『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

旅の3日目・・・和歌山から奈良へ

2022年06月11日 | 旅行

二泊目の宿は、奈良市内にしました。

和歌山や有田の海辺もとっても魅力的だったのですが、

家に帰る距離のことを考えると、

(初日の走行距離は500㎞を超えましたので)

少しでも近いほうが、主人の負担が少ないかな、と思いまして。

 

奈良は、いつでも魅力がいっぱいですよね。

まだ学生だった娘と一緒に、法隆寺を半日かけて観たことがあります。

修学旅行やツアーでは、じっくり時間をかけて観る、ということはできませんから。

今回は、古墳を巡ってもいいかなあ・・・、とも思いましたが

主人が関心を示さないので(苦笑)

宿から近い、唐招提寺~薬師寺~東大寺(二月堂)と巡りました。

 

昨年秋、用事で長野に行ったとき、

東山魁夷館で開催されていた「唐招提寺襖絵展」を見たので、

今度は、鑑真和上の像が見られるといいなあ、なんて

安易に考えておりました。

風情のある土壁の脇を通り抜けると、例の「御影堂」が見えてきます。

ところが、なんと!

『御影堂』は明日が「落慶法要」だという案内でした。

そっかあ! まだ出来上がっていなかったのかあ・・・。

 

多くの人が出入りし、準備の真っ最中。

明日は、落慶法要後、招待者のみ観覧でき、

その後一般公開するようですが、

それらは予約制で、すべて予約で埋まっています、とのことでした。

 

次に訪ねたのは「薬師寺」

中学校の修学旅行以来です。

<南門前から東塔を望む。>

 

<西塔>

 

 

さて次は、今日一番の目的、東大寺二月堂。

お水取りの儀式、修二会が行われる場所。

この勇壮な儀式を見てみたいなあ、という思いもありますが、

なかなか長野県からは、ね?

それで、せめてその舞台になる東大寺二月堂を、ということで

大仏様には目もくれず(以前、娘としっかり見ておいたので)

二月堂に直行しました。

 

あの回廊を、でっかい松明をかついだ僧侶が、火の粉を散らしながら走り回ります。

 

実際に回廊にも上ってみました。

そこから、奈良の市街地が一望できました。

 

休憩所に、実際に使用するのと同じ松明が展示してありました。

 

二月堂が創建された天平勝宝4年(752年)から、

この修二会の行事が続いているなんて、すごいなあ・・・・・。

(ただし、当時の建物は一度失火により焼失しています。)

 

今度は、水を送る側のお寺、

福井県の「神宮寺」に行こうと思いました。

 

 

 

 

 

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旅の2日目・・・十津川村と野迫川村

2022年06月10日 | 旅行

私たちの旅は、

あんまりコースをきちっと決めずにドライブするのですが、

2日目も、どんな道かもよく確認せずに走っていました。

十津川村から高野山に抜ける道路がある、ということだったので、

国道168号(十津川街道)を1時間ほど走って、

五條市の方には抜けずに、山際交差点を左折して

高野天川線(県道)を、高野山目指して走りました。

途中の山道では、

材木を摘んだ大型トラックにあっても、

すれ違うこともできず、

狭い急な坂道をバックする羽目に陥ったりして

運転する主人は大変だったと思いますが、

なかなか面白い道路でした。

 

その山道で、選挙カーに会いました。

それも違う候補が2台。

こんな山の中で・・・・

見渡しても山ばかりで、およそ集落なんかないけれど・・・・

あっても、川沿いに2~3軒。

 

先日、知人の市議選を手伝ったばかりの私たち二人は

たちまち興味をそそられて、

一体、何の選挙だろうと検索してみましたら、

「野迫川村村長選」とありました。

 

そうか、今通っているこの山あいの地区は、

野迫川村(のせがわむら)っていうんだね。

それにしても、わずか2~3軒しかない集落に

わざわざ車から降りて、住民と握手する候補たち。

この村全部回るのも大変だよねえ、

そんな感想を持ちました。

 

金剛峰寺を出た後、また山の中のすごい道を走って、

和歌山県有田川町のあらぎ島を見にいったのですが、

その道路、あとで調べたらなんと国道でした。(371号と480号)

国道ならぬ、「酷道」でしたけれど・・・・(苦笑)

そして、その道路も「野迫川村」を通っていたのです。

 

「野迫川村」について調べました。

奈良県吉野郡野迫川村。

村内の可住地面積割合は、2.1%。(全国の自治体で最も少ない。)

   ・・・山ばっかりだから無理もないと思う。

2022年5月1日現在の、村の人口は357人。(これまた、全国の自治体で最も少ない。)

   ・・・それなのに、村長選挙するの?

   ・・・357人だったら、村内でうまく決めることはできなんだの?

