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評価主義って馴染まないかも・・・

2006年10月27日 21時36分58秒 | たまには金融・経済の話でも…
街角ウォッチング:団地の空き地にて:キバナコスモス

最近、巷で良く聞く、成果主義とか成果評価と言う言葉。感覚的には、実力主義と言った方がピンと来るのでしょうか??外資系の企業では当たり前の言葉なんですが、日本人の私としては、どうしても割り切れず、馴染めない言葉ですね。

私達、事務方にとって、歩合制の営業職等とは違い、稼ぐものが無いので、成果を評価するツール自体が曖昧なんですよね。例え、基準を設定していてもちゃんと評価して、年俸に反映しているのか・・・?本当に難しい問題だと思います。

会社側はどう年俸を振り分けているのか?一般的には、多分、部署単位で給与の原資の大枠が決まっていると思います。いくら成果を上げても大枠以上のものは無いと言うこと。旧全だったら、だいたい、平準化されていたけど、例えば、給与原資が300だった場合、旧全の場合、年次が同じならA、B、C、共々100の支給となり、各々が満足するような仕組みでありましたが、これが成果主義を導入するとなると、何らかの成果表によって、Aが110、Bが100、Cが90支給と言うように差が出てきます。

多分、110もらったAは非常に満足して、90のCは、どう違うのかわからず不満が募ることになります。 次の年に、例えばAが100になって、「-10」減額されたとすると「100」が標準でまあまあにも関わらず、昨年110、もらっていた時より下がっているので不満に思うんですよね。

一度、高い評価を得て、給与がアップするとそれがだいたい標準化(110)され、実際の標準(100)と思いがすり変わってしまいますよね。その為、実際の標準でありながら不満が増大してしまい、これらを繰り返し体験するとA、B、Cがどんなに頑張っても総枠の中で上下が生まれ、不平不満が各々蓄積され、増大して行きます。給与によって、モチベーションを高めようと言う行為が反対にモチベーションの低下に繋がってしまうのです。

給与が下がった場合は、どうして下がったのか?評価者は、充分に説明する義務があります。 評価基準が事務方全ての部署で、統一的になっているか?それも疑問です。特に日本人は、評価する事に対して、個々の思い込み(割り切りが出来ない)が入るのを否定できません。どんなに研修を受けても評価を公平に数値化する事は不可能だと思います。どうしても、評価者の主観が入ります。本来、事務方の仕事の評価は、内容によって、ウエイトをかけるべきであり、それを対象者全員に周知徹底させるべきだと思うのですが、それが欠けているような気がします。

また、企業の業績によって、当然、総枠が少なくなる事もあります。そのような場合、どんなに頑張っても給与が下がる事もあるので、成果主義/評価の導入には、日本人の私達が充分に納得できる評価体制を組み立てて欲しいと思う今日この頃・・・評価は、絶対に評価者の主観が入る・・・!!! 独断と偏見で書いてみました。

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