古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

来年も「このまま」でいきます。

2023年12月31日 18時14分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 2009年3月に〈ブログ〉というものを教えてもらってから15年になります。その間にパソコンは目ざましく進歩しました。聞けば「フェイスブック」というものもあるし、動画をアップすることもできるらしいです。でもワタクシはそんなことをしようと思いません。いまのように「写真と文章」で日々の田舎暮らしを書きます。86歳になる老人にはこれくらいがちょうどいい。
「もうそろそろ年賀状はやめよう」とか「ブログはやめよう」とか思いません。年賀状もブログも気持ちの張りになります。
 来年もよろしくお願いします。 
 みなさん、良いお年を!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈年の暮れ〉のお仕事

2023年12月30日 17時39分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日行きそびれた裏山の祠〔祇園さん/愛宕さん〕に登りました。

 参道に倒れ掛かった数十本の竹は「7月のお参り前」に当番の人が除去しましたが、この木は倒れ掛かったままです。参道には落ち葉が積もっています。村の方がどなたかチェーンソーで除去されてるかと期待しましたけど。
 山頂の二つの祠に正月のメガネ飾りをつけて拝みました。二人とも〈さらえ〉=(ガンジキ/レーキ/熊手)を杖がわりに持って登ったので、落ち葉を掃きながら下りてきました。

 雨が降らずよく乾いているので、参道はきれいになりました。
 いままでゴミ・ステーションには〈メガネ飾り〉をつけていませんでしたが、ここにも付けたくなって軽トラで寄りました。

 道子さんは〈大日如来さま〉のお花を替えて拝み、花壇の手入れをしました。
 田舎暮らしには軽トラは大事なアイテムです。軽トラで村村を走ると気持ちがらくです。見なれない車という村人の緊張がありません。軽トラのお陰には感謝しています。でも洗ったことがない。洗車機にもかかりませんし。で、道子さんはふだんから「軽トラをきれいにしよう」というのですが、ぼくはグズグズしたまま。道子さんは今日時間をかけて洗車しました。見違えるほどきれいになりました。申しわけない。

「門松の竹を切って」と言われてたので用意しました。道子さんは葉ボタンとポットの花などで門松をつくりました。

 お正月の料理もあって道子さんはがんばっています。ぼくは朝寝、昼寝とあまりがんばっていません。申しわけない気持ちです。
来年もこんなふうに年末を迎えられるかなー。 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふり返って思うこと

2023年12月30日 02時13分39秒 | 古希からの田舎暮らし
 何をふり返るのか。いうなれば「自分の人生を」というところです。
 2022年の月ごとのまとめを見ていたら、「あの戦争」の本をよく読んでいます。
〇 3月~  阿部牧郎 『神の国に殉ず』(小説 東条英機 と米内光政) 文庫本なら三分冊
 歴史の本とすれば書けないけど、「小説」ということにすれば書ける「あの戦争の内情」がよくわかりました。
〇 5月~7月  船戸与一 『満州国演義』(全九巻)
 作家・船戸与一が病気(癌)に迫られながら「あの戦争での軍部の横暴」を書きあげた「大作」です。満州国とありますが、インパール作戦やフィリピンの戦いも、日本のあの15年の戦争全部が小説として書かれています。
〇 早坂暁 『戦艦大和日記』(全五巻)  
 病気に迫られながら日本が仕掛けた日本軍部の横暴を、残る力をふり絞って書いています。
 
