古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

サツマイモのツルは一気に燃やしています。

2013年09月30日 04時47分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 サツマイモをかなりつくっているので、掘った芋のツルもたくさんあります。畑の隅に積んでおくと、また芽が出てツルが伸びたり、ズルズルになったりして始末に困ります。菜園の本に書いてあったので「〈押し切り〉で細かく切って、落ち葉と混ぜて積んでおいた」こともありました。でもあれは10本ほどつくる人用のアドバイスではないでしょうか。畝に梳きこんだのですが、山ほどあって後の処理が大変でした。
 で、いまはどうしているかというと、掘ったはしからどんどん燃やして灰にしています。
                 
 生のツルを、製材所(元)でもらった廃材とか竹(裏山から切り出して積んでおいた)で、強火で一気に燃やしてしまうのです。写真のように太い材木で燃やします。草木灰は横のサイディングの廃材でつくった容器に入れます。まえのトタンの洋服箱とちがい、たくさん入ります。
 その容器も一杯になったので畑のあちこちに撒いています。ちょっと怠けてツルが山積みになってしまうと燃やす意欲がなくなるので、「やる気のあるうちに仕事をする」ようにしています。ですから芋は半分ほど掘ったのにいまツルは残っていません。
 落花生を試し掘りしてみました。食べられないことはありませんが「まだちょっと早い。10月中頃になれば掘ってもいいかな」。もう少し待ちます。
 それと雨が降りません。酒米の山田錦は丈が高く、倒伏しているところもあるで、稲刈りを待つ稲にはとてもいい晴天です。しかし、畑では大豆・黒大豆の豆がふくらむ時期で、乾きすぎのように思います。畑の水やりをします。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安納芋が全部かじられています。がっかり。

2013年09月29日 04時01分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 安納芋の残り三分の一を掘りあげました。写真はざっと洗って畑に並べたところです。この芋はことごとくかじられています。カナブンの幼虫がかじったのです。許せない!
 掘る途中に出てきたイモムシ(幼虫)は水に投げ込みましたが、かじられてからそんなことをしても仕方ありません。どうすれば農薬を使わないで防げるか調べて対処します。それにしてもおいしい安納芋がどれも醜く、人にあげたくてもあげられません。去年はイノシシに安納芋を半分以上食い荒らされ、イモムシにまで思いがまわりませんでした。しかし電気柵のおかげで〈イノシシ・アライグマ・フリー〉になって、立派な芋ができてみると、カナブンの幼虫の仕業に腹が立ちます。
 なお安納芋の食べ方ですが、我が家では 〈切って蒸す ⇒ 少し干す ⇒ こげ目がつく程度に焼く ⇒ 冷凍保存する〉 というやり方で保存しておき、ときどき解凍しておやつにいただきます。
 今年は大豆の品種を変えました。試みに『北海道・鶴の子』も苗立てして植えたのですが(6畝のうち1畝)、出来具合がよくありません。6月下旬に移植して、他の苗より早く7月中頃には花が咲いてしまいました。(それが白い花だったので「大豆でなかったのか」と心配しました)
 木の丈は低く、他の大豆の半分くらいです。それにサヤ付きが少ない。ほんとに「あの大粒の鶴の子大豆になるのか」と心配になります。そしたらまだ9月だというのにもう一部のサヤが枯れて、大豆が落ちはじめました。そこできのう鶴の子30本ほどは全部根を切って持ち帰りました。
 いまサヤをちぎって干していますが、どれだけとれるでしょう。とれたとしても他の大豆とは区別してつかうつもりです。まず煮豆にして味をみて、ふつうにおいしければ味噌にもつかいましょう。他の大豆は順調です。今年植えたサチユタカ・タマニシキ・村の人にいただいた種はいずれもしっかりした木になっています。
 そうそう毎年道子さんの苦労をブログのネタにしている『小豆』(丹波大納言)ですが、これがなんときわめて順調です。今年は4ミリ目の防風ネットで地面からすっぽり覆って種蒔きをしました。それが順調に生長し、いま細いサヤがついています。アズキノメイガが食い荒らすのはこれからですが、「いまのところムシは来てない。今年の小豆はばっちり!」と道子さんはよろこんでいます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊谷達也『翼に息吹を』を読みました。

