1か月も前から気をもんでいた私の介護体験発表 昨日7月16日何とか済ませました
内容は用意できていたが4回、5回と大幅に変更を繰り返し、当日のその時間にまた変更して終わってみると支離滅裂だったようだ!?
一周忌を済ませて、まだ1か月少しなので看取り期間前の記憶はほとんど思いだせない。
記憶が喪失してしまったのかも?
初期からの記憶は記録を見てもあまり蘇ってこない
私には今の段階で介護体験を語るのは大変な苦痛だと認識しました。
看取り介護に入る2か月ほど前食事介助中に、3年以上意思の疎通が全くなかったのが突然もういいですと私の心というより魂に伝わってきたのです
私の願い「どんな形でもいいからいつまでの生きていて」…に、もう限界です と受け止めた
この時点からスケジュールがあるかのように6月4日(永眠)を迎えることになった
看取り介護に入って59日後の平成28年6月4日午前5時51分永眠
この先、心の整理が付くまで介護体験談発表は封印します(体験内容がどうしても満足に書けなかったので)
今後、月1回の介護家族会では聞き役専門で臨みます
改めて介護家族会は私たち介護家族には心のよりどころだと再認識しました
私は親の介護はしたことはありますが
配偶者の介護は幸いまだありません。
親の時とは違うことがいろいろあるのだと思います。
ただ、聴くということは共通しているのではと感じます。
当事者の思いを聴く、苦労を聴く、愚痴を聴く等々・・・心のよりどころは有り難いと思います。
本当にお疲れさまでした。
本当に疲れました。
妻が意思の疎通が図れる段階ならば介護体験は話せますが、終末期になり植物状態になってからは私には体験談を語るのは無理だと引き受けてから気が付いたのです。
ので、すごい重圧だったです。
結局、支離滅裂な内容で終わりました。
私は三回忌も終えたし、親なので、当然(普通に年齢で考えれば)自分より先に逝くことは承知の上なのに、それでも、辛い。
認知症の過酷さというか……
ブログで文字にするのとは全く別だろうな……と想像します。
きっと、介護中のほうがいろいろ話せる。
介護の終わりは永遠の別れだから、時間の経過とともに、様々な想いがわいてきて……
なんだか最近は
自分の介護が下手だから誤エン性肺炎にしてしまった……という後悔が先に出てしまいます。
ここ一か月これほど悩むとは想像出来なかったです。
今となっては初期・中期の頃の問題行動で振り回されていた事が
皆、懐かしく思い出します。
終末期は一心同体でアルツハイマー病と戦っていたのだと思います。
なにしろ、水分のみの点滴だけで59日間も頑張ったので、
悔いを残すことはありません。
永年の趣味のヘラブナ釣り本格的に復活しました。
体験発表は苦痛でもあったのでは・・・?
この先何年かすると落ち着いて又話せる時がくると思います
それまでどうぞ趣味のへらぶな釣りを楽しんで下さいね
思い出しても、今まで何回も介護体験談を拝聴してきましたが
配偶者の看取り終わっての体験談は殆んど(一回だけ)
聴いたことがなかった
回復に望みをもって介護している方々に話す内容でなかったと後悔しています。
私には一生飽きないヘラブナ釣りがあります
専念します