 今年はあの戦争の本をあまり読んでいません。それを反省するのではなく、「あー、そのほうの本を読まなくなったんだな」と自分の人生をふり返っています。
 ぼくは昭和12年に生まれました。日本が中国と戦争をしはじめた年です。当初は『支那事変』と名付けていました。あの戦争の敗戦は昭和20年8月。ぼくは7歳で国民学校(小学校)2年生の夏休みでした。
 夏休み中の8月15日昼ごろ、ぼくは針金を輪にして蜘蛛の巣をはりつけ、蝉をとっていました。夏の、晴れた暑い日でした。お昼になって家に帰っていたら、お隣りからおばあちゃんが帰ってくるところでした。ぼくを見るとおばあちゃんは「啓一や。日本は負けただぜ。おまえかたきとってごせえよ」とむせび泣きました。うちのラヂオが故障していて、お隣りにラヂオを聴きに行って、「あの放送」を聴き、帰るところだったのです。
  学校では日本の戦争や軍部の横暴の歴史は習いませんでした。大人になってから本を読み、日本の戦争を知りました。日本がひどいことをしたのを、軍部が国民を「我がモノのようにつかった」ことを知ったのは大人になってからです。
 ぼくと同じ年の子供たちが空襲で逃げまわり、疎開し、親を失い、路頭に迷い、栄養失調で死に、「なんで自分は、親といっしょに死ななかったか」と思い …… 。そんな戦争を、20代のときから本で読んできました。
 国家がそんな目に国民をあわせたことが納得できませんでした。戦場でも、日本軍の下っ端の兵隊はひどい目にあわされました。
例えば「富永恭次中将」です。多くの若者を怒鳴り、殴り、特攻に飛び立たせながら、部下を放り出したまま、フィリピンから飛行機で敵前逃亡し、台湾に逃げました。そのことを上記の作品は書いています。
 敵前逃亡なのに、なぜ彼は軍事裁判にかけられず、死刑に処せられなかったのか。戦後も恩給をもらって生きたのか。そんな上級軍人がいっぱいいた。国民が拠出した資材や食料を敗戦後隠匿してもうけた軍人もいた。「そんな国になっていることを許せない人」がいるのです。ぼくも「許せない」と思います。
 そんな思いをかかえていますが「執着がよわい」。ぼくは「そんな生き方だったんだなあ」。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「正月飾り」をつけました。

2023年12月29日 20時30分38秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は、年末にいつもの「幣」をつくりました。毎年つくるのになぜか不安で「幣の作り方」をネットで見ます。習字の半紙で作ったときもありました。しかしいまはÅ4版のコピー用紙をつかいます。

 道子さんと二人で、竹の杖を突いて「愛宕さん祇園さん」に登るつもりでしたが、昼寝が長すぎて寒くなったので明日の仕事にします。「眼鏡飾りをつけた場所」を記録しておきます。
① 山の登り口 ② 裏の大工小屋(道子さんには畑小屋) ③ 虫などの生き物塚 ④ 山頂の祠(萌ちゃん大志くんが幼い頃につくった) ⑤ 蜂谷柿の枝  ⑥ 百合園の柵 ⑦ 前の畑
 例年とちがいます。「ここにはお世話になっている。感謝の気持ちに正月飾りをつけよう」と思うところにつけました。

 山頂の孫たちがつくった祠のまえにつけました。まわりは落ち葉でいっぱいです。
 僕はアルコールは弱い。ほとんど飲みません。ビールは120ccの缶を月に1,2本飲むだけです。しかし高齢になり、「ちょっとアルコールが入るほうが元気が出る」と思います。そこでいまは紅茶に3ccくらいウイスキーを入れて飲んでます。しかし『お屠蘇』は好きです。5ccくらいを飲む。味醂を多くして、屠蘇と酒を入れて用意しました。

 ときどき、ちびっと飲むのがたのしみです。
 母はお酒が好きでした。そして飲めました。80歳で亡くなった弟は母ゆずりの酒好きでした。父はアルコールが弱かった。盃で二杯のむと赤くなりました。ぼくは父親ゆずりで弱い。でも「お屠蘇」はお正月には毎日ちびっと飲む。たのしみです。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年を振り返る (3)

