古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

金屋の銀杏を見ました。

2019年11月29日 04時46分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 細川町のJAガソリンスタンドから山のほうを見ると、山すその銀杏がひときわ目立ちます。
 先日、スタンドで軽自動車のタイヤを『スタッドレス』に替えてもらいました。冷え込んできました。ほどなく道路が凍結するかも。
 待つ間に銀杏の樹まで歩いてみました。銀杏の家の人は、細川町増田の「ふるさと公園」にかかわっておられます。お話をきくと「あの銀杏は戦後植えたもの」だそうです。いまでは立派な樹形になっています。
「あと数日で一番いい色になるかな」と根元まで行ってみると、地面はもう落ち葉でいっぱいです。

 ここは家が4軒ほどで、県道から10メートルほど高くなっています。喫茶店「ふれんず」のほうを見ると、実にいい眺めです。こころがひろがります。

 ここの4軒の人は毎朝、向こうに昇る太陽を見られるんだ。我が家からの眺めもいいけど「ここの眺めもいいなー」。
 
 大豆は根元から抜いて干していますが、足踏み式脱穀機にかけるのはやめました。乾燥が遅い。
 サヤを手作業でちぎって、干してカラカラにします。それを叩き、踏んで脱粒し、最後は手作業で点検します。味噌用は例年通りなら7,5キログラム必要です。今年は無理でしょう。味噌を仕込む量を減らします。
 半分はサヤをちぎったので残り半分。寒い! 今日は裏山で大豆の枝を燃やしながら作業します。
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〈古希〉をむかえる12年後輩のみなさんへ  ③

2019年11月28日 01時14分07秒 | 古希からの田舎暮らし
 三つ目は「お墓」のことです。
 我が家のお墓は神戸平和霊苑にあります。家から車で30分超かかります。お彼岸やお盆は車が混んでお参りする自信がありません。それを避けてお参りしようと思うけど、運転が心配で、お参りしないままになってしまいます。
 22年前に亡くなった父の骨壺はお墓におさめています。墓石に戒名も彫ってもらいました。しかし2年前に亡くなった弟と3月に亡くなった母の骨壺は仏壇横に置いたままにしていました。お参りできていない墓に、弟や母の骨壺をおさめる気がしませんでした。墓石に戒名を彫ってもらい、骨壺をおさめて、だれもお参りしないままになるのがイヤでした。
 そこでこの10月に、我が家の墓を「墓終い」して、永代供養墓に骨壺をおさめました。くわしいことは10月7日のブログに書いていますが、「これでひと安心」と気持ちがらくになりました。

 同じような問題をみなさんもかかえておられるかも。子どもは少なくなり、「墓参り」がむずかしくなる時代です。「子や孫の世代にこの問題を持ち越さないほうがいい」と思います。

 中学時代というのは「最後の子ども時代」です。自分が生き生きかがやいていた時代です。そんな人の集りにこんな話は似合いませんが、人生の12年先輩として伝えたくて、三木の田舎から出てきました。
 読んでもらってありがとう。 

 竹を伐って、小さい苗木を植えた裏山の紅葉です。イタヤカエデは背が高くなりましたが、銀杏(ギンナンのなる藤九郎)は13年たっても小さいままです。木によって生長がちがいますね。
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〈古希〉をむかえる12年後輩のみなさんへ ②

2019年11月26日 14時36分43秒 | 古希からの田舎暮らし
 二つ目は《介護・看取り・「元気か?」の声掛け》です。

〇 70歳になったみなさんの『親』はご健在ですか。
 おそらく90歳代で元気な方が少なくないでしょう。世の中は100歳時代といいいます。
 でも、やがて介護が必要になり、亡くなるときが来ます。
 ぼくは今年の3月に母を看取りました。105歳10カ月生きました。本人はずっと元気なつもりでも100歳を越える頃から介護が必要になりました。ケア・マネージャーにいろいろ教えてもらい、ショートステイでお世話になり、最期は老健施設で看取りました。
 こんなとき、内にこもらないで、あちこちに相談して、お世話になる。 とても大切なことです。

〇 2年前、弟が、急性心筋梗塞で、68歳で亡くなりました。
 弟は公団住宅で独り暮らしをしていました。ぼくが訪ねていき、第一発見者になりました。死後数日たっていました。「もし一カ月そのままだったら」と思うとぞっとします。一人暮らしの・親・兄弟・姉妹・親しい友人・などとは、一週間に一度は連絡し合う必要があります。用事がなくても、うるさがられても、仲が良くなくても、「元気か?」と声を掛ける。心にとめておいてください。

 田舎暮らしの写真です。

 朝起きて窓のシャッターを開けると東の空はこんな色です。空気を入れ換え、深呼吸をして一日がはじまります。
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〈古希〉をむかえる12年後輩のみなさんへ ①

2019年11月26日 01時37分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 30日(土)、55年前に西宮の中学3年生だった人たちの同窓会があります。55年に15歳をたして70歳。彼らは「古希」をむかえます。その同窓会に、元教師として出席することにしました。
 ぼくは元教師というより「人生の12年先輩」として、古希をむかえる人に伝えたいことが三つあります。どんな雰囲気の会になるかわからないので、ブログに書いて伝えます。

① 「田舎暮らし志向」だったらノウハウを少し心得ているつもりです。
 ぼくは2006年(69歳)のときに、思い立って「田舎暮らし」をはじめました。場所は三木市のゴルフ場周辺です。長年暮らした神戸の家を処分して田舎に小さな家を建て、田舎暮らしをはじめました。今年で13年目になります。
 田舎に、親戚や知人・友人がいたのではありません。景色に魅かれて、落下傘で降下するように未知の田舎に舞い降りたのです。そして田舎暮らしで何をしたか。田舎にどのようになじんだか。

〇 ぼくは大工仕事が好きです。田舎の小さい家にウッドデッキをつけ、小屋を建て、軒を出したりしました。思い切り大工仕事ができました。
〇 妻は/花づくり/家庭菜園/土いじり/が好きです。休耕田(一反三畝=約400坪)を借りて、思い切り野菜づくりをしました。もちろんぼくも耕運/草刈り/サツマイモ・大豆・黒豆・小芋などを担当しました。
〇 裏山は竹藪でした。いわゆる放置竹林です。そこの竹(真竹)を2000本伐り出して片付け、木を植え、ビオトーブをつくり、「憩いのスペース」にしました。
〇 50戸(150人)足らずの集落で老人会に加入しました。老人会の役員をしたり行事に参加して、たのしい付き合いができています。
〇 田舎ですから買い物や病院には歩いて行けません。車は必需品です(軽自動車でいい)。村の中を走るには「軽トラ」もあったほうがいい。それなりにたのしく暮らしています。
〇 娘と孫は近くの街に暮らしており、我が家でバーベキューをするのが年中行事になっています。田舎のおじいちゃんおばあちゃんとして、孫の成長に一役買ったかな。
 現在の我が家の写真です。

 妻の育てた〈皇帝ダリア〉がいま花盛りです。(背の高い花)裏山のクヌギ・コナラが色づいてきました。平屋の家です。石垣の上の垣根はぼくが作りました。
 田舎暮らしに興味があれば訪ねてください。
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三木室内管弦楽団の演奏会を聴きました。

2019年11月25日 01時29分28秒 | 古希からの田舎暮らし
『三木室内管弦楽団』は結成34年目になるそうです。毎年2回の定期演奏会をしています。今年も案内ハガキが来て、きのう三木文化会館に出掛けました。入場無料です 
 きのうのプログラムにはチャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲』が載っていました。あの大曲を演奏するのです。その心意気や凄い!
 小ホールのほうで演奏会はありましたが、まずまずの聴衆があり、拍手もあり、いい雰囲気でした。
 ヴァイオリン独奏者は中川雲母さん。字を見ると「エッ?」と思うけど〈雲母〉は「きらら」と読むそうです。響きのいい名前ですね。
 若く、背がスラリと高く、かわいらしく、ヴァイオリンはすばらしい。ステージに立つと〈華がある〉ひとで、これからの活躍/飛躍/を感じました。
 清水和音(「かずね」と読みます)というピアニストがいます。1960年生れで60歳になります。ぼくは何十年も前に彼の演奏を聴いたことがあります。彼がまだ10代の少年だった頃です。朝比奈千足指揮・神戸フィルハーモニックの定期演奏会でピアノ協奏曲を弾きました。(誰の曲だったか忘れた)
 いま一流のピアニストとして活躍している清水和音さんを思い出して、「このヴァイオリンを弾いてる人も活躍の舞台が広がればいいな」と思いました。
 帰途、ホームセンターに寄って、来年の大判カレンダーを買いました。同じものを2部買います。(2カ月分を壁に並べて掛けます)田舎暮らしをしていても、高齢の老人になっても、結構いろいろ用事があるものです。それを老人は忘れる。忘れないようにカレンダーに書き込み、それを見て暮らします。 
 書き込むのは、まずお医者さんの予約日。歯医者とか眼医者とか足医者(整形外科)とか。埋め立てゴミの日とか。老人会行事の日とか。それに音楽会の日とか孫たちが来る日とかを書き込みます。

 きのう演奏会場でもらったチラシに『加古川フィルハーモニー管弦楽団』定期演奏会/『北はりま第九オーケストラ』/の演奏会がありました。三木市にも加東市にもオーケストラがあるんだ。一昨年だったか須磨フィルハーモニーの演奏会(神戸文化ホール)にも行ったことがあったし、いろんな楽団ができて、クラシック音楽愛好者が増えて、うれしいことです。
 
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耕運機は処分します。

2019年11月24日 02時58分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 2008年4月、家の近くの休耕田を借りることになりました。広さは「一反三畝=約400坪」です。50坪や100坪なら見当もつきますが、400坪となると広い。しかも畑のまわりは高い土手になっている。そこで買ったのがマキタの26ccの草刈り機(大きいほうの刈歯が装着できる)とFF500(ホンダ)という耕運機でした。
 この畑で足掛け11年野菜づくりをしました。土手の草は4月から11月まで毎月刈りました。11年のうちに草刈り機はガタがきて途中で買い替えました。
 耕運機は鉄の爪がすり減って、2度付け替えました。エンジンオイルなどは業者の方に毎年入れてもらいました。耕運機が無ければあの広い畑はつくることができなかったでしょう。
 さて休耕田は2018年12月にお返ししました。家の前の60坪の畑をつくることになりました。この畑でも耕運機を使えないことはありませんが、作業はクワで十分間に合います。耕運機を取りまわすこともない。
 そこで耕運機は処分することにしました。長年役立ってもらったことに感謝してお別れします。

 この前のブログで道子さんの病気のことで「2018年4月に入院した」と書きました。簡単に書き過ぎて誤解されそうです。道子さんが入院したのは一週間ほどです。『不明熱』と病名をつけてもらい、症状が軽くなったのですぐ退院しました。だんだん元気になって/畑仕事/花づくり/山仕事/もできるようになりました。しかし炎症指数を毎月調べ、薬をだんだん減らしていく治療法はつづけなければなりませんでした。急に薬をやめると、また炎症指数が高くなるのです。
 長い時間をかけて、少しずつ薬を減らして、最後には飲まない期間半年を経て、ようやく「治りました」と言ってもらったのです。高齢者はこういう症状の病気になることがあるそうです。結局「どこがわるかったのか」不明のまま完治宣言をしていただいたことになります。
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膝のあとは「白内障の手術」をします。

2019年11月22日 19時56分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 白内障の手術が本決まりになりました。12月はじめに「右目 ⇒ 左目」の手術をします。どんなことになるのかわかりませんが、みなさんがやっておられ、大丈夫のようです。だから安心しています。
 
 この写真は、軽トラの荷台で「押し切りで藁(わら)を切っている」ところです。仕事をしていると気分がいい。長年の習性です。これからもこんな日がつづきますように。

 さて道子さん病気のつづきです。「数値が高いので即入院!」と言われました。その数値というのは、『炎症反応(指数)』です。「血糖値」とか「血圧」の数値ならなんとか見当がつきますが、「炎症反応」と言われても何のことかわかりません。しかし大事な数値のようです。
 結局2日遅れで山陽病院に入院しましたが、お医者さんのつけた〈病名〉は『不明熱』。原因不明の熱で、とりあえずステロイド治療を開始することになりました。この薬は、ご存知のようによく効くけれどむずかしい。いろいろ紆余曲折があって、今年の春にようやく服用ゼロになりました。それから半年、様子を観察し、検査の数値や経過を見て、先日「完治宣言」となりました。
 道子さんが「うれしい!」とよろこんだのがとてもよくわかります。高齢者にはときどきある症状のようですから、おじいさんも気をつけます。

 
 

 
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《皇帝ダリア》が咲きました。

2019年11月20日 04時07分44秒 | 古希からの田舎暮らし

 花の好きな道子さんは、年中いろんな花を世話しています。皇帝ダリアは背が高くなります。風の強い日は倒れないように、支柱をしたりヒモで保護します。
 この南米の花は、陽の短くなる11月頃に蕾をつけて、やっと咲きだしました。
 緑色だったレモンも黄いろくなってきました。

 前の畑/デッキ前の庭/裏山/と仕事がいっぱいあって、道子さんは暗くなるまで外仕事に精を出しています。ぼくはトレーニング・ウォークであまり手助けできていません。きのうは1200メートルのトレーニング・ロードを40分で往復してきました。(2400メートル)

 さて、道子さんはきのう〈うれしいこと〉がありました。病院で、2年9カ月診てもらっている先生に「治りました」と言ってもらいました。話せば長くなりますので、数日に分けてお話します。
 2017年2月、ぼくたちはツアーを申し込んで、費用を振り込みました。4月の花の頃に湯布院と指宿の温泉を巡る旅です。金婚式の年にあたり、娘たちも応援してくれました。存命だった母にはショート・ステイをしてもらい、のんびり/ゆったり/するつもりでした。
 ところが3月に、ぼくが風邪を引きました。治ったと思う頃に道子さんが高熱です。金曜日にやすらぎの森診療所で診てもらったら「数値が高い。西脇市民病院ならすぐ手配できるから即刻入院してください」と言われました。  (つづく)
 
 
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自動車学校で『認知症テスト』を受けました。

2019年11月18日 21時16分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日テストを受けたのは道子さん。75歳以上になったので運転免許証更新の前に「認知症テスト」を受けました。いまはテストの採点を公安委員会がします。結果はまだわかりません。
 一週間後に公安委員会から通知が来ます。多分合格でしょう。それから自動車学校で「高齢者講習」を受けます。その証明書をもらって免許更新をすることになります。
 田舎暮らしは「車がないと困ります」。90歳近くまでは、認知症でなければ車に乗りたい。そう思って安全装置のある車に乗り換えました。
 運転に不安を感じるようになれば、不便でも免許証を返納する覚悟はできています。もし人身事故でも起こせば、大事にしてきた人生が一挙にこわれてしまいます。いつもそれを意識して車に乗ります。

 夜、832チャンネル(CSテレビ)で映画『レオン』を観ました。2時間30分版で、22分間の未公開シーンのある映画でした。この映画はビデオ・テープを持っていて何度か観ていますが、22分間加わることでかなり印象が違います。観た感想も違ってきます。
 今日観た放送のほうが、よくわかったし、おもしろかった。
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裏山も秋がいっぱい。

2019年11月17日 20時13分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の樹樹を見てまわると、ここも秋が深まっています。
 
 赤いのはイタヤカエデです。陽が射すとほんとにきれいな紅葉です。そばの黄色い樹はギンナンのなる銀杏(藤九郎)です。この木は植えてから13年になります。枯れたのではありません。生きています。銀杏は生長が遅いのかもしれませんが、それにしても13年目でこのくらい。ちょっと遅過ぎます。 

 これは柚子です。「桃栗三年柿八年。柚子の大馬鹿18年」というそうですが、今年は鈴なりです。
13年目です。えらいですねえ。
 裏山に木を植えはじめた頃「世界三大紅葉樹」というのがあるときいて、うれしそうに3本を植えました。紅葉(モミジ)/錦木(ニシキギ)/鈴蘭(スズラン)/です。それが大きくなって、それぞれに紅葉しています。

 モミジはありふれた普通の紅葉なので省略。ニシキギ(錦木)の写真です。木が生長して、紅葉しています。枝がこみ合ってきました。少し剪定したほうがいいかな。
 次はスズランの写真です。

 これは10年前に通販で買いました。生長は遅かったのですが1メートル超になり、いい色に紅葉しています。
 
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丹波の森公苑でシューベルトを聴きました。

2019年11月16日 21時06分37秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は『シューベルティアーデ2019』の打ち上げコンサートが丹波の森公苑でありました。10月の《お菓子の里・サロンコンサート》のときチケットを買っていたので、朝から出掛けました。
 まず春日インターを出たところにある『おばあちゃんの里』レストランで腹ごしらえをしました。
 パン好きの道子さんは、パンと紅茶でお昼。美味しかったそうです。ぼくは黒豆おこわ弁当と味噌汁。これも美味しかった。12時には間があるのにレストランは席が埋まっていきます。ぼくの昼食を写真に撮りました。晩秋の土曜日で、いい天気。駐車場もいっぱいでした。

《丹波の森公苑》のホールには行ったことがありません。道子さんのスマホ・ナビを頼りに柏原に行くと公苑がありました。大きな大きな公苑で、ホールは一番奥です。
 ひろびろとしたホール前広場があり、まわりの景色に似合う建物です。

 街のホールとちがって広場に立っているだけで気持ちがいい。
 開場まで時間があるので30分あまり山のほうを散歩してきました。紅葉の赤と銀杏の黄色がきわだって、散歩もうれしくなります。

 山のほうに登ってみたら紅葉の林がありました。

 こんな林を見ると気持ちがすーっとひろがります。
 コンサートはすべてシューベルトの曲です。シューベルトのつくる音楽は、こころをきれいにしてくれます。素直というのか純心というのか、ひねくれてない。こころを洗われたような気持ちで帰途につきました。ちょっと篠山に寄りたかったけど、暗くなる前に、できれば5時までに家に帰ろうと決めていました。
 シューベルトの音楽にこころを洗われて、気持ちのいい一日でした。
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病院に行って一日がおわりました。

2019年11月15日 17時50分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 80歳前後ともなると「病院通い」がそれなりに仕事みたいになってきます。一応、夫婦とも元気なつもりですが、今日は病院に行って一日がおわりました。
 まずぼくのガーゼ交換。ときわ病院で60分超待って処置してもらいました。つぎは道子さんの眼科検診です。三木山陽病院に行って、白内障手術を前提に診てもらいました。ぼくと同じく白内障は5段階の2だそうです。
 ここの眼科は診てもらう人が多く、昼までの診察が午後にずれ込みます。院内の売店で昼食をとって待ちました。ぼくはその間に病院の近くを散歩しました。公団住宅『志染団地』の銀杏がきれいに色づいていました。
 夕方はまた、道子さんの診察で山陽病院に行きました。結局一日中病院ですごしました。
 どこも老人が多く、「みなさんがこんなふうに一日をすごしているんだな」と思いました。
 
 
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秋も深まってきました。

2019年11月14日 00時43分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 朝は冷え込みます。太陽が昇り、あたたかくなると、まだ生き残っているムシたちが動きます。

 朝、ウッドデッキでヨタヨタ歩いているカマキリを見ました。一歩ずつ歩こうとしています。今日か明日には命を終えるでしょうが、最後まで「ムシを捕まえて食べよう」という気力は立派です。
 ひと塊りの卵から200匹のカマキリが生まれます。しかし鳥に食われたりして、大きくなれるのは一匹です。我が家では、ムシを食べてくれるカマキリを保護しようと、枝に生みつけられた卵を見つけると小屋にしまっておきます。
 春になるとイチゴ・ネットハウスに卵を入れます。大きくなるまで生き残れるように。
 カマキリくん、よく頑張ったね。ご苦労さんでした。
 
 昨日のトレーニングは「電動ウォーカー」でやりました。外を歩く気力が出ませんでした。
 時速3,1キロで40分連続して歩きました。膝痛で電動ウオーカーを使用するのをやめたのは去年でした。「もう歩くことはない」と思って小屋に移動してしまいました。
 でも膝の人工関節置換手術をして、また歩けるようになった。30分連続して歩いた。
 この冬は、外を歩く気力が出ないときも、トレーニングができる。
 うれしいです。
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今夜は満月です。

2019年11月12日 18時38分32秒 | 古希からの田舎暮らし
 夕方雨戸のシャッターを閉めようと外を見たら、月が昇るところです。キャノンのIXYで、ズームを最大にして撮りました。月齢は今夜が満月です。

 思い出しました。この家を建てて引っ越した頃、ちょうど月が満月に近かったことを。村の全戸集会があり、月明かりの夜道を公民館まで歩いたことを。
「引っ越したのは2006年の12月4日だった。あれから13年か」としばらく月を眺めました。
 未知の田舎に引っ越していろんなことがありました。でも「お月さまは変らんなー」。

 もう一枚の写真は、鉢植えのレモンです。小さい鉢なのに7個もレモンがなっています。

 このレモンの樹は3年前に道子さんが買って、世話をしていました。すると立派なレモンが4個もなりました。
「小さい樹なのに感心だ」とほめていたら去年は1個もなりませんでした。「鉢でなく地面に植えてやらなくては」と思っていると今年は鉢植えのままでなんと7個もなっています。
 尊敬したくなる樹です。

 ぼくは胸のプチ手術のあと、毎日ガーゼ交換に医者通いです。ぼくの処置は5分ですむのに、今日も待ち時間が90分でした。費用は130円と安いけど、待ち時間の長いのに往生します。
 もうしばらく辛抱するしかないかなー。
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12月に白内障の手術をします。

2019年11月12日 00時00分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日はお医者さんに行って、一日がおわりました。
 道子さんが「一度《目》を診てもらいたい。どうも見えにくい気がする」というのでお医者さんんに行きました。
 そういえば、ぼくも、見えにくい気がする。「ぼくも診てもらおう」と問診票を書きました。
 ぼくのほうが先に順番がきて、診てもらい、眼底検査をすることになりました。帰りの車の運転は道子さんがすることにして、きのうの道子さんの診察はキャンセル。ぼくの白内障は5段階の2でということでした。手術をお願いすると「通院手術なら12月にできる」ということで、早速お願いしました。
 今年は、膝/胸のデキモノ/目/と手術の年になりました。
 11月には、郷里をはなれて亡くなった/父/母/弟/の写真を持って、鳥取県のゆかりの地を訪れるつもりでしたが、そんな日がとれそうにありません。
 82歳になったのに、なんか「あわただしい」感じがします。
 お医者さんは「12月に入るとすぐ右目の手術、一週間後に左目の手術」を決めてくださいました。
 でも、まあ、「いまだからできる」と考えて頑張ることにします。

 日曜日から思っていることが「もう一つ」あります。それは「大豆の品種のこと」です。
 大豆の品種はいま300種以上あります。その中でうちがこの数年(5年くらい)つくっているのが村の人にもらった「種」です。樹が黒豆より大きくなり、枝がよく張り、粒も大きい気がします。収量は多いかどうかわかりません。ぼくらは「タマホマレ」の土着品種と思っています。葉が枯れて落ちるのが遅く、葉っぱがまだ青くても刈って干して、脱粒していました。
 うちはつくる量が少ないので、種を播いて苗をつくり、それを植えてきました。背が高くなって倒れやすいので、2メートルおきに杭を打って2段張りにマイカ線を張ってきました。
 実は今年の種の中に、一本だけエンレイの種が紛れ込んでいました。日曜に抜いたとき、エンレイは全部の葉が落ちて、サヤは枯れて、大豆が落ちていました。高さは地上30センチちょっと。丈は低いけどサヤはびっしりついており、それなりの収穫はありそうです。
 畝に千鳥に植えて、丈は低くても本数は増えるし、収穫しやすいし、品種を変えよう。
 サチユタカ/エンレイ/フクユタカ/などの品種について、種苗店で情報を仕入れてみます。

 
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