故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

なんとなく、むしゃくしゃ

2016-03-16 07:26:53 | よもやま話

やれることをやる。
ただ、それだけです。
それもやらないで、四の五の言っても始まりません。

考えても言わない。
言っても責任をとらない。
そんな報道姿勢を糾弾する場面がありました。
公共放送は、公共性を有するべきだ。
それが守られない場合は、電波を停止すると大臣が発言されたそうです。
その通りでもあるし、その通りでもないようです。
公共の電波を利用する限り、公共性を保つ自浄作用が働かなければならない。
それを判断するのが誰かということが抜けています。
主語がない話なんてもう聞きたくない。
かつては、偏った判断基準が段々と閉塞感につながっていった。
誰かが、方向性を持った判断基準を示し、何となく追随していった。
「誰か」が問題であったはずです。
「誰か」がいろんな人ではなく、もちろん国民ではなかったことが問題だった。

今日のテーマは、「なんとなく、むしゃくしゃ」です。

公共性、公平が戦後教育の大きな判断基準でした。
皆が、平等の教育機会を持つよう努力してきました。
理解できないまま、次の段階に入っていかなければならない。
これだけは理解しなければならない、教えなければならないと誰(先生、親)もが思いました。
出来ない子も、出来る子も突っ走ってきました。
試験で篩い落とされて、数人の子供が栄誉を勝ち取りました。
篩い落とされた子供達は、敗者のイメージをなんとなく背負わされました。

篩いの上に残った子たちが時代を形成していきました。
大企業に入り、官僚になりました。

私は、それが意味があることなのか、はなはだ疑問です。
できる子は、出来ない子に教える。できる子も理解するまでは出来ない子だった。
できる子が教える暇もなく、次々にテーマが与えられる。
出来ない子は、教えてくれるできる子に尊敬と友情を感じました。
出来る子は、出来ない子がなぜ出来ないか知らずに育つようになりました。
かつての勉強が出来ない子は、勉強ができる子に、「かけっこ」はこうすると早く走れると教えることができました。
平等、公平はそんなことでも保たれていました。
それが、判断基準(勉強ができる)が偏ってしまい、多くの不平等が生まれました。

勉強ができる子は、会社に入っても勉強ができる証(何々大学卒業)を振りかざして優位性を唱えました。
同じ価値観の成功者(社長、役員)の成功体験に流されて、会社の倒産まで異を唱えないのです。
中小企業では、学歴は半分程度大事にされます。零細企業では、それが何だとなります。
やる気と工夫が優先されます。皆が大企業には入れない。

平等、公平は、時として間違った方向に導く旗印になってしまう。

金持ちと貧乏の比率が、「2」を越えているのがヨーロッパや日本です。
これが、「4」を越えると不満がくすぶり始め、「5」を越えると革命が起き、
「6」を越えると戦争になると言われています。
中国は、「5」に近い数字です。年収3万円の人が国民全体の4%もいる国です。
危ない国家です。内乱が心配です。

日本だっておかしい。
同じ仕事をしても、給料は半分の人が多い。
公共事業の役所だって、臨時採用の人が20-25%近くいます。正社員と似た仕事をしています。
その人達は、生活に苦しんでいます。子育ても厳しい、その前の結婚さえ難しい。

貧乏が悪いとは言いません。
それなりの理由がありますから。

平等でない社会です。
それなりの生き方があるはずです。
お金を得るには、それなりに努力が必要です。
自分の時間を、お金儲けに捧げなければなりません。
失うものも多い。
お金はないけど、時間はある。
家族で食事をとれました。
今は、時間も団欒も根こそぎ奪ってしまう。
掛け持ちでパートタイマーとして働かなければならないからです。
でも、一生懸命生きています。

それなのに、平等、公平を唱える。
いろんな意見があるのは当たり前です。生きている立場が違います。
どこに基準をおいた平等を言っているのか疑問です。
だったら、いろんな意見が出てもいいじゃないかと思います。
それが自然です。

少しすっきりしました。
私は、出来ることをためらわずやっていきたい。
誰々がやる仕事じゃないかなんて思いません。
やれることを、やれる人がさっさとやれば良い。
平等、公平を唱えるあまり、窮屈になるようでは主旨から外れます。
お互いに検閲が始まり、無責任がいつのまにかはびこるからです。


さてさてと あっさりさーと 生きよかな

2016年3月16日

コメント
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