2023年12月28日 01時49分37秒 | 古希からの田舎暮らし
⑨ 九月   コロナ明けの九月には大仕事がありました。裏の小屋(大工仕事/道子さんの農作業)の屋根です。プールライナーを注文したのに粗悪品でした。日光で劣化してちぎれとびます。9年前のプールライナーはビクともしてないのに。#4000のシートで屋根をおおい、人工芝を上にかぶせました。命綱をつけて屋根を歩いてやりました。無事にやれてホッとしました。大画面テレビの話が本格化し、受け入れ準備。9/29は中秋の名月で月見。9/30は野草酵素飲料の仕込み。ゴミ・ステーションの草刈りなど平常にもどりました。半藤一利『ノモンハンの夏』を読みかえしました。
⑩ 十月  満86歳になりました。大画面テレビで〈クライマックス・シリーズ/日本シリーズ〉阪神タイガースの試合を見ました。樹木剪定用の電動ハサミを買いました。道子さんは来年のイチゴ(宝交早生)60株を植えました。ミニトウガンがとれすぎて、皆さんにあげまくりました。焼き芋のはじまりは新種の紅優香から。我が家の黒豆は枝豆として全滅でした。つくる意欲をなくしました。コロナ後に、両耳に水がたまったようで聴力が極端に悪くなり9月に耳鼻科に。この際「補聴器をつけよう」といま試供品をつけています。よく聞こえるようになりました。
⑪ 十一月  大画面テレビでは〈you tube〉が見られます。自動車内でのトイレをテレビで見て、我が家もつくって車内に置きました。老人は安心感が大事です。一昨年イノシシにやられたけど、道子さんはやっぱり裏山に百合園をつくりたい。鉄のメッシュで頑丈な柵をつくりました。黒豆だけでなく大豆も出来がわるい。サヤをちぎってウッドデッキで干して収穫しました。しかし味噌用の6キロにとどきません。ラワンのいい板をご近所からもらったのでコタツの天板をつくりました。阪神優勝! 三木室内管弦楽団の『英雄』(エクラ・ホール)/北播磨第九合唱団の歌(コスミック・ホール)とあちこちに。
⑫ 十二月   寒い日は裏山で〈たき火〉〈焼き芋〉がたのしみです。何日やったか。5日以上やったでしょう。道子さんは10メートル超に生長したクスノキのまわりをブロックや石でよくしようとがんばってます。ぼくは大工小屋を使いやすくしようとスライド丸鋸の棚をつくりました。大工小屋の屋根に落ち葉。人工芝を敷いているので落ち葉を掃除しにくい。「吹き飛ばそう」とブロアーを買いました。大画面テレビで〈you tube〉を見るたのしみはつづいています。新年になればまたサツマイモを注文して焼き芋をつくります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年を振り返る  (2)

2023年12月27日 03時19分32秒 | 古希からの田舎暮らし
⑤ 五月  定年退職前の2年間は、篠山のアパートで暮らしました。田舎の空気が気持ちよかった。25年たっても、いま田舎に暮らしていても、篠山に行きたくなることがあります。田園交響ホールで音楽会があって(古澤巌のバイオリン)出掛けました。畑の石垣に掛けるハシゴを作り直しました。山法師の花がいっぱい咲きました。うれしい。村のゴミ・ステーションに置いてあった古い〈バラ・アーチ〉をもらい、色を塗りなおして裏山に置きました。草が盛んで、草刈りに精を出しました。裏山の池の水抜きができました。(底を押さえようと用意したけど横を掘っただけでOKでした)
⑥ 六月  大工仕事では〈宅配ボックス〉をつくりました。玄関先に置きました。西宮で旧知の人の会があり、何年ぶりかで阪神電車に乗りました。よく知る人は、老いたり、不調だったりして、少し若い世代の人(老人だけど)と交流しました。西脇市のアピカホールにはじめて行き、ピアノを聴きました。大豆/黒豆/を苗立てして、植えました。「あじさいフローラ・みき」で紫陽花を見ました。草はよく伸びます。公民館の中庭を草刈りしました。
⑦ 七月  裏山山頂の祠にお参りしました。14日は祇園さん24日は愛宕さん。杖を突いてゆっくり登ることができました。あとのおしゃべりは参道の下でした。龍神さまにもお参りしました。指揮者の外山雄三氏が92歳で亡くなりました。合唱団で〈第九〉の指導をしてもらったことを思い出します。錦織圭が復活しかけで、下部大会で活躍しましたが、その後やはり不調のようです。残念。なじみのパン屋さん〈カンパーニュ〉が小野市の自宅のほうで新しく開店しました。裏山のバードフィーダーにはよくスズメが来ています。
⑧ 八月  三木のブドウシーズンが10日頃からはじまりです。〈藤稔り〉をいくつか送りました。裏山に10年前に植えた〈むくげ〉がはじめて咲きました。植えた場所がよくなかった。水やりを心がけます。大豆のために鉄筋の杭をつくり、先端を曲げました。ところが10日ころから発熱。「風邪ひいたか」と思ったらコロナ。相当にしんどい症状です。病院で診てもらい、薬をもらい、なんとか乗り切りましたが、「長生きしたけど、一巻の終わりかな」と思いました。コロナで亡くなる老人はいますし。8月末から「うす皮をはぐように」よくなって日常に復帰しました。このたびは二人の娘にほんとに世話になりました。病院でも老人はおたおたしているだけで、娘たちがお医者さんによく食い下がってくれました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年を振り返る  (1)

