古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

有馬温泉で〈骨休め〉しました。

2022年05月31日 18時15分38秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんは毎日よく働いてます。ぼくは、よく働いていないけど、少し働いています。道子さんの姉さんから声がかかり、有馬温泉に一泊の〈骨休め〉をしました。温泉は〈赤湯〉でよくあたたまります。
 食事が、食べきれないほど出ないのがうれしい。〈八寸〉の写真です。

 穴子のお寿司がほっそりしているのに食べごたえがあり、老人には申し分ありません。
 ぼくは、お風呂大好き/温泉大好き/人間ですが、年をとりました。夕食まえにゆっくり入浴して、昼寝して、夕食。アルコールが入らないから食後しばらくしてまた〈赤湯〉につかるつもりでした。
 しかし夕食後すぐ寝てしまい、目覚めたら夜中の12時。朝6時からの入浴にしました。結局2回入っただけです。
 でも、こころもからだも、とってもいい〈骨休め〉になりました。

 船戸与一の『満州国演義』は3巻目があと50ページほどです。関東軍がいろいろ策略をめぐらして、満州国を独立させ、熱河省攻撃に入るところまで読んでいます。加藤完治/東宮鐡男/の名前が出てきて、いよいよ満蒙開拓・移民がはじまろうとしています。
 驚いたことに「川原侃」の名前が出てきました。引用してみます。

  …… 川原侃(かわはらすなお)少将指揮の第八師団第16旅団はいま吹雪のなかを朝陽から承徳に向かっている。先頭には八九式戦車十一輌と九二式重装甲車二輌が進み、そのあとに軍馬に乗った将校や、背嚢をかついで三八式歩兵銃を …… 。

『満蒙開拓青少年義勇軍』の各地の訓練所から選抜された少年たちは、ハルビン郊外の『嚮導訓練所』で訓練を受けました。優秀な少年たちのための〈エリート・コース〉した。ぼくはこの訓練所の三期生/4期生/の方々に、義勇軍の体験を聞き取りました。
 この訓練所の所長をしていたのが川原侃で、彼の名前は話によく出てきました。あまりいい話は聞けませんでした。

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管弦楽の生演奏を、久しぶりに聴きました。

2022年05月29日 18時46分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は『三木室内管弦楽団』の定期演奏会が、小野市の〈エクラホール〉でありました。
 ハガキで案内をもらい、たのしみにしていました。管弦楽の演奏を生で聴けるのです。しかも、神戸のホールや西宮の芸文センターに出かけるのでなく、車で30分の小野市のホールです。
 定期演奏会は42回目です。年に2回とすると21年前から精進しておられる。うれしいことです。
  ベートーヴェンの『ロマンス第2番』(op.50)のバイオリン独奏は、柳原史佳(やなぎはら あやか)さん。背がスラッと高く、ほっそりして、美しい人でした。席は前から4列目でしたので、姿に見とれ、バイオリンの音色に聴きほれていました。とってもよかった。
 こんな時間があって、しあわせです。

 次回の定期演奏会は、11月13日(日)14:00~ 、場所は西神中央ホール(入場無料)となっています。道子さんは「神戸の友だちにも会えるかな」と演奏会をたのしみにしています。ハガキの案内もあるかな。カレンダーに書き込んで、忘れませんように。

 
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写真に感想文をつけてアルバムに整理しようと思ってます。

2022年05月28日 20時24分38秒 | 古希からの田舎暮らし
「ぼけ老人」とか「痴呆老人」と呼ばれていた人たちに『認知症』という立派な病名をつけた長谷川和夫医師も、最晩年には認知症になりました。「高齢になれば、だれも避けて通れない症状だ。もし90歳を過ぎて生きていると、かならずワタクシも認知症になるだろう」と覚悟しています。
 過去のいろんなモノを見て、あれやこれや思い出し、認知症になるのを遅らせることができるでしょうか。
 しかし、ぼくは田舎に引っ越したときに、自分の学生時代のアルバム、教師になってから残していた生徒たちの/卒業アルバム/卒業文集/手紙類/も全部捨てました。
 残したのは結婚してからの家族のアルバムだけです。過去を思い出す〈手がかり〉が、ぼくは少なくなったか。
 そんなことはありません。田舎に引っ越してからのデジカメの写真が何千枚もあります。しかも全部パソコンに取り込んであります。見ようと思えば簡単に見られます。
 しかし、認知症になると「パソコンをあけて写真をつぎつぎ見る」なんてことはしない気がします。そこでいま準備していることがあります。
〇 パソコンには『すべての画像』が時間順に並んでいます。最初の画像は、2003年で「大豆畑トラスト」の写真です。ブログを書きはじめた2009年からは、2022年の現在まで、ほぼ毎日写真を撮っています。この中から「これ!」と思う写真をA4版のインクジェット紙に印刷しています。それが100枚以上たまりました。
 Lサイズの写真は小さい。迫力がない。大きい写真にすると、感慨がわいてくる(気がする)。また老人会のプリントをつくっていたときはパソコンのプリンターをこまめに使っていました。それがなくなり、プリンターを使うこともなくなりました。何も印刷しないでいるとインクが詰まる。故障します。ときどき使うほうがいい。
 そこで一週間に1,2度、プリンターでA4版写真を印刷します。インクは消費しますが、プリンターがいつも快適に印刷します。もう10年以上使っている、4色の安いプリンターですが、いまも調子がいい。
 印刷した写真が200枚くらいになりました。これを時系列に並べて、ファイルにしようと思います。でもただ写真を並べただけでは感想が出てこないでしょう。思考が動き出す〈誘い水〉がほしい。そこで一枚一枚の写真に、大きな文字の感想文をつけることを、思い立ちました。その感想文をあとで読んで、そこから思考が流れ出すかもしれない。84歳のぼくが、過去を振り返りながら、いまの思いを文章に表現するのもわるくない。写真と文を見開きにファイルして、それをゆっくり見ていくと、思考が流れ出すかもしれない。
 という思いで、明日から「感想文付け」をはじめます。
 自分では、「結構たのしい仕事になりそうだ」と思っています。
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西山牧場で昼食

2022年05月27日 13時10分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 歯医者さんの予約日でした。10時の歯クリーニングがすんだら、〈稜庵〉で蕎麦を食べる予定でした。意外に早くすんだので、ちょっとドライブ。「そうだ。西山牧場に行ってみよう」。スマホのナビで走りました。
 案外近くて、すぐに着いてしまいました。アイスクリームを食べて、山羊さんを見ました。

 山羊って、こんな目で見えてるのかなあ。やさしい、人なつっこい、感じはしましたけど。
 まわりは見晴らしのいい、のどかな田園風景がひろがります。
 ちょっと早いけど、お昼のピザを食べることにしました。

 人里はなれた牧場ですが、若い人が三組、四組、と来ます。
 田舎暮らしになれた〈おじいさんおばあさん〉でも「のんびりしていいな」と思いました。
 
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もうすぐ〈田植え〉がはじまります。

2022年05月26日 17時03分48秒 | 古希からの田舎暮らし
 〈紅はるか〉の焼き芋は今日で三回目です。昼食は焼き芋とお茶だけにしました。一度に四つずつ焼くので、あと2回でおしまい。
 ま、それくらいでいいか。あとは今年の芋を収穫してから(9月)にします。
 山に上る最初の階段は、道子さんが14年前につくりました。修理が必要になったので、焼き芋のあいだにぼくが手をくわえました。

 ビニールパイプの手すりがついているので、のぼりやすい。母・妙子さんは百歳のときもここから裏山にのぼり、竹の枝を切り刻んでくれました。いまメダカの池があったり、花見デッキやテントハウスがあるのは、妙子さんが竹の枝を切り刻んでくれたおかげです。なにしろぼくは、裏山の竹を2000本伐りました。その枝はかさばってどうしようもない。妙子さんが枝を切り刻んでくれたのですから。
 今日は電動ウォーカーでなく、池のまわりを散歩しました。
 田舎は田植えの準備がすすんでいます。
 まず、田んぼの畔や土手の草刈りをします。トラクターで田んぼを耕します。昨日くらいから田んぼに水を張りはじめました。

 圃場整備で100メートルの長い田んぼになっています。雨が少ないけど、いまは溜め池からパイプで水が入ります。
 もうすぐ〈代掻き〉をして、6月に入ると田植えです。酒米の山田錦をつくります。
 田舎が、いちばん田舎らしい風景になるときです。
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裏山の草を刈りました。

2022年05月24日 23時11分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんは裏山の平らなとことにレンゲの種を播いています。花がおわり、マメのサヤができました。種が落ちて来年も咲くでしょう。
「もう草を刈ってもうらおうか」というので、裏山の草刈りをしました。
 ニワゼキショウの花が咲いてます。ニワゼキショウはきれいな花です。色も姿も可憐です。
 神戸市西区神出町紫合で畑仕事をはじめたのは、1999年でした。62歳/退職して3年目/でした。畑をトラクターで耕してもらい、ゴロゴロの土を畝にして種を播いていました。そのとき一輪だけ、小さな花が咲いていました。
「 …… 」
 ことばにならない感動で、花に見とれました。いまもあの感動を覚えています。あとで「ニワゼキショウ」という名前で、「帰化植物で、一日だけ咲いてしぼむ」ことを知りました。ある解説文に書いてあった文を思い出してはニヤリとします。

「花がきれいで輸入されたという説もあるが、繁殖力がつよく、身分は雑草である」。

 いまはぼくも、ニワゼキショウも草刈り機で刈ってしまいます。

 2週間にわたる全仏オープン・テニスがはじまったばかりなのに、もう日本の選手を応援するたのしみが消えてしまいました。大阪なおみが〈全仏オープン〉で優勝し、さらに次の〈ウインブルドン〉で優勝して、「生涯・グランドスラム制覇」を達成することを想像していたのに。
 思い込みがつよかったからガッカリも大きい。こういうときはウジウジするので、体を動かす仕事がいい。
 たき火をして、ダッチオーブンで〈紅はるか〉の焼き芋をし、草を刈り、畑の水やりをして、気をまぎらわしています。
 考えてみると、勝敗のつくスポーツでは、いくら応援しても負けるときは負ける。そのたびにガッカリしたのでは老後の精神衛生によくない。阪神を応援するみたいに、勝ってるときは気分よくテレビ応援し、負けそうになったらハラハラしないでテレビを消す。
 そういう応援になるように、悟りをひらけたらいいな。
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世の中、なかなか思うようにいかんなー。

2022年05月23日 22時57分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 阪神タイガースは調子が出ないし、大阪なおみは全仏オープンの一回戦で負けてしまうし、世の中、なかなか思うようにいかんなー。
 船戸与一の『満州国演義』は三巻目に入りました。これを読むことに集中します。
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高齢者なりに〈じたばたした〉日でした。

2022年05月22日 21時13分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 一日のうちにはいろんなことがあるものです。やったことを朝から順にたどってみます。
 いつもの/スワイショウ/仏壇を拝む・お経/朝食のあと、電話がかかってきました。「公民館の掃除当番に当たってて、いま掃除中ですよ」だって。聞いてたけど道子さんはコロッと忘れてたんです。ぼくは朝寝。あとできくと「女性部が当番」でなく、「うちの斑が当番」で、ぼくも行くべきでした。後の祭りでした。
 パソコンでお世話になっている方のお宅でバラを見る会があり、神戸のほうまで出かけました。いろんな種類のバラ、水やりや世話に手がかかるでしょうね。ぼくは、むかしよく行った神戸のホームセンター・ナフコに寄りました。地下のコーナーにキャンプ用品がいっぱい並べてあり、見るだけでたのしかった。
 お昼は家で食べて、二人とも昼寝。目が覚めたら4時を過ぎてました。天気がいいので、プランターに水やりが必要です。6時になってから、「公民館のプランターにも水やりしなくては」というので軽トラで二人出かけました。今日は畑の水やりをしていません。7時近くなってから様子をみたら、水やりが必要です。ホースを繰り出して、前の畑に水やりをしました。
 結局夕食は8時頃になりました。いつもなら7時までに食べて、8時には寝るのに。

 季節は過ぎたけど「たき火/焼き芋/をまたしたい」。〈紅はるか〉を5キロ注文しました。あまり大きくないサイズで20個。ダッチオーブンで焼き芋するにはちょうどいいサイズです。明日から4個か5個ずつ焼き芋をします。たのしみです。

〈ギンパイ草〉が咲きだしました。神戸市北区の母の家に植えていた草です。母は文学仲間の友だちにもらったそうで、毎年咲くのをたのしみにしていました。この花を見るとアルゼンチンの草原をおもいます。どこまでも平らな草原に、地平線まで咲く白い花。
 母がなくなっても毎年咲く、律儀な花です。
 もう一つ。5月21日は、行年68歳で急死した弟の命日です。2017年に逝きましたから5年になります。彼が冷蔵庫に買っていたスイカをお供えしようと思いましたが、手に入りませんでした。昼食後、イチゴをお供えして、道子さんに阿弥陀経をあげてもらいました。お経をききながら、幼い頃からの弟をおもっていました。 
 
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今日も仕事は〈お休み〉しました。

2022年05月21日 21時30分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は朝から、山に上る階段を修理しようと草刈りをしました。ところがナイロンコードで刈ると負荷は強すぎるのか草刈り機が止まってしまいました。午前中の仕事はおしまい。午後は昼寝しただけでおしまい。今日も〈やる気〉が出なくて仕事は〈お休み〉。自分で「ま、84歳だからな。あと5ヶ月で85歳。これくらいサボって〈ちょうどエエ加減〉だな」と納得しています。
 道子さんは、せっせと畑や裏山の仕事をしています。土にふれるのが好きで、元気がどんどん出るみたいです。
 ところでいま、クレマチスという花が咲いています。

 大きな花です。ツボミもいっぱいついてます。下の弟が行年68歳で急死したとき、仏壇に鉢植えを買いました。花のおわった鉢植えを、道子さんは台所の前に植えました。育て方がいいのか年々勢いがよくなり、5年目の今年も見事に咲いています。

 先日から読みはじめた『満州国演義』は2巻目です。一巻目は「張作霖の列車爆破」(1928年=昭和3年)までです。あの事件をこんなにくわしく読んだことはありません。
 ぼくは1977年の冬、中国に行きました。「西宮市各界友好訪中団」の一員に加えてもらって。(その頃はツアーでなく「友好訪中団」という形の旅行でした)。その旅行が強く印象に残り、また中国に行きたくなりました。そこで1978年の夏「西日本教職員友好訪中団」としてまた中国に行きました。
 二度目の旅行では、中国の北部を旅しました。瀋陽(日本では「奉天」という名前にしていた)/哈爾濱(ハルピン)/などが中心の旅でした。「瀋陽」郊外には「柳条溝」があります。日本軍が鉄道を爆破して、満州事変の口火を切った踏切です。その仕業を顕彰するように、日本軍はコンクリートの碑を建てました。
 ぼくたちが瀋陽に行ったとき、その爆破現場を見学させてもらいました。日本軍が建てた記念碑は爆破して壊され、繁みのなかに倒れていました。中国にしてみれば、いまわしい事変の記念碑ですから、破壊して当然です。
『満州国演義』は読み飛ばすように読めないので、夜にじっくり腰をすえて読んでいます。

 そうそう、たき火/焼き芋/がおわりになってさびしい。やっぱり〈たき火・焼き芋〉をしようと〈紅はるか〉を注文しました。紅はるかの焼き芋はなんとも〈おいしい〉。一年中食べていたい味です。宅急便を、たのしみに待っています。
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今日も大工仕事をしました。

2022年05月19日 18時25分53秒 | 古希からの田舎暮らし
 いま芍薬(しゃくやく)が花盛りです。

 切り花にして花瓶でめでることもできます。道子さんはご近所や訪ねてきた人に、切り花としてあげています。もう5,6軒の方にあげたでしょうか。もらった方はよろこばれます。我が家で育った花を〈あげられる〉のは、しあわせなことです。
 ぼくは、今日も大工仕事をしました。
 お隣りとの間に、家を建てるまえに溝をつけました。この溝を掃除するには、下におります。手すりもないし、段差は大きいし、「危ないな」と思うようになりました。そこで段差を小さくして、手すりをつけた「ミニ階段」を作りました。

 段差を20センチにしましたから90歳くらいまで下りれるかな。
 材木を切り、あれこれ考えてビス止めして、キシラデコールを塗る。こういう仕事をするとき、ぼくはしあわせです。 
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八十歳になるとイスを高くしたくなる。

2022年05月18日 18時49分59秒 | 古希からの田舎暮らし

 右はぼくがすわる瞑想用のイスです。姿勢をよくするために赤い器具(スタイル・スマート)にすわります。
 65歳の頃に「ドカッとすわる低いイス」がほしくてこのイスを買いました。しかし筋肉は年々衰えます。立ち上がるのに力がいります。5年前だったか、79歳の頃に、脚に2×4材をつけて9センチ高くしました。おかげでいまも機嫌よく立ち上がります。
 今日は左のイスに、2×4材をつけて9センチ高くしました。道子さんの瞑想用イスです。TM瞑想を習った頃は〈瞑想すわり〉をしていましたが、いまは二人ともイスで瞑想します。
 20分間の瞑想中に居眠りしてしまうこともありますが、「寝瞑想だ」と自分でOKをだしています。
 60代のときは「低いイスにどっかりすわるとココロもカラダもリラックスする。いい気分だ」と思いましたが、立ち上がるのが大変になるとは思いませんでした。
 いまは床に腰を下ろすことは避けています。立ち上がるのが大変ですから。

 写真奥の小テーブルに、時計が斜めに置いてあります。あの時計は家の外から見えるように外壁につけていました。ところがすぐに時間が狂う。はずしてテーブルに置いたら、正確に時間を知らせる。 …… 観察してみました。 
 壁に垂直に取り付けると秒針が回らなくなって時間が狂う。床に置く/斜めに置く/と正確に時間を示す。
 この時計を斜めに支える台をつくって、小テーブルに置いています。
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〈A〉を片付けると〈B〉を片付けたくなる

2022年05月17日 16時06分45秒 | 古希からの田舎暮らし
 3日前の5月14日ブログに、1メートルの材木も片付けられるように天井に「桟」をつけました。そして棚の下に突っ込んでいた材木を引き出して、片付けました。残りの木切れはそのままにしていたのですが、今日の朝、小屋に行って「棚の下の材木を全部出してみよう」という気になりました。
 いままで木切れを放り込んで、ほとんど見向きもしなかった、棚の下です。
 木切れや材木の残りを全部作業台にのせて、短い材はたき火用に、まだ使えそうな材は棚の下に整理しました。
 一時間作業して、写真のようになりました。

 床のビニール袋に入れたのが「たき火用の薪」にするモノです。まだ使えそうな材木は整理して置きました。
 棚の下が、こんなにきちんんとなったことはありません。それが何の苦労もなく、できてしまいました。不思議な気持ちです。
 そして、こう思いました。
「〈A〉を片付けると〈B〉を片付けたくなる」。「片付けの連鎖」が動き出した感じです。
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バス停にベンチを置きました。

2022年05月16日 17時50分56秒 | 古希からの田舎暮らし
 ベンチのすわる板は乾いたので、ベンチを持っていきました。バス停の草は刈ってありました。どなたか刈られたのでしょう。防草シートを長い釘でとめて、ベンチを置きました。これで草刈りしなくてもよくなれば、うれしいですけど。

『田舎のバス停」という眺めを気に入ってます。バスは少ないけど。

 今日は16日。大将軍神社にお参りする日です。昨日からメモを柱に貼っていたので、忘れずにお参りしました。来月は〈田植え月〉です。神社当番はありません。農耕民族の神社らしくで、気に入ってます。
 
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第五章『虫葬の大地』を読みました。

2022年05月15日 18時49分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 インパール作戦の戦記はいろいろ読みましたが、『虫葬』という言葉は見ていないと思います。船戸与一の小説『満州演義』第八巻『南冥の雫』の最後の章・第五章の題は『虫葬の大地』です。インパール戦記を集中して読んだのはもっと若い頃でしたが、〈虫葬〉という言葉は記憶にありません。
 いまは気力がおとろえて、悲惨な戦記を読む力が出ないのですが、この『満州演義』ではあの戦争の流れが全部書かれていますので、読みました。
「引用しよう」と〈虫葬〉のやりとりが書かれているところを読み返しました。できません。ひどい話です。

 日本人は、アジアモンスーン気候の地に生き、おだやかな気性の農耕民族です。兵隊として出征する若者は、力が強く、元気があって、善良で、弱いものにやさしくする青年たちです。
 戦争で「人を殺せ!」と命じられる。

 バス停に置くベンチに、キシラデコールを塗りました。いつまでもベトついて乾きません。今日思い当たりました。5年も前に買ったキシラデコールで、油分が蒸発して濃縮されているのではないか。サンダーを掛けて、ペイント・シンナーを塗って拭いたら、乾いた感じになりました。明日バス停に設置します。

『満州演義』1~3巻を借りました。一ヶ月かけて読むつもりです。つらいところがあるかもしれませんが、この本は読みとおします。
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雨があがり、仕事いろいろ。

2022年05月14日 18時50分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 
 ぼくが草を刈り、道子さんが草の根をとって土をほぐしました。そして蕎麦の小さい苗が植えてあります。
 蕎麦の種(実)を播くと、芽がでかかった実を、ヒヨドリなどが食べてしまいます。道子さんはプランターに蕎麦を播いて小さい苗にして、それを植えたのです。小さい苗は細くて弱弱しい。すぐ折れてしまう。苗をいためないように気をつけて、かなりの面積に蕎麦を植えました。根気強い道子さんお仕事です。
 なぜそんなに苦労して苗を植えるか。竹藪の竹を伐ると、あとに笹がいっぱい生えてきます。ところが蕎麦を植えると笹が生えてきにくくなります。草花の生える裏山にしようと道子さんが頑張っているのです。
 今日5月14日は父の命日です。1997年に行年89歳で亡くなりました。68歳で山陰の田舎から神戸市北区のひよどり台に出てきた父は〈田舎のしがらみ〉がなくなり、20年の神戸暮らしをたのしみました。老人会長におされたり、俳句の会に参加して、公民館で俳句の講演をしたり、囲碁で友だちをつくったり、須磨のお大師さんの市には骨董漁りをしたり、ぼくらと西国三十三か所巡拝したり。
 今日は道子さんにお経をあげもらい、ぼくは神妙に拝みました。
 一つだけ「してあげればよかったなー」と思うことがあります。父は粘土や〈はりぼて〉のおもちゃをつくるのが好きでした。福崎のおもちゃ展示館に行きたかったようです。ぼくらはまだ現役だったし、気配りが足りませんでした。

 道子さんが摘んできたイチゴや、好きだったメロンをお供えしました。仏壇は小さいので、お供え物は下にテーブルを置いて並べています。毎朝拝んでいますが、こじんまりして、モノモノしくなくて「この仏壇にしてよかったな」と思います。
 ぼくのやったことは …… 大工仕事。

 右は3メートル以上の材木/鉄筋/パイプ/などです。2メートル以下の材木は小屋の壁にたてかけていました。雨がかかったり、片づかない感じでした。1メートル以上の材木は載せられるようにしました。左の材木です。
 
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