2013年09月28日 07時58分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 このところ熊谷達也の小説ばかり図書館で借りて読んでいますが、『翼に息吹を』という小説を読了しました。この題名では何を書いた小説かわかりませんが、特攻隊の知覧基地が舞台です。昭和20年5月から6月、沖縄に向けて多くの特攻隊機が知覧基地から飛び立ちました。その時期を扱っています。
 一人称の小説で、《私》は特攻隊の乗る飛行機の整備士で、おんぼろの機体を劣悪な、乏しい資材で飛べるように整備しなければなりません。出撃に合わせて睡眠時間を削る激務です。出撃しては機体の整備不良という口実をつけて何度も引き返してくる特攻隊員がいます。彼は懲罰的な単独での出撃命令を出され……。
 文と筋に力があり、いわゆる「小説的強度」の強靭な小説です。
 二つ感想を書きます。
○ 『ルソンの谷間』(江崎誠到)の小説で、仲間との会話にこんなエピソードが出てきます。
「彼は特攻隊で何度出撃しても、〈飛行機の具合がわるい〉と引き返してきた。とうとう10回目に護衛機が彼の機を追い立てて出撃し、敵艦に突っ込まざるを得なかった」。江崎がなぜこんなエピソードを挿入したかわかりません。熊谷の小説ではその特攻隊員の心が垣間見えてきます。
○ 山本五十六は昭和16年12月の真珠湾攻撃のとき、出撃した潜航艇が「片道切符の出撃ではないか」と強く詰問した、と読んだことがあります。「帰還する可能性がある」と聞いて許可したそうです。もし山本が、米軍の暗号解読により撃墜されることなく、戦時中ずっと生きていたら「生きた人間が鉄砲玉になる」という外道な戦法は絶対とらなかったでしょう。 …… ※ 実際には10艇の潜航艇のうち9艇は戦死して〈9軍神〉に祭り上げられた。1艇はアメリカ軍に捕まり搭乗員は捕虜第1号となった。彼は敗戦後ブラジルで実業家になった。
『翼に息吹を』の終わりのほうに、敵艦に体当たりして死んでいった特攻隊員が、私たちに突き付けている課題があります。それを熊谷はこう書いています。

 
 あのとき、軍人、民間人を問わず、私(特攻機を整備する兵隊)を含めて地上に残るすべての者が、特攻隊員たちの背中を、間違いなく押していた。惜別の涙をこらえる一方で、私たちは、彼ら特攻隊員たちに、絶対にここに戻ってくるな、と暗黙のうちに強いていたのではないのか。出撃の際のあの異様とも言える華々しさは、死にゆく者への激励であったのは確かだが、当の特攻隊員たちをして、これで自分は死ぬしかなくなった、とあきらめさせる、強制を伴った儀式だったのではあるまいか……。
 白い雲が浮かぶ青空に向かって次々と飛び立つ特攻機と、それを見送る人々の光景は、悲壮で美しくもあったが、同時に、醜悪なものでもあった。
 そういう意味で、私たちひとりひとりは、特攻作戦を発案した軍の上層部や大本営と、なんら変わるところはないのかもしれない。極端な話、日本国民全員がこの戦争を始めることを望み、特攻の実像を創り上げてきた、と言っても過言ではない気がする。
 そして私は気づく。
 どのような形であれ、特攻作戦に直接携わってきた私には、答えを出せない設問だと。
 そもそも、答えを出す資格が、私にはないのだとも思う。
 答えを出せる者がいるとすれば、設問に答える資格を持つ者がいるとすれば、自ら死んでいった特攻隊員だけだ。
 ……(中略)……
 答えを出せる者、答えを出す資格を持つ者はほかにもいると、ようやくのことで気づいたのである。
 それは、後世の人々だった。  