2023年12月26日 20時28分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 去年買ったダッチ・オーブンの重さを調べようと去年6月のブログを見返しました。(蓋が3,2キロ、鉄鍋が5キロ、合計8,2キロでした)では去年の12月はどんな感じで暮らしていたか。12月を見ると2022年の月ごとの出来事をまとめてました。
 そうだ。なんとなく毎日が消えていくのでなく、老人にとっても「意味のある一年」を生きた感じがあるんだ。
 その生きた足跡を確かめるように、2023年をブログを見ながらふり返ってみます。

① 一月  24日にシロハラを確認。アオジもおくれてやってきました。バードフィーダーにはスズメがいっぱい来ていました。
      初詣は2日に裏山の愛宕さん/祇園さん/にしました。二人で杖をついて頂上まで登りました。
      大寒には味噌を仕込みました。 22日:テレマン演奏会(エクラホール)を聴きました。
      「あの戦争での特攻」について自分の思いを書いてます。
② 二月  山陽病院の帰りにペンギンのいる店に寄り、木製のブランコ椅子を見ました。「我が家にも欲しい。裏山の花見デッキ
      に置こう」と注文。見ると鉄パイプのブランコ椅子もあります。すぐに買ってウッドデッキに置きました。
      「たまには映画を見よう」と新三田のシネマに『仕掛け人 藤岡梅安』を見に行きました。
      裏山にはスズメがいっぱい来ていました。
③ 三月  孫の萌ちゃんが大学を卒業して社会人になります。三月の大仕事は、畑の「石垣下の笹を刈る」ことでした。連日二人
      で 笹を刈り、片づけました。きびしい仕事でしたが「頑張った!」と実感しました。WBCで「侍ジャパン」の大谷  
      選手などが大活躍しました。テレビにクギ付けで見ました。吉川にコーヒー豆屋さんができました。裏山の竹藪に花が
      咲くのを見ました。60年に一度咲くそうです。
④ 四月  《今年一番の大仕事》=イチゴ・ネットハウスを新しくつくりました。これが最後のネットハウスになります。お花見
      は〈南山桜の名所:国際ソロプチミスト北播磨〉が一番でした。北谷川にも行きました。今年も道子さんが丹精こめて
      イチゴをつくりました。作業中の膝が痛むのでコロ椅子をつくりましたが、役に立ちませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パントリーは役目をはたしています。

2023年12月25日 23時42分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 寒い、雨の降らない日がつづき、年末になったし、残っているサツマイモを三日連続で「焼き芋」にしました。〈紅はるか〉と〈紅優香〉です。これで手元にサツマイモがなくなりました。来年はまたサツマイモを注文して、焼き芋にします。ぼくはこの仕事を気に入っています。一時間たき火の世話をしておれば焼き芋ができますから。
 さて、つぎつぎ焼き芋をしたら食べきれないのではないか。不審に思われるでしょう。焼いてすぐ食べるのでなく冷凍保存します。

 パントリー(10年前に大工仕事で自作しました)の写真です。ハイアールの110リットル〈冷凍庫〉と背の高い〈家庭用冷凍冷蔵庫〉が写っています。下段が冷凍庫です。焼き芋用の引き出しを開けています。かなり入るスペースがあります。
 このパントリーは3畳のスペースがあり、相当いろんなモノが入ります。

