古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

劇団・角笛の「シルエット劇」を見ました。

2018年05月31日 02時49分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 振り返って調べたら、2013年5月31日の「古希からの田舎暮らし」ブログに書いていました。白石晴二さんの事を。
 人生には、親しく付き合ったわけでないけれど、忘れられない人があるものです。白石晴二さんも、ぼくにとってはそんな人でした。会ったのは40年以上むかしなのに、その人の存在感は、いまもあたたかく、こころに、残っています。
 白石さんはシルケット劇場『角笛』をつくり育ててきました。一時期、西宮親子劇場で公演してもらい、お世話になりました。
 田舎暮らしをするようになってから、若い頃に出会った白石さんを懐かしく思い、手紙を書きました。そして奥さんからの手紙で、2002年に73歳で亡くなられたことを知りました。
 4月に「三木市で角笛が公演するから見てください」と連絡をいただき、道子さんとお友だちもいっしょに、見に行きました。『泣いた赤おに』/『つのぶえのうた』で、保育所や幼稚園の子どもたちといっしょに、きれいな影絵をたのしみました。
 幼い子どもには、長くのこる「極上の時間」だったでしょうね。
 
 夕方からは、全仏オープンのテニスの試合を応援。大阪なおみは2回戦を軽く勝ち、7時30分にはじまる錦織圭の試合は、大きくずれ込んで10時をまわってからはじまり、3時間超の午前2時をまわって、やっと勝ちました。
 選手はごくろうさんですなあ。
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草刈りに精を出しました。

2018年05月30日 02時37分04秒 | 古希からの田舎暮らし
 もうすぐ5月が終わります。「畑の5月の草刈り」をすませようと、きのうは頑張りました。お客さんがあると力が出ます。刈りながら「土手の草刈りも11年目。5月の草刈りは、この11回目でおしまいだなあ」と感慨がわきます。
 仕事の合間に、テントのイスで腰を休めます。川向こうの山を眺めながらハーモニカを吹く。♩~ ふるさと/里の秋/フォスターの曲/唱歌・童謡/など、思いつくままに。

 野草酵素飲料を飲み、腰を休め、緑を眺め、次の仕事をするエネルギーが満ちるのを待つ。お気に入りの休憩です。
 午後の仕事は早めに切りあげ、軽トラで口吉川町の村村の様子を見に出掛けました。草刈り用のガソリンをタンクに買い、細川町の桃津から川向こうをゆっくり走ります。口吉川町に入り、蓮華寺/馬場/東/保木/南畑/大島/槇/里脇/県道を渡って久次/笹原/と田んぼを見ながらゆっくり走ります。
 田植え/稲刈りのときに、田舎を軽トラでゆっくり走る。これもずっとやってきた、「しあわせな時間」です。

 そうだ。軽自動車を新車にしてから、まだ道子さんは新車を運転していません。軽トラは大丈夫だけど、軽自動車の新車の運転にもなれてもらわなくっちゃ。6月は練習月間にします。
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銀杯草(ぎんぱいそう)が咲いています。

2018年05月29日 04時14分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 畑の遊歩道に、いま銀杯草(ぎんぱいそう)が咲いています。アルゼンチン原産の花だそうです。一株植えると毎年広がっていき、グランドカバー用に植えられることもあります。10センチより高くならず、地面をおおってくれます。

 アルゼンチンだったら、地平線まで白い花の広がる草原が見られるかもしれません。
 この銀杯草は、もともと母が神戸の家の庭先に植えていました。「文学友だちにもらった」と話していました。ぼくらが三木に引っ越し、母と暮らすことになったとき、道子さんが庭に移植しました。さらに畑の遊歩道にも少し植えました。それが10年で広がって、いま咲いています。
「ミモザ」と「銀杯草」は母には思い入れのある花で、この花との出会いを語っていたこともあります。去年は、銀杯草の写真を大きくして見せたら、「ホッ!」と笑顔を見せました。今年も、兄弟で母を訪ねたとき見せようと写真を用意したのですが、車に忘れてしまい、まだ見せていません。
 もうひとつ花穂の写真です。

 ちょうど今ごろは、あちこちの草むらにチガヤの花穂(ツバナといいます)が風にゆれています。この花穂を見ると、子どもの頃にツンバナ(ツバナの方言)を食べたことを思い出します。
 どんな味だったか、試しにまた食べてみよう、とは思いません。ただ敗戦後の、苦い記憶がよみがえります。都会では多くの戦災孤児が飢え死にし、田舎でも非農家のぼくらは、いつも空き腹をかかえていました。ツンバナも食べたし、グミ(方言で「ゴブ」と呼んだ)も舌がザラザラするほど食べたし、桑イチゴも唇を染めて食べたし、スイバ(方言で「シンジャ」と呼んだ)も蕗の葉に包んで持ち出した塩をつけて食べたし、…… 。
 そんな「子どもの頃飢えて育った世代」も80代になり、歴史から消えていきます。
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タマネギ/ジャガイモを収穫中です。

