新幹線に乗り、富士市辺りで見た富士山です。
タイトルは、「行くぞ、来てね」です。
時々、富士の高嶺を滑り降りる無鉄砲さと意気込みが求められます。
ふっ切れる。
今日のタイトルは、「変化はつくるもの(Part2)」です。
2020年11月13日投稿記事「変化はつくるもの」では、
「変化を求めて移住しました。
残念ながら、誰も私に期待してくれません。
よそ者は旅のもの。この地じゃ、毒にも薬にもならない。
会社で、家庭で重きをおいてくれたのに、なーんも起こりません。
変化は、誰かがお膳立てをしてくれるもの。これに慣れちゃった。」
と書いています。
何を期待したのでしょう。
誰かが、お膳立てをしてくれるものと期待したと思われます。
初めて就職した会社を辞めることにした。30年以上前のこと。
ビーイングで新規採用を公表している100社に履歴書を送った。
自分を必要としてくれる会社があると信じていました。
結果は、ゼロでした。
見かねた建築会社の方(辞めた会社の先輩の友人)が、アピール文の書き方を指導してくれた。
自分の長所を新たな職場でどう活かせるか、アピール文の練習を重ねた。
結果は、外資系のメーカーに入り自分がやりたくない仕事(サービス)に就くことになった。
その仕事をしたのは、わずか一年でした。
会社が、新しい人材(プロジェクトマネージメント)を求め、私が打診された。
英語で書かれた図面を持って日本のメーカーに作ってもらう。
日本のエンジニアリング会社に据え付け指導をする。
私にとっても初めてなことばかりでした。
辞めた会社で10年近くやった仕事が活きました。
食らいつくように仕事をこなしました。
年末には、新しいことをさらにお願いされ、給料は上がっていった。
今思えば、この時の自分が取り組んだことは、「変化はつくるもの」でした。
さらに時を経て、私はプロジェクトマネージャーとして、転職を繰り返した。
多くのエンジニアーや職人を使い、新しく食品工場を造ってきた。
変化を追ってきたと思い込んでいました。
この地に来た時、変化を起こしてくれる人材として期待されました。
人口が減り、空き家や耕作放棄地が増え、地域で回っていたサービスと金は滞っていました。
自分に何ができるのか、この5年間は「自分探し」でした。
やれることを地道にやっていく、自給自足の繰り返しでした。
変化は起きないように見えました。
草が伸びれば草を刈る。忘れられた木々の剪定をする。雪かきをする。森をきれいにする。
畑で野菜を作り、集いの場を細々と続けている。
「この人は何する人」から、隣人扱いしてくれるようになりました。
変化は求めるものではない。
「変化はつくるもの」だと、改めて感じます。
転がりて 苔むす石も とどまらず
2021年1月25日