 こちら側の棚には〈味噌づくりの用具類〉などが置いてあります。
「おじいさんよ。毎日のようにたき火で焼き芋をして、火の用心は大丈夫かね」

「はい、写真を見てください。焼き芋の一時間ほどはずっと火のお守りをしています。焼きおわったら、燃え残りの木を取り出して、水をかけます。残り火には枯れ葉をかぶせて燃やします。すぐ燃えあがります。10回くらい燃やします。灰ができます。炭火に灰をかぶせるように片寄せます。そしてトタンのフタをかぶせます。次の日には火は消えて、草木灰ができています。

 ダッチ・オーブンは一番大きいサイズを買いました。フタだけでも1キロオーバー。小石を詰めると十数キロ。なんとかギリギリ持ち上げていますが、どうするかなあ。
 ※ 去年6月のブログを見ていたら、ダッチ・オーブンの重さを書いていました。(買ったところでした)
   鉄の鍋 …… 5キログラム  鉄のフタ …… 3,2キログラム   合計 8,2キログラム
 それに小石とサツマイモを詰めるのですから重いはずです。 


 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は『冬至』です。

2023年12月22日 18時42分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 朝は6時30分から〈我が家の朝のセレモニー〉=〈スワイショウ(手を前後に振る=5分 手を左右に振る=5分 かかどトントン=2分 仏壇を拝む 瞑想の椅子にすわって般若心経で発声練習 瞑想20分(TM瞑想なのですが、自分勝手にいろいろなことを思い、それを眺めています)をやります。どんなに「暑かろう」と「寒かろう」と「眠かろう」と「だるかろう」とパスしたことはありません。老人二人の家庭ですから、気ままに、目が覚めたときに起きて、一日が動き出すこともできるでしょう。でもそれでは「きまりがつかない」。「必ずやる」。何年もつづいています。
 さて、今日は『冬至』です。太陽が一番南寄りに昇る日です。「日の出の位置を撮ろう」とカメラを用意していたのですが、気がついたら太陽はもう昇っていました。その写真です。

 今日は、予約の歯医者さん 今年最後の〈稜庵〉になるか蕎麦(今日はかけそば)をいただきました。そこからカンパーニュにまわり、パンを買いました。このあたりの地理は完全に頭に入っています。長年暮らしていますから。
 午後は昼寝のあとテレビで〈ユー・チューブ〉を見ていました。イノシシ捕獲・殺処分/スズメバチがネズミ粘着シートにつかまる/ネズミ捕りにネズミが捕まる/を見るのはイヤではありません。イノシシにも、スズメバチにも、ネズミにも「いじめられてる」とおじいさんは思っていますから。
 今年は裏山に植えた柚子のできがわるい。小さい実がなっただけです。柚子ジャムがつくれないけど、もらいました。冬至ですから柚子湯には入ろう。と実は小さいけどお風呂に入れました。

 今年もあと数日。無事におわりそうです。ありがたいことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人がすわる〈椅子〉のお話

2023年12月20日 18時14分29秒 | 古希からの田舎暮らし
 三木市口吉川町に暮らすようになって18年目にはいります。69歳から86歳へ、だんだん老いてきました。テレビを見る『椅子』も変化してきました。いつ、どれくらいの期間、その椅子を使ったか。ブログでチェックするのはしんどいけど、順番だけはおぼえています。

① 写真左の『野外用の椅子』を室内のテレビの前に置いてすわっていました。この椅子でなく、少し背もたれが傾斜する野外用の椅子でした。野外用ですから野暮な感じでした。