2018年05月28日 00時27分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくは5月の土手の草刈りにとりかかり、道子さんはタマネギ/ジャガイモを収穫しています。

 今年は葉先が黒くなったり枯れたりすることなく、順調に収穫しています。畑で日に当てて、雨の前に取り込みます。道子さんのもう一つの大仕事は、落花生の苗を植えることです。なぜ大仕事かというと、まず畝に黒マルチを掛ける仕事があります。落花生に黒マルチを掛けるのはおかしいでしょ。枝が四方八方に広がり、花が咲き、そこから地面に根を下ろします。マルチがあると根が地中に伸ばせません。
 苗の生長に合わせてマルチを切り開き、落花生の根が下ろせるようにします。なぜマルチを掛けるか。草抜きに手がかかるから。苗の生長につれてマルチを切開すれば草抜きの手間がはぶける。というわけです。でもあの畑ではもうひと手間必要です。

 今年は60株ほど苗を植えましたが、写真のようにトンネル寒冷紗でおおいました。これが大仕事でした。なぜ? カラスが苗を引っこ抜くからです。去年はカラスに苗をねらわれ、30株が10株ほどになってしまいました。なぜカラスがねらうか。
 うちの畑の落花生はおいしい。それをカラスが学習していて、苗の根元の豆をねらって苗をほじくるのです。写真のようにしばらくトンネルにしておきます。水やりは上からかけます。
 畑仕事がいろいろあって、美嚢郡霊場巡礼も、骨休め旅も、ネスタ・延羽の湯も「あとまわし」。いい季節が過ぎてゆくのを感じながら見送っています。でもまあ、広い畑は今年限りとする思いはしっかりかたまってきました。
 
 ところでテニスのグランドスラム大会=全仏オープンがはじまりました。錦織圭を応援して2015年に WOWOW に加入してからずっと見ています。しばらくは枕は低く。7試合勝てば優勝なんだけど、そろそろしてほしいなあ。
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兄弟で弟の一周忌をしました。

2018年05月26日 20時40分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 下の弟は去年の5月に急性心筋梗塞で亡くなりました。独り暮らしでした。数日後に兄弟で家族葬をしました。あれから朝の瞑想のまえに、仏壇に向かい、手を合わせるようになりました。

 仏壇の横に花をかざり、身内/先輩/親友/など亡くなった人の写真を置き、生前のきずなや思い出を心に浮かべます。この世の、いまの、自分の人間環境より「あの人たちと、心おきなく、おしゃべりするほうが愉快だろうな」と思うこともあります。
「法事」にこだわるのではありません。が、何かして、気持ちに区切りをつけたい。そんな思いで兄弟に呼び掛け、きのう一周忌という名目で集まりました。
 それぞれに80歳に近くなり、互いの老いを感じました。

 母・妙子さんは、4人兄弟です。存命の長女・妙子さん以外の3人は、90歳代で亡くなりました。だれが亡くなったときも、兄弟で葬式に出た人はいませんでした。
 その話をして、親・兄弟の葬式には「お互い、無理をしないように」。高齢になると、かえって律義に葬儀に出ようとすることがあります。そんな律義は捨てる。
 無理はしない。「やめとこう」という虫の知らせがあれば素直にしたがう。
 兄弟でたしかめ合いました。

 
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着々と田植えの準備がすすんでいます。

2018年05月25日 18時00分55秒 | 古希からの田舎暮らし
 田んぼに水が張られ、田植えの季節になりました。

 空が水にうつって地面にひろがり、蛙が鳴きはじめます。今年は、しっかり雨が降ったので、裏山の向こうの福地池は満水です。田植えは大丈夫。

 営農組合の苗づくりは順調にすすんでいます。

 去年の稲刈りでは、このあたりの農家は大変な目にあいました。雨が多く、田んぼがぬかるみ、コンバインが立ち往生し、泥まみれになって稲刈りをしました。
 今年はうまくいきますように。

 田植えの準備で忙しいこんな時期に、口吉川町公民館の「館長杯グランドゴルフ大会」がありました。三木市全体のグランドゴルフ大会とかちあって、ずれ込んだそうです。老人は、田植え準備の主役なのに。
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映画『モリのいる場所』を見ました。

