“イグネ(居久根)”とは、つまり屋敷林のことです。
「くね」は地境のことです。
冬の寒さや夏の暑さに耐えるよう工夫がなされていたわけですね。
“散居”とは、田園の中に、散らばって居住している様子ですね。
家々は、点在しその周囲には屋敷林があり、東北の田舎に行くとよく見られる風景です。
私の好きな風景でもありますね。
日本散居集落を代表するのは
●富山県の砺波平野(屋敷林はカイニョと呼ばれているそうです)
●島根県の出雲平野(屋敷林は築地松【ついじまつ】と呼ばれているようです)
維真尽(^_^)さん?
呼び名あってますか?
●岩手県の胆沢平野(屋敷林はエグネと呼ばれています)
宮城県では「イグネ」と言いますが、胆沢では、チョット変化したようですね。
岩手県になってますが藩制時代は、仙台藩です。
ですから宮城にも多く見られます。
それでは、何故散居にしたのでしょう?
隣家が近ければ、色んな面で助かることが多いのではと思うのですが?
町役場の人に聞いた話しによると、広大な田んぼが一面に広がっていると、これだけ広ければ…と年貢を増やされてしまう。
しかし、家々を点在させれば、田んぼの面積が小さく見えます。
それを聞いて私も納得でした。
胆沢とは、平泉の北側で平安初期、征夷大将軍 坂上田村麻呂が胆沢地方(実際には水沢市)を本拠地として蝦夷のアテルイを征伐するために築いた胆沢城が有名です。
イグネと仙台藩の関わり
江戸時代に仙台藩が推進した植林政策が大きなきっかけとなっているようです。
森林や樹木の資源性を大きく評価した仙台藩は熱心に植樹を進め、伐採を厳しく制限し、森林保護に取り組みました。
政宗の側近が残した記録『木村宇右衛門覚書』には、政宗が仙台周辺に数多くの杉を植林させたと書き記されています。
仙台藩領の海岸沿いに広がる松林も、政宗の時代に紀州から種を取り寄せて育成された! という伝えが残っています。
イグネは風雨から家を守り落ち葉や下枝は燃料や肥料となり、人々の生活に大きな恩恵を与えることになりました。
しかし、樹木の伐採は、たとえ家主でも厳しく制限されたようです。
江戸時代後期、仙台藩領の農村の生活にイグネが欠かせないものとなり、明治維新後、藩の規制が無くなっても農村の人々はイグネを守り、今に生きづいているのではないかと私は考えます。
この風景を無くしていけないと思いますね。
自給率の悪い日本には、無くてはならないのです。
森林を守り、農村の人達と支え合い、この国と自然を破壊してはいけないのです。
森林を守ると云うことは結果、海も守ることになるのです。その話しはいずれ……
また、今日も長々とすみません m(_ _)m
PS:伊達政宗公は黒松を好んだと聞いてます。
ちなみに南部藩の殿様は赤松を好みました。
ですから、岩手は松茸の宝庫です。
松茸刈りをする人は暗いうちに家を出て、その場所は家族にでさえ教えないそうですよ。
本日、退院します。心の支えになって下さった、皆様に厚く御礼いたします。
ありがとうございました。 m(u_u)m
これからも宜しくお願いします。 (ノ^^)八(^^ )ノ
「くね」は地境のことです。
冬の寒さや夏の暑さに耐えるよう工夫がなされていたわけですね。
“散居”とは、田園の中に、散らばって居住している様子ですね。
家々は、点在しその周囲には屋敷林があり、東北の田舎に行くとよく見られる風景です。
私の好きな風景でもありますね。
日本散居集落を代表するのは
●富山県の砺波平野(屋敷林はカイニョと呼ばれているそうです)
●島根県の出雲平野(屋敷林は築地松【ついじまつ】と呼ばれているようです)
維真尽(^_^)さん?
呼び名あってますか?