② スタイル・ドクター・チェアー 写真左の赤い椅子です。はじめは低い椅子でしたが、立ちあがるのが困難になり、台をつけました。この椅子は姿勢はよくなりますが、くつろぎ感がしません。だんだん敬遠するようになりました。
③ やっぱり背中の全面を支えて、くつろげる椅子がいい。そこでホームセンターで見つけた野外用のくつろげる布の椅子を買って、テレビの前に置きました。①の写真の右の椅子です。床が傷つくので板をつけています。この椅子にだらんとすわすのが「お気に入り」のときが1年以上つづいたでしょうか。
 この椅子は安楽椅子を買ったので不要になり、大工小屋に置いていました。でも道子さんが「邪魔だ」というし、テント・ハウスに移動しました。たき火で焼き芋をしながらすわる椅子にします。
④ お粗末な野外用の椅子でなく、85歳にもなるんだから「本格的な安楽椅子にしよう」と買ったのが『黒い椅子』です。背もたれの角度を変えられます。半年くらいは愛用したでしょうか。
⑤ いまテレビを見るためにすわっている椅子は、②のスタイル・ドクター・チェアーです。「安楽椅子が最終だ」と思っていたのですが、安楽椅子にもたれて「コクッ!」と息を引きとるにはちょっと早い感じです。スタイル・ドクター・チェアーは「居場所がきまった感じがする」のがいい。
 安楽椅子と並べて、どちらにでもすわれるようにしていますが、赤い椅子のほうにすわってしまいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村のゴミ・ステーション

2023年12月19日 17時19分55秒 | 古希からの田舎暮らし
 うちの村のゴミ・ステーションを猫が荒らしています。ブロックでかこまれていますが、天井はお粗末です。金網と動物ネットでなんとか猫をしめ出しています。素人がつくった動物ネットの天井ですから猫は出入口を見つけやすい。生ごみの早朝、ゴミ袋を食い散らしています。
 今日は、ゴミ・ステーションを補強しようと出かけました。道子さんはまず、大日如来さまに花を供えてお参りします。

 ときには村の方もお参りされているようです。石コロみたいに見えますが、村人たちを見守っています。わたしたちも機嫌よくこの村で暮らせています。ぼくは拝んだことがありません。信心が足りんなー。
 ぼくが天井のネットを手直ししているときに、道子さんはミニ花壇の手入れをします。

 いまは花がありませんが、チューリップの球根を植えこみました。春になればゴミ捨てに来た人をなぐさめてくれるでしょう。
 来年もここの草刈りをする元気がつづきそうです。ボランティアの気持ちよさをたのしめます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道路の落ち葉を掃除しました。

2023年12月18日 18時24分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 年の暮れに毎年やっている「道路の落ち葉掃除」をみんなでやりました。

 高山の六軒の住人は高齢に近い方が多いのですが、看護ステーションから参加された方方は「お若い!」。オーラがちがいます。全部で十人以上の参加で早めに作業がおわりました。

 ぼくは「事前に草を刈り、ナイロンコードで道の縁の落ち葉を掃き浮かせておく」つもりでしたが、結局何もしませんでした。手がまわらなかったのではありません。サボったのです。「歳をとるってこういうことなんだ」とおもいました。
 毎年うちのウッドデッキで「ぜんざい・おしゃべり」をするのですが、こちらは道子さんがちゃんと段取りをつけていました。

 たのしいおしゃべりタイムになりました。
 気温の低い日なので「寒かったら室内に入ってもらおう」と準備していましたが、お日さまがあったかく、デッキでOKでした。
 
 午後は昼寝のあと大工仕事をしました。道子さんは畑や裏山の花壇で片づけの仕事がいっぱいあります。
 スライド丸鋸の置き場ができました。

 これでいつでも使うことができます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「寒さ」に弱くなりました。

2023年12月17日 17時13分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくは鳥取県で生まれ育ちました。いまのように「外断熱」の家ではありません。冬はガラス窓に室内の蒸気が凍りつき、朝起きると窓が白くなっていました。子どもはコタツや湯たんぽや豆炭行火はなしで寝ていました。ぼくは兵庫県の南に住むようになっても「寒さに強い」と思っていました。
 ところが年寄りになって「寒さ」に弱くなりました。いまの家は外断熱ですから、窓ガラスが白く凍ることはありません。それでも暖房をよくつけます。石油ファンヒーターもときどきつけます。
 今日は道子さんが使っている棚を移動しました。写真のようなスペースができました。

 ぼくが使うスライド丸鋸を置く場所ができました。よーし、台をつくるぞ。午後あり合わせの材木で半分ほど大工仕事をすすめました。しかし寒い。午後仕上げるつもりでしたが、一時間で家に入り、コタツにあたりました。

