古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

白石晴二さんとの出会いを思い出しました。

2013年05月31日 04時02分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 古い資料をめくってみたら、劇団『角笛』代表の白石晴二さんと出会ったのは、1974年(昭和49年)2月頃のことでした。詳しいいきさつは省きますが、ひと月後に西宮ではじめて『角笛シルエット劇場』を催すにあたって、打ち合わせに来られたのです。
「岡山公演と奈良公演の間が空くけど、どこかないかと思ってたらちょうど声が掛けてもらい、よかったです」と飾り気のない話しぶりで語られたのをいまも覚えています。
 こちらが用意した公演の粗末なチラシを見て不安に思われたのか、「ふだんは有料なのですが、差し上げますからこのポスターを使ってくさだい」と数十枚渡してくださいました。はじめてお会いしたのに、こちらの苦労がそのまま伝わり、角笛劇団の苦労がそのまま伝わってくる不思議な人でした。
 そしていざ公演となると、大人たちがシルエット劇の美しさに引き込まれてしまいました。

 古希を迎え、田舎暮らしをするようになったある晩、素朴だった白石さんの人柄をふっと思い出し、何十年ぶりに劇団角笛に手紙を出しました。親しかったわけでもなく、ふだんお付き合いもないのに。白石さんは2002年に73歳で亡くなっておられ、奥さんから丁寧な返事をいただきました。
 
 29日、白石さんの奥さんから電話がありました。
「明日、小野市で角笛が公演しますので、よろしければ見てください」
 で、きのうは早起きして、イチゴを差し入れしようと畑で摘み、二人で小野市民会館に出掛けました。

 うまく伝えられなくてもどかしいですが、人生には、その後親しく付き合うわけでないけど、ずっと好感をもつことになる人と、出会うことがありますね。
 
 

 
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『おとなになれなかった弟たちに……』

2013年05月30日 04時00分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうのブログでふれた、俳優・米倉斉加年(1934年・昭和9年生れ)の描いた絵本『おとなになれなかった弟たちに……』の帯に、芥川賞作家の「李 カイ成」(1935年・昭和10年生れ)がこんな文を寄せています。写します。
 ※ 名前の「カイ」は漢字です。難しい字でどう出すのかわかりません。カタカナ書きします。

  
        少年よ ……           李 カイ成

 あの時代が、どんなにひもじいものだったか、ぼくらは知っている。
 けれども、この一冊の絵本にまさる少年哀歌はいったいどこに存在するだろう。弟のミルクを盗んでしまった少年よ、きみはその日以来、なんと罪深い人間になってしまったのか。
 終生、きみはこの原罪にこだわって生きつづける。ある日からのジャン・バルジャンのように。
 それにしても、きみはやさしい男だ。永遠に生長することをやめた弟たちへのきみの哀しみが、こんなに大きかったとは……


 1937年(昭和12年)生れのぼくには、胸にこたえる文です。あのひもじさを多少は体験した、同世代の子どもでしたから。空襲で親を失ったり焼け出された子どもたちの、過酷な体験とは比べられませんが。
 この絵本は、1983年(昭和58年・偕成社)に出版されてから、増刷されつづけ2011年で46刷。いまも読み継がれています。
  
 カラカラだった畑や山は、梅雨入りでホッと息をついています。六条大麦はそろそろ収穫の時期です。よく干して、時間をかけて煎り、麦茶にします。タマネギ、エンドウ、ソラマメ、もう少しするとジャガイモ。収穫がつづきます。道子さんの播いたキンゴマが、今年は順調に芽を出しています。
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「ツンバナ」を見て思い出しました。

