障子に映ったベランダの野菜の陰です。
開ければすっきりするのに、いつまでもぐずぐずしていました。
夜中に川崎にいる義兄から電話がありました。
気づいたのは早朝でした。伝言に「腹が痛い」とありました。
以前、緊急入院して一命が助かったこともあり、訪問看護の方に電話しました。
早朝にも関わらず電話に出てくれました。
朝一番に訪ねてくれると言ってくれました。
一か月前から、時々腹が痛いと言っている。
医者に何度か診てもらっているが、悪いところはないとも教えてくださいました。
ありがとうございます。
今日のテーマは「記憶を辿る」です。
昨夜食べたものではなくて、今朝のものを忘れてしまいます。
毎日の感情の変化なんてとても無理と、ブログを始めました。
仕事の関係上、一週間分の活動報告をしなければなりません。
週初めのことを週末にするわけです。
これは、なかなか大変なことです。
売上伝票や買い物のレシートなどをヒントに記憶を辿ります。
まだまだ覚えているもので、安心です。
年寄りになり記憶能力が落ちてくると、突然若い頃にフラッシュバックするらしい。
どの年代の記憶も乏しいと言えます。
特に、仕事の記憶があいまいです。
刺激が少なかったんでしょうか。
苦労話ばかりが、記憶として残っています。
記憶を残そうと思い出の品やメモを取っていました。
かみさんが亡くなった時、新しい妻と出会ったとき多くのものを整理しました。
子供達に残すものを念入りに整理しました。
なんのことはない。ダンボール一個にもなりませんでした。
記憶にしがみつくことも止めました。
一年以上使わぬ物、音信不通の者。
全部捨てました。
新たな出会いはあるもので、心配は必要なかった。
それでも、「記憶を辿る」ことをしなければならないことがある。
あの人は誰だっけと、話す前に大いに心配をします。
問題ありません。
面と向かったら、その人の名を呼んでいるのです。
いつからか、自分で覚えるのをやめました。
このことは、誰に聞いたら良いかだけを覚えるようにしました。
聞く相手が、少なくなってくるんでしょうね。
記憶の壺は、常に満タンです。
溢れるものを心配しても始まらないと開き直っています。
次に捨てるものは何かと楽しんでいる次第です。
捨てる神 拾う神あり 雨に晴れ
2017年6月26日
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