 ちょっと板を置いてみただけです。好きな大工仕事なのに、あと一時間もあればできるのに、家に引っ込んでしまいました。
 
 次の写真は福地池の祠です。

 下に石の祠がありますが、堰堤上の台から転げ落ちたのです。祠を元の台に載せるために、どなたか草を刈ったのでしょう。だれが由緒ある祠を蹴落としたのか。前に「犯人はイノシシのようだ。あの斜面を走って祠にぶつかったのだろう」と村の方にきいたことがあります。あれは「福寿坊というお坊さんが堰堤の築き方を村人に教え、自分が人柱になって堰堤をつくらせた」と言い伝えのある由緒ある祠です。
 一度道子さんが元にもどせないかとさわってみましたが、石です。ビクともしませんでした。数人がかりでないと動かすのは無理です。そのうち元の台にもどされるでしょう。
 イノシシはけしからん。罰があたるぞ!
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈you tube〉で学んだこと「焼き芋の仕方」をやってみます。

2023年12月15日 17時02分55秒 | 古希からの田舎暮らし
 うちの〈焼き芋〉には自信があるのですが〈you tube〉には「おいしく焼く方法」がいろいろ出ていました。あれこれ見て、うちでもやってみたいことを次の焼き芋でやってみます。

① 焼き芋をする8時間まえにサツマイモを塩水につける。(前の晩につけることにします)
② 我が家の〈たき火・焼き芋〉は最高ですから(本職の石焼き芋屋さんのやり方と同じ)これは守ります。焼き芋屋さんは石の上に並べて、ときどき石にあたる部分を手でまわしますが、芋全体を小石に埋めてしまえば、芋をまわさなくてもうまく焼ける。
③ 「おいしい焼き芋」の要領では焼いたあと、「アルミホイルの上から新聞に包み、毛布をかけて一晩熟成する」とあります。これはやってみます。
④ ガスコンロ/トースター/電子レンジ/ではかなり時間をかけています。(80分前後)「鉄の鍋(ダッチオーブン)でゼロから1時間のたき火」(予熱なし)で焼く。この方法は守ります。いままでダッチオーブンを火からおろしたあと「すぐに取り出して冷やしていました」が、火からおろして一時間フタをして少し冷えるまでそのままにします。そのあと③のように熟成してみます。
⑤ 「芋を洗い、水をたらしてアルミホイルで包んで石の上に並べる」という方法もありました。鉄鍋の底に200ccの水を入れるやり方はつづけます。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うちの〈焼き芋〉の仕方

2023年12月14日 18時07分24秒 | 古希からの田舎暮らし
〈you tube〉で『焼き芋の仕方』をクリックしたら、いろんな方法が出てきました。

 うちの焼き芋の仕方を紹介します。
 ダッチオーブンに小石を入れておく。たき火にかけるので鉄鍋の底や横に芋がくっつくと皮が焼けて炭化する。底から3~4センチの小石の上、横は2~3センチ鍋の鉄から離して小石を詰める。水を200ccくらい入れる。水は底にたまるだけで芋には届かない。
たき火にかけてから火をつける。ダッチオーブンのフタの上にブロックをのせる。(熱がこもるようにという気持ち)たき火はかなりの強火で一時間。火からおろしてしばらく置いてから焼き芋を取り出す。
 焼き芋は「紅はるか」が一番うまい。今年買った茨城県産の「紅優香」も焼き芋にするとうまい。
 みなさんの方法を見ていたら「たき火で焼き芋をする」方法が出ていませんでした。ガスコンロ/電子レンジ/携帯コンロ/電気のトースター/ガスオーブン/などなど。
「すぐ裏の山でいつでもたき火ができる」ことがどんなに恵まれた環境であるかをおもいしりました。

 昨日畑に鉄の棚を持っていきました。寝ながら考えるに、「あの棚を置く必要があるだろうか。置き場がないから持って行っただけだ。」あれは必要のない棚だ。処分しよう。
 組み立てのネジをはずそうとしますが、20年以上前の棚で、ネジがさび付いています。電気丸鋸で切断しました。軽トラで市のゴミセンターに持っていきます。
 今日を一言でいうとしたら「何しとることやら」。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする