故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

観察

2021-01-26 06:55:48 | プロジェクトエンジニアー

ふわふわからぴょんと生まれる。絵のタイトルです。
見つけてしまっても、さらに深く知ることで優しくなれる。


向田邦子さんは、人の機微についてとらえることが上手だった。
大石静香さんは、優れた脚本の「向田邦子賞」の審査委員である。
常識の向こうにある真実を著している作品を探すと言われた。
向田和子さんは、姉邦子さんは観察力が優れていたと言われた。

今日のタイトルは、「観察」です。
友人の孫たちもカフェにやってきた。
お絵かきがしたいと言う。
出来上がった人の絵を見せてもらった。
以前の絵は、どこかが長かったり短かったりでバランスが悪かった。
今回の絵は、人間を等身大にバランスよくとらえていた。
ずいぶん上手になったね。子供たちは、むふふ。
額に入れて、カフェに飾ることにした。5人目の作家コーナーができる。
私の似顔絵コーナーを一つ譲ることにしよう。

先輩は、読む小説が減ったと嘆かれる。
目が悪いのか根気が続かないのかと、想いを尋ねた。
先輩は何も言われない。
そうか、先輩は自分より年長の作家の作品しか読まないと言われた。
同じく、先輩より年長の医者のいうことしか聞かないとも言われた。
胃がんを患った時、かかりつけの老医者に執刀を頼んでいた。
ある日、看護婦さんに「本気でお願いするの。亡くなっている方がたくさんおられるのよ」と
先輩に忠告した。
先輩は、大きな大学病院に移った。

あの人は、居酒屋でよく飲んでいるね。
飲食店のおかみさんである。
どうやら、旦那とはうまく行ってないらしい。同年代の恋人がいると言う。
おかみさんより年下じゃないと、私は友人に聞いた。
年なんて関係ないと答えてくれた。

誰だって浮気心はあると妻が言う。
私は、どきっとする。
いつか捨てられる。

言葉の端々、なんでもない行動の一つひとつ。
真実が隠されている。
時空を経て、つなぎ合わせると見えてくる。
嘘をつく時、空咳をする。
知った時の空しい気持ち。
優しい気持ちになれる。

向田邦子の小説が読みたくなった。

ちびたんの キャベツ根っこ でかかった

2021年1月26日
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変化はつくるもの(Part2)

2021-01-25 05:25:05 | プロジェクトエンジニアー

新幹線に乗り、富士市辺りで見た富士山です。
タイトルは、「行くぞ、来てね」です。
時々、富士の高嶺を滑り降りる無鉄砲さと意気込みが求められます。
ふっ切れる。


今日のタイトルは、「変化はつくるもの(Part2)」です。
2020年11月13日投稿記事「変化はつくるもの」では、
「変化を求めて移住しました。
残念ながら、誰も私に期待してくれません。
よそ者は旅のもの。この地じゃ、毒にも薬にもならない。
会社で、家庭で重きをおいてくれたのに、なーんも起こりません。
変化は、誰かがお膳立てをしてくれるもの。これに慣れちゃった。」
と書いています。
何を期待したのでしょう。
誰かが、お膳立てをしてくれるものと期待したと思われます。

初めて就職した会社を辞めることにした。30年以上前のこと。
ビーイングで新規採用を公表している100社に履歴書を送った。
自分を必要としてくれる会社があると信じていました。
結果は、ゼロでした。

見かねた建築会社の方(辞めた会社の先輩の友人)が、アピール文の書き方を指導してくれた。
自分の長所を新たな職場でどう活かせるか、アピール文の練習を重ねた。
結果は、外資系のメーカーに入り自分がやりたくない仕事(サービス)に就くことになった。
その仕事をしたのは、わずか一年でした。
会社が、新しい人材(プロジェクトマネージメント)を求め、私が打診された。
英語で書かれた図面を持って日本のメーカーに作ってもらう。
日本のエンジニアリング会社に据え付け指導をする。
私にとっても初めてなことばかりでした。
辞めた会社で10年近くやった仕事が活きました。
食らいつくように仕事をこなしました。
年末には、新しいことをさらにお願いされ、給料は上がっていった。
今思えば、この時の自分が取り組んだことは、「変化はつくるもの」でした。

さらに時を経て、私はプロジェクトマネージャーとして、転職を繰り返した。
多くのエンジニアーや職人を使い、新しく食品工場を造ってきた。
変化を追ってきたと思い込んでいました。

この地に来た時、変化を起こしてくれる人材として期待されました。
人口が減り、空き家や耕作放棄地が増え、地域で回っていたサービスと金は滞っていました。
自分に何ができるのか、この5年間は「自分探し」でした。
やれることを地道にやっていく、自給自足の繰り返しでした。
変化は起きないように見えました。

草が伸びれば草を刈る。忘れられた木々の剪定をする。雪かきをする。森をきれいにする。
畑で野菜を作り、集いの場を細々と続けている。
「この人は何する人」から、隣人扱いしてくれるようになりました。