そして、選挙結果まで調べてみました。

(当選)Aさん、村の課長さんだった人、172票

(次点)Bさん、副村長だった人、113票。

   ・・・こういうことになるじゃんね。

   ・・・小さな村内で、しこりを残さなければいいけれど・・・、

と、いらぬ心配をしたのでありました。

 

  参考までに、当日の有権者数、311人。

  投票率は、なんと! 93.93% とのことでした。

  18歳未満の人口が、46人しかいない、ということだよね。

 

 

 

 

 

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熊野古道を訪ねて(2日目)・・・山の中のドライブ

2022年06月09日 | 旅行

十津川村は、日本で一番大きい(面積が)村なのだそうです。

そういえば、日本で一番長い「路線バス」が走っているとか、聞いたことがあります。

 

十津川温泉を出て、この村を抜けるのに、

およそ1時間、山の中を走りました。

深い谷もありました。

「谷瀬のつり橋」も見てきました。

向こうまで渡ろうと挑戦する人たちがいたけれど、

私たちは、「見てるだけ~」に留めました。

 

旅の2日目、

この日は、特別に「どこ」と言って決めてなかったので、

数日前に、ちらっと「こころ旅」に映し出された

和歌山県「あらぎ島」を見にいくことにしました。

高野山はちょうど通り道になるので、

あんまり興味はなかったけれど、「もうこんなところまで来ることはないだろうから」

ということで、ちょっと寄ることにしました。

 

まあまあ、本当にこの辺は山奥で、

宿を出てから、山の中ばかりを走ること2時間、

高野町の中心参道に出ました。

 

高野山金剛峰寺を見学。

 

 そして、「あらぎ島」を目指して出発!!

 

これまた、山の中ばかりを走りることおよそ2時間。

「本当にこの道路であってる?」と疑いたくなるような道、

「ナビどおりだよ!」と主人。

「南信州のほうが、まだ都会の山かもね、

 だって向こうのほうが、山の中が明るいもの。」

 

そんな不安に駆られながら、出てきた集落は

和歌山県有田郡有田川町 清水 という場所なのかな?

観光案内を読むと「公共交通機関は充実しておりません」と出ます。

が、「日本の棚田百選」に選ばれており、

ぽつぽつと、私達みたいな観光客がいました。

 

 

 

 

う~~~む。

長野県のド田舎から、

和歌山県のこんな山の中まで、わざわざ観光に来る私たちは、

「変わり者夫婦」なのかもしれない・・・・(苦笑)

 

 

 

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熊野古道を訪ねて(2)

2022年06月08日 | 旅行

京の都から、熊野詣でをするには、「小辺路」のほかに

「中辺路」と「大辺路」とがあります。

「小辺路」は主に、

高野山をお参りしてから熊野にお詣りする目的で使われました。

この路は、生活道路として使われていたものを、

近世以降になって熊野詣でに盛んに使われるようになった、と言われています。

 

熊野古道で、一番有名なのは「中辺路」です。

田辺市を起点として、

本宮(熊野本宮大社)・新宮(熊野速玉大社)・那智(熊野那智大社)に詣でる参詣路です。

907年に宇多上皇が初めて参詣してから、300年近く

多くの上皇・法皇・貴人などがこの路を使って詣でたそうです。

 

若いころ、那智の熊野那智大社には行ったことがあったので、

今回は、速玉大社と本宮大社に詣でました。

 

本宮大社の近く、国道168号線沿いに「道の駅 熊野古道ほんぐう」があります。

そこの展示室には、当時「蟻の熊野詣」と言われるほど流行した(笑)

上皇や法皇の熊野詣の様子を、漫画風の絵巻にして展示してあって、

平安時代中期から後期の、大変厳しい熊野詣の様子がよくわかりました。

 

本宮大社は、速玉大社とは、全く趣が異なります。

 

創建当時(崇神天皇65年)本宮大社は熊野川の中州にあったそうですが、

明治の時代に大水害にあって、現在の場所への建立となった、とのことでした。

 

熊野川沿いに、国道168号(十津川街道)が走っていて、

新しいバイパスも開いていたけれど、

あえて、この街道を通って十津川村に入りました。

 

信州も山ばかりだけれど、

奈良も和歌山も、山の中だなあ・・・、と思ったことでした。

 

「木曽路はすべて山の中」ならぬ、

「熊野古道は、すべて山の中」です。

 

 

 

 

 

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熊野古道を訪ねて

2022年06月07日 | 旅行

三度目の正直、

三年目にして、ようやく念願がかないました。

 

この、ポスターのところに行きたい!、と思ったのは

まだ、現役で働いているころ。

NHKの「新日本風土記」だったか、「小さな旅」だったか忘れたけれど、

このポスターのおばあちゃんも登場した、その時のTV番組。

(もしかしたら、あれは再放送だったのかもしれない)

ようやく自分の時間が持てて、2020年春、

旅行の計画を立てたところに、このコロナ禍。

予約、キャンセルは3回も繰り返し‥‥あれから待つこと二年。

 

念願の熊野古道(小辺路)に行ってきました。

 

ポスターにあった民家の前が、石畳の熊野古道(小辺路)。

 

おばあちゃんと同じように、縁側に座らせてもらいました。

 

高野山と熊野本宮大社を結ぶ険しい山道。

その古道に沿って十津川村の「果無(はてなし)集落」があります。

この古道は、集落の生活道路でもありました。

もうこれ以上、上に道はない、集落はない、

という場所です。

(実際、車は行き止まり。この道をさらに登れば、山の中に入ります。)

 

そして「世界遺産」

 

私たちは車でここに行きましたが、

もちろん、昔の人のように、古道を歩く観光客もいるようです。

 

 

数百年も使われているであろう、石畳。

 

 

静かで・・・・、静かで・・・・・。

 

時が止まったかのようでした。

 

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