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ヒマラヤ杉の雄姿です。
存在感があります。庭師はここまで想像して植えたのです。
性善説。
人間の本性は善であり仁・義を先天的に具有すると考え、
それに基づく道徳による政治を主張した孟子の説。
荀子の性悪説に対立。
と広辞苑に出ていました。
どう考えても、性悪説にたどり着きます。
性悪説故に、教育というものがあるような気がします。
解らないのは、赤んぼの愛くるしい笑顔です。
癒されます。
人は、大事にされたり愛されると、とても良い顔をして応えてくれます。
これは、どうやら持って生まれたものです。教えられたものではありません。
法律は、知恵の結集です。
過去の賢人が、反省を踏まえて練りに練った決まり事です。
実情に合うように、解釈を加え皆で話して改善(改悪)します。
皆兵制度も同様な経過をたどりました。
戦争に行けば、殺し合いとなります。
こんな残忍なことが良くできるものだと、後に驚きます。
可愛い子どもでさえ、家庭内暴力で阻害されます。
教育といって折檻をされます。
モラハラ、パワハラやセクハラも後を絶ちません。
毎日のようにニュースになっています。
まともな親こそ悩みます。
この子の将来は?と。
いつまでも、親子関係は続きます。
いつまでも上下関係が存在します。
私は、子供を「さん」付けで呼ぶようにしました。
母は、私達のことを小さい頃から「さん」付けで呼んでいました。
気持ちが変わります。もう上下関係は存在しなくなりました。
親子ですが、子供は立派な大人です。
再婚がきっかけでした。
家を出る決心をした時からです。
「盗人にも三分の理」
(どんなに筋の通らない事にも、理屈をつければつけられるものである:広辞苑より)
刑事は、人の悪いところばかり見てきます。飽き飽きすることでしょう。
とんでもないことが起こったり、言ったりされます。
私は、黙っていません。
私の言葉(理屈や考え)ではなく、相手の言葉で話します。
分ってもらう努力をします。
腹が立つのは、毎日のこと。
周りの人も同じような状況でしょう。
ささいなことで、感情がささくれます。
同じように、小さな励ましや理解の言葉や笑顔で、視界が明るくなります。
どちらも自分です。
性悪説と性善説のどちらも正しいような気がします。
短い時間で決着をつけるとなると、「性善説」をとりたい。
理由は、性悪説で説明するより、
性善説で説明できることが多いからです。
性悪説は、頭では理解できます。
しかし、溢れてくる感情の説明にはならない。
性善説でないと理解できない。
感動は、理屈ではないのです。
教育で身につけるものでもありません。
不思議です。
長いこと生きてきました。
先人の言葉を聞いてきました。
飯を食い、働いてきました。
感動はどうしようもないのです。
この頃は、涙腺がゆるくなりました。
これも仕方がないこと。くしゃみをしたら、ちびりますから。
諦めないで、性急にならないで人生の最期まで考えてみます。
満員に アイコンタクト 席譲る
2016年2月15日