変化は求めるものではない。
「変化はつくるもの」だと、改めて感じます。

転がりて 苔むす石も とどまらず

2021年1月25日
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刺激

2021-01-24 05:16:58 | よもやま話

絵のタイトルは、「僕一人で渡れるよ」です。
そうかい。やってみなはれ。


雪が降った。
10-15cmは積もった。
雪かきに出るには、まだ早い。
ご飯を仕掛けて、洗濯するも時間ができた。コーヒーも飲んだ。ゴルフ番組も予約した。
雪かきに出かけるのが嫌だな。約50mの道路と駐車場の雪かきは、午前中いっぱいはかかるだろう。
ブログを書き始めると、気持ちが落ち着くから不思議です。

今日のタイトルは、「刺激」です。
刺激とは、
生物体に作用して、その状態を変化(興奮)させ、何らかの反応をひき起こすこと。
気持ちを興奮させること。
(広辞苑より)
哲学的な解説を望んだけれでも、発見できなかった。
毎朝起きて、まずはルーチンワークをこなす。脳が働き始め、あれこれと考えが巡るようになる。
身体の各所が目覚め、排せつ、空腹などの欲求が芽生えてくる。
ああ、今日もいつも通りの体調だと希望が湧く。

モチベーション(動機を与えること。動機付け。誘因。物事を行う意欲。やる気)に昇華する。
森の下草を刈り始める。ひとかき、雪を寄せる。文字を書き始める。
身体がきついと反応する。いや、ここまではと頑張り始める。
この季節には珍しく汗が出る。一枚ずつ脱いでいく。
なーんだできるじゃないかと、励み始める。

音楽を聴く。苦労話に耳を傾ける。他人の努力に感動する。共感し、涙を流す。
こうしてはいられない。自分にも何かできないか。
生きている意味を考え始める。
抱えている悩みが小さいことに気づく。

服を着替えて、雪かきに行こうと気持ちが向いている。
義務ではない。楽しいことに違いない。

「刺激」は、いたるところに落ちている。
鳥がやってくる。梅もどきや草の実をついばんでいる。
鳥は、森や里に食べ物が無くなると、最後に南天を食べると聞いた。
鳥は、南天が嫌いなのである。生き抜くには仕方がないと挑戦する。
現象を見ても感動はしない。背後にある意図と言うか意味を探ると、合点がいく。
どうしてなんて、今更どうでもよくなる。
良いものは良い。
楽しいことは、楽しい。
やってから、どうしてなんかなと少し考える。時を経て気づくことで良いじゃない。

エレベーター 何か匂うぞ パンパース

自らの加齢臭に気づかない。
よって、毎日着替えることにしている。

普通にしてるつもりでも怖い顔である。
努力して口角をあげるようにしている。

気持ちは大人でも、子どもより始末が悪い。
幼子に学ぶことが多いと気づく。

2021年1月24日
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今を生きる(Part4)

2021-01-23 05:39:02 | よもやま話

絵のタイトルは、「こんな日が来るんだね」です。


今日のタイトルは、「今を生きる(Part4)」です。
夜中に足がつった。
家の前の森の下草を刈ったからでしょう。
合間にカフェに行き、お好み焼きを焼く。
買い物に行く。
都度、長靴を登山靴(防寒靴として、私にとっては最適)に履き替える。

私達がいなくなれば、借りている耕作放棄地は元の草ぼうぼうになるだろう。
空き家も同じく草と庭木が伸び放題となり空き家さえも見えなくなるだろう。
森も雑木で、うっそうと暗くなることだろう。

稼がなくなった夫は、やっかいもの。
産めなくなった牛、卵を産まなくなった鶏、走らなくなった競走馬は殺処分される。
コロナに罹れば隔離される。(実際は、入院できず自宅待機も多い)
拒否すれば、罰金または懲役である。

そうだろうか。

私は生きている。
生産性が低かろうが、役に立たないと思われようが生きている。
畑を耕せば、庭の木を剪定すれば、森の雑木を伐れば、鳥が寄ってくる。
土に光が差し、バクテリアが枯葉やごみを分解する。

共存とはいうものの、生きにくい。
役に立っているかと問われれば、はたと考えてしまう。
姨捨ができない世の中です。
雪下ろしもできない年寄りです。

耕作放棄地が見捨てられる。元々は原野かもしれない。
森を切り開き、増える家族のために、そばを植え野菜を植えた。それが長い間に森に返った。
空き家も同様です。

嫌なんです。
下草が生えてる森は、借景にはなりにくく、竹が陽を塞ぐのが見ていられない。
耕作放棄地を耕すだけで、先祖に申し訳が立つのです。
空き家を解体することができないから、せめて庭木を剪定し草を刈る。
散歩するには、通りに日が当たり、庭木や花を見るのが楽しいし、癒されたい。

木々で埋もれていた蔵をきれいにすれば、カフェとして活用できる。
パンやピザを焼き、お好み焼きもついでに焼けば、都会に行かなくてもコーヒーが飲める。(酒も)
子育てをする若者にはできない仕事です。年金暮らしの私達だからできること。

体力との勝負です。
しなくてもよいのではというささやきとの葛藤です。
私は生きている。屍ではない。意思があるし、美意識もある。
子供たちは、私の背中を見ている。
いつまでも元気でいてくれよ。