●岩手県の胆沢平野(屋敷林はエグネと呼ばれています)
宮城県では「イグネ」と言いますが、胆沢では、チョット変化したようですね。
岩手県になってますが藩制時代は、仙台藩です。
ですから宮城にも多く見られます。
それでは、何故散居にしたのでしょう?
隣家が近ければ、色んな面で助かることが多いのではと思うのですが?
町役場の人に聞いた話しによると、広大な田んぼが一面に広がっていると、これだけ広ければ…と年貢を増やされてしまう。
しかし、家々を点在させれば、田んぼの面積が小さく見えます。
それを聞いて私も納得でした。
胆沢とは、平泉の北側で平安初期、征夷大将軍 坂上田村麻呂が胆沢地方(実際には水沢市)を本拠地として蝦夷のアテルイを征伐するために築いた胆沢城が有名です。
イグネと仙台藩の関わり
江戸時代に仙台藩が推進した植林政策が大きなきっかけとなっているようです。
森林や樹木の資源性を大きく評価した仙台藩は熱心に植樹を進め、伐採を厳しく制限し、森林保護に取り組みました。
政宗の側近が残した記録『木村宇右衛門覚書』には、政宗が仙台周辺に数多くの杉を植林させたと書き記されています。
仙台藩領の海岸沿いに広がる松林も、政宗の時代に紀州から種を取り寄せて育成された! という伝えが残っています。
イグネは風雨から家を守り落ち葉や下枝は燃料や肥料となり、人々の生活に大きな恩恵を与えることになりました。
しかし、樹木の伐採は、たとえ家主でも厳しく制限されたようです。
江戸時代後期、仙台藩領の農村の生活にイグネが欠かせないものとなり、明治維新後、藩の規制が無くなっても農村の人々はイグネを守り、今に生きづいているのではないかと私は考えます。
この風景を無くしていけないと思いますね。
自給率の悪い日本には、無くてはならないのです。
森林を守り、農村の人達と支え合い、この国と自然を破壊してはいけないのです。
森林を守ると云うことは結果、海も守ることになるのです。その話しはいずれ……
また、今日も長々とすみません m(_ _)m
PS:伊達政宗公は黒松を好んだと聞いてます。
ちなみに南部藩の殿様は赤松を好みました。
ですから、岩手は松茸の宝庫です。
松茸刈りをする人は暗いうちに家を出て、その場所は家族にでさえ教えないそうですよ。
本日、退院します。心の支えになって下さった、皆様に厚く御礼いたします。
ありがとうございました。 m(u_u)m
これからも宜しくお願いします。 (ノ^^)八(^^ )ノ
でも無理しないように、気をつけてくださいね。
私の嫁ぎ先にもエグネあります。
春には目の前で花粉が風に飛ばされる様子が見られます。
花粉症の私には、恨めしいエグネなのです・・・。
点在する築地松の家~
まさに
ふるさと~ですね
点在するから~
これまたいいんですよ (^_-)-☆
やっと自宅からです。
杉の木が赤くなって、黄色い花粉が舞うとゾッとしますね。
私もスギ花粉ありますよ。
昔、仕事で毎年田植えや稲刈りに来ていた。関西放送のラジオ番組があって、そのアナウンサーが出雲出身と言ってました。
イグネの話になって、家では築地松って言うんですと言ってたのを思い出しまして。
ボチボチやります。
退院、おめでとうございます
帰った時って、何か違うところに来たみたいでしょ。
以前に長期入院して、家に帰った時、見慣れていた家が違うところに来たみたいな不思議な感じがしたものです。
無理せず、ぽちぽちですね~
勉強になりました。
退院、おめでとうございます。
まだお客さんのようです。
病室が落ち着くような・・・?
昔は、車があるわけじゃないので、役人にあの山の裏はどうなってる? と聞かれると田んぼがあっても、適当にごまかしていたようです。
今頃はおうちでのびのびしてるところでしょうか?
しばらくはあまり無理をせずに…ですよ。
よかったですね
退院おめでとうございます。
我家は一番です。
無理をせずに過ごして下さい。
いぐね・・・
母の実家にもありました。