 いまのぼくたちが後世の人々です。あの特攻隊という存在にどんな答えを出しているのでしょう。 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うちでも『半沢直樹』を見ました。

2013年09月27日 03時27分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 テレビドラマ『半沢直樹』が評判になっていますが、うちでも最終回を見ました。そして「終り方が気に入らない」ので、いろんな意見をネットで読んでみました。
 銀行のあんな世界を知りませんでした。大袈裟に、マンガチックにドラマがつくってあるにしても、あんな〈やりとり〉をして生きてる人がいるのですね。
○ 半沢直樹が行内での昇進でなく、出向を命じられるのを、「続編をつくるためにわざとこんな終り方にしたか」と思いましたが、そうでない出向(将来の主要なスタッフ候補として勉強させる出向)もあるそうですね。だから「あの人事はあり得る」という意見を読んで「島流しの片道切符ばかりじゃないのか」と納得しました。
○ 大和田常務の憎憎しい演技が評判になってるそうですが、ぼくら素人は思わず指先に力を入れて見てたりします。で、「あの常務⇒平の取締役の格下げは手ぬるい」と胸につかえました。でも「頭取の保身と行内の派閥バランス」のためにわざと手ぬるくしたという意見を見て、「そうなのか」と納得しました。あの俳優を見て、〈頭取〉=〈正義の味方〉と思ってしまいました。大岡越前とかそんな役ばかりしてるし。(子連れ狼は駄目でしたね)でも「頭取の保身のため・派閥を敵にまわさないため」といわれるとわかります。
 そういえばむかし、『神戸銀行』という銀行がありました。ご存知の方はちょっと年配の方ですね。そのうち『太陽神戸銀行』⇒『三井太陽神戸銀行』⇒『さくら銀行』⇒『三井住友銀行』になりました。山崎豊子の小説にも書かれましたが(ぼくは読んでません)、あの銀行に〈神戸銀行派閥〉っていま残ってるのかなあ。影も形もないのかなあ。
 ところで上の写真は、檻に入ったキツネです。3年前だったか、うちの畑でつかまり、朝放してやりました。うちの畑は電気柵をしたので動物の心配がなくなりましたが、いまもアライグマを檻でつかまえてる方がうちの村にもおられます。今年の夏は5匹以上のアライグマを捕まえて市の農政課に渡したそうです。
 電気柵はほんとにありがたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴミ・ステーションの草を刈りました。

2013年09月26日 04時32分26秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 今年咲いたリコリスは250本ほどです。植えた球根(鱗根)の半分が咲いたことになり、去年より少ないです。リコリスは一年おきに咲くそうですから、来年は〈300本越え〉を期待します。今年咲いた鱗根は休んでも年々増える鱗根が咲きますから。
 カボチャ・〈鉄かぶと〉が出来過ぎて置き場に困っています。一応小屋の棚に積み上げましたが、とても食べ切れません。というより食べる意欲が出ません。来年から〈鉄かぶと〉というカボチャは絶対植えません。深く反省しました。
 ベニハルカというサツマイモは今年彗星のように登場し、ものすごい勢いでツルが茂っています。ツル返しもしっかりしたのに〈ツルぼけ〉気味です。それに根があちこちに伸びてその先に芋ができているので掘りにくい。「クリーミーで甘い」芋は安納芋だけで十分です。来年はやめます。
 それと干し芋用ということで今年はじめて植えた〈タマユタカ〉ですが、白いサツマイモでとてもよくできています。甘さも充分。ツルをとって増やしたりせず、ツル返しも怠けてました。ごめんね。来年も植えます。でも……改名しない?
 空になった洋服ダンスは、大きくてそのままではゴミに出せません。といって壊すのも大変。というか5年も前だったらよろこんで壊したでしょうが、いまでは意欲が出ません。清掃センターにきいたら「そのままでも引き取る」といわれたので軽トラに積んで持ち込みました。
 田舎暮らしに軽トラは必需品です。便利なだけでなく、これで農道をとろとろ走ると癒されます。「そんなことないだろ」と思われるなら、田舎に暮らして軽トラ持って走ってみてください。
 きのうは草刈り機を荷台にひょいと積んで、村のゴミ・ステーションまで走り、ちょっと道端の草を刈りました。なんでもない奉仕ですがしばらくいい気分です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カボチャ『鉄兜』がたくさんできてしまいました。

2013年09月25日 02時03分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 カボチャや冬瓜を植えてまわりに動物ネットを張り、ツルが外に出ないようにしました。しかし元気のいいツルが外に伸びて困りました。ときどきネットのそばのカボチャを収穫して食べましたが、今年はじめて植えた『鉄兜』という品種は、他の栗カボチャや冬瓜を圧する勢いでした。
 たくさんできたから「もういいでしょう」と、きのうネットとツルを撤収しました。
 すると出てくるわ出てくるわ、写真のようにぞろぞろ。
                 
 カボチャ『鉄兜』(「新土佐南瓜」という名前だそうです)は東条町のドッグランのある苗屋さんで買いました。雄花が咲かないので他のカボチャといっしょに植える品種です。それが実に強い。皮が硬く、冬を越して3月までもちます。で、味はどうかというと、我が家の感想ではイマイチ。
 写真には小型の冬瓜、ふつうのカボチャも写っていますが、大半はその『鉄兜』です。冬には味がよくなってそれなりにおいしいそうですが、正直困っています。食べてみようと思われたらぜひ一声掛けてください。
 もうひとつ、悩ましいことがあります。
 きのう土手を見たら蛇が畑に入ろうとしています。太陽のもとでくっきり見えました。ヤマカガシです。あごのあたりに黄色がかったところがある小型の蛇です。
 この間からちょくちょく見かけていた蛇は、やっぱりヤマカガシだったことをしっかり確認しました。道子さんにも声を掛けて、確認してもらいました。
「マムシより毒性は強いし、殺さんといかんのかなあ」「追い払うだけにしましょう」「この畑に棲みついてる感じだし」「捕まえてよそに引っ越してもらおうよ」
 口だけは勇ましいようなことをいいますが、腰が引けています。
 夕方電気柵に電線をかけ、帰る間際に農業用水の水栓を締めたら、あの枠の中にヤマカガシが。
 ヤマカガシはおとなしい蛇で、マムシのように好戦的に突っかかってこないそうですが、でも水栓をしめようと知らずに手を出したら咬みつくかもしれません。
 どこかに行ってくれるとうれしいですが、それは望めそうにありません。まわりの田んぼは稲刈りがはじまるし、蛙はいなくなる。うちの畑には蛙がいっぱいいるし、草も刈ってあって捕りやすい。冬眠する前にしっかり腹ごしらえするには理想的な畑です。
 悩ましいなあ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜂くんの働く現場を見て感動しました。

2013年09月24日 07時05分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 これはスズメバチほど大きい蜂ではありませんが、とにかくうちの畑にやってきて、いまアオムシを捕まえて巣に持って帰ろうとしているところです。道子さんが「蜂がアオムシを捕まえた」というので慌ててカメラを取り出したら、蜂が飛び立ってしまいました。
 蜂はくねくね飛びまわってうまく写せません。「ちょっと止まってひと休みしてくれないかなあ」と目で追っていたら道具箱に止まりました。そこを接写で撮り、トリミング拡大した写真を大きいサイズでアップします。
 蜂は胴体がくびれた体をしており、流動物しか食べられません。そこでムシを噛んで肉団子状にして巣に持ち帰り、幼虫に与えます。幼虫はそれを食べて流動物にして成虫に与えます。
 蜂がアオムシをとってくれる現場をはじめて見ました。
「だからあの〈ムシ・トラップ〉がスズメバチの瓶詰めになるほど入っているのか」
 でもムシ捕りに活躍してくれるスズメバチさんには、トラップで一生を終えてほしくないなあ。蜂仲間では、「あそこの畑にはいろんなムシがようけおるでー。行ってみー」と評判になっているのかも。実際まわりを見渡すと稲をつくる田んぼと転作奨励でつくる黒豆畑で、クスリをかけるからムシはあまりいないでしょう。
 そういえば営農組合のクスリ散布係の人に、こんな話をききました。
「二人で田んぼの両側からクスリを撒いていくと、そのあとものすごくツバメが集まってきて飛び回るんや。ムシが田んぼから上に上がってくるんやなあ」
 ツバメは飛び回るムシを、飛びまわりながら食べているのです。
 有機無農薬農業ではムシ防除が大変ですが、蛙・蜂・小鳥・カマキリ・テントウムシ・トカゲ・ヤモリ・ムカデ・などムシを食べてくれる生き物も頑張っています。 ありがとう。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も孫たちとバーベキューをしました。

2013年09月23日 03時48分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 今年も孫たちとバーベキューをしました。毎年恒例ですがいつまでやれるでしょう。(また書いてしまった)
 あしたは芋掘りです。〈試し掘り〉したところでは、カナブンの幼虫がおいしい芋をかじっています。 ケシカラン!
 ちょっとずつ食べさしにするのが「ケシカラン!」といっておる。
 一つの芋をまるまる食べてしまうのだったらまだ許せるが、あっちをちょっとかじりこっちをちょっとかじりして、どれにもかじったあとをつける。不愉快だ!
 サツマイモをかじるムシのことを、農協杯グランドゴルフ大会のときたずねたら、「あいつはかなわんでな。でもネキリエースで一発や」と教えられ、黙ってしまいました。「化学肥料や農薬をつかわないで、あれこれ苦心して、美味しい野菜をつくっている」と話す気になりませんでした。
 市島町(いまの丹波市)の知人のところに、定年退職後1年だけ畑作りに通ったことがあります。その頃市島町は《有機農業の里》として売り出し中でした。街から出掛けた仲間は、地元の有機農業を志す人に教えてもらい、ムシ食い大豆をつくりしました。
 となりの畑では、村のおじいさんがやはり大豆をつくっていました。で、村の人に尋ねると、そのおじいさんは「農薬をバンバン使ってつくっとるでかなわん」ということでした。
 でも、思いました。
 おじいさんは、むかしから、苦労して苦労して、ムシに食われても大豆をつくってきた。そこへ、農薬をつかえばムシが防げる、と教えてもらった。散布してみるとまるで〈魔法の粉〉だった。ムシは寄りつかず、きれいな大豆が収穫できた。その人に農薬の害を説いても「気をつけて上手に散布すれば問題ない」というメーカーのほうを信じるでしょう。長年苦労してきて魔法の薬と出会った人に、素人が言えることはありませんでした。
 で、サツマイモは毎年くつるし、ムシには毎年かじられるし、どうしたものか。
 あれこれ調べたり勉強したりします。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろと考えます。

2013年09月22日 05時08分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 5年まえ、休耕田を借りて畑をつくることになったとき、土手の草刈りを考えて竹のフタをつけました。1,5メートルに切った竹を並べて針金で編んだフタです。それが腐ってきて、先日草を刈っていたとき踏み抜きそうになりました。落ちてもせいぜい50センチほどの水たまりです。でも落ちたくはない。そこで写真のようなフタをつくりました。足場パイプを渡し、製材所(元)でもらった廃材を切って止めたフタです。
                 
 これだと10年はもつでしょう。
 10年たつとぼくは85歳になる。まだこの世にいるだろうか。まだこの畑をつくっているだろうか。ま、どうなるにしても、ここのフタのことは以後放念できる。
 いつごろからこんな思考をもてあそぶようになったでしょう。
 3年まえウッドデッキに屋根をつけてポリカーボネートの波板を張ったとき、「この波板は10年もつ。それだけもてばもう張り替える心配をしなくていい」と思いました。
 また今年、小屋の屋根を下地防水材『モラサン』に張り替えたとき、「これだと10年は大丈夫だろう。もう手をかけなくていい」と思いました。
 でも、人生はわからんものです。
 父は米寿を祝ってもらってしばらくして肺炎で亡くなりました。84歳になっていたひ弱な母は、「ほどなく自分の番がまわってくる」と思ったようです。3年後に遺書のつもりで出版した随想の本にこんな´あとがき′を書いています。

 この世を去るにあたって、お世話になった方々、語り合った友だち、そしてわが親族のみなさま、子たち、孫たち、曾孫たちに御礼申し上げます。
 みなさま方の愛念により楽しく生きさせて頂きました。我が儘な私と長くつき合って下さいましてありがとうございました。
 往時をふりかえり、私は今こころ満たされております。  ……  ではみなさま御機嫌よう。

 で、この本を出した日付は2000年9月。あれから、父の3回忌が過ぎ7回忌も過ぎ13回忌も過ぎ17回忌も過ぎてしまいました。そして母は100歳になりました。本人もこんなつもりではなかったでしょうが、人生は「どうなるかわからんんもんだ」です。
 人の《寿命》はそれぞれにもう決まっているのだそうですが、わかったような顔して先先と考えるのはやめないといけませんね。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立派な太刀魚を買いました。

2013年09月21日 06時38分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 久しぶりに明石の『魚の棚』に魚を買いに行きました。お昼前に着いたので、まず商店街入口の銘菓店2階で軽い昼食。昼網が入って、太刀魚を売っていました。見たこともない立派な太刀魚です。大奮発して買いました。食べるのがたのしみです。
 午後は畑仕事をしましたが、日暮れが早くなりました。
                  
 夕方5時の写真に秋の空気が写っています。秋の虫たちがしきりに鳴いています。
 目の前の田んぼは山田錦をつくっています。先日の台風で稲が倒れましたが、まだ黄金色ではありません。稲を刈る10月10日くらいまで雨が降らないよう祈るしかありません。

 熊谷達也の『邂逅の森』につづいて『氷結の森』を読みました。日露戦争後の樺太を舞台に、マタギの主人公が活躍する長編の物語です。おもしろい小説でしたが、やっぱりマタギは「自然を怖れ敬(うやま)い」、「東北の山で熊を撃つ」姿に魅かれます。
 次は、やはり熊谷の『翼に息吹を』という小説を読みはじめたところです。敗戦直前、鹿児島の特攻隊基地で、特攻に飛び立つ飛行機を整備する整備士の物語です。いままでの読書傾向からすると異色な作品ですが引き込まれる予感。
 はじめて熊谷の小説を読んだのは『調律師』でした。ピアノの調律について、ここまでくわしく調べ上げて作品にするのかと感嘆しました。彼の作品は文の骨組みがいい。話の展開に引き込まれる。お粗末な推理小説などとは一線を画す作品群です。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真剣にマムシ対策を考えます。

2013年09月20日 03時07分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう、口吉川町の老人会で《JA杯グランドゴルフ大会》があり、ぼくも参加しました。競技のほうは和気あいあいでたのしみましたが、また「マムシに咬まれた話」をききました。
 咬まれた本人に、そのときの様子を聞いたのはこの地に暮らすようになってからで、彼で二人目です。「○○さんが咬まれた」といううわさは何度か聞いたことがありますが。
 彼の話では、「朝、田んぼの畦の草をとろうと草むらに手を伸ばしたら咬まれた」そうです。はじめはマムシに咬まれたと思わず、あまり痛くもなかったのでそのままにしてたけど、だんだん腫れてきたので病院に行って、9日入院することになったそうです。
 その日(8月5日)その病院には3人マムシに咬まれた人が入ったそうで、ちょこちょこ咬まれる人がいるのですね。秋口のマムシは子育てもあって恐いというし、サツマイモ畑で咬まれた人もいるし、用心しなければなりません。
 で、次のことをしようと思っています。
○ 裏山の草は草刈り機で刈ります。草刈り機で知らずにマムシを刈ってしまったことがありますが(畑で)、裏山の草むらをなくします。マムシはあちこちウロウロしないで大体同じところにいるそうです。だからその居場所をなくします。現在居場所はなくなっていると思うのですが。
○ 畑の草むらもなくします。土手は9月の草刈りがすんだところでマムシの居場所はありません。畑の中も草むらはありません。ただサツマイモの畝と黒豆・大豆の畝はいま盛んに茂っています。そして蛙はたくさんいます。マムシの居場所があるとは思えませんが用心します。
 なお先日ブログでふれた「ヤマカガシ」ですが、ときどき畑で見かけるあの蛇はそうかもしれません。ヤマカガシの毒性はマムシよりきついけど、前歯でちょっと咬んでも大丈夫だそうです。奥歯に毒があり、めったにそんな咬み方をしません。だから見かけても追い払うだけにしようと思います。
 そういえば藤澤周平の『蝉しぐれ』という小説では冒頭に「お福」がヤマカガシに咬まれ、文四郎が吸い出そうとする場面が出てきますね。作家は「ちょっと咬まれたくらいなら大丈夫」と調べて書いたのでしょう。
○ でも咬まれないように対策を考えます。まず『芋掘り』に来る人があったら、ぼくが先にツルを取り除いておきます。竹の棒で地面を叩いてマムシの注意を喚起し、鎌首をもたげて身構えたら叩き殺します。マムシは蛇よりた簡単に死ぬそうです。    神よ。われにたたきころす勇気を。アーメン
○ 手をガードするために「皮手袋」をはめます。うちの村の人が去年の夏咬まれたときは軍手をしていました。それでは駄目です。皮手袋かゴム手袋をはめることにします。
 そうそう、お彼岸ですがうちの畑の土手にもリコリス(満珠沙華/彼岸花/舌曲りなどの呼称あり)が咲きはじめました。おととい数えたら93株、きのう数えたら162株が芽を出してます。今年は300株以上出てくれたら万歳です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空がひろいのはうれしいです。

2013年09月19日 04時33分30秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 台風一過の17日朝5時50分、ウッドデッキから東を向いて撮りました。あと6日で秋分の日。いま太陽の昇ろうとしている、ほんの少し右が真東(まひがし)になります。これから冬至の12月22日まで、日の出は遅くなり、だんだん右に寄ります。そして半年かけてまたこの位置に戻ってきます。
 東の空が広いって、わけもなくうれしいです。
 この景色を見て、「ここに家を建てて住もう」と思ったのは2006年の春3月でした。
 12月4日に引っ越して6年と9ヶ月。裏山の竹藪を切り拓いて木を植え、1反3畝の畑(休耕田)を借りて野菜をつくり、家のまわりでいろいろ大工仕事をして過ごしました。
 古希近くなってから「田舎暮らしをはじめよう」なんて無謀なことを考えず、あのまま街に暮らしていたらいま頃何してるだろう。
 〈趣味=旅行〉といってあちこち出掛けるか。習い事でもはじめるか。音楽会に行き、本を読み、テレビのお守りをし、散歩をし、あちこちの病院にも行き……。何かはしているはずです。
 人生って、いくつになっても、どんなふうにでも、展開するなあ。
 そんな感慨が胸をかすめました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラリネットを聴く至福のときを待ちつつ……。

