絵のタイトルは、「僕一人で渡れるよ」です。
重そうなリュックを背負って、小川を渡り切った孫の姿です。
手を貸すこともなくなりました。犬が驚いて嬉しそうです。
今日のタイトルは、「学ぶ」です。
妻との何の時、もうちょっと上のほうと何度も教えられます。
申し訳ない、覚えが悪くて。
のっけから、馬鹿な話です。
年を取ってくると、教えることばかりで学ぶことがない。
年長者故に、経験を後輩に伝える機会は増える。
退職して、後輩がいない人たちはどうするか。
まさか、奥さんや子供たちに仕事の流儀について語ることは、もうありません。
肩書通りに威張っていた方が、陥り易い危険なことです。
会社では、部下がなにかと面倒を見てくれる。
お客さんが来られると、事務方の女性がお茶を淹れてくれる。
これは、役割であって仕事ではない。たまたまのことである。
これに慣れてしまって、家でも黙っていればお茶が出てくると勘違いしてしまう。
家庭に入ると、悪いけど役に立たない。
会社に行ってくれた方が楽だわという奥さんの暗黙の希望に応えて出かける。
どこに行っても、初めてのことばかりで俺のことなんて知らない。
会社では、あんなに重宝されたのにとなります。
いいや、皆さん肩書に敬意を払っただけで、けっして個人に対してではないのです。
新しい土地に来て、左も右をわからない。
誰からも期待されない自由な時間も過ぎました。
気づいたら、教えることは何にもなくて、学ぶことばかりでした。
これまで培ってきた技術を活かし、何か新しいことを始めることもありません。
言ってみれば、真っ白で「役立たず」でした。
今日書きたいのは、少し違う「学び」です。
2015年6月13日投稿記事「墨だし屋に、荷揚げ屋」では、
「監督と業者は、仕事の手順や納まりについて楽しく話しています。
厳しい現場ですが、プロの集団は自分の役割が分かっていて
実に機能的に絡み合っています。そしてお互いの仕事を尊敬しています。
応えるかのように、こなします。」と書いています。
プロの集団は、「互いの仕事を尊敬する」このことです。
2017年9月17日投稿記事「工程表」では、
「工程表は、よく考えた落ちのない物でないといけません。
私は、見積もりで決まった各社を工事前に集めました。
監督だけでなく、営業、設計、工事、下請け会社の責任者を召集しました。
工程表で、工事のシミュレーションをしました。
工事会社各担当に具体的なイメージを持ってもらうためです。
取り合いにおいては、各会社の計画を話してもらいました。
それでは困る、こうしてほしいと担当どおしの話し合いが持たれました。
工事前の話です。」と書いています。
プロフェッショナル達を集めた事前の工程打ち合わせは、実に効果的でした。
見積もり落ちを把握でき、各社の儲けが約束されました。
各社の担当者は、自社の儲けに専念しないで、互いの業種を尊敬し互いに便宜を図りました。
驚きの結果でした。工事が始まる前から互いを知り、持ってる知恵と工夫のシミュレーションでした。
私は、厳しい請負金額でしたが、成功(エンディングストーリー)を確信しました。
「学ぶ」ことは、誰かだけが得をすることではない。
互いを尊敬すれば、どちらも得るものがある。
そんな「学ぶ」姿勢は、永遠に果てることがない。
だから、人生は面白いとなるのです。
いつまでも、「学ぶ」ことに貪欲になれるのです。
自分の知恵と身体に相談しながら、やれる(役に立つ)ことを続けるモチベーションとなるのです。
学び舎は 室から外へ 宇宙へと
2019年9月8日
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