古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

2021年を〈休養〉でおしまいにしました。

2021年12月31日 18時39分55秒 | 古希からの田舎暮らし
 外に出て、裏山の片づけとか畑の片づけがあるのですが、なぜか外に出る気がしない。家の中でぐずぐずして、一日をすごしました。どうして、そんなことになったのか。思い当たりません。しかし、よくよく考えてみると …… 。
 28日の午後、愛宕さん/祇園さん/に眼鏡飾りをつけるために裏山の祠に登りました。道子さんの計算では7階建てのビルに登るくらいの運動です。下りるときは落ち葉をサラエで掻き寄せて参道をきれいにしました。あの仕事に1時間もかけたでしょうか。
 その仕事が、29日30日を過ぎて、31日になってから疲労として出てきたのです。
80代の半ばともなれば、疲労が一段と遅れて出てくる。だから今日は、外仕事をやる気が出なかったんだ。80歳代の疲れの出方を学びました。ではみなさん、よいお年を!
 
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2021年のラスト焼き芋

2021年12月30日 12時31分05秒 | 古希からの田舎暮らし

「たき火・焼き芋」だけでも仕事した気持ちにになる。この仕事が気に入っています。
 たき火場(手前)/山の登り口(階段 右上)/シイタケのほだ木置き場(奥のほう)/につけたお正月のメガネ飾りが写ってます。今年最後のたき火・焼き芋をしました。焼き芋のあとの火に枯葉を集めてかぶせます。落ち葉の山は白い煙をあげます。そして灰になります。材木を燃やしても、よく燃えてしまい、ほとんど灰になりません。枯葉や草は灰になります。
 来年も焼き芋をたびたびやりたい。サツマイモはないので、よかたんやナンバで買います。ウッドデッキをこわした木材は、ほとんど燃やしてしまいました。残りわずかです。
 これからは山を歩きまわって、枯れ枝や倒れた竹を集めて燃やします。これまた、いい仕事になりそう。

 朝、NHKのBSで橋田寿賀子の『おしん』への思い入れが放送されました。去年再放送の『おしん』を見ていたので、彼女の「思い入れ」がよくわかりました。あの戦争をまともに受け止めようとする思い入れ。明治~昭和の貧しさに耐えた女たちへの思い入れ。女だから書けた脚本。作為でなく、ほんとうの〈思い入れ〉だから、伝わったのでしょう。
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2画面を使ってみました。

2021年12月30日 05時06分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 
 パソコンを2画面にして、ワード文書に写真をピックアップして取り込んだ写真です。
 いかにもパソコンを操っているように見えます。実は道子さんに「年賀状に〈紅葉したはぜ〉の写真を入れたい」といわれました。ところが「ワード文書に写真を取り込む」方法がわかりません。マニュアルを読めばわかるかもしれませんが「マニュアルを読む気力」がなくなりました。文字は読んでも何も頭に入らない。
 パソコンでお世話になっている方が来られたので、教えてもらいました。でもすぐ忘れてしまうので、手続きをメモしてラミネートして置いてます。それでも不安なので、ワード文書に写真を取り込む練習をいっぱいしました。右の写真画面から左画面にドラッグして文書に移したところです。
 文書5枚に数十枚の写真を取り込んだので「やり方をおぼえました」。もし思い出せなければ「認知症になった」と思って、あきらめることにします。「でも、スゴイジャン! 2画面を使うなんて」と思ってるのですがね。

「晴耕雨読/行雲流水/の田舎暮らし」をめざす15年が過ぎても、毎日のように「自分のすること・思うこと」をブログで発信しています。人里はなれた田舎で、ひそかに、自給自足の暮らしをしているわけでもありません。5日も外出しないでいると、なんとなく「車でちょっと外に出てみよう」という気になります。どうでもいいような買い物を思いつきます。
 夫婦がともに80歳代になり、年齢なりには一応元気で、裏山や畑で外遊びをたのしんでいます。身辺のことで思いわずらうこともないようです。「めぐまれてる」と思わねば罰あたりです。
 感謝して、人生の夕暮れを、すごします。
 
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2021年をふり返ってみました。 

2021年12月29日 04時42分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 すぐに忘れてしまうので、すべての予定はカレンダーに書き込みます。でもコロナ下ですから、歯医者の予約と畑の神さんお参り(大将軍神社・毎月16日)しか書き込むことがありません。うちの村は老人会が「休会」になって、行事がなくなりました。
「今年、何があったんだろう」と思いめぐらしても、「えーと……」。ブログだけはこまめに書いているので、ざっと見直して、いくつか拾ってみました。時間の流れに埋もれていく2021年という年からピックアップしてみます。

〇 1月:老人会で新年会/とんど/  今年の冬は冷え込みがきついときがあって、一番大きな福地池が全面凍結  パタカラの歌を1月7日から歌う(いまもつづいてる)  バードフィーダーを作る(シロハラ/アオジ/たくさんのスズメ/など)……野鳥を見るのが我が家の大きなたのしみになる  毎年の行事=味噌を仕込んだ  
〇 2月:御坂神社の御弓行事を見に行った。  老人会をどうするか役員で相談   花見デッキにBBQコンロ用の台を作った
〇 3月:買い物……電動チェーンソー/電動ウォーカー/スマホを新しくした  老人会の「休会」を決めた  花の咲くのが早く、花見も早めにした  
〇 4月:「コバノミツバツツジは満開か」見ようと7年ぶりくらいに西中の山に登った  大志くんが高校生になった  毎年の行事=手作り野草酵素飲料を仕込んだ  部屋の写真をタージマハールから富士山に替えた  早めに熟したイチゴをアライグマにやられた(戸を閉め忘れた)  
〇 5月 市長選の投票所になるので公民館まわりをきれいにした(花苗を植え、中庭を掃除した)  テントハウスのテントが破れたので新調した  電撃殺虫器を畑に設置した(3年目)  
〇 6月 弟が80歳で亡くなった(富田林まで行った)  百合園の百合が見事に咲いた  シジュウカラの巣箱を3か所設置した
例年のように大豆・黒豆を苗立てしてから本植えした  スズメが裏山にいっぱい飛んできた  
〇 7月 イノシシが百合園を荒らして、球根を全部掘り起こして食べた  知事選があり公民館まわりをきれいにした(花苗植え 中庭の草刈り/垣根の剪定)  14日祇園さん24日愛宕さんにお供えを持って山に登った(14日は雨。ふもとで渡した)  
〇 8月 パソコンを新しくしてもらった(サクサクと快調に作動する)  ブドウが売り出され、毎日デザートに  15日に大志くん一家/萌ちゃん一家/がやっと勢ぞろい 写真を撮った 
〇 9月 ウッドデッキの改修をあれこれ考える  「ブドウをデザートに」がつづいた  道子さんは金胡麻収穫  
〇 10月 総選挙があり、公民館まわりの花苗/中庭草刈り・剪定  秋の酵素飲料仕込み(フルーツだけ)  ウッドデッキ改修
単管パイプで土台をつくった(大仕事だった)  たき火・焼き芋をたびたび(11,12月も)   
〇 11月 大豆を9キロ近く収穫した(原始的な脱粒)  ヘッジトリマーを買った(生垣剪定)  骨休めに湯の郷温泉一泊
映画(老後の資金……)を見た  干し柿をいっぱいつくった  高圧洗浄機を買った(石垣を補修する) 
〇 12月 アオジ/シロハラ/が帰ってきた  毎年の行事・道路の清掃がきれいにできた  自分へのごほうび=宮津・蟹一泊      
         
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裏山に眼鏡飾りをつけました。

2021年12月28日 17時32分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 窓からバードフィーダーをのぞく〈たのしみ〉ができました。アオジ/シロハラ/がやってきて、粟粒をついばんでいます。
 今日は、昨日つくった正月用眼鏡飾りをつけてまわりました。忘れても見直せるように場所をメモしておきます。(写真にも記録しました)。裏の小屋/イチゴハウスの戸/裏山のたき火場/テントハウス/登り口/シイタケほだ木置き場/山頂の祠/祇園さん・愛宕さん/の九か所です。
 軽トラにつけるのはやめました。田舎でも軽トラの飾りは見かけたことがないし、もうだれもやらないのでしょう。

 代表してイチゴハウス・戸の写真をアップします。
 裏山の村の祠=祇園さん・愛宕さんへは、午後サラエ(がんじき)を持って出かけました。7月24日の愛宕さんお参りから、だれ一人登ったことはないのでしょう。道は落ち葉で埋まり、枯れた竹が道に倒れ込んでいます。

 落ち葉を掻き寄せるのが大仕事でした。眼鏡飾りをつけた祠=祇園さんの写真です。

 山道の落ち葉を左右に掻き寄せながら時間をかけて下りてきました。二人ともサラエ(ガンジキ)を持って、ぼくが大量の落ち葉を掻き寄せ、道子さんが一枚も残らないようにさらえていきます。
 これまでで一番きれいな掃除になったでしょう。お正月に我が家はお参りします。お百姓さんたちが大昔からお参りしてきた祠です。大事にしたいですね。

 今日の仕事はここまで。80代のおじいさんおばあさんは、少しずつ少しずつ。
 
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「アオジくん、おかえりなさい」

2021年12月27日 17時35分31秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日シロハラくんが帰ってきたのにつづいて、今朝はアオジくんがバード・フィーダーのまわりで粟粒をついばんでいました。
「やー、アオジもかえってきたんや。去年は5羽来てたから今年も友だちさそってくるな」とうれしくなりました。
 お正月のお飾りにとりかかりました。玄関の門松はひとつだけにして、細い竹でつくりました。松はつけず、竹と花の寄せ植え。

 めがね飾りは「幣」をつけました。幣の作り方は毎年忘れてしまうので、ネットでまた見ながらつくりました。全部で9個。
 裏山の入り口/山頂の祠/裏の小屋/軽トラ/村の祠=祇園さん・愛宕さん/テントハウス(お休み処)/たき火場/あと一つはどこにつけるかな。

 
 
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「シロハラくん、おかえりなさい」と声をかけました。

2021年12月26日 12時03分56秒 | 古希からの田舎暮らし
 窓からいつも見るのですが、裏山のバード・フィーダーには野鳥が寄りつきませんでした。鳩はときどき粟粒をついばんでいましたが、それも見かけなくなりました。20羽も飛んできて、粟をついばんでいたスズメは1羽もきません。
 しかし、今朝シロハラが地面の粟粒をついばんでいます。
「シロハラくん、かえってきたんだね!」。
 家の窓をそーっと開けたら山の奥のほうに歩いていってしまいましたが、あの子はやがてバードフィーダーに陣どって、水を飲んだり粟をついばんだりあたりを眺めたりするでしょう。そして今年の2月頃は5羽も来ていたアオジもやってくるでしょう。
 シロハラもアオジも渡り鳥ですが、ちゃんとかえってきてくれたんです。
 うれしいな。
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『戦争というもの』を読みました。

2021年12月25日 17時06分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 朝、東に向いて、まず〈スワイショウ〉をします。手を前後に振る(5分)手を左右に振る(5分)かかとトントン(2分)。目の前には田舎の景色が広がります。今朝の写真です。

 見るともなく見ている12分の間に、霧、雲、太陽、が変わっていきます。なんか「いいなー」と思います。

 図書館で半藤一利の『戦争というもの』(2021年5月発行 PHP)という本を見て、早速借りて読みました。すぐ読める本です。読んでみてください。
 半藤一利さんは今年1月に90歳で亡くなりました。1930年(昭和5年)に生まれ、敗戦の昭和20年は15歳でした。3月の東京大空襲では、猛火のなかを逃げまどい、川に飛び込んで助かりました。著作はたくさんあり、『ノモンハンの夏』『昭和史』『日本のいちばん長い日』などこのブログでも紹介してきました。その半藤さん最後の著作です。
 息をひきとるまで、あの戦争の〈おろかさ〉を伝えようとしていました。立派です。

 
 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        
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福地池を撮りました。

2021年12月25日 00時54分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 散歩に出て、福地池を撮りました。

 これはイノシシが荒らした道ばたです。ひどい荒らし方ですが「写真ではそのひどさが伝わりにくい」です。アスファルト舗装をした農道わきの、固い、わずかな、地面を、30メートル、50メートルと掘り起こします。ミミズをとるために。自分の鼻に体重をかけて。道子さんが手入れしている裏山の花壇もやられました。
 イノシシは増えてきて、篠山のイノシシ肉屋さんも「十分ありますので」と引き取らないとか。我が家の50メートル先の茂みの檻は、イノシシがまだかかりません。100キロ超のイノシシ、かかれ!!

 ふだんは草が茂って行けない水栓ハンドルまで、草が刈ってあり、道がついています。水栓ハンドルまで行って、池を撮りました。11月に水を抜いたままです。雨水がたまっていますが、満水より数メートル下です。ふだんとちがった角度から池を眺めました。
 堰堤の上から村のほうを眺めました。ふだんは下の道を散歩します。

 堰堤に立つと、下の道から何メートル高くなるのか。ちょっと高いだけで心がひろがります。
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いろいろあった一日でした。

2021年12月23日 20時22分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 まず朝、太陽の昇るところをたしかめました。

 電柱を目印にします。今日は「冬至」の次の日です。昨日は雲と霧で、朝太陽が見えませんでした。一日ずれましたが、太陽がいちばん南から昇る直前です。春分秋分は中央、夏至はいちばん北から昇ります。居間の柱から撮って記録します。
 今日からは、太陽が少しずつ早く登ります。
 お昼は先日ブログに書いた古民家レストラン『一華庵』で食べました。お店の中も、庭もよかった。
 まず庭からみ古民家を撮りました。

 室内を見上げると、天井も立派です。

 夕方東条図書館に本を返して借り、例のクリスマス・イルミネーションに寄りました。
 ふつうのお宅が、見事なイルミネーションで飾られています。

「お庭に入って見てください」と掲示してあり、中に入って写真を撮りました。
 寒いですが、一見の価値があると思います。 
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トイレ読書で読んでます。

2021年12月22日 20時45分17秒 | 古希からの田舎暮らし

 我が家のトイレには本棚があります。上の数十冊の本から「ちょっと読んでみよう」と思う本を、トイレにすわったときに取り出し、眼鏡を掛けて数分読みます。最近読んでいる本は、『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 著/岩波新書/2007年発行)です。この本は広く読まれており、2021年で〈18刷〉になっています。これからも広く読まれ、「後世に残る歴史の本」になるでしょう。
 ぼくがこの本と出会ったのは、図書館の新書本の棚でした。借りた本を読んで、手元に置いておきたくなり、購入しました。そしてまた通読しました。いまはトイレですわるとき、眼鏡を掛けてアトランダムにひらいたページを読んでいます。
 内容はこのブログで紹介したので省略します。
 この本を書いた「吉田裕」氏の文章にふれてみて、「こういう人を歴史家というのだな」と思います。
 自分の人生であの戦争を体験した人の本はいっぱい読みました。しかし敗戦後生まれた人の本は、「この人は戦後に生まれて、あの戦争を体験していない」といくらか割り引いて読んでいました。
 しかし、「歴史家」というのは、残された資料を読み込み、体験/視点/情報の片寄り/のひずみを修正し、大局的な視点から見直します。吉田裕氏の文章に、そんな「歴史家」を感じます。数年後、数十年後にはあぶくのように消えてしまう「戦争のいいわけ・弁護の本」がいまでも出ています。そんな〈あぶく〉を超えて、この本は読まれつづけるでしょう。
 いま、NHKのテレビでは、深夜番組やBS放送で『映像の世紀』を再放送しています。20世紀は戦争の世紀でした。そして戦争では何も解決しませんでした。私たちがもっと賢くなるために、この本は役立ちます。広く読まれているのがうれしいです。
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〈年の瀬〉ですね。

2021年12月21日 17時20分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 よそから引っ越してきた私たち六軒の住所は、古い地名で「高山」といいます。(むかしの「字」=《あざ》です)いまは郵便の住所に書きませんが。六軒のみんなで先日落ち葉を掃き、山沿いの道をきれいにして、正月が近づいてきた感じです。年末は散髪屋さんも混みます。早めにすませようと、今日は散髪に出かけました。年末の〈大掃除〉や〈床のワックスがけ〉がまだ残っています。
 散髪からの帰り、古民家風のお食事処が目にとまり、お昼どきには時間がありましたが、店の前に寄ってみました。
数年前《花たちばな》という「古民家お食事処」に寄ったことがあります。お昼の食事をしましたが、蒸し野菜がおいしかったのをおぼえています。古民家だけでなく、庭がよかったです。
 その古民家レストランが、経営者が替わったのか、「一華庵」という名前でやっているようです。

 入り口のメニューを見ると、食べたくなりました。「年内に一度食事してみよう」と話し合いました。
 そうだ。三木に移住した数年間は、年末に明石の「魚の棚」に出かけて正月の買い物をしました。いまはそんな元気はありません。84歳/80歳/になったのです。二人あわせても半人前。無理は絶対に駄目。思わぬケガをする。休むと筋肉がおちる。何ごとも「慎重に」「ゆっくり」やることを心がけて生きます。
 今日は散髪しただけでおしまいにします。

 
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清掃は天気にもめぐまれて

2021年12月19日 17時18分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は朝8時からみんなで清掃しました。

 山からの落ち葉がいっぱい。先日の雨で落ち葉はまだぬれています。燃やせないので、山のほうに捨てました。
 寒い朝でしたが、お日さまが出ており、気持ちよく掃除ができました。
 山沿いの道路はきれいになりました。

 出かけるときはみなさん自動車ですが、通るたびに「きれいだな。気持ちいいな」と感じながら運転することでしょう。
 あとはうちのウッドデッキでしばらくのくつろぎ。

 いまの世の中ですから、「親しき仲にもマスクあり」という感じ。マスクをつけたりはずしたりしながら、お汁粉/焼き芋/お茶/をめしあがってもらいました。
 よいお正月がくるでしょう。ごくろうさんでした。
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道路清掃の準備はできました。

2021年12月18日 16時09分37秒 | 古希からの田舎暮らし
 明日の日曜日は、年末恒例の道路清掃です。落ち葉がいっぱいの山沿いの道をきれいにして、新年をむかえます。先日から草刈り機で道端の草や斜面の笹を刈って、清掃の準備をしてきました。明日は総出で側溝や道路をきれいにします。

 みんなで掃除をする道路は100メートルあまり。昨日雨が降ったので落ち葉は燃やせないでしょう。山のほうに捨てることにします。奉仕作業が元気にできることをうれしくおもいます。
 そうそう。今朝は雪が降りました。「降った」というのがはずかしいほどの雪ですが、証拠写真を見てください。

 すぐ、とけてしまいましたけど。
 
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こころに栄養をあげるために

2021年12月17日 22時49分38秒 | 古希からの田舎暮らし
 新田次郎の『小説に書けなかった自伝』に、彼は小説『芙蓉の人』のことを書いています。引用します。


『芙蓉の人』の連載を「太陽」誌上に始めた年であった。明治28年の9月から同年12月22日にかけて、富士山頂剣ヶ峰において、野中到、野中千代子夫妻によってなされた決死的な気象観測を、野中千代子夫人側から見て書いたものである。野中氏夫妻は自費でここに観観所を建てて、気象観測を始めたのだが、高山病にかかって、立つこともできないような状態となって担ぎおろされたのである。
 私は昭和7年の夏富士山観測所に勤務中、ここにしばらく滞在していた野中到氏と親しく話す機会を得られた。当時は、野中観測所の形骸が剣が峰の頂上にまだ残されていた。野中到が、その柱に打ちこんであった一本の釘を抜き取ったのをよく覚えている。
 野中夫妻の壮挙をテーマとした小説は、終戦後、橋本英吉氏によって『富士山頂』と題して発表された。映画にもなった。橋本氏は野中到の側からこれを書いていたので、私は意識して千代子夫人の側から書いた。わが気象の大先輩のことを完全に書くのは私以外にいないだろうというような自負心を以って書いた。
『芙蓉の人』の芙蓉は千代子夫人が書いた「芙蓉日記」から戴いたものである。この小説において、私はいままでとは違った文体を試みた。千代子夫人は或る意味での明治の女傑である。そういう女性を描き出すにふさわしい文章を書こうと試みた。私はこの小説を書くとき、私の祖母が眼鏡を掛けて低い声で本を読んでいる姿を頭の中に思い浮かべながら書いた。 (中略)
 私は『芙蓉の人』を心の中の祖母に読んで貰いながら書き続けていた。明治の女が果たして書けたかどうかは分からないけど、やり甲斐のある仕事だった。


 野中到・千代子のやったことは、中学3年の英語の教科書にも載りました。ぼくは英語の授業で教えながら、道徳の時間に『芙蓉の人』を読ませました。230ページの文庫本から、1時間で読めるように山場を抜粋してプリントをつくりました。この本はいまもひろく読まれているようです。
 戦前は『修身』の時間がありました。忠君愛国では人間の生き方を教えられません。あの戦争での軍隊上官たちのふるまいを見ても。しかし修身は「道徳」の時間として復活しました。いまはその教科書もあるみたいです。
 ぼくは道徳の授業は「文字を読んで、こころに栄養をあたえる時間」にしました。野中千代子の物語もその栄養源です。道徳の授業では、このつづきに新田次郎の『富士山頂』(山頂に苦心してレーダードームを設置した話)もプリントにしました。道徳で読ませた文学作品をあげてみると、松下竜一『絵本』/米村斉加年『おとなになれなかった弟たちへ』/野坂昭如『火垂るの墓』『凧になったお母さん』/アンネ・フランク『アンネの日記』/など。『走れメロス』『泣いた赤鬼』なども道徳の時間の定番になっています。
 文字を読んでこころに栄養をあたえる。話し合いはあまり意味がないと思ってしたことです。
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