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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

コスミックホールで音楽を聴きました。

2011年05月30日 01時45分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 音楽会の写真は撮れなかったので、増水した美嚢川の写真をアップします。大雨洪水警報が出ていましたが、『日本木管コンクール記念演奏会』は予定通り日曜日の午後、コスミックホールで開かれました。この演奏会があるのを知ったのは今年の1月でチケットを購入してたのしみにしておりました。
 聴衆は半分を少し越えていたでしょうか。数年前田舎暮らしの空き家を探して篠山をうろうろしていたとき、田園交響ホールで古楽器のアンサンブル『ロンドンバロック』とエマ・カークビーの来日演奏会があるのを看板を見て知り、翌日再び神戸から篠山まで出掛けて聴いたことがあります。エマ・カークビーは古式の歌い方でバロック音楽を伝える美声の歌手で、2005年来日の東京公演ポスターには「歌の女神が舞い降りる……」と書いてありました。あのときの田園交響ホールの聴衆は半分を少し越えた程度だったでしょうか。人口の少ない田舎ではよくがんばったほうだと思います。(東京の演奏会は完売)きのうも演奏会の最後にはアンコール曲を演奏しましたが、聴衆の拍手もよくがんばりました。田舎の少ないクラシック音楽ファンが互いに応援し合う拍手に聞えました。
 演奏したのは『兵庫芸術文化センター管弦楽団』で、若い活力がしっかり伝わってきました。幻想序曲『ロミオとジュリエット』も『火の鳥』も生の演奏会でははじめて聴いたのですが、コスミックホールの生の音響が優れているのをあらためて実感しました。思い出したのは松方ホールです。収容力は松方706席コスミックホール574席ですが、ホールの空気感、残響と音の広がり、スケール感というかゆとりが快い。車で10分あまりで来れるし、駐車料金はいらないし、クラシック音楽会には必ず来ることにします。
 こんな優れたホールがほとんどつかわれない。もったいない!
 そうそう、兵庫芸文センター管弦楽団とは秋から一年間付き合うことにしました。毎月の定期演奏会シリーズ9回分のチケットを購入したのです。田舎暮らしをするとクラシック音楽会との距離が遠くなりますが、行けるうちは演奏会に行こうと思います。でもだんだん間遠になっています。そんなとき定期演奏会シリーズのチケット案内があったので飛びつきました。西宮北口まで出掛けていくのが負担でなくたのしみです。
『聖断』のことを書くつもりでしたがスペースがなくなりました。ぼくが昭和天皇・裕仁の『聖断』と出会ったのは中央公論社の『日本の歴史』第25巻『太平洋戦争』(林茂著)でした。彼の書き方をそのまま受けて「裕仁は平和愛好者だった。軍部が暴走して戦争をした」と思ってきました。 (つづく)
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卵かけご飯を食べました。

2011年05月27日 20時46分59秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は藤原ポートリーファームで買った卵のパッケージです。山陽道三木東インターを出てすぐ、志染小学校の近くにある養鶏場に小さい売店があり、『赤玉のアン』というちょっとシャレたようなダサいようなネーミングで、玉子かけご飯用の卵を売っています。六個入りを買いましたが玉子かけご飯にすると結構いけました。そのうちまた寄ってずっしりした玉子焼きと『赤玉のアン』を買うことにします。
 イチゴが最盛期です。週末に孫たちが来て採りつくしても、三日もすればまた赤いイチゴがいっぱい採れます。そこでおじいさんおばあさんは今年も孫たちに宅配することにしました。バットに山盛りいっぱいずつ採って、すぐに宅配します。いつまでもできることではありませんが、あと数年もすれば孫は大きくなってしまいます。いまのうちに祖父母として点数をかせいでおきましょう。
 この間から難渋しながら『聖断』の本を読んでいます。そしていっぱい思うことがあります。この『聖断』とは日本が仕掛けたあの戦争を終らせるために昭和天皇が御前会議で「無条件降伏でこの戦争をやめよう」と発言したことを指します。本の題名は『「聖断」虚構と昭和天皇』(纐纈<こうけつ>厚 著 2006年12月発行・新日本出版社)です。
 著者・纐纈厚氏は1951年(昭和26年)生れで、山口大学文学部の教授をしており日本の近代現代史が専門です。戦後生まれですから「聖断」を感情を交えることなく歴史として研究できる世代です。去年読んだ『昭和天皇の終戦史』(吉田裕著・岩波新書・1992年発行)の著者は1954年(昭和29年)生れです。この世代の人たちによってこれから、あの日本の戦争の本当の責任者が明らかにされ、「聖断」神話によってなにを隠そうとしたかに日が当たるでしょう。
「ぼくらから上の世代の人たち一人一人は、どんなふうに『聖断』と『出会い』、いま『聖断』にどんな『思い』を抱いているか」が、ぼくの心をここしばらく占めています。
 中学校でも高等学校でも『日本史』は習いましたが、明治時代まで習えばいいほうで、太平洋戦争まで習ったことはありません。先生もどんどん進んでそこまで教えるのは避けていたかもしれません。
 でもぼくたちは、あの御前会議での昭和天皇・裕仁の『聖断』を、その後の人生のどこかで知りました。どんなふうに出会い、いまどう思っているか。それはぼくら一人一人の生き方とも関わっています。歴史上の御「聖断」のとき7歳だったぼくでも、あの戦争を仕切った当事者たちになんらかの感情を持つのですから、おそらく70歳代以上の人たちはさまざまな思いを抱いて生きてきたでしょう。あと二十年もしないうちにその世代の思いは消滅しますが、ぼくなりに引っ掛かってみたいと思っているのです。  (つづく)
  
 
 
 
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レンゲ畑を刈って堆肥にします。

2011年05月26日 03時10分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 まだミツバチは飛んでいますがレンゲの花がみすぼらしくなりました。そろそろレンゲを刈り、畝立てをして、大豆・黒豆を植える場所をつくらねばなりません。
 コープ瑞穂農園でもらった堆肥の半分は畑に入れました。堆肥を入れていた円筒形容器の一つはいま空です。そこにレンゲ、土、ワラ、ヌカ、乾燥鶏糞、落葉などを入れて踏み込み、水をかけて醗酵させます。60度くらいまで温度が上がるはずですから三ヶ月ほどで草の堆肥ができるでしょう。
 シイタケのヨシズ張り建屋に強い日が当たるようになったので、竹が生えて陰になるように、山と積み上げていた竹を片付け、通路をつくったことはブログに書きました。(『出エジプト記』のモーセのように)幅1メートルほどの通路にはおあつらえ向きに竹が何本か生えてきて、日々伸びつつあります。でもそれだけでは日陰は不十分なので先日桜の木(ソメイヨシノ)を植えました。落葉樹ですが冬は多少建屋に日が当たってもかまいません。数年後には日陰をつくる木になるでしょう。
 しかし常緑樹も植えねばシイタケ建屋はむき出しのままです。竹が生えてくれたら切らないで日陰になるよう活用しますが、やはり常緑樹がほしい。と思っていたら『ソヨゴ』という木をナンバで売っていました。元の値段は1980円ですがそれがなんと300円に値下げされています。
 どんな木かネットで調べてみると、丈夫な常緑樹で赤い実がつき、それを食べに小鳥も飛んでくるようです。そこで三本買ってきて、通路に穴を掘りました。あした植えるつもりです。さらにネットで『ソヨゴ』を調べてみたら、1メートルほどの苗が一万円近い値段で売られています。得な買物をしたと思ってさらにブログを読んでみると「あんな木は山にいくらでも生えている。それを数千円で買うなんてバカバカしい!」と書いてる人がありました。
 そうそう、きのう軽トラで畑に行こうとしたら道の真ん中に蛇がいました。よく見るとマムシです。そのまま進むと轢き殺す。止まってマムシが道を横切るのを待ちました。いま動けば殺せる。と思うのに車を動かせない。マムシは道を横断して草むらに入っていきました。
「見たら殺さねば」と勇ましいことをいって自分を励まそうとぼくはしていますが、まだマムシをやっつける気構えができていません。道子さんは「ヘビレス(蛇やムカデの忌避剤)や木酢液をいっぱい撒けば寄ってこないから」と殺すことに乗り気ではありません。ぼくも内心はびくびく。子どもの頃数人の子どもで蛇を殺して、おばあちゃんにひどく叱られたこともあります。
 日頃は「人間は大昔、ヘビによっぽどひどい目にあったんだろうな。こんなにみんながヘビはきらいなのは、きっとDNAに深く組み込まれているんだ」なんて気楽なことをいってたときはしあわせだったなー。この数日落ちつきません。あーあ。
 
 
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雨の日は『ダンシャリアン』になりましょう。

2011年05月24日 01時44分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は先日飼い主の元に戻った犬ですが、まだ自由にうちの村を歩きまわっていたとき、我が家の畑に来て肥料に撒いたヌカを食べているところを撮りました。いまも朝起きて外に出るとあの犬を思い出すことがあります。先日は飼い主の方がお礼に来られて恐縮しました。いまは元気に庭を走りまわっているそうです。
 十数歳になる老犬のようですが、美嚢川に架かる橋を渡ってこちらの村にやってきて、はじめて見る世界を自由に歩きまわった二週間を、彼女(?)はどんなふうに回想しているでしょう。言葉のやりとりができたらインタヴューしてみたい気持ちです。
 犬は、会う人間ごとにオーラを発し、人間の出すオーラを受けとめ、相手を値踏みするような、相手に訴えるような、何かをヤリトリしながら擦れ違ったことでしょう。それがあの、未練たっぷりにふり返りふり返り、近寄るでもなく逃げるでもなく擦れ違う印象になったのでしょう。「おとなしそうな、人になつきそうな、でもカワイイ感じでない」年寄りの犬という人間の側からの印象を、かなりの村人がもったのではないでしょうか。
 さて雨の日は『ダンシャリアン』になります。
 ちょうど夏の衣服と冬の衣服を入れ替える時期でもあり、ぼくもタンスやクローゼットの衣類を<断・捨・離>しました。三木に来てからも『ユニクロ』に普段着を買いに寄ってみましたが、買いたい衣類はありませんでした。『しまむら』に寄っったこともありますが、買おうと思うような衣類はありません。野良着・作業着を買うならホームセンターです。というようなことで最近のぼくは<ナンバ(愛用しているホームセンター)・ファッション>でビシッと決めて散歩や畑仕事に、そしてときに老人クラブの会に出ていきます。
 ベルトをつける普通のズボンは面倒になりました。「通院ズボン」とか名前のついているゴム式のズボンは、一見ズボンのようでとてもはきやすい。愛用しています。だからいままでの夏ズボン冬ズボンは断捨離しました。基準は「いま身につけてワクワクする」かどうかです。こういうところはおそらく街に暮らしていたらちがったでしょうね。きちんとズボンのベルトを締め、財布をポケットに入れたのを確かめて散歩に出掛けるでしょうね。いまは一円も持たず(ときにお参りするときのさい銭用小銭入れを持って出ますが)に出掛けます。それがどんなに気楽なことか田舎に暮らしてはじめてわかりました。
 ぼくみたいに衣類を持ってない老人でもビニール袋に二杯捨てることになりましたから、おそらく日本国民はいっぱいの衣類に囲まれ、攻められて生きているでしょうね。でも衣類を「なんとかしたい」気運が高まったのか最近はコンビニに『ダンシャリアン』の漫画が置いてあります。流行っているのですね。

 
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畑仕事に精を出しています。

2011年05月23日 03時22分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 朝起きて、玄関を出て緑の裏山をひと歩きして、「タケノコが伸びたなあ」と見てまわり、「ああ、よかったなあ」とあの犬が無事に飼い主の元に帰ったことを思い出し、「きょうも畑仕事に精を出そう」と郵便受けから新聞を取って家に入る。なんでもない朝のひとときなのに田舎に暮らすとなんと豊かな時間でしょう。
 写真は夕陽の当たるうちの村のバス停留所です。先日ブログに書きましたように、奉仕の草刈りをしたあと道の向うから撮りました。標識やベンチのまわりがすっきりしています。そのつづきの田んぼはまだトラクターで耕運してなくて、イヌビエやスズメノテッポウなどの雑草がびっしり茂っています。川向こうの山の若葉がしっかりした緑に変わりつつあります。なんでもない田舎の風景ですが、ぼくのよくいう「空気感」がいい。大きいサイズでアップしています。
 雨の日は『断・捨・離』をすればいいのですが、つい買物に出てついでにどこかに寄りたくなります。三木は歴史のある町ですから、幹線道路をそれてちょっと横丁に入ったりに入ったりするだけで由緒ある神社やお寺や祠と出会います。先日は細川町「中」の大日神社に寄りました。いつも前を走るのですが、車を止めにくいので通過してばかりでした。境内に入ってみると大木に囲まれ、藤の花が満開で『気』のいいたたずまいです。
 きのうも買物のついでに思いついて御坂神社に寄りました。御坂サイフォンの近くで『気』のいい土地です。境内の大木が放出した酸素がうまい。そこから戻るときに志染小学校の横にある『藤原ポートリーファーム』に寄りました。実はこのファームの鶏糞はさらさらで使いやすく、いままでJA豊地で買いもとめていました。ところが最近JA豊地で扱わなくなったので直接買えないかと寄ってみたのです。
 いろいろあってJAでは扱わなくなったけどファームにはありました。しかも200円。そんなに安かったのか! ずいぶんマージンをとられてたのですね。必要なときは直接ここに買いに来ることにします。ここの卵は「花まるマーケット」で紹介されて人気が出たとかでファームの小さい店にも売ってありました。「たまごかけご飯」を食べたくなって、買いもとめました。卵を七つ使ったずっしり重い玉子焼きも甘くなくていけます。
 田舎道を走ると、いまはどこも田植え前の畦の草刈りで忙しい季節です。ほどなく梅雨になり、田に水が張られ、代かき田植えがはじまります。蛙の鳴き声とともにいちばん日本らしい季節になります。ぼくたちも畑仕事に精を出すことにしましょう。
 
 
 
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あの犬は飼い主の家に帰りました。

2011年05月20日 01時24分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 朝散歩に出ようと小屋で靴をはきかえたらあの犬がいます。前夜はまたうちの小屋で泊ったのでしょう。あまりうちの小屋に泊られたら困ります。
 そのとき携帯電話が鳴りました。
「どうも写真の犬はうちのに似ています。一度見に行きます」
「だいたいこの付近にいますのでよろしく」
 いつもなら小石を投げるか水をかけて追っ払うのに、電話のあとパンをちぎってあげました。犬はこちらの態度が変わったことに警戒しながらもパンはしっかり食べます。食べおわって少し山のほうに歩いていった頃に、見なれぬ自動車が山のほうに行きました。
 しばらくして車がとろとろ下りてきました。後ろにあの犬がついてきます。いままでとちがい、いそいそと走っているように見えます。車の人が「うちの犬のようです。車の後ろをついてくるのでこのまま帰ります」
 しばらくして「無事に帰った」とお礼の電話がありました。やれやれ、一件落着です。
 お向かいの奥さんと道子さんが話をしてたのであとできいてみると、「数日前には動物愛護協会の人が犬をさがしていた」そうです。村のだれかがうろうろする犬を見て連絡したのでしょう。そのとき捕まっていたら……。
 犬と飼い主の感動のご対面を撮るつもりでしたが駄目でした。そこでこの写真。土日にはまた孫たちがイチゴ狩りにやってきてタケノコを蹴飛ばしたり折ったりするでしょう。でもいまは裏山に木陰の部分が欲しい。ということでロープを張って張り紙をぶら下げました。効果がありますように!
 ところで「マムシを見たら殺す!」と宣言しましたが、まだヒヨっています。テレビのサスペンスドラマでは、ガラスの灰皿かサイドボードの花瓶で後ろからゴツンと頭を叩けばバタッと倒れて何かの角で頭を打ち、ガクッと死ぬことになっていますが、マムシはそんな生やさしいことでは死にません。素手では無理だから武器は唐鍬(とうぐわ)にします。小屋付近で遭遇することを想定して、小屋の入口に唐鍬を立てかけておきます。マムシを見たらこれを持って追いかけ、叩いて殺します。
 というところまでは考えたのですがまだ心が本格的に決まりません。できればアイツには会いたくないなー。
 先週末に採っただけなので次のイチゴが熟れてきました。この週末まではもちません。おじいさんとおばあさんはイチゴをバットに山盛りいっぱいずつ宅配してまわりました。帰ってから秋の芋掘りをたのしんでもらおうとサツマイモを植えました。お孫さんのためによく働きますね。

 
 
 
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あの犬の飼い主が見つかったかも……。

2011年05月19日 01時23分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 あの茶色がかった白っぽい犬ですが、いまもうちのをずっと歩きまわっています。裏山の向うにある福地池周回の散歩道を歩いているようで、畑仕事をしていると日に何度か通りがかります。
 ところが生協の『個配』で品物を届けに来たおにいさんが犬を見て「川向こうで半月ほど前に飼い犬のいなくなった家がある。コロという名前だけど、そこの犬じゃないか」というのです。
 ヤッター! 飼い主が見つかった。
 あの犬にとって川向こう<こちら側>は外国のようなところだったでしょう。一度橋を渡って外国に行ってみたいという願望をもって年老いたのかもしれません。ところがなにかのはずみで橋を渡ってしまい、交通量の多い県道20号線を渡ってしまい、帰る道がわからなくなったのかもしれません。
 美嚢川の向うといえば、いずれも十数軒の小さいが四つ連なっています。聞けばすぐにわかるでしょう。早速ブログにアップした写真をプリントアウトして、川向こうに行ってだれかにきいてみようと、軽トラに乗って道子さんと二人で出掛けました。
 途中であの犬が道の向うからゆっくり歩いてきます。車を止めガラス窓を下ろして、「コロ!」と呼ぶと犬が立ちどまりました。ゆっくりシッポを振っています。いままでと明らかに反応がちがいます。こちらも「この犬になつかれては困る」といままで思っていたのに、「できれば軽トラの後ろに乗せて届けようか」くらいな気持ちです。でも犬はゆっくり去っていってしまいました。
 畑仕事をしている人にきいて飼い主らしい人の家はわかりましたが留守でした。そこで写真に電話番号をメモして門にはさんでおきました。でもまだ連絡はありません。旅行にでも出ておられるのでしょうか。あるいはちがう犬なのでしょうか。
 帰りにのゴミステーションの草刈りをしました。四月に刈っただけなので、道子さんが植えた花が草に埋もれてしまいそうでした。ついでにバスの停留所にも寄り、標識やベンチまわりの草を刈りました。カラスノエンドウが盛り上がってベンチが埋もれてしまいそうでしたから。写真は草を刈ってすっきりしたバス停留所です。道子さんがグラジオラスの球根を埋めています。
 何の変哲もない田舎のバス停留所に夕陽があたったいる風景ですが、どこかホッとする空気感が好きです。田舎に暮らすとどちらを向いてもそんな景色を見られてしあわせです。
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一回目の草刈りほぼ終了!

2011年05月17日 01時21分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 南側の土手を刈る手順です。
① 土手の上の畦を刈る。
② 足場に乗って足場から上の草を刈る。(刈払い機は上から下に動かして刈ります。草は足場の上に寄せられます)
③ レーキ(さらえ。このあたりではガンジキともいいます)で草を土手の斜面にかき上げる。(足場に乗って下を刈る前にこの作業をしないと草が足にからまって危ない。写真では、道子さんがかき上げ作業をしています)
④ 足場に乗って、足場から下の草を腰をかがめて刈る。下はよその畑だから草が下に落ちないよう下から上に刈る。特に足場板の裏に生える草は刈りにくい。
⑤ 足場の下の草をかき上げて、上の草の山と合流させる。
⑥ 上の畦に立って、さらえで草の山をかき上げ、畦の内側にまとめる。
 この作業手順に次回からもう一つすることを加えます。 …… 刈る前に機械を持たずに足場を歩いて安全を確かめる。
 実は先日、写真の南側でなく東側の土手を刈っていたとき、足場の板が斜めにずれて刈払い機のエンジンがかかったまま土手の下に転げ落ちました。いま73歳ですが70歳になる頃からバランスを失っても姿勢を立て直す能力が落ちてきたことを感じています。転びそうになったときに踏み止まる力が弱くなりました。「アッ! こける」と思ったらヨタヨタ・バタンとこける。これは病気ではなく年をとってそうなったのです。ぼくの田舎暮らしのモットーは「頑張らない。無理しない。たのしんでやる」です。だからいくら時間や手間がかかっても、自分のペースで草を刈ります。自分なりの草刈りの美意識は、長年(10年)大豆畑トラストの草刈りをしてきたのでイメージとしてあります。もしそれを崩して「年寄りになったし、エエカゲンな刈り方でええ」と思うようになったら、刈るのが急にしんどい義務になるでしょう。そうなれば草刈りをやめます。(いずれ遠くない未来にそんなときがくるでしょう)
 2011年第一回目の草刈りはほぼ終りました。畝の間にいまはスズメノカタビラという雑草がはびこっています。この草は背は高くなりませんが春先に細い根をいっっぱい張って育ちます。雨の後は手でも抜けますが土がごっそり掘れて穴になってしまいます。いちばんいいのは2センチ以内の小さい草のときに引くことです。生長した草は鍬で削るか刈払い機で根元から刈るのがいい。というわけできのうは数畝の畝間を刈払い機で刈りました。
「アッシのことをお忘れじゃござんせんか」とばかりにハマスゲがはびこりはじめています。気温が上がってきましたからね。
「いや、忘れてはおりません。去年は最強の雑草としてこのブログでも紹介させていただきましたが、今年もしっかり応対いたしますよ」 
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マムシを見たら殺すぞ!

2011年05月16日 01時29分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 老人会ではお馴染みのグランドゴルフをしている写真ですが、やっている人がほっそりした若い女性だったり子どもだったりでいつもとちがいます。これは子ども会主催の『三世代交流グランドゴルフ大会』で、きのう近くのグランドでありました。ぼくも老人として出てほしいと声がかかり、参加しました。なにしろ老人ならうちの村にも50人ほどゴロゴロいてあちこちウロウロしていますが、子どもとなると貴重な存在で小学生は8人しかいませんから。
 イチゴが本格的に採れはじめました。きのうは娘たちが孫を連れてやってきてたっぷり食べ、満足して帰ったようです。なにしろ A4 版くらいのバット6個に採って午前と午後におやつとして皿に山盛り一杯ずつ食べ、お持ち帰り用はそれぞれ弁当箱より大きいタッパー二つにしっかり詰めましたから。でも雨がつづいたので甘みは例年より落ちるようです。この晴天つづきでまたおいしいイチゴが採れるでしょう。来週もやってきます。
 孫たちは、三木にやって来ると家にあがるより先に裏山に登って、手当たり次第というか足当たり次第にタケノコを折り、蹴飛ばします。おじいちゃんとしては「ここに一本くらい竹が生えててほしい」と残しておきたいタケノコがあっても孫は容赦しません。竹薮の勢いに恐れをなし、孫たちにタケノコを蹴飛ばすよう教育したのが間違いでした。といっても今更どうしようもないので、竹を少し生やしたいシイタケのホダ木置き場周辺にはトラロープを張りました。それでは不充分なので、5歳になりひらがなが読めるようになった大志くんにも伝わるように「まむし・へびがかむぞ! ぜったいはいるな!」とはり紙をロープにぶら下げました。
「孫たちの声が山で聞えるけどはり紙の効き目はあるだろうか」と心配して山に行きかけたら、道子さんが「いまマムシが出た!」といいました。小屋付近にいるようなので草刈りをして小屋を片付け、見つけたら殺すことにします。(そう心を決めておかないと「いざ!」というときに日和ってしまいそうです)
 去年の夏、篠山の知人宅を訪ねたとき死んだマムシを見ました。知人が朝草刈りをしていたら出てきたので殺したそうです。温和な笑顔のおじいさんですが「マムシは見たら殺せ! っていうでしょ。この夏三匹目ですよ」と話しました。うちの村の老人会長には「村のだれそれがマムシに咬まれたことがある」と複数の人の名を聞いたこともあります。蛇は見逃すことにするけどマムシは仕方ないかなー。そういえば3年前は畑も蛇やマムシの巣窟みたいになっていましたが、ぼくが精出して草刈りをするようになって見かけなくなりました。
 マムシくん(このあたりでは『ハミ』と呼んでいるようです)は、このブログを読んで、自分でどっか行ってくれないだろうな。いまのところムカデくんとはなんとか折り合いよく暮らせているのですがね。
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生野銀山で旧友と再会しました。

2011年05月15日 01時04分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 西宮に勤めていた頃の知人友人のバスツアーに自動車で合流し、しばし昔話に花を咲かせてきました。写真は皆と合流した生野銀山の見学坑道です。明治になるまでは鉱脈をこのように掘り進んでいました。『狸掘』(たぬきぼり)というそうです。
 地球をおおう地殻は卵の殻より薄い。そのプレートがマグマの表面を浮くように移動し、地震や津波が起こる。と聞いたことはありますがそれにしても地殻は固い石でできています。そこに一人の人間がやっと通れる穴を掘って、見込みのある鉱脈をたどっていく。そんな縦横の狸堀の穴を見て、過酷な鉱山の労働を思いました。石見銀山は昔の掘り方のまま閉山になり、世界遺産になったそうです。今年は行ってみたいな。
 タガネとツチを持ってこの穴の奥に這い込み、菜種油に灯心を浮かせた明かりだけをたよりに一日中たった一人で掘る。見学坑道はあちこちでこの狸堀の坑道とクロスしていますが、1200年の間に掘り進んだ坑道の総延長は350キロメートルになるそうです。
 旧友との交流はなつかしかったですが時間不足でおしゃべりタイムが不充分でした。
 そうそう、前のブログでお話した『犬』ですが、いまもこのあたりをウロウロしています。道子さんがきのう畑仕事をしていて村の人にきいたら、あの犬はうちの村だけでなく桃坂・西中・東中・桾原と美嚢川のこちら側の四つのを巡回しているそうです。うちの小屋で寝た形跡があり、我が家に特別な感情を抱いているのではないかと心配しましたがそんなことはないようです。
 追っ払うとゆっくり立ち上がり、歩きはじめ、立ち去り難い目をして振り返り、また数歩いっては振り返り、それでも追っ払うと足を速め、また数歩いって振り返り、未練たっぷりの老犬です。それでもこの四つの村のどなたも「うちで飼おう」とは思わないのですからよっぽど魅力の乏しい犬なのでしょう。子犬だったらそんなことは絶対ないでしょうけど。
 
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どうしたもんでしょう?

2011年05月08日 02時08分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真の犬は老犬のようです。うちの村の中をこの数日うろうろしています。首輪をしていますから最近捨てられたのでしょうか。畑に見なれない大きい足跡があるので「猫にしては大きな足だし、野良犬はうちの村にはいないし何だろう」と思っていました。この犬だったのですね。
 近くの人が飼っていた犬だったら自分で家に帰るだろうし、遠くの人が捨てた犬だったら「ここにはオレを飼ってくれそうな家はない。となりの村に行ってみよう」と考えないだろうか。
 人の姿を見ると逃げるでもなくそばに寄っていくでもなく、未練がましい(ように見える)目をして振り返り振り返りしながら、少しずつ離れていきます。うちが気になる存在として意識しているだけでなく、きいてみると向かいの人も、となりの人も気になる存在として意識しているというのです。
 思い出しました。この『古希からの田舎暮らし』ブログをスタートしたばかりの2009年3月15日にこんなことがありました。(ブログに書きました)
 あのときは犬が家の前に座り込んで動かない。「きっと村の飼い犬だ。鎖が外れて歩きまわったはいいが、道に迷って途方に暮れているのだろう」とイリボシを一つずつ道に置き、犬を村の真ん中まで誘導して、そこで車に乗ってスピード出して帰ってきました。
「やれやれ。自分のうちを見つけて無事に帰っただろう」と一息ついて外に出てみるとあの犬がうちの前にすわっている。みんな同じ思いだったようで、そのうち数軒先の人が110番に連絡し、パトカーが来て犬を乗せていきました。
 小さいシーズー犬を散歩させて我が家の前を通る人にきいてみると「大きな犬なのに、こいつと出会うと尻尾を下げてうずくまるんですよ。きっとおとなしい犬でしょう」。
 この犬は「この人は……。あちらの家は……。あのおじいさんは……」と人間に出会うたびにその人間の出す波動を感じているのだろうか。うちはどう思われているのだろう。道子さんに相談すると「うちは判断しないで村の人におまかせしましょう」。その通りです。でもやっぱり気になります。
 
 
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『出エジプト記』のモーセのように……。

2011年05月07日 01時04分30秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真はヨシズを張ったシイタケのホダ木置き場です。その横にきのう通路を開通させました。実はきのうの朝ここは、左右の竹置き場と同じく竹の山になっていました。その竹を引きずり出して地面が現れるようにしたのです。左右の竹の壁が高くなるにつれ、なんだか旧約聖書『出エジプト記』の水の壁にはさまれて作業している気分になりました。
 この竹の山は竹を切りはじめた4年前から積んでいるところです。それだけに重みで竹がつまり、相当な量が積み上がっていました。竹を排除して「通路をつくろう」と、そんな無謀なことは考えもしませんでした。でも裏山のあちこちで、地面からチョンチョン頭を出しはじめたタケノコを見ているうちに「このシイタケ建屋を立ち木や竹を生やして覆えたらいいな」とふと思ったのです。
 今年の冬はシイタケのホダ木置き場のまわりの竹を皆伐しました。立ち木があればシイタケ建屋は丸裸にならないのですが、建屋のまわりは竹が密に生えて樹木は全部枯れて倒れてしまっています。だからヨシズ張りの建屋が必要だったわけですが、裏山を見るとどうもこの建屋の存在が気になります。そこで建屋のそばに木や竹の生える地面を確保して、そこにできれば常緑樹の木を植えようと考えたのです。
「どれだけ時間がかかるかわからないけど、とにかく手をつけてみよう」と竹の山にとりついて排除しはじめました。積み重なった竹を引っ張り出すのは全身の力をつかいますが、引き出せたら気分がいい。いつ果てるとも知れぬ作業を黙々とするうちに「こりゃ思ったより早くできそうだ」という気持ちになりました。そして意欲がわき、力が出てきます。昼過ぎには写真のような通路が出現したというわけです。しかしここは通路ではありません。おあつらえ向きに細い竹が1メートルおきに生えてくれたらいいけど、もし生えなくても常緑樹を数本植えることにします。シイタケ建屋が隠れなくても数本の木や竹が生えているというだけで里山を目指す裏山の眺めがちがってくるでしょう。
 この出エジプト記、もし今朝心が動かなかったらずっと竹の山のままだったでしょう。「そのうちいつか……」は限りなくゼロに近い。なぜ今朝急に心が動いたのか。いまになって不思議な気がします。そしてそんなことの起こる日々って、いくつになってもたのしいです。
 
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BGMに『若葉のころ』がぴったりの季節です。

2011年05月06日 02時37分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 手前のレンゲ畑はこれで満開とします。今度孫たちが来たらレンゲ畑に入ってあばれてもいいことにします。向かいの蓮花寺の山々は、若葉がしっかりした緑に変わろうとしています。若葉の季節が通り過ぎていきます。
 写真を見ながら「よくぞ田舎暮らしを選択したものだ」と素直によろこんでいます。わずか一反三畝400坪の畑なのに何度も何度もブログに写真をアップして、いまもちがう表情を伝えられます。もし街の景色だったらどんなにアングルを工夫しても見あきてしまいます。
「いいなー」と見とれる景色を、ぼくは「たたずまい」とか「空気感」という言葉で伝えようとするのですが、それでも一部分しか伝わりません。その場に立ってそこの空気を吸うしかないです。きのうはウッドデッキでデッキチェアにすわって、コーヒーを飲みながら緑の山々を眺めました。手前の田んぼをトラクターが入って耕しています。
 篠山で二年暮らしたときは、田植えの早いのにびっくりしました。四月になると田んぼの代掻きがはじまり、いまごろは田植えの最中です。連休が終る頃には田植えも終わります。そして八月下旬から稲刈りがはじまり、敬老の日にはすべて終っています。このあたりとひと月以上ちがいます。
 ホームセンターや苗屋さんは「連休が勝負!」と苗を売りまくり、夏野菜を植えるのがだんだん早まっています。しかしまだ最低気温が10度以下になる日もあり、地温が上がっていません。サツマイモだけでなく、オクラなども育ちにくい。うちはじっくり構えることにします。去年は4月下旬にサツマイモを植えて失敗しましたから、今年は5月20日を目途に植えることにします。そういえば去年は連休最後の日にはイチゴを初採りしましたが今年は無理のようです。やっぱり冬の寒さがひびいいているのでしょうか。
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神さまから人間への一番の贈り物

2011年05月05日 03時22分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは一日畑で仕事をしました。写真は前の日に北側の土手の草を刈り、それを燃やしている図です。手前の六条大麦が実りはじめました。右手の生ゴミボックスの手前にある緑の円筒形の入れ物にはヌカが入っています。生ゴミを入れるたびにふりかけます。後ろの裏山に連なる山は若葉が濃くなってきました。風がなく草を燃やす煙はまっすぐ上っています。
 のどかな春の景色を見ていると音楽が耳元で鳴った気がしました。<you tube>でよく聴くモーツアルトのK.581《クラリネット5重奏曲》の第二楽章です。クラリネットとヴァイオリンがただ音をたのしむようにおしゃべりしています。「神さまが人間にくれた一番の贈り物はモーツアルトじゃないだろうか」とふと思いました。ザルツブルグでモーツアルトの〝レクイエム〝を歌うツアーに参加したこと、このブログでモーツアルトの〝laudate dominum〝を紹介したことなどを思い出します。
<you tube>でK.581を探していたら、東京フィルハーモニー交響楽団の主要なメンバーがこの曲を演奏してアップしていました。首席ヴィオラ奏者の須田祥子さんが「音楽家として震災で傷ついた人たちに何かしてあげられないかと思い、この演奏を贈ります」と話しています。やっぱりこの曲が心に浮かんだのですね。モーツアルトがこの曲を作曲してから一体どれくらいの人がこの曲に癒しをもらったことでしょう。
 さて畑仕事ですが、去年はサツマイモを早く植えて失敗しました。なにしろ「気象台始まって以来の早い夏日を観測した」とかいろいろニュースが飛び交ってホームセンターではサツマイモの苗を競うように早く売り出します。それにつられて失敗した人は多いでしょう。4月の終りに最低気温が一桁になる日がつづきました。5月にもそんな日がありました。今年はどうでしょうか。でもそろそろ畝はつくらなくては。ということできのうは五畝分ほど耕運しました。きょう畝立てをするつもりです。すぐ売り切れてしまう『安納芋』の苗は10本ほど先に植えましたが寒冷沙を掛けています。保温が効いているのか最低気温が一桁になる日がありましたが、いまのところ枯死している様子はありません。サツマイモは5月15日を過ぎてから植えるつもりです。9月中旬には芋掘りがたのしめるでしょう。
 きのう、「土手の草刈りはしばらく先でいいかな」と書きましたが、よく見るとやっぱりしっかり伸びています。「はいはい刈ります刈ります」。レンゲ畑もそれらしくなってきました。春は確かな歩みを刻んでいたんですね。
 去年村の墓場の下に植えた桜(ソメイヨシノ)は夏前に枯れてしまいました。粘土質の土なのに水をやり過ぎたのでしょうか。ホームセンターで葉っぱばかりになった桜の苗を半値で売っていましたので、二本買って、一本は墓場に、一本は裏山に植えました。水のやり過ぎを反省してまわりより高く土盛りしたのですが、今度はうまくつきますように。
 
 
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イチゴネットを張りました。

2011年05月04日 00時47分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年もイチゴネットを張りました。娘たちが孫を連れてやってきて、張るのを手伝ってくれました。孫は戦力になりませんでしたが。今年は天井の高いネットハウスにしようと、はじめは2メートル20センチの竹(柱にする)を8本用意しました。そして1メートルの杭(40センチ打ち込む)に二本のネジで止めました。去年はブロックにセメントで固めた垂木(4,5センチ角)を穴を掘って埋め杭を立てましたが、これは弱かったので杭を打ち込むやり方にしたのです。
 しかしどうも天井が高すぎました。そこで柱は190センチに切り詰め、それに針金を張っておきました。この前日の準備は時間がかかりましたが、ネット張りは一時間でできました。今年は柱以外は針金なので、15メートル×5メートルのすっきりしたネットハウスになりました。なおネットハウスの向うはレンゲ畑なのですが、満開になる頃なのにまだツボミのままのレンゲがあり、「ああ、レンゲ畑だなー」と感慨にひたるには少しさびしい畑になりました。
 レンゲ畑についてはいくつか反省することがあります。
○ 去年の10月にレンゲの種を砂と混ぜて条播きにしたのですが、厚播き過ぎたようです。レンゲ畑にするところをていねいに耕運し、砂と混ぜた種を播いてレーキでならして散水します。11月までに発芽してしまうと寒さには強いので他の雑草を抑えていいレンゲ畑になります。今年は条播きしたので咲いてしまうと盛り上がって間は埋まりましたが、他の雑草が生える余地があってハコベが目立ちました。
○ 数年前大豆畑トラストで立派なレンゲ畑をつくったときは、サツマイモを掘ったあとをよく耕しレンゲの種を播いてからレーキで徹底的にならしました。それによって種は土とよく混ざり、一面びっしりレンゲ畑になりました。なお去年は11月はじめにシモン芋を掘ったあとにもレンゲを播きましたが、こちらは穴になったままです。播いたときに気温が不足して発芽しなかったらもう駄目なようです。
 今年の土手の草刈りがはじまりました。きのうは北側の土手を刈りました。春の草は背はそんなに高くなってないのですがびっしり生えているので手間がかかります。それにカラスノエンドウがからむのでやりにくいです。でも4面の土手の全部を刈るほど伸びていないので重点的に刈ることにします。
 
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