畑仕事をはじめた十数年前を思い出し「毎年やってるとそれなりに段取りがよくなるなあ」と思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ムカデ』くんは人間にはむかってきません。

2012年06月11日 03時12分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 田舎暮らしをしようと思うなら『ムカデ』くんとの「付き合い方」を学んでおくほうがいい。
 街でも田舎でも古い家ならムカデはいるものですが、別に家に住みついているわけではありません。家の中は住み心地がいいと思って、好んで家に入ってくるわけでもありません。
 ところが人間はムカデを見ると「ゾクッ!」として、「殺さなくてはいけない!」とジタバタします。しかしムカデが、立ちどまり、振り返り、「キッ!」とにらんで、カマキリみたいな挑戦的な態度に出ますか。彼はただひらすら逃げるだけではありませんか。
 花のプランターを移動しようともちあげたら、15センチ超の大物ムカデがひそんでいた、なんてことを体験された人は、あのムカデがどこに隠れたかといつまでも気になり、殺してしまわないと落ち着かないのではないでしょうか。
 実はぼくもそうでした。
 山にはとくにムカデが多くいるものですが、畑で草を刈っていたときです。大きなムカデを見ると草刈り機で切断していました。一回の草刈りで3匹目撃して、2匹は切断したのですが1匹が草にまぎれてしまいました。草をサラエでかき寄せて一輪車で運ぶのは、道子さんの仕事でした。そこで「ムカデを1匹切りそこねたから、草を集めるとき気をつけて!」と注意したのです。
 すると彼女が「ムカデはムシを食べてくれるし、『そっと逃がしてあげましょう』って本に書いてあったわよ」というのです。このエピソードはこのブログに書いたことがありますが、なんと重大な夫婦の見解の相違! 早速本を見たら確かにそう書いてありました。
 それからムカデのことを調べてみたら7年くらい生きるとか肉食系でいろんなムシを食べてくれることがわかりました。あのナメクジやゴキブリを食べてくれる、と知っただけでも尊敬したくなるような偉業です。ゴキブリを追って家に入ってくることはあっても、好んで家に住みつこうとしているのではなさそうです。ムカデが咬むのは追いつめられ、捕まれ、はさまれ、殺されそうになったときの最後の自衛手段です。
 さらに我が家でかつての先輩に来てもらってバーベキューをしていたとき、こんな話を聞きました。
「ムカデや蚊は家に入ってきても、住みつくわけじゃない。しばらくしたらもともとの居場所に戻っていく。入ったものは出ていく。それに咬まれるといっても、君は大きなムカデに咬まれたことがあるか」「いや、ない」「咬まれるかもしれんと恐れているだけや。70年生きて一回も咬まれたことがなかったら交通事故にあうより確率が低いだろ」なるほど。そういう考え方もあるのか。蚊は許せんけど。
 というようなことで道子さんはムカデを見ると火バサミではさんで裏山に引っ越してもらいます。ぼくもそうしていますが、外ではそのままにしておくこともあります。でもムカデを逃がしてしまい、あの大ムカデはどこに隠れたか、と気になることはなくなりました。
 家でも外でも、長靴をはくときも、気をつけておれば大丈夫です。ムカデは、人間になつくかどうか知りませんが、平和愛好者です。人間を咬んでやろうとむかってくることは絶対にありません。
 
  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする