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持ち込まれたロックフェラー医学

2024-05-29 17:30:42 | 日記
吉野敏明著「医療という嘘」より引用
ロックフェラー医学を持ち込んだ公衆衛生福祉局
明治までの民間医療家たちは戦争を機に発展した組織的な西洋医学(戦時医学)には歯が立たなかった
昔は他に仕事を持ちながら薬草などで病人の治療に当たっていた民間の医師がほとんどでした。
GHQの「サムスの改革」と呼ばれる改革が実施された。
公衆衛生福祉局の誕生
1945(昭和20)年10月2日GHQの発足と共に設置され、アメリカ陸軍軍医准将だったクロフォード・F・サムスロックフェラーが自ら局長の座に就いた。
多くの課が生まれ、改編は何度か行われました。
衛生・保健所制度、医療制度・医学教育、製薬・医療品産業、社会福祉、社会保障などにおいて、アメリカ型の新制度が適用された。
これはアメリカ同様西洋医学に基づいた保険・医療・福祉行政が徹底されたことになり、対米従属路線が敷かれ、ロックフェラー医学は一層強化されていった
医大が受けるロックフェラーからの資金
世界の金融を牛耳るロスチャイルド家に比べて、ロックフェラーが悪印象を持たれていないのは、石油で儲けたお金の一部を多くの慈善活動に寄付していたからです。
ロックフェラー財団が援助している分野は
①医療、医学教育、健康、人口科学
②農業、自然科学
③芸術、人文科学
④社会科学
⑤国際関係
の5つであり、多くの医学校へ多額の資金援助も行っています。
補助金を受けるためにはホメオパシー医療を捨て、石油原料の医薬品を使わなければならないという条件があった。
多くの日本の医学博士がロックフェラー財団の援助でアメリカやカナダの臨床医学を視察に出向いた。
1920年代末から30年代にかけて、ロックフェラー財団からアロパシー医学=ロックフェラー医学が導入された。
さらに、1938(昭和13)年の公衆衛生院の設立、聖路加国際病院を介した日本の看護教育への支援、国立遺伝学研究所の支援など影響力を行使したのです。
こうして大正時代から今なお、薬漬け医療の対症療法は続いており、がんやアレルギーなど自己免疫疾患は急増している。
しかもロックフェラー家3代目当主のデービッド・ロックフェラー(享年2017年101歳)は亡くなるまで「外食せず」「水道水は飲まず」「有機野菜のベジタリアン」で医者にも掛からなかった。
儲けてきた薬は拒絶してきた正に「医療マフィア」だった。
個の違いを無視した「疫学」と「公衆衛生」
疫学は「個人」ではなく、「集団」を対象として病気について研究する。同様に、公衆衛生も集団を対象とした衛生学なのだ。
ロックフェラーは医療だけでなく、公衆衛生の分野でも頂点に君臨し、個人差を無視し、「ヒトは全員同じである」という一律主義の考え方に立っているのです。
不平等な免疫力と平等なワクチン
人類は平等でも免疫力は個人差があります。それを「疫学」によってどのような条件の違いによって病気が多いかを調べ、予防のために「公衆衛生」や「予防医学」を構築し、予防接種(=ワクチン)で平等にしてあげようという考え方です
さらに、児童精神学を確立し、多くの「発達障害」という分野の新しい病名を作り、こうして未発達の子供に対して「平等化」を押し付けてきた。
人道主義に見えるこの思想は、共産主義思想に基づく極めて政治的な概念です。
隠れ共産主義であったフランクリン・ルーズベルトにより、この左翼思想に基づいてアメリカ型の日本改造計画が行われ、それを仕掛けていたのがマッカーサー率いるGHQだったのです。
まとめ
吉野先生の色々な話を聞き、食にも拘り方をアップデートした医者に掛かることはなくなりました。
とはいえ、骨折時には痛みから逃れるために、薬局でアセトアミノフェンを購入して服用したりもしたが、これも対症療法の薬物と知りながら、フォトセラピーによるパッチやツボ押しでは対処しきれず、ビッグ・ファーマの産物に頼らざるを得ない現実に悩みながら、薬選びや服用の仕方にも注意をしている次第です。
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