故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

変化はつくるもの(Part2)

2021-01-25 05:25:05 | プロジェクトエンジニアー

新幹線に乗り、富士市辺りで見た富士山です。
タイトルは、「行くぞ、来てね」です。
時々、富士の高嶺を滑り降りる無鉄砲さと意気込みが求められます。
ふっ切れる。


今日のタイトルは、「変化はつくるもの(Part2)」です。
2020年11月13日投稿記事「変化はつくるもの」では、
「変化を求めて移住しました。
残念ながら、誰も私に期待してくれません。
よそ者は旅のもの。この地じゃ、毒にも薬にもならない。
会社で、家庭で重きをおいてくれたのに、なーんも起こりません。
変化は、誰かがお膳立てをしてくれるもの。これに慣れちゃった。」
と書いています。
何を期待したのでしょう。
誰かが、お膳立てをしてくれるものと期待したと思われます。

初めて就職した会社を辞めることにした。30年以上前のこと。
ビーイングで新規採用を公表している100社に履歴書を送った。
自分を必要としてくれる会社があると信じていました。
結果は、ゼロでした。

見かねた建築会社の方(辞めた会社の先輩の友人)が、アピール文の書き方を指導してくれた。
自分の長所を新たな職場でどう活かせるか、アピール文の練習を重ねた。
結果は、外資系のメーカーに入り自分がやりたくない仕事(サービス)に就くことになった。
その仕事をしたのは、わずか一年でした。
会社が、新しい人材(プロジェクトマネージメント)を求め、私が打診された。
英語で書かれた図面を持って日本のメーカーに作ってもらう。
日本のエンジニアリング会社に据え付け指導をする。
私にとっても初めてなことばかりでした。
辞めた会社で10年近くやった仕事が活きました。
食らいつくように仕事をこなしました。
年末には、新しいことをさらにお願いされ、給料は上がっていった。
今思えば、この時の自分が取り組んだことは、「変化はつくるもの」でした。

さらに時を経て、私はプロジェクトマネージャーとして、転職を繰り返した。
多くのエンジニアーや職人を使い、新しく食品工場を造ってきた。
変化を追ってきたと思い込んでいました。

この地に来た時、変化を起こしてくれる人材として期待されました。
人口が減り、空き家や耕作放棄地が増え、地域で回っていたサービスと金は滞っていました。
自分に何ができるのか、この5年間は「自分探し」でした。
やれることを地道にやっていく、自給自足の繰り返しでした。
変化は起きないように見えました。

草が伸びれば草を刈る。忘れられた木々の剪定をする。雪かきをする。森をきれいにする。
畑で野菜を作り、集いの場を細々と続けている。
「この人は何する人」から、隣人扱いしてくれるようになりました。

変化は求めるものではない。
「変化はつくるもの」だと、改めて感じます。

転がりて 苔むす石も とどまらず

2021年1月25日
コメント
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