タイトルは、ガハハ。
真に面白かったのでしょう。
屈託のない笑顔です。
笑顔、泣き顔は自由に表現しても許されます。
ところが、不満顔、怒った顔は要注意です。
画面で、画像でチェックされます。
そして、その場にふさわしくなければバッシングです。
今日のタイトルは、「言論の自由」です。
過去、言論統制が何度となくありました。
戦中、戦後を問わずです。
プラカードがどうとか、子どもの喧嘩のようななすり合い、
ひっかきあいのような論戦でした。
思ったことは、何でも言っても良いということではありません。
良識ある発言が求められています。
その通りです。
でも、それを会議の冒頭で偉い人が言っちゃったら、意見は出なくなります。
どこかの大統領のように、私の言ったことを理解していますか。とチェックします。
部下は、一生懸命メモをとりました。自分の考えはそっちのけです。
考える暇も与えない。個人の意見は言わせない。
それが命取りになりました。メモがいっぱい残っちゃった。
秘密の言質が、メモになって、それも多数残って証拠になってしまった。
人の話は、その人の理解度に任せるしかありません。
秘密の話は、メモを取らない。
理解のためにメモしたものは、その場に残す。
メモは、頭の中に。
言論の自由でした。
調査分析したレポートがあります。
これに執筆者の評価がないとしたら、つまらないものになってしまいます。
SNSで発信される記事をよく見ます。
写真だけの、こんなことがありました。的な記事です。
載せた人の感動の言葉はありません。
見る人が感じてください。
それが良しとされる時代です。
確かに自分の意見を出すことは怖い。
顔の見えない何かが始まるからです。
それで良いのでしょうか。
皆が黙ってしまっては、コミュニケーションにはなりません。
勇気ある良識の言葉を発しましょう。
ぎすぎすすることもあるでしょう。
分かってもらえるのは、後になってからということもあるでしょう。
偉い人は、自由に話せる場を作らなければならない。
下のひとは、自由に意見を述べなければならない。
第二次世界大戦後、誰もが思ったことです。
防空壕 泣く子黙らす 悲惨かな
2017年1月26日
2016年2月28日投稿記事「あるがまま、受け止める」を参照ください。
言論の自由と言っても、考えていることややっていることが受け入れられるとは
限りません。信じることは何か。と自分に問いました。
自分が出来ることをやり続けることだと考えた時のことです。
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