2018年05月23日 17時42分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 雨で外仕事はできません。口吉川町のグランドゴルフ大会は延期になりました。仕事はお休みにして「年寄りでも安心な映画を見に行こう」という話になり、三田シネマに出掛けました。
『モリのいる場所』という、地味なお爺さんお婆さんの映画です。
 映画の途中で眠くなりました。退屈でした。でも、まあ、最後まで見て、「あんな庭を映画で見るくらいなら、うちの裏山を見てたほうがよかった」。
 トカゲとかカマキリがちょっと出てきますが、うちだったら虫も小鳥も花もいっぱいだし、それを愛でる老人だっているし、わざわざよその老人の映画を見ることなかった。というのが感想です。
 
 昨夜はアライグマの檻を仕掛けましたが、掛かりませんでした。イチゴ・シーズンはもう終わりだし、今年はスイカはつくらないし、ま、いいか。正直な気持ちです。
 雨がやんだら5月の土手の草刈りをします。
 
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クララの苗をさし上げます。

2018年05月23日 00時52分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 写真はクララの苗です。

 苗というより、苗を植えて4年目になる『根』です。宿根草で、毎年生えてきます。地下ではしっかり根を張っている(と思います)。
 この苗(根)をさし上げます。ただし掘るのは結構力がいります。それにかなりの根ですから、自分で掘って持ち帰られる方にお願いします。2本あるので、一本ずつ限定2名の方に。 
 もしご希望でしたら、コメント欄に連絡先を入れてください。打ち合わせて、掘りに来てもらいます。
 このクララは4年前、自分で種を播き、苗を植えて、育てました。苗はたくさんできたので、畑と裏山に植えました。裏山のクララ13本は今年も順調に生えています。畑のクララは、今年で〈おしまい〉にするので、根を持ち帰ってください。根は生きていますから来年は2メートルの茎が数本伸びて、豆(種)がとれるでしょう。
 クララは一度生えると、毎年ちゃんと生えて、だんだん茎の本数が増え、数年で10本以上の茎になります。根がついてしまうと「何の世話もいりません」。
 ただし、2メートル超と背が高くなるので支えをつけてやるほうがいいです。 よろしく。
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お通夜に思ったこと

2018年05月22日 05時11分16秒 | 古希からの田舎暮らし
「ホロホロ」はハワイの言葉で「ぶらぶら歩くこと」だそうです。「ホロホロ、ホロホロ」と声に出して歩いてみると、いかにも「ぶらぶら歩く」感じです。
 用事がなくても、なんとなくニコニコしながら、ホロホロ(ぶらぶら歩く)。どの町や村にもそんな人がいそうな気がします。「うちの村にそんな人は ……」と思いめぐらしてみると、やっぱりおられます。
 ニコニコしながら土手をのぼって畑に来られ、野菜づくりのおしゃべりをしたことも、一度や二度ではありません。ぼくと同い年の方で、いつも温和で、心やすくおしゃべりができ、営農組合の仕事でも頼りになり、陰ひなたなく、笑顔のよく似合う人でした。
 その方が亡くなられ、家族葬と聞きましたが、昨夜のお通夜に、お参りさせていただきました。人柄をしたう村の方々も多く来ておられました。
 破顔一笑という感じの遺影写真。「いつもこんな笑顔だった。いい写真だなあ」と焼香の後しばし見とれました。高齢者は、肺炎になっても熱があまり出なくで手当てが遅れることがあります。元気な方だっただけに、遅れたことが悔やまれます。

前の晩に、虫食いイチゴを檻に投げ入れ、戸を開けておきました。朝、畑に行ってみると、檻の戸が閉まっています。なにか動物が踏み板を踏んだから、戸が落ちがのでしょう。しかし戸が落ちたら中の動物は出られません。
 戸は落ちているのに動物がいない。どういう事だ。
 戸はある程度体重がないと落ちない。さては、戸が落ちても、掛け金を持ち上げれば檻から出られると、アライグマが学習したのではないか。
 なんとしてもアライグマを捕まえたい。今夜は、忘れずに、チキンラーメンでトライします。
 
 
 

 
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「三木室内管弦楽団」の演奏会を聴きました。

2018年05月21日 02時36分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 三木の管弦楽団演奏会を、去年から聴いています。きのうは文化会館小ホールで、ブラームスの交響曲第一番とブルッフのバイオリン協奏曲。どちらも馴染みのある曲です。気持ちの入った演奏で、快く生の音楽を聴きました。

 名前は〈室内〉のつく管弦楽団ですが、人数は補強メンバーを含めて50人超。立派なオーケストラで、音もしっかり響きます。11月には、また小野市で〈ベートーベン・プログラム〉の演奏会があります。カレンダーに記入しておきます。
 それにしても入場料は無料。練習を積んでの定演。クラシック音楽を支える活動に感謝します。

 6月は田植えです。丹波あたりは5月に田植えが終わっていますが、山田錦は6月に田植え/10月に稲刈りです。いちばん日本らしい。
 田植えのまえに土手の草刈り。

 口吉川町は、なだらかな丘にはさまれた農村です。田んぼは平坦に広がるのでなく、土手があります。田植えを前に土手の草刈りがすすんでいます。夕日をあびてきれいに刈られた土手は、気持ちのいい眺めです。
 畑に行って、夜は檻をあけてアライグマを捕まえるつもりでした。しかし戸は閉まっていたのに、餌のチキンラーメンが食い散らかされています。カラスやヒヨドリはつつけないし、だれが? 3センチ×3センチの檻の網をすり抜けられる生き物は? 野ネズミしか考えられませんけど。
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『物忘れ』をどうするかなー。

2018年05月20日 05時36分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 歳をとると「物忘れ」をするようになる。それは仕方がない。そのことに、年寄りはどう向き合って生きるか。
 ぼくの場合、急にフラッシュバックするように「えーと、あれはどこにやったかなあ」と不意に思うことがあります。自動車の鍵/携帯電話/カメラ/財布を入れたカバン/病院の保険証/とか。これは年寄りの「宝さがし」で「財布がないない」と毎日探していた女性を思い出します。
「あった!」。「でもなんでこんなところに置いたんだろう」。
 考えてみるけどわからない。仕方がないから考えるのをやめる。また不意に「えーと、あれはどこに置いたんだったかなー」と何か品物を思いつく。それを毎日繰り返す。
 そんな物忘れをする「自分を責める気持ち」は不思議なくらいおこりません。よくしたものです。
 きのうはこんなことがありました。
 畑のイチゴは盛りを過ぎたけどまだ採れる。アライグマ出没の形跡もくっきり。ここは檻を仕掛けて捕獲しよう。 …… と甘い甘い野草酵素飲料のシボリカスを入れたのですが、アライグマはパスしたようです。
 よーし、チキンラーメンを奮発しよう。
 きのうは遊歩道の草刈りをして疲れたので、東条町のとどろき温泉に行くことにしました。夕方、行きがけにちょっと車をとめてチキンラーメンを仕掛け、檻の戸を閉めておきました。(カラスが食べてしまうから)帰りに檻の戸を開ければいい。
 ゆっくり温泉につかり、食堂で鰻重を食べ、エエ気分で運転して帰ってきました。
「♩~夕焼け小焼けで日が暮れて …… 『カラスといっしょに帰りましょ』って歌うけど、あれは間違いやなー。カラスは帰らへん」
「そうね。アライグマは餌がなかったら入らんし」
 というような会話をして。
 家に着いて、車のドアを開け、ドアのポケットに突っ込んだラーメンの袋を、プラスチック・ゴミの箱に入れようと家に持って入りました。
 機嫌よく寝て、夜中にオシッコに起きて、思い出しました。
 きのうは「暗くなってから檻の戸を開ける」つもりだったのに、忘れてた。
 
 せいぜいブログに書くくらいで、どうしようもありません。でもそれでいいか。
  
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今夜から枕を高くして眠ります。

2018年05月19日 04時14分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 錦織圭がローマ大会で準々決勝に進出して、昨夜の11時から試合の予定でした。で、10時に起きて、気分をととのえて、テレビ観戦の構え。ところが前の試合が延びて2時間以上待たされました。
 午前1時を過ぎてやっとはじまった試合で、錦織は11連敗中の相手を圧倒し、「今日は勝つぞ!」と思いながら応援しました。ところがだんだん形勢がわるくなり、最後は負けました。終わったのは午前4時前です。いまから寝て、6時に起きて、すわいしょう⇒仏壇に向かう⇒瞑想。生活のペースが狂ってしまいそうです。
 でも今夜から枕を高くして、好きなだけ眠ります。あ~あ。
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お客さんとおしゃべり、いっぱい。

2018年05月18日 01時42分57秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは神戸と姫路のほうから道子さんのお友だちが訪ねてきました。街とちがって、駅にお迎えに行き、家のまわりを案内し、「いいわねー!」「いいわねー!」と感心され、心地のいい一日でした。イチゴもまだ採れるし、いろんな花が咲き、来客のベスト・シーズンです。
 こっちは、来客を歓待して、あちこち案内して、説明することが自慢になるし、感心してもらえるし、いい気持ちです。