元気だけじゃ物足りない。
生きてる証が欲しい。
まだまだ見ぬ景色がある。夢だった仕組みの革命がある。
スマホよりさらに便利なものがある。
コロナをどう乗り越えるのか試したいし、どう変わるのか見てみたい。
通勤をしなくても仕事ができる。
駅近から暮らしやすいに変化する不動産価値の変動をこの目で見たい。
田舎の風景を求め週末ごとに大移動しなくてもよくなるのです。
各自治体が、国からの交付金がなくても自前でやれるかつての藩に変わる自由往来の時代が来る。
生きてるものも、病んでるものも、さらに死んでるものも価値を失わない。
そんな知恵が活きる社会が見てみたい。

不自由が 知恵の連鎖で これもあり

2021年1月23日

<<あとがき>>
コロナ病床がひっ迫している。
長野県の自治体連合は、縦割り管理を打破し、各病院の話し合いで役割分担のネットワークを創った。
コロナがあったから生まれた広域連合(共存)です。しかも、一年前から。
やればできるのです。補助金も罰金も必要なかったのです。

ドイツで、自転車に乗りりんご園に行く年金生活者の話を聞きました。
りんご園を継承できない。
さすればと、ネットワークができ、りんごは一級品ではないけれど作り続けられる。
毎年の収穫が、手伝う年金生活者も含めた人たちの歓びとなっている。

日本だって負けてはいない。
森の持ち主が、森を開放した。
森について体験講座を開き、素人を指導した。
森は復活し、住む者も住まざる者も、週末ごとの森の生活を満喫されている。

ある地域では、「俺たちは森の恵み」で生活していると、漁業関係者が森の保全に勤めている。

世の中は、捨てたもんじゃない。

(筆者)
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どこから来て、どこへ行くの

2021-01-19 04:34:38 | よもやま話

スイスに出張し、金曜日に会社が出した遊覧船に乗った。
ドイツ国境に沈む夕日を見た。
日本人の妻をもらったドイツ人が満面の笑みで接してくれた。
「お前が一番幸せものだ」と教えてやった。


一都三県に緊急事態宣言が出て、追加の宣言も出た。
カフェは開店休業状態です。
妻は、友人や家族へ送る菓子作りで忙しい。
私は、カフェ以外の仕事で忙しい。
身体を思い切り使えるので、夜も良く寝られます。

今日のタイトルは、「どこから来て、どこへ行くの」です。
アメリカとメキシコの国境に延々と続く壁について報道していました。
ある者は国境を越えて、砂漠で死に絶えてしまった。
その人たちが残した物を楽器に変えて演奏する人がいる。
国境の壁を写真に残す人がいる。
国境沿いの施設に落書きがある。
メッセージにナチスの鉤十字(ハーケンクロイツ)が多くみられるようになったと言う。
世界で行方不明になった人達の内、
この国境沿いで亡くなった方たちもいるのではないかと法医学者は調べている。
延々と壁は続くのかと思いきや、またいで渡れるフェンスもある。
時の権力者が、誇示するように壁を作った。

アメリカは建国以来、移民の歴史で作られている。
先に移民したものが、後から来るものを排除する。
元は一つの街が、壁によって二分された。どちらの声も互いに聞こえる。

私は、将来アメリカからメキシコへこの壁を越えようとするものが出てくるのではないかと考える。
アメリカは憧れの国ではなくなる日が来る。メキシコは、壁を強化するだろうか。
ヨーロッパは、隣国へ行くのにパスポートの提示は必要ない。
ガソリンは、安いスイスで入れ、ドイツで安い野菜を買う。
しかし、紛争国(シリア)から流れてくる移民は受け入れない。
スイス人は、外国に出稼ぎに行き、国内の多くの職業は移民(主にトルコから)で支えられている。
その比率は、今や25%までになっている。
中国だって、内陸から出稼ぎに来る者たちによる安い労働力で、力を蓄えてきた。
上海の物価の高さは有名です。

私達は移住者です。
国境を渡った訳でもないが、不自由を感じた。
時間が経てば、また移住する。
生れたところだって、浦島太郎である。
国境は、紛争があるごとに変わっていく。その都度、民族は長い時間をかけて混じり合っていく。
日本も人口減少に伴い、産業の担い手は不足となり、外国人の労働力を受け入れている。
世界の人々の移民したい国で、カナダに次ぐのが日本である。

自分だけ良かれの流れが、国境である。
政治は、その時間を短くする。
混じり合った人々が、緩和する。
どちらの場所も良いところと悪いところがある。
大都会には仕事がある。人々が集まるから仕事が生まれる。
そんな循環をコロナは断ち切ってしまった。

「どこから来て、どこへ行くの」でした。

何が言いたいのか、散文的になりました。
私の中でも未消化です。
国内でも見えないバリアーがあるのです。
今回、政治家は公然と自由往来を禁止するかのような発言をしています。
西部劇にありました。
ならず者を退治したガンマンが英雄ではない。この地で生きているものが偉いのだと。

渡り鳥 見える楽園 境なし

2021年1月19日
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