長さ180センチの低い長いすです。四年前に道子さんのリクエストでつくりました。うねの草を抜いたり追肥をしたりするときに、すわっておしりをずらしながら作業できるスグレモノなのですが、上のプラダン(プラスチック段ボール)がぼろぼろになったので張替えました。いまはぼくがときどき使う程度ですが健在です。
さてNHKの朝の連続ドラマは、退職した頃に『あぐり』というのをやっていて、よく見てました。以来見ていなかったのですが、『ゲゲゲの女房』は見ました。ぼくの郷里山陰が舞台でしたし、水木しげるの戦争体験や彼の書いた文になじんでいましたから。
いまの『おひさま』は、戦時中、そして戦後が舞台になっているので見ています。でも「明るくたのしければいいってもんじゃないだろう」と反発する気持ちが頭をもたげます。そして「あの戦争も、あの時代の様子もすでに歴史に埋もれてしまったんだなー」と感じています。
ドラマでは兄の春樹だけが戦死したことになっており、あとの男たちは無傷で復員し、心に負った傷も見せず明るく生きています。陽子は敗戦後も勤めたまま妊娠・出産して、小学校の教員をつづけています。夫が赤ん坊をおんぶして、授乳のために連れてくる。働く女性の気概と夫の並々ならぬ協力を描くつもりでしょうか。
高田なほ子(1905年<明治38年> ~ 1991年)という参議院議員がいました。彼女はあの戦争前、小学校の教員をしており、結婚・出産しました。のちにその体験を本に書いています。
女性教員の産休が認められるようになったのは敗戦後、女性議員が誕生して発言するようになってからです。それまでは教員に産休はありませんでした。生れる日まで勤め、お産でわずかに休む数日は学級を解体して生徒たちは机とイスをさげてよその教室に行かされました。女性は、自分の学級の生徒たちがお世話になる先生方に、一席をもうけてお願いするのがならわしでした。
中国を舞台にしたパールバックの小説『大地』には、畑で仕事をしていて産気づいた女が、家に帰って赤ん坊を産み、処理をしてふたたび畑に出て働くすさまじい場面が冒頭にありますが、同じような状況でした。高田なほ子さんは臨月になっても学校に出ていましたが、冬のある日お腹が痛み、一人で帰宅しました。しかし途中で産気づいて雪道に倒れてしまいました。学校出入りの文具屋さんが通りかかり、文具屋さんの家で「先生のくせにはしたない」としかられながら出産しました。
『産休』の項目でネットのやりとりを見ると、いまだに「先生の産休はけしからん」とか「要領よく休まれてうちの子に迷惑がかかる」とかいう親の投稿が見られます。自分もお産をしたのに人のお産に冷淡なようです。でも女性が産休をたたかいとり、育児休業をたたかいとるまでには長く、苦しいたたかいの歴史がありました。男女同一賃金とか選挙の投票権を手にするまでのたたかいと同じように。当時の状況を伝え、思いを伝えるとてもいい機会だったのに、こんなにやさしく、善意にあふれた人たちだけが出てきていいのでしょうか。
若い頃に読んだ本を思い出しながら見ているとドラマが絵空事にみえてきます。それも年寄りのくりごとで、いまはやっぱり「明るくたのしい」のがいいのでしょうか。過去の苦しみは、歴史の落葉に埋もれてしまい、もうかえりみられなくていいのでしょうか。