 裏山のデッキでコーヒー・タイム。藪蚊はまだだし、緑は濃くなるし、葉っぱの吐き出す新鮮な酸素を吸って、おしゃべりは尽きませんでした。

 さて、錦織圭はいまの大会で3回戦に進出し、夜中の2時から試合の予定です。睡眠時間を調整して、いまからテレビ観戦します。
 
 
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今日は「大働き」「盛り沢山」の1日でした。

2018年05月17日 02時40分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 火曜日は、軽トラを車検に出し(一日車検)、神戸の水田種苗店にサツマイモの苗を買いに行きました。べにはるか(バイオ):30本/安納芋:30本/ナルトキントキ(バイオ)30本を買いました。次の雨(金曜日)までに植えるつもりです。
 そして16日(水)は、盛り沢山の一日になりました。やったことを順を追って書いてみます。
① 畑に出て、「芽出し」した小芋を植えました。まず小芋を掘り出し、黒マルチにカッターで切れ目を入れ(40センチおきに)、小芋を植えていきます。畝間にはまだ雨の水がたまってぬかるみ、足をとられます。実際は50センチおきに植えたので25株しか植えられませんでした。
 マルチの下の土は、しっとり湿っており、あったかく、ちょうどいい感じです。
② サツマイモの苗を植えました。安納芋・鳴門金時・紅はるか(各30本)も黒マルチに切れ目を入れて植える。畝間はぬかるんでおり、足をとられました。よろめいたことはありますが、手をついたり、こけたりはしませんでした。多くのサツマイモを植えるのも今年でおしまいです。

 サツマイモは、地温があがっており、しっとり湿っているので「水やり」は休めるでしょう。
③ 次は奉仕活動で、ゴミステーションの草刈りをしました。道子さんはステーションの花壇の手入れです。ささやかな奉仕は気分がいい。バス停の草刈りもするつもりでしたが、忘れました。

 しばらくはいい気分でゴミ出しができます。次の草刈りは6月中旬にします。
 ところできのうは16日。大将軍神社にお参りする日です。しかし神社の鳥居を新調するので、いま「お性根抜き」中です。毎年田植えでお休みになる6月が、「お参りの日」になりました。お参り皆勤を、今年もねらっています。
④ テニスの試合テレビ観戦。錦織圭の試合は3時間。夜中に「ガロア・スポーツ」で見て、時差放映されたNHKのBS1でも見ました。勝った試合は復習観戦するのです。で、夜中の2時になってしまいました。これから風呂に入ろうかな。
 
 そうそう、アライグマですが畑を歩き廻っています。その証拠写真。マルチの上にクッキリ!

 道子さんは、イチゴネットハウスのほかに、30株のイチゴを植えています。これをヒヨドリがねらうので、動物ネットやテグスでガードしていますが、アライグマもこのイチゴを食べているようです。30株のイチゴは、まだ1粒も人間の口には入っていません。
 ネットハウスのイチゴは無事です。アライグマは悔し涙を流しているかも。「砂糖漬けの酵素飲料しぼりカス」を檻に入れて仕掛けました。
                                               
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西村京太郎の小説を読みました。

2018年05月16日 01時57分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 600冊も、本を書いて、広く読まれている、西村京太郎の、推理小説を、一冊読んでみよう。と、思って、『京都駅0番ホームの危険な乗客たち』を、図書館で借りて、読みました。
 で、「もう、読んだ。これで、納得した。」と思いました。
 この文は、西村京太郎の、真似を、しています。彼の文は、句読点が、やたらに多い。小説の一部を、引用してみます。


 この後、十津川と亀井は、北海道に、飛んだ。
 事件が発生したとき、寝台特急「カシオペア」は、北海道内を、走っており、乗務していたのは、JR北海道の車掌である。そこで、その車掌に会って、話を ……………… 。
 すると、二人の車掌から、意外なことを、聞かされた。

  
 こんなに点(、)を打つ必要があるか。と感じるほど、いっぱい点(、)を打って、文が区切られています。日本語は、英語と違って、長い修飾語や修飾する文を前につけます。だからこんな風に区切ったほうが、読みやすく、伝わりやすい。文の美意識は別問題です。ぼくなら「こんなに点を打つのはどうかな」と考えてしまいます。

 話の展開には〈書き手の身勝手な都合よさ〉を感じてしまい、「もういいかな」と思いました。 

 
 

 
 
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