古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『古希からの田舎暮らし』も8年が過ぎていきます。

2014年08月31日 03時35分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 これは2009年8月のブログに載せた写真です。コープ瑞穂農園に堆肥をもらいに行き、シャベルカーでコンクリートの床に山積みにしてもらった堆肥を、70リットルのビニール袋に入れては軽自動車に詰め込みます。全部で20袋だったかな。年に2回堆肥をもらいにいくのですが、その買い方も変化しています。

① 瑞穂農園に行って、一袋400円の堆肥を数袋買う。(いまは500円)それを畑にすき込む。
                 ⇓
② パワーシャベル一杯を3000円で買い、70リットルの袋に入れて(持てないので5分目ほど)、軽自動車の天井まで20袋積み上げる。持ち帰ったらビニール袋を畑に並べておき、必要なときに袋から出してすき込む。
                 ⇓
③ 軽トラックを買ったので荷台に塗装コンパネの枠(高さ90センチ)をつくり、瑞穂農園のシャベルカーで荷台にドサッと入れてもらう。それを持ち帰って堆肥入れ(高さ60センチの畦板を3枚つないだ円筒形の入れ物)に運んで入れる。
                 ⇓
④ 枠を組み立てるのをやめて、ブルーシートを荷台に敷き、それにドサッと入れてもらう。床に落ちた堆肥はすくって入れ、シートでふたをして持ち帰る。(もらいに行くたびにコンパネのパネルを組み立てるのがしんどくなりました)畑では円筒形の「堆肥入れ」に入れる。

「残りの人生は田舎暮らしをしたい」とこの村に移住したのは69歳になった2006年12月ですから8年が過ぎようとしています。裏山の竹を伐って木を植え、一反三畝(400坪)の休耕田を借りて野菜をつくり、家のまわりにウッドデッキ・パントリー・作業小屋をつくり、一応元気に過ごしてきました。
 コープ堆肥のことをふり返りながら「一文にもならなくても汗水流して働き、あれこれ工夫して進化してるんだ」と悦に入っています。
 さらに老い、やがて終焉のときがやってきますが、いまの暮らしにこころ満ちています。
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思えば長らく龍神さまにお参りしてません。

2014年08月30日 01時53分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 去年のブログの写真リストを見ていたら、こんな写真がありました。これは畑の焼却炉の「灰入れ」です。家の前に〈訪問看護ステーション〉が建ち、サイディングの切れ端をもらってつくったものです。いままでブリキの衣装ケースを灰入れにしていました。が熱い灰を入れるし風雨にさらされるので、1,2年で穴があき、3つの衣装ケースを駄目にしました。雨に濡れた灰はもう使えません。この灰入れはいまも役に立っています。台風でも蓋は飛ばないし、雨に濡れることもないし。畑によく灰を入れるようになりました。
 ところで、どうしてこんなに雨が降るのでしょう。
 きのうも昼から畑の草刈りをしていたら降ってきました。龍神さまにお参りして「太陽を拝ませてください」とお願いしてみるか。水の心配がないので長らくお参りしてません。
 畑の現況報告を少し。
○ 肥料置き場の天井の蜂の巣は、しばらくそのままにして蜂さんにアオムシを捕ってもらいます。
○ 4ミリの防風ネットを張った「小豆・トウモロコシ」のネットハウスは有効に機能しているようです。「アズキノメイガ/アワノメイガ」は防風ネットにとりすがって悔し涙を流しているかな。
○ 畑の雑草でいまいちばん目につくのは「タカサブロウ」です。スベリヒユは目立たなくなりました。7月につくった「スベリヒユのお茶」ですが、乾燥した茎を煎じてみました。飲みにくいことはありませんが『薬湯』です。飲むより煎じた汁を『風呂の入浴剤』として使うことにします。

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今年の畑は夏の草が大変よく繁ります。

2014年08月28日 05時33分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                      
 ゴマです。収穫してきたゴマ(金ゴマ)を数本ずつ束ねて、小屋の天井から吊るします。下にはオーニングの布を「U]字型に張って落ちるゴマを受けます。風通しがよく、雨は吹き込まないのでこの方式で収穫するようになりました。ここに致るまでに道子さんは毎年さんざん苦労しました。段ボール箱に逆さに立てたり、ウッドデッキのオーニングの下に立てかけて並べたり、ブルーシートに並べて干し毎日カバーしたり。これで決まりです。
 「日本のへそ」を自認する西脇市には、「へそゴマ」ということでゴマを作ってる方があるそうです。一度訪ねて収穫のことをききたいと思いつつ日が過ぎていきます。「へそゴマ」ってやっぱり黒ゴマかなあ。
 きのうも畑仕事は草刈りでした。
 いつもの年なら夏は雨が少なく、大豆・黒豆の花が咲く頃に畝間潅水が必要です。今年は畝間潅水を7月に一度しただけ。8月は一度もしませんでした。〈45ミリ×30メートル〉のホースはクルクル巻いて仕舞ってしまいました。例年8月は畑が乾き草の勢いも鈍るのですが、今年の草は元気いっぱい。刈ってもすぐ繁ってしまいます。
 もうすぐ9月。9月は草刈りをいつするか。
 いま思案しています。
 土手の肩にグルッと500株の曼珠沙華(リコリス/彼岸花)を植えており、咲く直前に草を刈りたい。花が目立つように。夏が暑いと曼珠沙華は遅く咲く。冷夏だと早く咲く。去年は9月15日に刈ってちょうどよかった。今年の夏は猛烈に暑いとはいえないから、草刈りを少し早めるほうがいいかな。早過ぎると曼珠沙華が咲くまでにまた草が伸びてしまうし……。
 
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アシナガバチの巣をどうするか思案中です。

2014年08月26日 01時31分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 裏山で竹を伐っていて、スズメバチにぼくが手の甲を刺されたことはブログで書きました。こんどは先週金曜日に、道子さんが畑の肥料置き場でハチに頬っぺたを刺されました。ぼくと同じハチならぷっくり腫れるかな、と心配しましたがスズメバチより毒性が弱かったようです。腫れずに済みました。
「どうして畑の肥料置き場で刺されたのだ」と道子さんが肥料置き場を調べたら、天井にハチの巣を発見しました。天井といっても高さ1メートルのトタン波板です。かがんで見あげたから発見できたのです。
                      
 どうやらアシナガバチの巣です。この巣のハチが、肥料をとりに来たときに、攻撃されたと思って刺したのでしょう。それにしても何十匹と出入りしているような大きな巣です。「夕方になったら活動が鈍るから巣をはがしてビニール袋に入れよう」ということにしました。
 でも待てよ。「これだけのハチがこの畑をウヨウヨ飛びまわるということは、それだけアオムシなど幼虫を捕まえてくれる」。去年はペットボトルで『蛾』のトラップを作り(ストチュー〈酢・糖蜜・焼酎〉を入れる〉を入れてにおいで誘引して捕える)、害虫を防ごうとしました。ところがスズメバチがたくさんトラップに入って、ハチの瓶詰めみたいになりました。
「ムシを捕まえてくれるハチさんを、瓶詰めにしたのでは申し訳ない」と今年はやめました。
「ここの畑はいっぱいムシがいる」とカマキリやハチや小鳥の間で評判になっているかもしれません。「肥料をとり出すとき網の帽子をかぶって気をつければいい。このままムシトリに励んでもらおうか」と道子さんはいいます。たしかにいままでムシトリに来たハチに刺されたことはありません。どうしたものか。思案中です。
 なお、ハチがムシをとってくれる証拠写真は、2013年9月24日のブログにアップしています。
 ハチは胴がくびれていて固形物は通りません。そこでムシを肉団子にして幼虫に食べさせ、流動食にして幼虫からもらいます。
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『88の祈り』(四国歩き遍路1400キロの旅)を読みました。

2014年08月24日 01時48分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 1997年は、ぼくが退職し、米寿を祝った父が100日ほど入院して亡くなった年です。父が亡くなってから四国88カ所にお参りしようと思い立ち、道子さんと二人で車でまわりました。60歳のときです。ぼくがまわったのはその一回のみです。
 しかし「四国遍路のビデオ(NHK)」を何度も見たり、「遍路体験記」を読むのは好きになりました。図書館で「歩き遍路日記」を見かけるとよく借りて読みました。
「いつかは自分も歩き遍路で88ヵ所をまわりたい」という熱意はありませんが、遍路日記を読むのはいまも好きです。
 きのう読んだ本は、秋元海十さんの書いた『88の祈り』という歩き遍路日記でした。
 彼は当時33歳の若い俳優で「インターネットで四国遍路をライブ中継しながら歩いてみよう」と思い立ったのです。それが一部のマスコミにのってサポートを受けたりして、無事に歩き通すことができました。その体験記です。
 お寺の故事来歴とか印象を書いてある本は読む気がしません。ガイドブックを読めば十分です。「歩き遍路という困難にどんな風に挑んだか」を読みたいのです。「歩き遍路」は大変困難です。「人」が歩き通すと必ず「こころのドラマ」が起こる。それを覗きたい。野次馬です。
 この本は「読んでもいいかな」という本でした。
 読みかけてやめた本があります。一冊は文庫本になっている「外国人(ガイジン)の歩き遍路日記」です。それなりの読者を得たのでしょうが、ぼくは駄目でした。「長いコンパスを生かして超スピードでまわろう」と自負するスタンプ・ラリー気分。何でも見聞・体験しようという好奇心。自分が人生の壁にぶつかり、のり越えようとする〈祈り〉が底に流れていない。「生きる」がテーマになってない。
 もう一冊は「定年退職した4人の男が歩き遍路をした」本です。はじめの数ページでやめました。仲間うちの人間関係にふれており、何の興味もありません。
 ちょっとネットで調べたら、佐藤光代さんの『私のお遍路日記』がいまも好評で、多くの読者に支持されており、うれしくなりました。佐藤さんは遍路をした当時は31歳のフリー・ディレクターですが、日記は自分のしたこと感じたことを、素直に、正直に、書いています。自分も歩き遍路をしようという人には「とてもためになる」本です。この本のことはぼくもブログに書いたことがあります。(2012年12月19日のブログ)
 彼女は「遍路を終えて足下に分厚い土台ができた気がする(10センチくらいだけど)」と書いています。実感が伝わります。「これからの人生がちがってくるだろうな」と若い人の成長をまぶしく想います。
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カマキリくんに感謝します。

2014年08月22日 01時16分50秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 畑で草刈りしていたら道子さんが「はやく! カメラカメラ! カマキリがカメムシ捕まえて食べてる!」。
 アップで撮ったつもりですが、わかりにくいのでオリジナルサイズにしました。ごめんなさい。ミドリカメムシを頭からガリガリ食べています。カマキリくん、えらい! 感激しました。

 いまカメムシはゴマにとりついています。そこにカマキリがやってきて、カメムシを捕まえたのです。
 ゴマは台風で折れたり傾いたりしたので、例年より少し早く干すことにしました。道子さんはきのうと今日で葉を全部落とし、ゴマを持ち帰りました。
 きのう8月21日は、このあたりでは大師堂で『数珠繰り』をする日です。うちの村は三つの組に分かれて、それぞれにお参りしておられました。ぼくは見せてもらい、写真を撮りました。
 西の組は西の大師堂に朝集まって、鐘を叩いて数珠繰りをしました。
                    
 中の組は夕方、お地蔵さんの前の道路にシートを敷いてすわり、数珠繰りをしました。
                    
 東の組は、都合で24日の朝数珠繰りをされるそうです。
 何百年とつづいてきた農耕社会の祈りの行事を、みんなで守っておられる。いいですね。
 単調な鐘を聞いているとこころがしっとりします。
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カメムシが暗躍しています。

2014年08月20日 00時01分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 ゴマの葉の裏に整然と並んでいるミドリカメムシの卵です。73個!! これがカメムシになってゴマの鞘にとりつき、汁を吸います。今年はトマトの畝のとなりにゴマを植えたので、たくさんのミドリカメムシがトマトの実にたかり、美味しい汁を吸いました。特に味のいいミニトマトはほとんどカメムシ専用で、人間はあまり食べられませんでした。
 いまはゴマの葉にとりついてつがいになり、さかんに卵を生んでいます。いま花の咲いている大豆・黒豆の鞘ができ、もうすぐ美味しい汁を吸えるのをたのしみにしながら。
 カメムシをやっつけるのは「イマデショ!」。
 というわけで、道子さんは毎日ゴマの葉を点検して、見つけ次第指ではさんで潰しています。なかなか勇気のいる仕事ですが、勇気があろうとなかろうととにかく潰さなければ大豆・黒豆が収穫できません。ゴマの畝を一往復すると、100匹~200匹潰すそうです。手袋をしてても汁がつき、指先が茶色になります。洗っても落ちません。エライなー。
 ぼくはカメムシの棲み家・隠れ家にならないように畑と土手の草刈りに精を出しています。8月の草刈りは8月1日からはじめたのですが、天候不順だったのでまだ全部終わっていません。例年8月は雨が少なくて草も伸びにくいのですが、今年は水やりの手間は省けるけれど、草がぐんぐん伸びます。
 熱中症にならないように、午前中2時間程度、昼休みはたっぷりとって、夕方4時頃から畑に出て6時過ぎまで仕事をしています。
 ところで、ミドリカメムシを食べてくれる動物がいるとうれしいのですがね。
 道子さんの観察では、カエルが動くカメムシを見ると、ときには「パクッ!」とくわえるそうです。「エライゾ!」と見ているとズワズワ吐き出してしまいます。エラクナイ。
 『カメムシクイドリ』なんて新種の小鳥でも出現したらいいんだけど……。
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大豆5畝のマイカ線を張りました。

2014年08月19日 00時00分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 風が強く、大豆が傾いたり倒れかけたりします。下枝のつけねが裂けて地面につきます。台風のあと根は固めました。でも豆の木は大きくなりよく繁っているので、根を固めたくらいではすぐ傾きます。保護しないと収量を確保できません。
 きのうは残り2畝の作業をしました。午前中に裏山に登って竹を伐り、枝をはらい、1メートルの杭を40本作りました。丸鋸で斜めに切ると見た目に鋭い竹槍のような杭ができます。
                                 
 この杭を大豆の両側に3メートルおきに打ち込み、マイカ線を張っていきます。今年は太い竹を割って作る杭は使いませんでした。丸い竹の杭のほうが深く打ち込めて強いです。だからマイカ線を強く張れました。
 去年も途中で大豆にマイカ線を張ったのを思い出しました。去年は張っても倒れた大豆があり、収量にひびきました。今年はばっちりです。今年播いた品種の「玉錦」は風に弱いらしいですが、さきほどの11号くらいなら持ちこたえそうです。

 竹槍みたいに切った竹の杭を見て「戦争末期には、国防婦人会や在郷軍人が竹槍訓練をさせたんやな。こんなもんで何を突くんや。空襲で街を焼き尽くされとるのに」と思いました。大人が真面目に考えて、本気でそんな訓練したのでしょうか。
    あのときは日本人みんなが「どうかしてた」のでしょうか。
    だれがわるかったのでしょう。
    きちんと責任追及をしたのでしょうか。
    
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ペリリューのことが頭から消えません。

2014年08月18日 06時53分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうペリリュー島の戦闘のことを書きました。そして『ペリリュー島玉砕戦』(船坂 弘 著)を少し読み返してみました。
 大豆の畝に竹の杭を打ち込み、マイカ線を張って「傾いた・倒れかかった」/「下枝の落ちそうな」大豆を支える仕事をしながら、ペリリューの兵士たちの「絶望」がずっと頭を占めていました。
 うまく伝わるか心配ですが書いてみます。

 アメリカ軍が3日で占領すると言った南海の小島の戦いは、昭和19年9月15日にはじまり、11月24日まで続きました。日本軍は11000名が洞窟を掘って抵抗し、アメリカ軍は新型火炎放射器やナパーム弾を洞窟に撃ち込んで焼き尽くしていきました。小銃で一人一人狙い撃ちしても、洞窟に投げ込まれたナパーム弾で50人100人と焼き殺される戦いでした。戦死した兵士が10000人を越え、いよいよ追い詰められた日本軍は、11月8日、パラオ本島の司令部に「全員飛行場に斬り込む覚悟なり」と突撃玉砕の電報を打ちます。そのとき掌握した戦闘人員は、軽傷者を含めて350名しかなく、他に重傷者が130名でした。以下引用します。

 
 中川大佐(ペリリュー守備隊の隊長)はサイパン戦の持久を考えた。あの島には、31000名が6月15日に敵を迎撃して以来、7月7日の玉砕にいたるまで、その持久は23日間であった。つぎにテニアンの5000名はわずか7日間、グアム島は18000名で20日間。これらを比べても、ペリリュー島1万余名で2ヵ月の持久に耐えたのだ。敵に与えた損害も莫大であった筈だ。
 

 圧倒的な兵器の差・力の差でどうしようもないけど、勇猛果敢に持ちこたえてきました。そして「最後に突撃・玉砕する」と打電したのです。その返電は「生きて持久せよ」でした。


 …… 地区隊がいかほど小兵力となるも、軍旗を奉じてペリリューの中央に厳乎健在しあることのみにより、いかほど我が作戦の全局に貢献し、全軍を奮起せしめ、一億の敢闘精神を鼓舞したるか、これ何人も疑うの余地なし。すなわち灼熱の闘魂に更に拍車し、あくまで持久に徹し、万策を尽きて神機到るを待つべし。全員斬り込みは易く、忍苦健在健闘するは難しかるべきも、宜しく村井少将、中川大佐心を一にして全戦局を想い、右苦難を突破せんことを期すべし。(原文はカタカナ書きですが読みにくいのでひらがなに直しています)


 官僚答弁のような空しい美辞麗句。この電報を受けて、兵士たちは自分の戦死までの時間、どんな気持ちだったか。
 11月24日、ペリリューからの最後の電文では戦える兵士は50人で「遊撃隊となって戦う」とありました。
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『狂気の戦場・ペリリュー』 を見ました。

2014年08月17日 00時45分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 13日放送のNHKスペシャル『狂気の戦場・ペリリュー』を見ました。
 ペリリュー島はフィリピンの東にあるパラオ諸島の中の小島です。南北9キロ・東西3キロ・面積13平方キロしかありません。
 この島に日本軍が飛行場をつくっていたので、アメリカ軍はこの島を占領しようとしました。守備していた日本軍11000名は「次の島への攻撃を遅らせるために敵の攻撃を長引かせよ」と命令されます。全員で斬り込む「玉砕突撃」は禁止されました。
 一方アメリカ軍は「こんな小さい島は占領まで3日もあれば十分だ」と、島のジャングルを吹き飛ばす猛烈な艦砲射撃・飛行機による爆撃を行ってから上陸作戦を展開します。
 日本軍はサンゴ礁の島に洞窟を掘って縦深い陣地を築き、アメリカ軍を狙い撃ちして、甚大な被害をあたえます。結局71日間の激しい戦闘の末、アメリカ軍は多数の死傷者を出し、日本軍は全滅しました。
 この戦いのことを、ぼくは『ペリリュー島玉砕戦 …… 南海の小島70日の血戦』(船坂 弘 著)という本で知りました。70日間の戦闘が日本軍の側から詳しく書いてあって、数年前に時間をかけて読みました。日本軍は果敢な攻撃でアメリカ軍を苦しめたという書き方でした。
 
 このたびのNHKスペシャルでは、日本軍の「果敢な戦い」でなく日本・アメリカ両軍の「狂気の」という言葉に焦点が当たっていました。そうです。狂気でなければできない戦争だったのです。発射のボタンを押し、パソコン画面で爆発を確認するような戦争ではありません。
 すぐ目の前で動く敵兵を、隠れて鉄砲で撃つ。大砲で吹っ飛ばす。体が千切れ、血を流し、倒れる。アメリカ軍は高性能の火炎放射器やナパーム弾も使用した。狭い島で、お互いにそんな状況に70日も置かれたら、何の関係もない人間を強く憎み、殺すようになる。耐えきれないで逃げようとする兵士は、味方であっても殺される。狂気の集団と化す。
 人間は「人間である」という尊厳を守るために、「戦争という殺し合い」をしてはいけないのです。
 まとまりませんが、難渋して書きました。
 NHKスペシャル『狂気の戦場・ペリリュー』は8月18日深夜の19日(火)0時30分 ~ 1時19分に再放送されます。
 
 ペリリュー島でアメリカ軍を手こずらせた「水際作戦でなく、敵を陸地に誘い込み、粘って粘って戦い、玉砕する覚悟で戦闘を長引かせる」やり方は、その後硫黄島でも沖縄でもとられ、多くの犠牲者を出しました。
 
 
 
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大豆の保護を急ぎます。

2014年08月15日 04時16分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                      
 孫たちが泊まって、花火をしたり朝は散歩をしたり、おじいちゃん・おばあちゃんも夏休み気分です。散歩の写真で向こうに見える建物はうちの村の公民館。「ワーッ!」と来て「サッ!」と帰りました。  ホッ!
 さて今年の大豆は種を水田種苗店で買いました。いままでつくっていた「サチユタカ」とか去年つくった「タマホマレ」「鶴の子」はやめて「玉錦」一品種だけを播きました。
 玉錦は大き目の木になるようです。特徴に「風には弱い」と書いてあるのを見た気もします。台風のあと根もとを固めました。しかしマイカ線を左右に張って倒れるのを防止しないと、雨のあとなんか5メートルの風でも「傾くんじゃないか」/「倒れないか」と心配です。 
 そこできのう竹の杭をつくりました。50本必要です。去年まで太い竹を4本に割って1メートルの杭にしていましたが、割った竹はやはり弱い。適当な細さの丸い竹を杭にしました。去年までなら母・妙子さんが裏山にのぼってきて、竹の枝を花バサミで切っていたのですが、今年から彼女は裏山にのぼらなくなりました。竹を伐り、自分で枝をはらうので手間がちがいます。
 でも <「傾く・倒れる」 ⇒ 「起こす」> を繰り返すと大豆は枯れてしまいます。マイカ線による保護を今日中に仕上げます。
 
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黒豆・ゴマの手当てをやっとすませました。

2014年08月14日 01時01分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 黒豆も大豆も花の咲く時期です。花の時期は水がいりますがこんなに土が湿っていたら大丈夫。今年は花の時期の畝間潅水が不要です。どの茎も多少とも傾いているので垂直に戻して根もとを固めました。両脇のマイカ線は15センチ上に張り直しました。下の家の菜園を見たら、黒豆は白いヒモで2段に囲ってあります。手間はかかりますが、あれだとほとんど倒れなかったでしょう。
 うちも事前にマイカ線を張った黒豆の手当は、大豆より数段らくでした。
 大豆の根もとは固めましたが、また強風が吹くと傾きそうです。3メートルおきに杭を打ってでも、両脇にマイカ線を張らないと心配です。いままで杭は2メートルおきに打ち込んでマイカ線を張っていましたが、しっかりした杭なら3メートルでもよさそうな気がします。
 ゴマは道子さんが手当てしました。
 170センチほどに伸びているので、2段にマイカ線あるいは棒で支えをしなければなりません。それに9月はじめにはゴマを折って収穫しますからそれまでの「葉落とし」が大仕事になります。(葉を落とさないとゴマを干すときに干からびた葉の切れ端が混じる)一本ずつ上から下まで見て、葉を落とし、カメムシをつぶし、浮いた根があれば固め、時間のかかる作業でした。
 他の作物などの動静を少しお伝えします。
○ ウスベニオオノメイガ(蛾で、クララに卵を生み、幼虫がクララの葉を食べつくします)は退治しました。蜘蛛の糸のようなものを出して葉を囲い、サナギになろうとします。見つけやすい。その枝を片っ端から折って捨てました。するとクララを食べつくす勢いだったウスベニオオノメイガ幼虫は一匹もいなくなりました。いまクララのサヤができています。クララの種(マメ科です)がいっぱいとれそうです。ウスベニオオノメイガという蛾は見たことありませんが、ほんの一時期だけ卵を生みつけに来たようです。
○ 落花生ですが、自家でとった種以外に「タチマサリ」「オオマサリ」を購入して苗をつくりました。どちらも生食(枝豆)用の品種です。オオマサリは地面に這いつくばってよく育っています。ところがタチマサリというのは(立種)らしくあまり広がらないで立ったまま。地面に着くようなところでなく高いところで花が咲き、そこから手を伸ばして地面に入り落花生のサヤをつくるようです。
 いままで順調だったのですが、きのう見たら、台風で落花生の茎が揺れ、地中の豆が浮き出し、それをカラスがつついたようです。(地面も掘って豆をほじくっていました)落花生はまだ小さく、サヤもやわらかいですがおいしかったでしょうね。来年からタチマサリはつくりません。
 
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孫たちが来て、花火をしました。

2014年08月13日 00時19分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 写真は一株のサツマイモ(ベニアズマ)です。マザーポット苗を買って「この株から苗を10本とろう」と畑に植えました。でも苗をとって植え、サツマイモがたくさんできても仕方がないので、そのままにしていました。
 道子さんが「孫たちが来るし、サツマイモを試し掘りしようよ」というので、きのう掘ってみました。一番端にあったマザーポット苗を掘って、道子さんはびっくりしました。写真のサツマイモが出てきたからです。
 これは一つにつながっています。どうしてこんな芋ができたかわかりません。

 世間のおじいちゃん・おばあちゃん並みに、お盆に孫たちが来てくれて、夜は花火をし、おしゃべりしました。朝になればみんなで散歩します。ぼくは山陰の出身なので、娘たちが小さい頃は汽車に乗って帰省しました。帰省で混雑する電車や道路のニュースを見ると、今でもあの頃を思い出します。
「田舎のおじいちゃん・おばあちゃん」として孫たちの記憶に残ってくれたら、「古希からの田舎暮らし」(実際は満69歳で暮らしはじめました)も本望です。
 今年もそんな夏の時間を慈しんでいます。
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畑の被害回復にがんばりました。

2014年08月12日 01時57分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                      
 夏至から一か月半で、「日の出」は南寄りに戻りつつあります。台風一過の朝焼けの空です。我が家は何の変哲もない小さい家ですが、ウッドデッキからの田舎の景色や裏山の眺めは気に入っています。いまも夜中にウッドデッキに出て見上げたら丸い月。月齢表を調べたら今夜は「十五夜」です。窓から見るのとデッキに立って見るのと景色は変わらないはずですが気分がちがいます。
 さて畑は台風にこっぴどくやられましたが、少しでも作物を助けねばなりません。
 まず防風ネットを張った建屋の修理です。
 地面に打ち込んだ杭が折れていますが、ネットを全部はずしてやり直したのではアズキノメイガが飛んできて卵を生みつけます。そこで杭を打って外から引っ張って立ち上げ、中に入って筋交いを入れて補強しました。これでなんとか収穫までもちそうです。また台風が来なければ。
 次は大豆です。かなりの土寄せはしていたのですが、その程度ではもちませんでした。全部の大豆の茎が倒れています。茎を立て、まわりの土を寄せて根もとを固め、また土を寄せて固め、夕方までになんとか大豆全部を立ち直らせました。向日性があり、倒れたままだとその状態のまま上に伸びようとします。しんどかったけど「今日中にやらないと枝同士が邪魔してやりにくくなる」とがんばりました。
 ゴマ、トマト、キュウリは一部しか立て直しができませんでした。
 それと黒豆ですが、こちらは台風前に杭を打ってマイカ線を張ったのでひどい状態になっていません。備えた甲斐がありました。
 台風が来て土手の草刈りが途中なので、今日仕上げます。
 
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台風の被害はいかがでしたか。

2014年08月11日 03時42分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 兵庫県を台風が直撃しましたが、被害はいかがでしたか。
 我が家のほうは被害がありませんでしたが、畑が強風にやられました。きのうの午後雨が上がったので、軽トラで被害を見てまわりました。
                    
 まず美嚢川ですが橋げたや路面を洗うほど増水していました。これは「南畑」から口吉川公民館への橋です。橋の路面の水は浅かったので軽トラをゆっくり走らせて渡りましたが、こんなに増水した川をはじめて見ました。
 畑はまず小豆を囲んだ防風ネットがやられました。
                    
 4ミリ目の防風ネットをかなり頑丈に張ったつもりですが、こちら側のネット面に筋交いを入れるのを怠っていました。それで潰れたのです。長方体の向こう側は入口をつけるために木材で補強していたので潰れませんでした。きょう中にネットを張り直しますが、小豆が丸裸になったらアズキノメイガがつくのではないかと心配です。枠をつくるときはネットを小豆にかぶせたまま作業します。それでも入った蛾は昆虫ネットで捕るしかないです。
                    
 ゴマは倒れかかっていますが、ある程度補強していました。これくらいならゆっくり起こして根を固めれば十分実ります。ゴマの根は大きな塊になって土をつかんでいますから、折れない限りOKです。大豆や黒豆が心配でしたが、これも折れてはいません。倒れかかっているだけです。畝の土が濡れて柔らかいうちにゆっくり起こして根を固めます。
 うちの村の田んぼで水につかったところはなく、よかったです。あとひと月遅ければ実りかけた稲穂が強風で倒伏したでしょう。地面に這いつくばるように。
 大きな台風でしたが、なんとかなりそうでホッとしました。
 さ、忙しくなるなー。
コメント
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