2013年05月29日 03時55分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 田植えの頃になると、畦や土手にチガヤの花穂が風に揺れています。「ツバナ」いいます。ぼくの生れ育った鳥取の方言では「ツンバナ」と呼んでいました。穂が出る前まだ葉に包まれているときは、摘んで食べられます。子どもの頃食べた記憶があります。
 その記憶は、敗戦後の空腹とセットになってぼくのひき出しにしまわれています。
 父は小学校の教員をしていて、戦時中朝鮮に渡りました。外地で教員をすると条件がよかったそうです。三人の子どもを抱えた母も、父について渡鮮しました。ぼくらは38度線を越えたところに入って暮らしました。現地の日本人といえば駐在所の巡査一家と小学校の教員一家だけだったそうです。
 母が病気になり、父だけ残ってぼくらは昭和18年に日本に一時帰国しました。もし敗戦まで母と幼児三人が残っていたら、生還できなかったでしょう。父は敗戦後現地の人に叩かれ、山中を何十里と歩いて、命辛々(からがら)逃げ帰りました。
 敗戦後父は山奥の分校に住み込んで勤めました。ぼくらも分校の狭い部屋で暮らしました。小学校4年生の昭和22年頃のことだと思います。日本は外地から引揚者があり、食べるものがなく、たくさん餓死者が出ていました。山奥の村も食糧不足でした。
 ある日分校の近くに住む子が、焼いたジャガイモを一つ持ってきました。たしか小学校一年の弟と同級だったと思います。「ジャンケンして勝ったもんにやる」といい、ぼくと弟はジャンケンしました。ぼくが勝ち、ジャガイモを食べました。弟は靴でその子を叩きました。その子は泣いて帰りました。
 俳優・米倉斉加年の絵本『大人になれなかった弟たちに』には、ぼくのブログでもふれたことがあります。
〈弟が生れた。わずかに配給されたミルクを自分がひもじくて口にした。弟は餓死した。〉質素な絵をつけ、飾りや言い訳を排して、彼は書いています。
 先日、沈む夕日に光るツンバナの花穂を見ながら、ひもじかったあの頃を、しばし思い出していました。
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今年はコイモの「芽出し」をしてから植えました。

2013年05月28日 03時37分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 2011年(おととし)のコイモの写真です。10センチの深さに種芋を埋めて、芽が出るのを待っています。すると写真のように雑草がワッと生えます。その草に埋もれて、小さいハート型のコイモの葉が中央に見えます。でも芽を傷つけてはいけないので、コイモの芽が伸びて「ここにコイモあり!」とわかるまでただ見守ります。
 コイモの畝沿いに何度も往復して、幾本芽が出たか数えます。それから草抜きにかかります。6月の一番雑草の勢いがいいとき、芽のまわりは手で抜き、畝はクワで削り、土をかけます。手間のかかる作業です。
 で、今年は、あらかじめ耕運機で畝作りをして、黒マルチをかけておきました。陽射しが強くなり、畝が熱を吸収してムシの卵を弱らせるし、雑草は生えきません。コイモは別に土に埋めて、「芽出し」をしました。
 先日それを移植しました。写真のような草は、まだ生えていません。コイモだけが芽を出しています。
 大豆や黒豆も「苗立て」して移植するつもりです。ひと雨降ったら、豆の畝にマルチをかけておきます。
 まわりの田んぼでは、田植えの準備がすすんでいます。水を入れて「代かき」がはじまりました。田んぼに水が入ると、蛙が鳴きます。
 夕方ウッドデッキで蛙の声を聞くと、農耕社会の息づかいを感じます。何百年もの大河のような人の流れが、この地の田んぼを這いずりまわって、苗を植え、草をとり、稲を刈りして、一生懸命生きてきました。
 夕暮れの田んぼを眺めていると、キジが二声鳴きました。
 田舎の音は、情感の底のほうに響いてきます。
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イチゴ・サンドイッチの味はなかなかのものでした。

2013年05月27日 03時35分10秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 日曜日です。おじいちゃん・おばあちゃんは部屋を掃除しました。娘家族がやってきて、まず「イチゴ狩り」。それからパンと、畑で採れたリーフのサラダ・カリフラワーのスープ・ソラマメの塩茹で・イチゴで昼食。一人ひと盛りのイチゴを平らげます。大志くんがイチゴをパンにはさんで食べ「なんや、この味! おいしい」。みんな真似してみるとなかなかいけます。
 おじいちゃんが「ウッドデッキでお昼にしよう」というので、オーニングを繰り出して外で食べました。                                     
「田舎におじいちゃん・おばあちゃんがいて、畑があって、裏に里山があって、孫がやってきて遊ぶ……」が田舎暮らしの目的の一つでした。
 竹薮の竹を切って里山風にし、田んぼを畑にして無農薬有機野菜を食べてもらい、のどかな空気を吸って心がくつろぐ。
 願いの一つは叶ってるようです。
 
 
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真野響子・真野あずさの舞台を見ました。

2013年05月26日 05時01分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 母・妙子さんは100歳になっても裏山に来て、竹の枝を切り刻んでいます。背中はさらに曲がりましたが元気です。息子のぼくは、また母のために竹を切り倒します。
 さて西宮の芸文センターで《真野響子・真野あずさ》姉妹の『完全姉妹』という舞台があったので、きのう見に行きました。尼崎にうちの野菜やイチゴを届けるので車で芸文センターに行ったのですが、車で行くのを「やれやれ、車で行くのか」と感じるようになりました。
 で、舞台はどうだったかというと、年寄りのぼくには声が小さく、早口な感じでした。前から4列目の席でしたが。もう「生の舞台を見るのはちょっと……」という齢になったようです。見る前に昼食をとろうと西宮ガーデンに行きましたが、ちょうどお昼どきで4階の食堂街はどこも行列ができています。「それなら一階のフードコートですませよう」と行ってみたらここも人がいっっぱい。なんとかうどんを食べて劇場へ。
 都会というほどでもないのに、三木の田舎から出てくると、人が多くて疲れます。
 そうそう、今年は「芸文センターオーケストラ」(PAC)の定期演奏会・通しチケットを申し込みませんでした。月に一度音楽を聴くために、都会に出るのが億劫(おっくう)になりました。時間はとれるし、音楽を聴くのは生活の素敵なアクセントになるのですが、それより畑仕事をしたり、裏山の木々を剪定したり、花を植えたり、自分のペースで家のまわりの仕事をするほうがよくなったのです。
 だから6月に〈ネヴィル・マリナー指揮・PAC定期演奏会〉を聴いたら、そのあとしばらくお休みします。長い「しばらく」になるかも。そのうち神戸の文化ホールや国際会館の音楽会に出掛けてもいいし。大阪のフェスティバル・ホールやシンフォニー・ホールまで出掛ける気力はもうありません。
 都会の人間の雑踏が、まわりの人間を人間と思わないで行き交う空気感が、なじめなくなっています。軽トラで走り、運転者の顔を見、合図したり会釈したり、そんな人間同士の距離感・空気感がいい。田舎暮らしが7年目になり、いつの間にかそんな感覚がもどってきました。
 
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今年はタケノコの勢いがスゴイぞ!

2013年05月25日 04時54分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 この家に引っ越したとき、裏山は「真竹」の竹薮でした。足の踏み場もないほど生えていましたから「ちょっと竹薮に入ってみよう」なんて考えもしませんでした。ここに暮らすようになって2年目の冬、持ち主の了解を得て竹を切り倒しました。1000本は切ったでしょう。
 それからも毎年竹を切り、木を植えていきました。でも地面の下には竹の根が張りめぐらされていますから、5月から6月にかけてタケノコが生えてきます。生えてくるタケノコが全部竹になれば、裏山は3年で元の誰も入れない竹薮に戻るしょう。
 今年は、《裏山竹藪総本部》が危機を感じたのか、裏山のあちこちで実に勢いよくタケノコが生えています。このタケノコは1本残さず蹴倒します。植えた木を守るために。
                 
 「♪ミーカンのはーながさーいているー」。
 畑仕事を終えて帰ってくると、家に入る前に裏山の木々・花々に水をやります。道子さんが「ミカンの花、見た?」というので行ってみると、温州みかんの木に花がびっしり。びっくりしました。
 なぜって、この木は5年前、竹を切りはじめたころに植えました。以来、花も咲かず、実もならず、大きくもならず、ただ枯れないで立っているだけの木でした。それが花を咲かせているのです。
 どうしたらいいか調べます。
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コイモ・サツマイモを植えました。

2013年05月24日 02時16分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 今年はサクランボ(暖地)の花が咲いたので期待してたら、写真のように実がなりました。元は数十個できたのでしょうが、野鳥たちが食べてしまい、人間が食べたのはこの一個だけです。思い出すのは防鳥ネットに引っ掛かった「シロハラ」です。ネットからはずすときも指に噛みついたり元気でしたが、いまも生きていてくれることを願います。
 来年はもっと野鳥たちにはっきり見える、太い動物ネットをかけることにします。今年の冬に植えたプルーン(シュガー・バーバンク)、キウイ(雌・雄)、梨(豊水・幸水)は順調に育っています。生きているうちに実がなり、味わえそうな気がします。
 そうそう、キウイの棚をつくらねば……。
 コメリにウイルス・フリーのサツマイモ苗(ベニアズマ・ナルトキントキ)を買いに行きましたが、もう置いてありません。普通の苗を買って、ナルトキントキ25本とベニアズマ10本を植えました。これでサツマイモの植え付けはおしまいにします。これからはポット苗が伸びたときにツルを切って植えます。
 今年「コイモ」は、土に埋めて「芽出し」をしてから植える予定です。きのう掘って調べたら、ほとんどの芋は芽が出ています。まだ地上に芽が出ている種芋は少ないですが。そこで全部掘り出して、植え替えました。40個以上あり、ひと畝と半分つかいます。残りの半畝には、道子さんが山芋を植えます。
 山芋のツルは去年まで竹を立てて這い上らせていましたが、「今年は丹波の農家の人がするみたいにツルを巻いていく」と道子さんはいいます。雑草がこれから勢いよく生えるし、ツルは5メートルも10メートルも伸びるし、うまくいくでしょうか。ぼくは「門構え」風の竹を這い上らせるのがいいかな、と思います。
 そうそう、裏山に芝生を張るつもりで買ってそのまま放置してました。あしたはそちらの仕事をします。
 田舎に暮らすようになって「退屈」という言葉がどこかに消えてしまいました。引っ越してから7年半になります。
 
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初の女性公民館長が口吉川公民館に。

2013年05月23日 05時50分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 きのうは『口吉川町杯・グランドゴルフ大会』がありました。
 そこで、戸田老人会長も市長も来賓の議員もみんなが「口吉川町の公民館に初めて女性の公民館長が赴任されました」とあいさつ。中央の黒い服の細い女性がそうです。「今頃そんなことをやいやい言うほうがおかしい」なんて言わずにおとなしくきいているのが、老人の皆さんのいいところでしょうか。
 結果ですがうちの村は19チーム中最下位でした。
                  
 写真は墓の土手下に張った防草シートです。ここの電気柵の下は特に草が伸びる場所なので見まわりを欠かせませんでした。これでひと息つけます。
 サツマイモは植えましたが、「芋掘り」に欠かせないベニアズマ・ナルトキントキが少なすぎます。ナフコで30パーセント引きで買った痛んだ苗だけです。あしたコメリで「ウイルス・フリー」の苗を買い足して植えることにします。
うちではときどき『ゴパン』で米のパンをつくって食べます。山田錦の田んぼでとれた、地元のおいしい米のパンです。週に一回くらい。しかし焼き上ってベーカリーから取り出すのにいつも苦労していました。先日「雪印パン用スキム」(ホーム・ベーカリー用)という商品を道子さんが何気なく買って試したところ、驚くほど簡単にはずれました。大感激! もともとのウリは「翌日もしっとりやわらか」なパンをつくるための商品だそうですが、これから愛用します。
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大豆の畝に黒マルチをかけておきます。

2013年05月22日 02時29分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 いまごろのデジカメは結構故障しやすいですね。レンズが途中で引っ掛かったり出なくなったり。新しいデジカメをアマゾンで買いました。ペンタックスの着せ替えカメラです。写真が横長サイズになりました。
 この写真、大豆用の五畝です。左横のタマネギや右横のイチゴ(ネットハウス内)の畝も収穫が終れば耕して大豆の畝にします。全部で8畝。今年は苗立てして移植します。45センチ間隔・〈横15センチに2本植え〉するつもりです。1本植えだと収穫量がちょっと心配ですから。
 幅1,5メートルの畝で、いまは荒く土寄せしています。これに黒マルチをかけておきます。苗の移植は6月20日を目途に。その後畝間を耕運して、根が深くなるよう土寄せをします。
                 
 サツマイモの苗は見分けがつかないので札を立てます。今年は(べにあずま・べにはるか・なるときんとき・たまゆたか・あんのう)と5種類も植えますので。この中で『たまゆたか』の名前が一番覚えにくい。大豆の名前みたいで、「えーと、たま……」とすぐに出てきません。茨城県の作付けは8割が干し芋用の「たまゆたか」だそうですけれど。せめて「べにゆたか」とでもすればちょっとは覚えやすいかな。
 立て札といえば2000年=神戸の神出で《大豆畑トラスト》を立ち上げた年、集まったみなさんで個人用のサツマイモを植えたのを思い出します。あのときは、とにかく一人が10本を植え、畝の途中でも区切りをつけようと立て札を用意しました。
 割り箸に番号の紙をはさんだ立て札です。
 あのときは、畑の夏草がどんな勢いで生えるものか知らず、名前を書いた札を立てる気恥ずかしさもあって、ささやかな立て札にしたのです。
 立て札は何の役にも立たず、夏草の凄さを思い知りました。
 あの「初心」をなつかしく思い出しています。
 
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サツマイモを(植えても)「もういいでしょう」。PART 2

2013年05月21日 01時46分26秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 大きな画像ですみません。一度アップしたらうまく縮小できませんでした。
 国華園に注文していたサツマイモの苗が送られてきました。右から〈安納芋〉〈たまゆたか〉〈べにはるか〉です。同封されてたマニュアルには、「苗は3、4日冷暗所においてしんなりしたら植える」と書いてあり、その通りにしようと待機中です。道子さんが「ちょっとしんなりし過ぎじゃない?」と心配するし、ぼくは「まだまだ!」と思いますが、あしたくらいそろそろ植えようかな。
 いままでサツマイモといえば〈べにあずま〉〈なるときんとき〉の二種類を植えてきました。ウイルス・フリーの苗は大きな芋を収穫できるし、ツルの勢いがよくて増やせるから、と多少高くても植えてきました。ところが安納芋をつくりはじめて、その甘さに心を奪われました。
 うちでは安納芋は〈蒸す ⇒ 干す ⇒ 冷凍保存する ⇒ オーブントースターで焼く ⇒ お菓子みたいな「おやつ」にする〉で愛用しています。去年は8月に、イノシシやアライグマに無茶苦茶に食い荒らされ、電気柵を設置しました。安納芋をつくりはじめて今年で3年目になります。今年も安納芋はしっかりつくろうと考えていました。
 そしたら〈べにはるか〉という品種の宣伝をみて心がゆれ、苗を20本買ってしまいました。「はるか」という名前にしたのは安納芋より「はるかに」甘いからだそうです。ホントかな。
 もう1つの品種〈たまゆたか〉は茨城県では8割この品種をつくるとか。干し芋用だそうです。それを体験してみようと10本植えてみます。でもサツマイモはどれも同じに見えるから立て札を立てておかないと混乱しそうです。なお今年はヤーコンとシモン一号はつくりません。
 それとポット苗を買っています。〈べにはるか〉と〈安納芋〉です。こちらはまだ1本ですが、6月下旬にはツルが伸びて苗を何本も採れるようになります。それを植えても10月には収穫できるから、これで苗を買うのはストップします。
 
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黒豆と大豆の畝をつくりました。

2013年05月17日 04時10分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 写真は去年の黒豆の畝です。横の遊歩道や畝間は草が生えていますが、黒豆の苗を植えたばかりの畝には、草が生えていません。黒マルチをはぐって、掌で土をすくって穴を掘り、黒豆の苗を植えたのです。移植ゴテを使って苗穴を掘る必要はありませんでした。植えたのは6月末で、雑草の勢いがいちばん凄いときです。
 横の遊歩道や畝間は、刈っても削っても一週間もすればまた草まみれです。でも畝の上は草なし。50センチ間隔に100本の苗を植えるのが、なんとも気持ちのいい作業でした。
 あの快適な作業をまた体験したくて、きのうは大豆と黒豆の畝をつくりました。前日に苦土石灰を撒いて耕運したところを畝立てし、ジョレンで土を寄せて畝整形をするのです。大豆畝は10メートルの畝を5本。幅は1,5メートルにしました。大豆にしては幅広ですが、植えてからの土寄せがしやすいし、畝間に耕運機を通して草をとることができます。黒豆は20メートルの畝を2本。
 しんどい仕事で疲れました。でもこれで、一雨降ってから黒マルチをかければ、あの「快適な苗移植作業」が約束されます。去年、大豆は苗立てせずに畝に直接播き、防鳥ネットを張りました。でも芽を出した豆がネキリムシ・夜盗虫に食われて、沢山の苗を補植しなければなりませんでした。今年は苗立てして移植します。
 道子さんはイチゴのネット・ハウスに入って、半日みっちり苗の手入れをしました。赤いイチゴを採り、枯葉やランナー、ムシの卵を調べて取り除き、アオムシは空き缶に入れておき、あとで火葬にします。200株のイチゴを一株ずつ調べる、とても手間のかかる作業でした。
 
 
 
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『モラサン』の屋根を張りました。

2013年05月16日 02時58分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 屋根の下地材に『モラサン』という製品があります。ロール状のシートです。それが一ヶ月ほど前はがれてしまったので、何度か雨降りの後、きのうようやく張りおわりました。
                 
 下地材ですから上に瓦など屋根材がのるのですが、下地だけでこの4年やってきました。それが劣化したのでしょう。風ではがれてしまったのです。そこで今回は、前の下地材より値の張る『モラサン』という下地材を買いました。値段が倍以上違います。こちらは不織布にアスファルトとゴムが吹付けてあるので丈夫です。でもそのうちポリカかトタンの波板を張るつもりです。「そのうち」が年単位で経過するかもしれませんが……。
 その後畑に出て、耕運機でサツマイモを植える畝をつくり、ベニアズマとナルトキントキを20本ずつ植えました。サツマイモは、最低気温が10度を下まわらないこれから「植えどき」になりますが、苗屋さんやホームセンターは競争で早く苗を売っていました。この間の低温で「枯死」した苗も多いでしょう。でも「ナンバ」の苗は朝のうちになくなるし、ナフコは30パーセント引きして、残り苗を処分しています。今年は「べにはるか」と「安納芋」のポット苗を買いました。どちらも甘味のつよい芋なので6月後半まで育てて、ツルを切って植えることにします。「シモン一号」は今年はつくりません。
 サツマイモを植えた後、黒豆と大豆の畝づくり準備をしました。
 豆類の根粒バクテリアが活動するには石灰分が要るので、まず顆粒の苦土石灰を撒き、耕運機でていねいに耕しました。今年は黒豆だけでなく、大豆も苗立てして植えるつもりです。去年大豆は「2本植え」しましたが今年は40センチ間隔「1本植え」にします。種子は替えます。
 耕運機のあとは草刈り機で電気柵の下を刈りました。ツボミオオバコがびっしり生えていました。
 一日中よく働いたなー。
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草だけでなく、ムシも活動します。

2013年05月14日 04時09分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 5月から8月にかけては、草が目ざましく伸びてきます。そしてムシも目ざましく活動します。
                  
 我が家ではカマキリは大事なお友だちとして保護することにしています。いろんなムシを食べてくれるから。道子さんは秋の暮れにカマキリの卵を見つけると、小鳥に食べられないように小屋にしまっておきます。そのカマキリが卵から生れる季節になりました。1つの卵から200匹の小さいカマキリが、ズワズワ生れてきます。でもほとんどは小鳥に食べられてしまい、一人前のカマキリになってムシをとるのは200匹生れて1匹だそうです。歩留まりをよくして、頑張ってもらおうと、保護しているのです。
 ナナホシテントウはアブラムシを食べてくれますが、「テントウムシダマシ」の異名を持つニジュウヤボシテントウは野菜の葉っぱを食べてしまいます。野菜をつくる人間から見ると、けしからん害虫です。
                  
 写真のように背中の点が多い。これを見つけたら、指ではさんで潰さねばなりません。道子さんは卵のときに見つけて潰します。ぼくは、たまに葉の裏に卵を見つけたりすると、「これ、何の卵?」と道子さんにきいて、教えてもらいます。
 草も元気、ムシも元気、おじいさん・おばあさんも元気です。それぞれが、それなりに、活躍する季節になりました。
 
 
 
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みんなでイチゴを食べました。

2013年05月13日 02時56分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 イチゴが採れています。きのうは孫たちがやってきて、ネット・ハウスに入り、イチゴを収穫しました。それを洗い、一人分ずつお皿に盛って、みんながたっぷり食べました。最近はいろんな品種の苗が出まわるようになりましたが、我が家の見解は「やっぱり『宝交』が、やわらかく、あまくて、一番おいしい」。
 最近アマゾンでいろんな買物をして、段ボールが溜まり、本も整理して、捨てるのがいっぱい出てきました。いい本はアジア図書館に持っていくつもりですが、ボロボロの絵本などは捨てます。きのうブログに載せた、浜田廣介の『ないた あかおに』は、読みすぎて紙がヨレヨレになり、さわるのを躊躇(ためら)うほどです。捨てました。
                   
 田舎は、道端の空き地にコンテナが置いてあり、無料で引き取ってくれます。軽トラに段ボールや本を積んで、捨てに行きました。軽トラは実に便利です。
 ところで、二人の娘に「絵本捨てたよ」といったら「エッ? 『ないた あかおに』も?」。ネットで調べたら、昭和40年発行の偕成社の『ないた あかおに』はまだ出版されています。新しい本を購入して、あげることにします。
 ソラマメにアブラムシがつきはじめました。アブラムシは麦が大好きです。だから「麦に誘引して、他の作物につくのを避けよう」と、麦の横にソラマメの畝をつくりました。
 あーそれなのに。
 ナナホシテントウが茎にとりついて、アブラムシを食べてくれますが、とても食べきれません。
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