まだ早いかな。と思いながら春の息吹を探してみました。
いました。蕗のとうを妻が見つけました。
どこどこと何度も確認しながら、やっと見つけました。
私は、自分の書いたものを読み返すことがあります。
読者の皆さんが、複数見ておられる記事を見るようにしています。
タイトルを見るだけで何を書いているのか思い出します。
一生懸命書いた記事と、眠いのを我慢しながら書いた記事の違いはすぐに分かります。
書き続けているから、何かが蓄積されたようでもないし、
思索がさらに深まるというものでもありません。
ただ、毎日の生活に、心の変化があるのだと気づきます。
体調も違うのでしょう。
熱意が続けさせているんじゃないかと思います。
今日こそはと思うのか、つらつらと思いを綴っています。
一生懸命さがあります。その時の精一杯が見えます。
その時にしか湧いて来ない思いが残っています。
それを読んでいると、力が湧いてくることがあります。
昨日は、眠くてしかたがありませんでした。
身体の節々が痛かった。
日課のように絵を描き続けています。
良い絵もあれば、そうでもない絵もあります。
文章も同じです。
書き続けなければ解らないことがあります。
前はこんな風に考えたけど、描いたけど、こうじゃないかなと試行錯誤しています。
心の変化、感じ方が違います。
良く寝て疲れがとれたのか、気分が違います。
不思議とどこも痛くはありません。
こうして毎日を過ごしてきました。
毎日が一生懸命なようで、実は適当に調節しています。
調節して生きているんでしょう。
毎日の思い方、感じ方が違います。
心のひだにかかるものが違います。
毎日体調はことなりますが、なんとなく感動する力が湧いてきます。
これを毎日待っています。ルーチンワークをこなしながら待っています。
何とかしようとしてはいますが、なかなかこなせない。
負荷をかけると、身体が悲鳴を上げます。
休ませてやれば、身体も精神も前よりちょっとだけ強くなって復活するようです。
感動がまたできるようになります。
挑戦がまたできるようになります。
続けることは、義務感ではありません。
今日の自分の調子はどうかなと軽い気持ちでやっています。
絵を描き始めると没頭できます。考え始めます。
そして疲れます。
疲れるが先になると、始まりません。
そのうち、力が湧いてきます。
なにやらよく解りませんが、なにしろ取りかかることが次の力を引き出すような感じです。
初孫が 一歩歩いて つかまって
2016年2月8日