2013年09月18日 03時33分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 葛(くず)のツルの這いまわる草原越しに、我が家を遠望した写真です。いまいちばんすごい植物は『葛』です。他の植物の上に精いっぱい葉を広げ、太陽を独り占めしています。まさに葛の海です。
 でも植物はえらいですね。あんなに覆いかぶさられても、文句一つ聞えません。『アレチヌスビトハギ』の花も咲いています。これも萩ですから花はかわいい。しかし見つけ次第手折ることにしています。おそらく散歩中に靴や服にくっつき、クッツキムシを落としたところに生えてきたものでしょう。
 きょう東条町の図書館に行ったら音楽会のチラシが置いてありました。
 今年のコスミック・ホールの『日本木管コンクール』はクラリネット部門。第二次予選は10月12日(土)。課題曲は今年もモーツアルトのクラリネット協奏曲(K.622)。
「あー、あの至福の時間がまた味わえる」胸がすーっとひろがり、顔がほころびました。
 おととしのクラリネット部門第二次予選もこの曲で、たしか12人が一日中演奏しました。(演奏は30分かかります)美しいピアニストの方々の伴奏で、全身全霊を込めた若い人たちの演奏を聴く。午後半日・3時間・6人の演奏を聴きました。今年は、あの響きのいいホールで一日中聴こうと思います。
 あの第二楽章はいままでに何百回聴いたことでしょう。旅のビデオのBGMにもよく使い、「まーたこの曲」といつも道子さんに笑われています。
 それともう一つ。音楽会を見つけました。
 12月6日(金)やしろ国際学習塾のホールで、モーツアルトのクラリネット5重奏曲(K.581)の演奏会があります。この曲の第二楽章のことはブログに書いたことがありますが、いまもよく<you tube>で聴いています。モーツアルトがこの曲をつくって以来、世界中のどれほど多くの人がこの曲の第二楽章に癒され、死を思いとどまり、笑顔をとり戻し、また立ちあがって歩きはじめたことでしょう。
 ライスターの演奏でCDをずっと聴いていますが、生では聴いたことがありません。死ぬまでに目の前で演奏される空気の波動を浴びたい。その思いにうってつけの演奏会です。
 ポール・メイエのクラリネット。アルティ弦楽四重奏団。申し分ありません。
 チラシにも「至福の瞬間 / 現代最高の クラリネット奏者 × 我が国最高の クァルテット!」の文字がおどっています。
 待ち遠しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おててつないで敬老会へ

2013年09月17日 02時58分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 どうなるかと思ったのに台風一過で昼まえからいい天気になり、母とぼくは敬老会に出席しました。口吉川町では75歳になると敬老会にお招きを受けます。二人合わせて175歳。母は百歳以上を代表して、前に出てお祝いをもらいました。
                 
 出掛けるまえにおててつないで撮った記念写真です。
 敬老会では小学校一年生が、〈おじいさん・おばあさん〉にいたわりのことばをかけ、おどりを見せてくれました。
                 
 それから公民館の趣味グループの、コーラス/大正琴/詩舞/カラオケの歌/をアトラクションで見せてもらいました。素直に舞台を見ている自分が、うれしかったです。
 人口2000人足らずの口吉川町で75歳以上の人は400人近く。そのうち100人近くが出席した敬老会で、一年生全員の6人が精いっぱいの演技をする。かつて300人以上児童がいた小学校は、いま50人を切っているでしょうか。少子高齢化を目で見るような図です。
 高齢者も「できるだけ世話になったり迷惑をかけないで、寿命があるまで生き、できればPPK(ピンピンコロリ)で姿を消したい」と思っています。
 帰りがけに見知らぬ高齢の方が「お元気でいいですね」と母に声をかけてくださいました。出席した甲斐がありました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛行機雲を見上げながら

2013年09月15日 01時43分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 先日散歩を兼ねてうちの村の全戸にチラシを配りました。(老人会で開催する『笑う健康教室』を農繁期のため延期することをお知らせするチラシ)空を見上げたら、写真のような飛行機雲が見えました。中央にいま飛行機が飛んで、雲が生まれつつあります。
 雲のない青い空に飛行機雲ができていく景色がうれしくて、写真に撮りました。
 図書館で借りた熊谷達也の『邂逅の森』を先日読みました。直木賞をとった小説で実におもしろかった。文庫本なら500ページを越す長編で、ぐいぐい小説の世界に引き込まれます。文の作り出す世界がくっきりしていて、読むのが気持ちいい。
 泡のように消える小説が多い中で、この作品は残るでしょう。それ以上のことはこの作品の感想ブログに多くの人が書いていますのでそちらにゆずります。
 読んでよかった。主人公のマタギだけでなく、登場する女性たちもグジグジしてなくて、それぞれしたたかに生きてます。ちょっと作者に都合よく動いてる感じでしたが、存在に迫力がありました。
 マタギをあつかう彼の作品はまだあり、次は『氷結の森』を読みます。
 日中は外仕事をするので、昼休みは読書タイムより昼寝タイムが優先しますが、マイペースでじっくり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする