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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

おじいさんは裏山に竹切りに……

2009年06月30日 03時13分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ある日、おじいさんは、裏山に竹切りにいきました。おばあさんは、家で野良着を洗濯しました。おばあさんはうっかりケイタイも洗濯してしまいました。情報も下水に流れてしまいました。ときどきメールや電話をくださる方があるのですが、おばあさんにはいま通じてませんのでしばらくお待ちください。
 さてきのうは久しぶりに雨が降りました。黒大豆の苗がちょうどいい大きさに伸びたので、朝のうちに移植しました。丈夫そうないい苗になっており、50センチおきに一本ずつ移植しました。全部で104本ありました。その後しっかり雨が降り、ちょうどいいタイミングでした。
 移植した落花生はいまちょうど100株。順調に育っています。コイモは26株です。獲らぬ狸の皮算用ですが。雨のあとは草取りが待っています。
 おばあさんに「おじいさんは植えたあと、やたらに数をかぞえたがりますね」といわれました。たしかにそうです。
 でも気をつけないといけません。苗をかぞえる人は、虫や草や風にやられると、がっかりしたり腹を立てたりするからです。そういうことは畑にはつきものなのに、いったん植えると全部収穫できると思い込んでしまいやすいのです。
 市島町に一年だけ通って畑づくりをしたことがあります。『有機農業の里』として町全体で売り出した頃でした。しかし農薬を使うか使わないかは、作物をつくる人の考えです。隣の畑で農薬をじゃんじゃん散布するおじいさんがあっても、文句をいえません。
 ぼくらが有機無農薬で大豆をつくろうとする畑のそばで、高齢のおじいさんは農薬をじゃんじゃん散布して大豆をつくりました。若い頃から虫にやられっぱなしで、虫食いだらけの大豆になっていたのに、農薬をちょっと散布するときれいな大豆ができる。おじいさんにすればありがたい魔法の薬と思ったことでしょう。
 どんなにいわれても、いまさら魔法を手放す気にはなれないでしょう。やる気をなくすほど虫や草にいためつけられ、絶望と背中合せで農業をしてきたのですから。やっとめぐりあった魔法の薬ですから。
 そこが出発点です。
 
 
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畑仕事がいそがしくなりました

2009年06月28日 06時31分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨が降り、草たちがぐんぐん伸び、虫たちが活発になり、畑の仕事がいそがしくなりました。
 思いつくままにその後どうなったかを書きます。
① 夜盗虫はほんとうに溺れ死ぬのか …… 夜盗虫は、コイモプールに放り込むと、どぼんと底に沈みます。そのまま浮き上がらず、少しの間(30秒程度)もんごりもんごり動きます。でも浮き上がったり岸に泳ぎ着いたりしません。しぶとい夜盗虫がそんなに簡単に溺死するのだろうかと心配で、翌日確認しようとしたら、道子さんが「ここに夜盗虫の死骸があるわよ」といいました。見るとたしかに『夜盗虫土左衛門』さんです。夜盗虫は土左衛門になって体がふくらんでも沈んだままです。食欲旺盛で大食漢の夜盗虫が、ひとたび見つかれば淡々と死におもむいたような気がして哀れを感じました。でも胡麻の苗が数本、今日も食い倒されていました。そして土の中には……。やっぱり野菜をつくる人は決然と夜盗虫と対決しなければならんのだ!
② 大豆の防鳥網は完璧です …… 先週の土曜日に播いた大豆がしっかり芽を出して10センチ近くになりました。一粒もハトやカラスに食われることなく。隣の田んぼは、先週黒大豆を機械で播いていましたが、三羽のハトがうろうろしていました。種子は赤く着色してありますが、それでもハトがつついています。畑のそばの墓地の木立や山ではカラスが鳴き交わしています。「あそこの苗はちょうど食べごろだけど網がなー……」と嘆いているのでしょうか。もしうちの畑に防鳥網を張っていなかったら、大豆は全滅だったでしょう。
③ コイモは26株です …… コイモは何株育っているかをなかなか確定できません。毎日のように葉を点検して、さまざまな卵や幼虫を潰していくのですが、やっと小さい芽を出したと思っても虫に食べられて消滅することがあるからです。だから「現在」という条件をつけて26株です。これから元肥が効いて、雨宿りできるような大きな葉っぱになるでしょうか。たのしみです。
 雨が降らないので、夏野菜などへの水やりに時間と労力をとられます。
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カタツムリを放しました

2009年06月25日 04時13分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 5月14日のブログに書いたカタツムリですが、卵がかえって小さいカタツムリが見られると思って、餌を与えてきました。しかし一ヶ月が過ぎても卵も子どもも見られません。別の山に放つことにしました。
 元の裏山に放したのではまたシイタケを食べられます。車で10分以上走り、さらに山の中に入って放しました。もしあの二匹がはるばる裏山に戻ってくるようならエライ! たっぷりシイタケを食べさせてやりましょう。
 ついでにその山を散歩しました。はじめての池と山です。山に入る道はセメントで簡易舗装してありますが、入口に「農道なので関係者以外進入禁止」として名が書いてあります。このあたりはいくつかのが、単位で『ぶどう園』をやっています。「ここもぶどう園をやっているのか」と山道を上っていくと、栗林が広がっています。ゆるやかな斜面にどこまでもつづいているように見えます。
 栗の木の下は、雑草がひざ上まで伸びています。蛇やマムシがいるでしょうから栗林には入れません。いまは栗の花が咲き切って実が付きはじめる時期のようです。強いにおいを放つ花に虫や蟻が寄り、花穂の付け根に小さな栗のイガがつきかけています。写真の中央に緑色の点のように見えるのが栗のイガです。栗の花が穂のように垂れるのは知っていましたが、実がどのように付くか知りませんでした。
 このイガが大きくなって地面に落ちるまでに草を刈らなくては。こんなに広いところを刈るのは大変だろうな。
 山道でおじいさんに出会いました。「栗はほとんど儲からんけど昔からやっとるでな」と人生の達人のような笑顔で話す人でした。若者だった頃から、栗の木を植え、栗の木の手入れをし、延々と草を刈って生きてこられたのでしょうね。
 そば屋さんの近くまで来ていたので、ざるそばの昼食にしました。
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夜盗虫の暗躍はつづく

2009年06月24日 04時35分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 夜の世界にはびこる……といえば、なんといっても夜盗虫。その夜盗虫の暗躍の一端を紹介しましょう。いまは胡麻の苗を植える時期です。たくさん播いた胡麻が一斉に芽を出して、畝に二列の胡麻苗のラインができます。しかしところどころラインが切れています。夜盗虫の仕業です。
 その苗のラインを間引いて、一本ずつの苗にします。端っこまで作業をして点検していると、元気のない苗がある。もっと元気な苗に代えようととりあげると根元で食いちぎられている。さては……と思ってまわりの土をさぐると犯人の夜盗虫が出てくる。
 昼間なのに、作業しているわずかな時間にもうそんな悪いことをする。胡麻は大人の背の高さくらいになり、葉っぱもびっしりつけるのだから、それから食べればいいものを。苗のうちに食べて胡麻がほろびてしまったのでは、あとで困ることになるぞ。……なんて夜盗虫に説教しても通じるわけないなー。
 以上は道子さんの仕事。ぼくはサツマイモを植えました。シモン、バイオのベニアズマ、ナルトキントキの苗を切り、欠株や空いているところに植えて水をやりながら数えてみました。全部で60株補充しています。特にバイオのベニアズマは順調にツルを伸ばしており、まだいくらでも苗がとれそうです。
 これで今年も芋掘り客が来てたっぷり掘っても大丈夫です。四日前に播いた大豆が芽を出しはじめました。これだけはいくらハトがじたばたしてもネットが完璧で手も足も出ない。虫や鳥に『やられっ放し』ではいくら善良な人間も腹が立つ。せめてこれくらい完璧にシャットアウトすることもなければヤッテラレナイ。それともこんなことを書くぼくはまだ修行が足りんのかなー。
 なお夜盗虫は長靴で踏んでも皮が丈夫で土にめり込み、なかなかつぶれません。ハサミで切って処分していますが、水で処分する方法もあります。ジャガイモを掘っていて見つけた夜盗虫数匹を、コイモプールに放り込んでみました。ふつうの虫は浮くのに夜盗虫はドボンと沈みます。しばらくすると、もんごりもんごり動こうとします。でもわずかな時間で、動きも鈍く、一分もしないうちに水底で動かなくなります。でも「ほんとに死んだの? あとでまた動き出すんじゃないの?」と言われて、不安になりました。水に沈んで翌日もそのまま死体があるかまた実験してみます。

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田舎暮らしの大先輩はいま……。

2009年06月23日 02時14分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 神戸市西区神出の休耕田で『大豆畑トラスト』を立ち上げた2000年(だったかな)に、トラストの会員だったYamahiraさんを覚えておられるでしょうか。きのう彼を訪ねてきました。
 写真は彼の家の玄関です。ぶら下がっているのは電気釜の内釜四つで、客はそれをハンマーで好きなように叩いて来訪を告げます。どんなに大きい音を立ててもご近所迷惑になることはありません。谷あい入口の民家から500メートル山中に入ったところに建つ一軒だけのログハウスですから。
 場所は宮本武蔵の生地である作州の山中で、近くには武蔵が沢庵和尚に懲らしめられたとされる寺もあります。このあたりは鹿が増えてきて農作物の被害がひどく、田畑は電気柵をめぐらしたり鉄筋メッシュで防護柵をつくったりしてあります。彼の話では、夜に谷あいの入口からログハウスにたどり着くまでに15頭の鹿と出会ったことがあるそうです。真っ暗闇に二つの目がライトで光るからわかります。
 私たちと世代のちがう彼が、なにもなかった山中に家を建てて一家でエコ生活をはじめて7年半になります。子どもたちは自立して出ていく者あり、介添えの必要な親を引き取ったりと変化はありますが、ずっとここに住んで生活の地盤を築いてこられた、いわば田舎暮らしの大先輩です。山羊が五頭いて、あたりの草を食べ、その乳とチーズを賞味させてもらいました。そういえば彼は垂水区に住んでいたとき、山羊の手綱をもって街中を散歩させ、街の人たちが目を丸くしたと話していたことがありました。
 水は谷川と手掘りの井戸の水を使い、電気は来ていますが徹底したエコ生活です。ログハウスの前の畑は不耕起の自然農法です。ログハウスや物置、ゲストハウスなど全部自作ですし、素人大工としても大先輩です。びっくりするような話はいつまでも尽きませんでした。
 
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防鳥ネットを張りました

2009年06月23日 00時54分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 久しぶりに雨が降りそうなので、その前に大豆を播きました。今年は『サチユタカ』という品種です。去年は手作業で行う脱粒を心配して、枝豆としてたくさん消費してしまいました。しかし稲木に干した大豆は半日で脱粒できました。そこで今年は大豆の収穫を増やすことにします。
 大豆を播いた後、写真のように100坪用のネットを張りました。まず11メートル×15メートルの四隅に杭を打ち、四本の竹の柱を固定します。次に四本の柱に針金を渡し、それにネットを乗せて横に広げ、引っ張ってトンボで地面に止めます。それから縦に引っ張って止めて出来上がりです。広いネットを二人だけで張れるか心配でしたが、思ったよりうまくいきました。
 これで芽を出した双葉をハトが食べにきても大丈夫です。
 苗が育つまでのわずかな期間なのになぜそんなに厳重に網を張るのかって?
 よくきいてくださいました。大豆トラスト時代からの苦労話をきいてください。
 大豆畑トラストを立ち上げたのは10年前でした。農業をよく知らない素人ばかりの集りでしたから、大豆が発芽するとハトに双葉を食べられることをあまり知りませんでした。しかし次々とハトに芽が食べられる。そこでキラキラテープを畝ごとに張って防ぎました。
 次の年は、大豆を播いてその上にモミガラを盛ることにしました。モミの山から大豆の芽が頭を出す頃にはしっかりした苗になっていると考えたのです。そのモミガラというのは、舞鶴道の春日インターよりまだ先の市島町からわざわざもらってきました。
 次の年は、モミガラの代わりに燻炭を盛りました。モミガラは虫を呼ぶけれど燻炭なら土をよくしてくれると考えました。費用はかさみましたが。その燻炭は兵庫県西部の山崎インターの近くの知人にもらいにいき、ワンボックスカーいっぱいに積んで帰りました。
 大豆畑トラストの4年目は、連作になるのでちがう休耕田を大豆畑にしました。防鳥対策は、モミガラも燻炭も大変なのでキラキラテープに戻すことにしました。ところが大豆を播いて二週間たつのに芽が少ししか出てきません。近所のおじさんが、畑のそばの蔵にハトが住みついていて、芽を食べていたといいます。どうしようもないのでもう一度みんなで大豆を播きました。ハトは蔵の天井の穴からしっかり見ています。
 どうして防鳥しようかと思案していたときに、ナフコというホームセンターで300坪の防鳥ネットがあるのを知りました。そんなとてつもなく大きな防鳥ネットがあるなんて知りませんでした。どう張るか見当もつきません。それでもみんなであれこれやってネットを張ることを覚えました。
 農業経験豊かな人からみれば笑い話ですが、素人の集りの愚直な試行錯誤を、いまもいとおしく思います。大地と太陽と水の恵みに胸を熱くした人たちの集りを誇らしく思います。今年もいい大豆がとれて、おいしい味噌がつくれますように。
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小芋プールは遊び場になる

2009年06月17日 22時26分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨が降りません。畑がカラカラです。サツマイモの畝・100株植えた落花生の苗・キュウリ・ナスビ・種を播いた胡麻・自然薯・芽を出しかけた生姜など毎日水やりが必要です。そんな中にあって小芋の畝だけは水やりをしなくてもいい。助かります。『小芋プール』のお陰です。
 さて先日孫たちが遊びにきました。もうイチゴはありませんが、それでも畑の周回道路を走りまわり、やがて小芋プールに目をつけました。どこから入ってきたのかアメンボが一匹水に浮いています。蛙も水に飛び込んだり泳いだりしてます。孫たちは畝に立って見ていましたが、そのうちプールに入ってじゃぶじゃぶ歩きはじめました。
 もともと田んぼですから水をためると泥に長靴がめり込みます。手で田んぼの泥をさわる心地よい感触もいい。二人の孫は泥だらけになって行ったり来たり。親が見たらびっくりして引き上げ、裸にして水をぶっかけて洗うでしょうが、幼児にとっては解放感にひたる気持ちのいい遊びのようです。
 孫の家に行ったとき、孫の案内で近くの公園に行きました。草の生えていないきれいな公園です。でもベンチと滑り台と鉄棒らしきものがあるだけです。三分も遊んだら退屈してしまいます。それに比べると小芋プールはなんと魅力的でしょう。幅55センチ・長さ12メートル・水の深さ7センチの水たまりですが、遊びあきないようです。
 子どもの頃に家の近くの小川でよく遊んだのを思い出しました。なにをするでもなく流れを棒切れでつつき、水の中を歩きまわりました。コンクリートで固めたいまの河床とちがい、石がころごろして、茂みがあり、生き物がいました。そしてなにかいそうな橋の下とか暗渠とか、こわい場所もありました。そんなところはなくなったし、あっても近づけない時代になりましたね。
 まるで自分がなにか大事なものを失ったような、ため息の出る思い出話になってしまいました。
 
 
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進化する堆肥箱

2009年06月17日 04時53分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 大豆を播く時期になりました。きのう防鳥ネットを買いに『JAみらい』(農協)の売店に行ったら、田んぼの畦用パネルがありました。ホームセンターで買ったパネルと同じ規格ですが、高さが60センチあります。早速三枚もとめて畑でつないでみました。
 写真左は先日堆肥を仕込んだ堆肥箱です。もう醗酵がはじまって、温度が上がりつつあります。この堆肥箱は高さ40センチのパネル四枚でつくりましたが、ちょっと大きすぎます。60センチのパネル三枚をつないでみると、堆肥箱としてちょうどいい。
 前の堆肥箱は1,2メートルのパネル四枚で周囲4,8メートル。今度の堆肥箱は三枚だから周囲3,6メートル。中に入るのにいまブロックを置いていますが、ここは土を持ってきて斜めの通路状に踏み固めます。鶏糞や土や枯れ草などを一輪車で運ぶとき材料を入れやすいように。
 左の堆肥箱はいずれ右の堆肥箱と同じ枠にします。二つの堆肥箱で季節をずらせて堆肥をつくるようになれば、有機無農薬の野菜づくりには理想的です。
 この畑は去年の4月、村の老人会の集まりのとき「あんた、うちの田んぼ使こてやないか」と一声かけてもらったのがはじまりでした。雑草の茂る田んぼを畑にして、レンゲ畑をたのしみ、イチゴ畑で孫たちを引きつけ、いまではぼくらには欠かせない働き場であり、遊び場です。ちょいと片手間にやるのでなく本気になって耕し草を刈り堆肥をつくる。それがいい。
 田舎暮らしをはじめたといっても、まわりに山があり田んぼがあり蛙が鳴くというだけではつまらない。そこに力いっぱい仕事をする場があってこそ楽しみもやり甲斐も生れる。
 この畑をつくるようになってわずか一年二ヵ月ですが、いまでは畑なしの生活は考えられません。堆肥づくり一つとっても、なにかの機縁のように智恵を授かる。自分のすることが進化する。
 たまたまそういう展開になったとは思えない変化に富んだ日々です。願わくは一日でも長く畑で仕事ができますように。いずれ終わりの日がくるのはわかっていますが。
 
 
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ああ夜盗虫!

2009年06月14日 04時51分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「なんでヨトウムシだけ漢字で『夜盗虫』って書くのよ。カメムシとかテントウムシとかムカデとかナメクジとかゴキブリと同じでしょ。この漢字を見ると怪盗ルパンが出たみたいでドキッとする」とブログを読んでいた道子さんに注意されました。そう言われてみるとたしかに『夜』とか『盗』とか怪しげな漢字が並んでいます。どんな虫か知らなくてもなにか胸騒ぎのする語感があります。
 その夜盗虫が夜の畑で大活躍です。
 5月はじめには、レンゲ畑の草(主にレンゲだけどギシギシなどの雑草もしっかり混じっていました)を根こそぎ刈り、そのまま地面で生乾きにして、焼いて草木灰をつくりました。そのレンゲなどをかき寄せたとき、生乾きの草の下からたくさんの夜盗虫が出てきました。というか草の下に隠れていた夜盗虫を見つけました。50匹は潰しましたからまさに一網打尽という勝利を収めた気分でした。
 ところがドッコイ、夜盗虫はいま畑で大暴れ。
 害虫の本には『完全なベジタリアン』と書いてありいわば草食系。しかしヤツらの仕業には底意地の悪さが感じられます。数日前二本買ったヤーコンの苗を植え、翌日水をやろうと見たら倒れている。根元を食いちぎられて。早速まわりの土をかき回して犯人をさがすと夜盗虫が出てきました。また道子さんが今年はしっかりつくろうと播いた胡麻は芽を出したところで軒並み食われてしまい歯抜け状態。やはり地中から犯人を見つけて処分。また苗ができすぎたから空き地に捨て植えして通りすがりの人に採ってもらおうと話してたオクラは、半分以上の苗がやられてる。やはり地中から夜盗虫を見つけて処分。
 夜、懐中電灯をもって畑に行き、捕殺するしかないという結論に達し、一昨夜実行しました。インターネットで見た「ドクダミや銀杏の生の葉を夜盗虫は嫌う」という情報を頼りに、昼間たくさんのドクダミや銀杏の葉をとってきて、包丁で刻み、バケツいっぱい用意して夜八時に畑に出掛けました。しかし夜盗虫が見つかりません。わずかにキャベツをめくったらいた程度。銀杏とドクダミの刻み葉は播いてきました。きのう畑を調べたら被害は出ていません。夜盗虫との戦いはまだつづくでしょうね。
 ぼくは『ヨトウムシガラス』という怪鳥を想像上の生物として自分の空想の世界に住まわせています。こいつは恐ろしい存在ですぞ!暗闇の中を音もなく動き、真っ黒で、いきなり口ばしでくわえ、食べてしまう。もしぼくがヨトウムシなら、いつ襲われるかという恐怖に耐えられずそんなカラスのいる畑から逃げ出すでしょう。
 やっぱりヨトウムシは漢字で書くことにします。よろしく。
 
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人参の花が咲きました

2009年06月12日 04時51分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 人参の花が咲きました。あまり見る機会がないので写真をつけます。我が家の裏山にも咲いたのですが一本だけでしたので、わかりやすいように他人の畑に群生している写真にします。
 人参は食べられるほどに生長すれば収穫してしまいますが、ときにタネを採るために、あるいは収穫し忘れて、あるいは不要になって放置します。それがぐんぐん伸びて大人の背の高さにもなり、いま頃花が咲くのですね。大根もキャベツもレタスも白菜もセロリも葉ぼたんも……それぞれに収穫期を過ぎて生長し、花を咲かせます。
 そんな花の中では大根の花が可憐でいいですね。
 ようやく梅雨入りして、畑がしっとりしてきました。そろそろ落花生の苗を植えなくては。去年は、よく畑を見に来られる村人など9軒にゆでた落花生を配って珍しがられました。ことしは去年より増やすつもりでポットに落花生を植えましたが、芽が出たところでナメクジにやられて80株しか苗がありません。
 それにしてもナメクジは落花生が好きですね。ウッドデッキから畑にピーナツの殻を捨てたりするとナメクジが集っているし、苗ポットの落花生の苗は食べてしまう。
「ピーナツやビールが好きなんて生意気だ」と思う人間は生物界では不遜な存在なのでしょうね。でもナメクジとは戦わなくては。その戦いはいずれまた紹介します。
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湯の山街道を歩く

2009年06月09日 10時25分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 前に道のことを書きましたが、あれは知人宅を訪ねたときに見かけた裏山に入る道でした。
 きのうは買物ついでに散歩することにして、車で市街地に出ました。買物をすませてどこを散歩しようかと思ったとき、目にふれたのが写真の小径でした。何の変哲もない街中の小道ですが、うれぶれた生活感がただよって、探究心をそそります。
 実際に歩いてみたら小道はすぐに尽きてしまいました。家の横のすき間を通って出たのは『湯の山街道』という観光チラシに載っている歴史街道です。豊臣秀吉の頃からの古い道ですが、両側の家家はほとんど昔の姿をとどめていません。それでもとにかく30分ほど歩いて、旧街道の雰囲気をいくらか感じました。
 道の両側は昔から町屋が軒を連ねていたのでしょうが、いまでは建て替えた家が多く、歯が抜けたように空き地になっているところもあります。名前だけはよく聞いていた街道ですが実際に歩いてみて、納得したような、心のすみでは少し落胆したような気持ちで帰ってきました。
 容赦ない時の流れは、たまに昔をしのぶ身勝手な情緒を押し流します。それでいいのかもしれません。
 
 
 
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コイモプールを掘りました

2009年06月08日 05時41分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 不意に雨が降ったら雨宿りできるなー。と思うほど立派に小芋の葉を育てているのは、老人会で親しくしている村人です。コツをきいたら「べつにふつうにつくっとるだけやけんどなー」と、特別なことはしていないようです。
 それならぼくもいままでやってきたことをていねいにやって、大事に育ててみよう。ということでまず小芋を植えるところに30センチ穴を掘り、肥料を入れ、土を入れて踏み固め、その上に小芋を埋めました。水の世話ははやくからしたほうがいいと思い、畝の横を池にするために溝をしっかり掘りました。
 写真のように畝間は広く、耕運機の幅55センチあります。土を上げては耕耘機で掘ってまた土を上げ、まわりの畝間より5センチは低くなったでしょうか。ここに水を溜めれば夏場でも水不足にならず大きくなってくれるでしょう。小芋の畝は15メートルで、いま29株が芽を出しています。なお畝の先に見える青いシートは、堆肥づくりのカバーです。その向うに田舎の景色が広がっています。
 芽が出揃ったので追肥土寄せをしなくては。今年は大きな葉っぱになってほしいなー。
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堆肥づくりにチャレンジします

2009年06月07日 00時32分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 本格的に堆肥をつくってみたい。まえまえから思っていたことですが、5月にコープ神戸の市民農園センターに堆肥をもらいに行き、個人農園を見まわっているときに、堆肥枠をつくるヒントをもらいました。
 田植えシーズンにはホームセンターに田植えグッズが並びます。その中に畦の水漏れを防ぐパネル状の板があります。薄い波板のほうでなく、5ミリ以上の厚みがあり、高さ40センチ幅1,2メートルの連結できるようになっている丈夫なパネルです。そのパネルは横につないで畦に並べ、水漏れを止めるのに使うのですが、全部つなぐと円形になります。
 畑の土を固めて上に円形につないだパネルを置き、内側と外側に土を寄せて踏み込み固定します。実際やってみるととても丈夫な堆肥の枠です。シートが落ち込まないように竹を置き、シートをかければ雨を防げます。
 堆肥づくりに必要な米ぬかは、JAにもらいに行きました。一袋でトラックの荷台がいっぱいになるほど大きな袋に入っているぬかを、持参したゴミ袋に入れて持ち帰ります。とりあえず20キロほどもらってきましたが、またすぐもらいに行かなくてはならないでしょう。
 ワラを押切りで切って入れ、数日前に刈ってかなり乾いている草を入れ、鶏糞を入れ、土を入れ、ぬかを入れ、踏み込み、とりあえず仕込み作業をしました。醗酵がはじまればいいのですが。
 それにしてもこの枠づくりは簡単でしかも丈夫で、いい堆肥ができそうです。あのパネルは仕切り用に買っていたけど円形につないで使うことは思いつきませんでした。
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タマネギの収穫がおわりました

2009年06月04日 02時25分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 晴れの日がつづき、タマネギを収穫しました。
 この写真は、コンクリートのたたきにカメラを置いて、上向きに撮りました。写っているのは振り分け荷物のように竿にかけたタマネギです。タマネギのぶら下がった天井を下から撮った写真、と思っていただくとわかりやすいかな。
 去年の暮れは、畑が広くなったし、来訪者にもあげやすいし、ということでタマネギを1000本超植えました。植えた直後は根に虫がついてかなり欠けましたが、二回の追肥・除草は順調にできました。5月下旬には倒伏がすすみ、昨日収穫がおわりました。やれやれ一仕事おわったという気分です。
 1月2月は家の横に小屋を建てることに熱中したのですが、その本来の目的はタマネギを吊るす場所をつくることでした。いままでは窓の下に屋根をつけて犬走りの部分に腰をかがめて吊るしていました。竿はどんなに詰めても二本しか並ばないし、幅は2メートルもとれません。屋根からはずれると雨がかかってしまいます。
 今年は小屋の天井に鉄筋用のメッシュを置き、それに4メートルの竿を三本渡し、全部のタマネギをらくらく吊るすことができました。
 タマネギを吊るした部分は天井の半分にもなりませんから、小屋で苗ポットの作業をしたり大工仕事をすることもできます。昨日はぽつぽつ雨のふる一日でしたが雨を気にせずに大工仕事や苗のポット作業をすることができました。軒下にちょっと雨よけの屋根をつけるつもりだったけど、本格的な小屋をつくる展開になってよかった。
 建てるとすれば両側に傾斜した屋根のついた小屋にしたい。ぼくの生涯にたった一度自分で建てる小屋だから、小屋らしい小屋を建てたい。そう思ってやったことでしたが、これから快適な場所になりそうです。
 
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シイタケ置き場ができました

2009年06月03日 03時43分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 二週間ほど前から、手の空いたときにタランタランつくってきたシイタケ置き場がやっとできました。置き場の左右の壁は、トム・ジーヤが裏山に小屋をつくろうと、一年前に竹を切って積み上げていたものです。竹が風化して沈みましたが左右の壁は頭を越す高さになっていました。
 真ん中に7,5メートルの竹を横に置き、これに両側からホダ木を立て掛けます。竹薮にスペースをつくったので上がすいて日が射すようになってしまい、竹を渡して御簾を広げました。日のあたり具合を見て、御簾で光を調節します。
 ホダ木は数えてみたら太いの細いの合わせて35本ありました。10本が去年シイタケを収穫した木、25本が今年の2月にシイタケ菌を埋め込んだホダ木です。ホームセンターで買ったホダ木は10本で、あとは竹薮開拓のときにぼくが切り倒した細いコナラです。
 村のおじいさんの話では、この裏山はむかし赤松主体で雑木林の里山でした。マツタケがよく採れ、竹のかごに入れ自転車に積んで城下町の市街地にもっていけばよく売れたそうです。それがいまでは荒れ放題の竹薮になってしまい、生き残っているのは竹より背の高くなったクヌギ、コナラで、赤松は枯れてしまいました。
 太いコナラやクヌギを切り倒すと山に木がなくなってしまいます。これは大事にして竹を切り倒し、下刈りをして里山を再生したい。ホダ木は毎年買い足して50本以上を維持し、採れたてのシイタケを賞味したい。
 しばらくは裏の竹薮のことは放念して畑仕事に精を出すことにしましょう。
 
 
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